- 著者
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八重樫 徹
- 出版者
- 大阪大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2011
本研究の最終年度にあたる本年度は、エトムント・フッサールの後期備理思想における愛と便命に関する考察を手がかりに、人間的行為者に固有の自由がもつ感情的基盤に注目し、これを明らかにすることを主な目的として研究を進めた。前期フッサールによれば、われわれの自由とは、合理的な熟慮にもとついて、価値があるとみなした事態を行為によって実現することにある。この発想自体は後期においても変わらないが、自由な自己決定の外側にある事実性への着目が、後期倫理思想に固有の論点として付け加わる。われわれは合理的意志決定によらない仕方で、特定の人を愛したり、特定の活動を自分にとって重要なものとみなしてそれに身を捧げたりする。そのようにして何かを大事に思うことは、いわばわれわれの生き方の中核をなすものである。「私はそれをせずにはいられない。なぜならこれが私にとって大事なものだからだ」。このように語るときの「せずにはいられない」という義務感は、外側から押し付けられたものではなく、その人自身の生の中心から湧いてくるものである。こうした現象は行為者の自由とは対極の不自由さを構成しているように思われるかもしれないが、それはむしろ人間に固有の自由を可能にしているものである。なぜなら、合理的な熟慮に実質を与え、そのつどの意志決定を根底で支えているものこそ, 何かを大事に思うことから生じる義務感あるいは使命感にほかならないからである。後期フッサールの倫理思想に見られるこうした発想には、B・ウィリアムズやCh・コースガードといった現代の倫理学者による「人生のプロジェクト」や「実践的アイデンティティ」と呼ばれるものを重視する立場に通じるものがある。われわれの生き方の中核にある不合理性を積極的に認めることは、道徳的義務のみに着目する狭い意味での倫理学を超えて、「愛」や「ケア」といった概念を重視し、「人生の意味」や「生きがい」といった価値を明らかにしようとする、より開かれた倫理学的探究を可能にする。自由意志の現象学的解明を目的とした本研究の主な成果は、人間的自由の感情的基盤を探ることを通じて、価値の現象学的探究が愛や人生の意味に関する重要な洞察を与えるという可能性を示したことにある。