著者
山崎 正勝
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.40, no.218, pp.87-96, 2001 (Released:2021-08-17)

Soon after the dropping of the Hiroshima bomb, Yoshio Nishina, an experimental physicist who was in charge of the Army's development of nuclear weapons at Riken, the Institute of Physical and Chemical Research, could understand that it was an atomic bomb because its energy release given in Truman's statement coincided with the one that his colleague Hidehiko Tamaki estimated a few years ago. This suggests that they knew of the magnitude of nuclear explosions. Uraniumu bakudan (uranium bomb), Japanese physicists' bomb at the time, is, however, known to be a kind of nuclear reactor out of control. The "bomb" of this kind is not very powerful because it is based on a slow-neutron reaction. This paper challenges to reproduce Japanese physicists' calculations at the time, and shows that they thought that they could explode their uraniumu bakudan, a slow- reactor bomb, with a quite high efficiency. This led them to expect that the energy release from their bomb would be of 20 K ton TNT equivalence that accidentally coincided with the energy release of the Hiroshima bomb.
著者
山崎 正勝
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.25, no.160, pp.225-234, 1986 (Released:2021-09-22)

The first idea of atomic bomb proposed by E. Fermi and, especially, L. Szilard, who was the real writer of Einstein's letter to President F D Roosevelt in 1939, was shown to be based on a fast neutron chain reaction in normal uranium which was later proved to be inert for fast neutrons At that time such an idea was also proposed independently by L. Peierls in Britain, but he soon abandoned it because of its great critical mass estimated theoretically by himself. The large scale enrichment of uranium was at first pursuited to produce a thermal nuclear chain reaction (the nuclear reactor) effectively. This stream was thus independent of that for the construction of the bomb at the early stage Those two streams above were, however, joined together in 1940 by O. Frisch and Peierls in their memorandum on a super bomb, which first showed the technological principle of atomic bomb based on the fast neutron chain reaction in pure uranium 235 In contrast to these two streams in the U.S. were kept divisitive by compartmentalization of information adopted by V.Bush, the chairman of NDRC. The idea of the Frisch-Peierls memorandum is studied in detail in comparison with the MAUD reports, the British official reports, completed in the summer of 1941. It is shown that the influence of the British research on the atomic bomb was the most important factor for the full start of the development of the bomb in the U.S. in the autumn of 1941. The problem on independence between NAS report of November 6,1941 and the MAUD reports is discussed.
著者
山崎 和彦 爲我井 敦史 堀 雅洋
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.60, no.6, pp.6_95-6_102, 2014-03-31 (Released:2014-06-10)
参考文献数
17

ユーザビリティ評価におけるインスペクション法では,実際に動作するプロトタイプやエンドユーザーの協力を必要としない.しかし,ユーザビリティ評価について実践的スキルを有する専門家の不足により,インスペクション法を適切に実施することは必ずしも容易でない.本研究では,ユーザビリティ評価の初心者として大学生の協力を得て,2種類のインスペクション法を用いてユーザビリティ評価を実施し予備的検討を行った.その結果,初心者がインスペクション法を実施する際に直面する主要な問題点が,対象ユーザー視点ならびに対象箇所の指定に関わるものであることを確認した.そして,それらの問題点への方策として,対象ユーザーの特徴分解法および壁を利用したヒューリスティック法を提案する.その上で,提案手法をユーザビリティ評価の初心者に使用してもらい,携帯電話端末の評価を行ない,その有用性を検証するとともに提案手法の利点と課題について考察する.
著者
山崎 一穂
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.1027-1032, 2021-03-25 (Released:2021-09-06)
参考文献数
4

