著者
杉浦 功一 Koichi SUGIURA
出版者
和洋女子大学
雑誌
和洋女子大学紀要 = The journal of Wayo Women's University (ISSN:18846351)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.65-76, 2023-03-01

現在、「民主主義の後退」が注目されているが、その考察に民主的正統性のインプット/スループット/アウトプットの側面に注目する枠組みを適用し、新たな知見を得ることを試みる。第1節では民主主義の後退の議論を整理・検証し、第2節ではV. A. シュミットの3つの民主的正統化のメカニズムの議論をまとめ、第3節ではその適用を試みる。結論として、民主主義の後退の議論で注目されてきたのは、民主的正統性のうちインプットの側面に関わるものであり、アウトプットやスループットの民主的正統性まで視野に入れると、権威主義化する政権がそれらによる「補完」によって支えられている可能性が見えてくる。
著者
杉浦 功一
出版者
和洋女子大学
雑誌
和洋女子大学紀要 = The journal of Wayo Women's University (ISSN:18846351)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.13-24, 2018-03-31

デモクラシーの概念及び民主化の動向を概観したうえで、これまで西側先進国主導であった開発援助及び民主化支援におけるデモクラシーや民主化の位置づけの変化を、ガバナンスなど関連する概念との関係を含めて検証する。そして実際の民主化支援活動の全体的な傾向とエジプト及びフィリピンへの支援を検証し、それらで現れているデモクラシーの概念の変容を捉えることを試みる。結果、「規範的なデモクラシー」としては、国家の政治体制としての自由民主主義体制が国際的な規範であり続けている。他方で、実際の開発援助や民主化支援の検証を通じてわかる「運用されるデモクラシー」をみる限り、より「非政治的」で政府の能力に重点を置いたデモクラシー像が現れつつある。
著者
杉浦 功一
出版者
和洋女子大学
雑誌
和洋女子大学紀要 = The journal of Wayo Women's University (ISSN:18846351)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.69-80, 2020-03-31

本稿では、広義の民主化支援の動向と変化の要因を、国際政治の構造変化と絡ませながら検証する。民主化支援活動は、西側諸国優位の中、1980年代終盤から90年代にかけて民主化の「第三の波」とともに発達した。しかし、2003年のイラク戦争以降、民主化支援はバックラッシュにさらされた。このバックラッシュは、欧米の「衰退」と中国など新興国の「台頭」という国際社会の権力構造の変化で拍車がかかった。2011年の「アラブの春」により、多くの政権は民主化支援への警戒をさらに強めた。NGOへの統制強化など、民主化支援に対処する政権側の戦略は巧妙かつ大胆になっていく。この民主化支援へのバックラッシュに対し、西側諸国やEUなど国際機構は、活動の工夫や国際的な連携で対処しようとしてきた。しかし、西側諸国の国際的優位が失われていく中で、安全保障や経済的利益に対する民主化支援の優先順位は低下し、対象国の政権が望まない政治的分野を避けるなど民主化支援の「非政治化」が進んでいる。
著者
杉浦 功一 SUGIURA Koichi
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.23-41, 2006-12

民主化支援が国際的関心を集める中で、日本による民主化支援活動に関する研究は乏しい。そこで本稿では、民主化支援の国際的な動向を踏まえながら、日本の民主化への関与を分析し、その特徴の一端を明らかにする。日本の民主化支援の歴史を概観すると、日本は優先順位は高くないもののODA 大綱などを通じて民主化への支援のコミットを明確にしつつ、民主化の基盤を作る経済社会協力と対話を通じたアプローチを民主化支援の方針としてきたことがわかる。次に、日本の実際の民主化支援活動について具体的に検証する。広い意味での民主化支援活動は、大きく、民主化に関する国際規範の形成、民主化の「促進」、民主化の「擁護」より構成される。日本の個々の活動を検証すると、上記の特徴がやはり現れている。その上で、民主化支援活動の制度の明確化と他の利益とのバランス、市民社会との協力が今後の課題である。There has been little literature on Japan's democratization activities although democratization support is recently attracting much international attention. This article examines Japan's involvement in democratization abroad in the international trend of democratization support, and attempts to show its characteristics. This article briefly looks at the history of Japan's democratization support, and then examines its actual activities of democratization support, focusing on three activities : helping foster democratic norms, promoting democratization, and defending democratization. It makes it clear that Japan has shown its strong commitment to support for democratization abroad although its priority in Japan's diplomacy is still low, and that its approach to democratization support has been based on dialogue and economic and social cooperation to establish a foundation for democratization. Japan needs to institutionalize democratization support more clearly, keep balance between democratization abroad and other national interests, and seek more cooperation with civil society in Japan.
著者
初瀬 龍平 野田 岳人 池尾 靖志 堀 芳枝 戸田 真紀子 市川 ひろみ 宮脇 昇 妹尾 哲志 清水 耕介 柄谷 利恵子 杉浦 功一 松田 哲 豊下 楢彦 杉木 明子 菅 英輝 和田 賢治 森田 豊子 中村 友一 山口 治男 土佐 弘之 佐藤 史郎 上野 友也 岸野 浩一 宮下 豊
出版者
京都女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究の目的は、戦後日本における国際関係論の誕生と発展を、内発性・土着性・自立性の視点から、先達の業績の精査を通じて、検証することにあった。研究成果の一部は、すでに内外の学会や公開講座などで報告しているが、その全体は、『日本における国際関係論の先達 -現代へのメッセージ-(仮)』(ナカニシヤ出版、2016年)として集大成、公開する準備を進めている。本書は、国際政治学(国際政治学、政治外交史)、国際関係論(権力政治を超える志向、平和研究、内発的発展論、地域研究)、新しい挑戦(地域研究の萌芽、新たな課題)に分けた先達の業績の個別検証と、全体を見通す座談会とで構成されている。
著者
田村 光 阿部 定範 杉浦 功一 前田 真悟 池田 信良 小島 正夫
出版者
Japan Surgical Association
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 = The journal of the Japan Surgical Association (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.67, no.7, pp.1662-1665, 2006-07-25
参考文献数
8
被引用文献数
2 2

症例は, 73歳,男性.平成13年11月胆石にて腹腔鏡下胆嚢摘出術施行.術中胆嚢が穿孔し,胆汁が腹腔内にこぼれた.摘出胆嚢は肉眼的に腫瘍を認めなかったため,病理検査は,一割面のみに行われたが,明らかな悪性所見は認めなかった.良性胆嚢と判断されたため,胆嚢は特に保存はされず廃棄された.<br> 平成15年6月臍部痛にて当科受診.腹部エコー, CTにて臍のすぐ尾側の腹直筋内に辺縁不整な腫瘤像を認め,切除生検にて腺癌の転移と診断されたため,入院の上,平成15年8月腫瘍を含む腹壁を切除した.腹膜播種を疑う明らかな所見も認めなかった.組織学的に高分化腺癌の転移と診断された.明らかな原発部位を同定することはできなかった.平成16年1月再度腹壁に再発し, 2月より照射施行(58Gy/41回/29日).一旦腫瘍は縮小したものの,再増悪を認めたため,抗癌剤(CDDP+5-FU)を開始したが軽快せず,全身状態悪化し2004年7月死亡した.