著者
若森 章孝
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.27-39, 2000-06-15

本稿は,第1に,「資本主義の黄金時代」(1945-74)をフォーディズムのロジックによって解明したレギュラシオン理論が,脱フォーディズムのさまざまな試みと冷戦体制の解体という1990年代の文脈の中で急速に進展した経済のグローパリゼーションとそれにともなう「勤労者社会の危機」をどのように理解しているか,グローパリゼーションの進行の中に資本蓄積の新しい源泉と新しい調整様式の萌芽を,それゆえ勤労者社会の新時代の可能性をどのように検出しているか,について考察する。本稿は第2に, 「勤労者社会の危機」をめぐるフランスの論争におげる4つの立場を検討し,グローパリゼーションの下で社会統合を確保するためには,公的討論による価値観の形成という意味での「政治的次元」と新しい市民権(市民権所得)が重要であることを指摘する。
著者
若森 章孝
出版者
關西大学經済學會
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.27-39, 2000-06

本稿は,第1に,「資本主義の黄金時代」(1945-74)をフォーディズムのロジックによって解明したレギュラシオン理論が,脱フォーディズムのさまざまな試みと冷戦体制の解体という1990年代の文脈の中で急速に進展した経済のグローパリゼーションとそれにともなう「勤労者社会の危機」をどのように理解しているか,グローパリゼーションの進行の中に資本蓄積の新しい源泉と新しい調整様式の萌芽を,それゆえ勤労者社会の新時代の可能性をどのように検出しているか,について考察する。本稿は第2に, 「勤労者社会の危機」をめぐるフランスの論争におげる4つの立場を検討し,グローパリゼーションの下で社会統合を確保するためには,公的討論による価値観の形成という意味での「政治的次元」と新しい市民権(市民権所得)が重要であることを指摘する。
著者
伊藤 良剛 森 章浩 横山 栄作 寺澤 実
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.67, no.5, pp.620, 2019 (Released:2019-02-23)
参考文献数
3

MRI室における金属類の吸着・持ち込み事故は,全国で多発している。日本医療機能評価機構からMRI検査室への磁性体持ち込みについて,医療安全情報が出されており,いかに重要な案件かが窺える。当院でも,2012年4月から2016年3月の間にMRI室における金属類の吸着・持ち込み事故が4件あった。その中でも看護師によるハサミのMRI吸着事故を重大なインシデントと捉えて,新たな防止対策として,イメージカラーの選定,専用ユニフォームの採用,イメージカラーと同色のテープ等を用いてMRI専用物品の区別化を行ない,事故防止に効果を認めたので報告する。
著者
福見 秀雄 林 薫 三舟 求真人 七条 明久 松尾 幸子 大森 南三郎 和田 義人 小田 何 茂木 幹義 森 章夫
出版者
長崎大学熱帯医学研究所
雑誌
熱帯医学 (ISSN:03855643)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.p97-110, 1975-12

長崎地方における日本脳炎(日脳)ウイルスの生態学的研究のうち1964年から1973年に至る10年長間の調査成績を総括し解析を加えた.日脳ウイルスの主媒介蚊であるコガタアカイエカのウイルス感染の拡がりは媒介蚊の密度が最高に達する以前か或いはその時間に一致しているのが例年の様相である.また,人の日脳流行は主に豚の日脳感染が始まる頃の媒介蚊の密度によって影響されるようである.過去10年,相当の大量の越年コガタアカイイカ雌成虫から日脳ウイルスの分離を試みたが,いずれも不成功に終った.このことは蚊体内におけるウイルスの越年の可能性は南方諸地域とは異ることが推察される.
著者
林 薫 三舟 求真人 七条 明久 鈴木 博 松尾 幸子 牧野 芳大 明石 光伸 和田 義人 小田 力 茂木 幹義 森 章夫
出版者
長崎大学熱帯医学研究所
雑誌
熱帯医学 (ISSN:03855643)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.p129-142, 1975-12