Avadānakalpalatā (Av-klp)はカシミールの詩人Kṣemendra (西暦990–1066年頃)によって書かれた108章からなる仏教説話集成である.同作品の第31章第32詩節には「心」(manas)を「恩知らずな者」(akṛtajñaḥ)に喩える〈直喩〉(upamā)の用例が見られる.古典詩論家達は〈直喩〉が成立する条件の一つに喩えるものと喩えられるものの文法上の性と数,格の一致を挙げる.問題の〈直喩〉ではそれぞれ,喩えるものと喩えられるものである「心」と「恩知らずな者」という語が文法上の性を異にする.本論文はKṣemendraがなぜ詩論家達の規定に抵触する〈直喩〉をここで用いたのかという問題の解明を試みるものである.喩えるものと喩えられるものの文法上の一致が成立しない〈直喩〉の用例は劇作家Bhavabhūti (西暦8世紀)の戯曲作品Mālatīmādhava第9幕第10詩節に見られる.註釈者Jagaddhara (西暦13–14世紀頃)は,問題の詩節では〈情〉(rasa)が示唆されているので,〈直喩〉の文法上の不一致が許されると説明する.このことから,西暦8世紀頃には,詩論家達の規定の枠内で〈直喩〉を組み立てることよりも,〈情〉を示唆することを重要視する文学的慣習が戯曲詩人達の間に存在したことが推定される.演劇論家Dhanaṃjaya (西暦10世紀後半)は,Bharataの演劇論を体系化し,演劇論書Daśarūpaを著している.同書の第4章では八種類の〈情〉が定義されている.Av-klp第31章第32詩節に先行する第27詩節と第28詩節にはそれぞれ,abhilāṣa「欲求」,vīṇā「ヴィーナー〔の音〕」という語が見られる.Dhanaṃjayaによれば,前者は運命やその他の理由で一緒になることができない男女に生じる〈恋〉(śṛṅgāra)の〈情〉が成熟していく最初の段階を,後者は〈恋〉の〈喚起条件〉を言葉で表現するのに用いられる語とされる.このことはAv-klp第31章第32詩節で〈恋〉の〈情〉が示唆されていることを意味する.以上の点を考慮すると,Av-klp第31章第32詩節に見られる〈直喩〉の喩えるものと喩えられるものの文法上の不一致は,Kṣemendraが詩論家の規則を満たすことができなかったことを意味するものではなく,彼が〈情〉を示唆することを,詩論家の規則に従って〈直喩〉を組み立てることよりも重視したことによる結果であると解釈できる.
著者
山崎 明子
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.373-382, 2007-03-31 (Released:2017-06-12)

近代日本における女子に対する美術教育は,男子の美術教育とは異なる枠組みを持ち,女子美術教育のあり方を特徴づけるのは,「手芸」という概念で表される女性の手仕事に関わる領域を包含する点にある。近代手芸論と美術家たちによるデイスクールから明らかになるように,「手芸」と「美術」は女子教育下において親和性を持ち,両者は「女子の美術」という特化した枠組みの中に位置づけられるものである。美術/工芸に対する女子の美術/手芸の関係は,美術領域からの「手芸」の除外だけではなく,女子の総合的な創造活動の育成システムそのものを美術教育の枠組みから除外した可能性を持つ。「手芸」概念を照射することにより,美術教育に内在するジェンダー・システムが明確になるとともに,本論は現代のファイバー・アートの受容に関する問題提起も行なっている。
著者
山崎 宏史 蛯江 美孝 稲村 成昭 柿島 隼徒
出版者
東洋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究は、浄化槽を構成する各単位装置のGHGs排出特性を検証し、排出削減可能な技術を提案することを目的に検討を行った。その結果、CH4は嫌気処理部と汚泥貯留部を兼用する単位装置からの排出が多く、さらに夏季の水温高温期に排出が増大することがわかった。CH4排出は、後段の好気槽からの循環水量を多くし、循環するDO量を増大させることにより、削減できることを明らかとした。一方、N2Oは好気処理部からの排出が多く、さらに春季から夏季に至る水温上昇期における貯留汚泥の可溶化により排出が増大することがわかった。N2O排出は、流量調整機能を付加し、処理機能を安定させることにより削減できることを明らかとした。
著者
稲村 成昭 蛯江 美孝 山崎 宏史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集G(環境) (ISSN:21856648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.7, pp.III_399-III_405, 2018 (Released:2019-03-29)
参考文献数
12

小型浄化槽からの温室効果ガスであるN2Oの1人当たりの排出量は,下水道に比べて,おおよそ5倍と著しく高い.そこで,浄化槽の特徴である流量変動に着目し,浄化槽における流入汚水量の時間変動を緩和する流量調整機能の有無によるN2O排出量の比較を行った.その結果,流量調整機能がある場合は,機能がない場合に比べて,N2O排出量は1/6以下に低減され,下水道とほぼ同じレベルになることが分かった.その要因として,流量調整機能がある場合,二次処理への汚水の一次的な流入汚濁負荷の集中が緩和されることにより,機能がない場合に比べて二次処理におけるORPの低下を最小限に抑えられるためと考えられた.なお,本研究を通じて,浄化槽においては,N2O排出量を制御する指標として,DOよりORPの方が適していると考えられた.