1973年2月3日から18日の間,新生成虫が検出されない時期に野外で捕集した冬期のコガタアカイエカ1083個体,8プールから4株のウイルスを分離し,日本脳炎(日脳)ウイルスと同定された.この事実は,越年蚊体内でウイルスが持ち越されたものと考えられる.そして1973年には年間を通じて,蚊一豚の感染環が証明され,奄美大島,瀬戸内地域における日脳ウイルスの特異な撒布状況が観察された.この所見は我国で初めてのことである.しかしながら,1974年では,コガタアカイエカから7月上旬にはじめてウイルスが分離されると共に,これと平行して豚の新感染も同時に証明された.この事は蚊一豚の感染環,特に蚊によるウイルスの越年が中絶したことを意味すると共に,奄美大島の調査地域へのウイルスの持込みがあったに違いないことを物語るものであろう.換言すれば,奄美大島の調査地域では環境条件さえよければウイルスの土着が可能であるが,条件が悪いと蚊によるウイルスの越年は中絶し,流行期に再びウイルスの持込みが行われるであろうことを推定してよいと思われる.1973年7月24日夜半から25日未明にかけて奄美大島名瀬港及び鹿児島港の中間の海上で,船のマスト上にとりつけられたライトトラップ採集でコガタアカイエカ数個体を捕集した.この事実はコガタアカイエカが洋上を移動していることを意味しているものと考えられる.1975年7月下旬,奄美大島から鹿児島(九州南域)に向け,標色コガタアカイエカの分散実験を試みたが,遇然に実験地域を通過した台風2号で阻止され不成功に終った.しかし,分散実験日の約10日前にフイリッピンからの迷蝶が鹿児島南端に到達していることから気流によるコガタアカイエカの移動は決して否定出来ない.
著者
森 章司
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.521-529, 2019-03-20 (Released:2019-09-20)

The Suttapiṭaka and the Vinayapiṭaka record the historical achievements of Śākyamuni. Nevertheless, “who” did “what” to “whom” “where” were written in detail, but “when” was not specified. Why so?Also, when this “when” is dated as ekaṃ samayaṃ (a certain time) in the Suttapiṭaka, the Vinayapiṭaka distinguishes it by expressing it as tena samayena (then). Why so?Śākyamuni had a consciousness that he became Buddha as result of following the ancient road that was travelled by the various Buddhas of the past, attaining enlightenment that the various Buddhas had attained, and of preaching the teachings that the various Buddhas of the past had preached. Based on this awareness were the suttas preached. Therefore, the contents of the Suttapiṭaka are universal, and it is not good to be caught in time.Meanwhile, Śākyamuni had the recognition that the dhamma was extinct because the Buddhas of the past did not preach the Pātimokkha. Under this awareness, he established the Vinayapiṭaka, legislative documents that he originally established for maintaining and developing his saṅgha. Time is an extremely important factor for the law, because the same act becomes a crime or not depending on when the law was enacted.The Suttapiṭaka and the Vinayapiṭaka are canonical records. The Buddha’s disciples edited the suttas in a form not limiting time using ‘ekaṃ samayaṃ,’ and edited the rules in a way that limits “time” using ‘tena samayena’. This is a poor measure of trying to solve two conflicting requests at the same time. Tena samayena does not mean “when”. Therefore, there were no biographies of Buddha in Buddhism.
著者
森 章
出版者
日本生態学会
雑誌
保全生態学研究 (ISSN:13424327)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.283-291, 2009-11-30
被引用文献数
1

森林は陸域の生物相の約65%を支えており、森林における生物多様性の保全は、多くの分類群の保全につながる。しかし、人為の影響を欠いた森林はごく僅かで、多くの森林が人間の生活活動の場である。そのような森林においても、生態系の人為改悪を防ぎ、生物多様性の保全という機能を持たせることが、これからの持続可能な森林管理における主要課題である。本研究では、「自然生態系、生態プロセス、生物多様性の保全を主目的にしていない景観中のエリア」と定義される"マトリックス"において、如何に生物多様性に配慮するか、配慮できるか、その重要性を論じる。そこで、日本と同様に森林面積が高く、保護区率の低いスウェーデンでのマトリックスマネジメントの事例に着目した。スウェーデンでは、歴史的に長い間、人間活動が行われ、土地所有形態も零細かつ複雑になっている。国や地方自治体が大規模な自然保護区や国有林を一元的に所有・管理できる状況ではなく、国有林面積は僅か7%ほどで、民有林が国土の大半を占めている。しかし、スウェーデンでは、各土地所有者が生産性だけに焦点を当てた森林施業を行うわけではなく、生物多様性に配慮した新しい森林施業・管理を行っている。国立公園や自然保護区といった法的な保護対象となる森林の保全だけでなく、希少種の生育する潜在性の高い森林を数多くの私有地に指定し、伐採せずに保護している。また、伐採活動を行う施業林においても、伐採時に全ての樹木を伐採、搬出するのではなく、動植物相のための住み場所としての樹木や枯死木を残しておくといった、生態系の機能や生物多様性に対する配慮がなされている。つまり、スウェーデンでは、マトリックスの中に存在する、経済活動の対象となる森林において、如何にして生物多様性に配慮しながら管理、保全するのかを重要視している。このようなスウェーデンで実施されている新しい森林管理は、人為影響を受け続けた日本の森林生態系の保全、復元、そして管理に対しても、非常に重要な示唆を含んでいると考えられる。
著者
森 章
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
保全生態学研究 (ISSN:13424327)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.283-291, 2009-11-30 (Released:2018-02-01)
参考文献数
44
被引用文献数
3

森林は陸域の生物相の約65%を支えており、森林における生物多様性の保全は、多くの分類群の保全につながる。しかし、人為の影響を欠いた森林はごく僅かで、多くの森林が人間の生活活動の場である。そのような森林においても、生態系の人為改悪を防ぎ、生物多様性の保全という機能を持たせることが、これからの持続可能な森林管理における主要課題である。本研究では、「自然生態系、生態プロセス、生物多様性の保全を主目的にしていない景観中のエリア」と定義される"マトリックス"において、如何に生物多様性に配慮するか、配慮できるか、その重要性を論じる。そこで、日本と同様に森林面積が高く、保護区率の低いスウェーデンでのマトリックスマネジメントの事例に着目した。スウェーデンでは、歴史的に長い間、人間活動が行われ、土地所有形態も零細かつ複雑になっている。国や地方自治体が大規模な自然保護区や国有林を一元的に所有・管理できる状況ではなく、国有林面積は僅か7%ほどで、民有林が国土の大半を占めている。しかし、スウェーデンでは、各土地所有者が生産性だけに焦点を当てた森林施業を行うわけではなく、生物多様性に配慮した新しい森林施業・管理を行っている。国立公園や自然保護区といった法的な保護対象となる森林の保全だけでなく、希少種の生育する潜在性の高い森林を数多くの私有地に指定し、伐採せずに保護している。また、伐採活動を行う施業林においても、伐採時に全ての樹木を伐採、搬出するのではなく、動植物相のための住み場所としての樹木や枯死木を残しておくといった、生態系の機能や生物多様性に対する配慮がなされている。つまり、スウェーデンでは、マトリックスの中に存在する、経済活動の対象となる森林において、如何にして生物多様性に配慮しながら管理、保全するのかを重要視している。このようなスウェーデンで実施されている新しい森林管理は、人為影響を受け続けた日本の森林生態系の保全、復元、そして管理に対しても、非常に重要な示唆を含んでいると考えられる。
著者
林 薫 三舟 求真人 七条 明久 鈴木 博 松尾 幸子 牧野 芳大 明石 光伸 和田 義人 小田 力 茂木 幹義 森 章夫
出版者
長崎大学熱帯医学研究所
雑誌
熱帯医学 (ISSN:03855643)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.p129-142, 1975-12

1973年2月3日から18日の間,新生成虫が検出されない時期に野外で捕集した冬期のコガタアカイエカ1083個体,8プールから4株のウイルスを分離し,日本脳炎(日脳)ウイルスと同定された.この事実は,越年蚊体内でウイルスが持ち越されたものと考えられる.そして1973年には年間を通じて,蚊一豚の感染環が証明され,奄美大島,瀬戸内地域における日脳ウイルスの特異な撒布状況が観察された.この所見は我国で初めてのことである.しかしながら,1974年では,コガタアカイエカから7月上旬にはじめてウイルスが分離されると共に,これと平行して豚の新感染も同時に証明された.この事は蚊一豚の感染環,特に蚊によるウイルスの越年が中絶したことを意味すると共に,奄美大島の調査地域へのウイルスの持込みがあったに違いないことを物語るものであろう.換言すれば,奄美大島の調査地域では環境条件さえよければウイルスの土着が可能であるが,条件が悪いと蚊によるウイルスの越年は中絶し,流行期に再びウイルスの持込みが行われるであろうことを推定してよいと思われる.1973年7月24日夜半から25日未明にかけて奄美大島名瀬港及び鹿児島港の中間の海上で,船のマスト上にとりつけられたライトトラップ採集でコガタアカイエカ数個体を捕集した.この事実はコガタアカイエカが洋上を移動していることを意味しているものと考えられる.1975年7月下旬,奄美大島から鹿児島(九州南域)に向け,標色コガタアカイエカの分散実験を試みたが,遇然に実験地域を通過した台風2号で阻止され不成功に終った.しかし,分散実験日の約10日前にフイリッピンからの迷蝶が鹿児島南端に到達していることから気流によるコガタアカイエカの移動は決して否定出来ない.Characteristics of the ecology of Japanese encephalitis (JE) virus dissemination were investigated in Amami island located between the southern part of Kyushu and the main island of Okinawa. Four strains identified as JE virus were isolated from 8 pools of 1083 hibernated female mosquitoes of Culex tritaeniorhynchus caught in the field from 3rd to 18th February, 1973, before the appearance of newly emerged vector mosquitoes. This finding suggested the overwintering of the virus in the vector mosquitoes in survey areas. The virus dissemination in the survey area in 1973 was observed through the year in connection with the cycle of vector mosquitoes and pigs infection. In 1974, however, the virus isolation from vector mosquitoes was performed in July. This evidence indicated the interruption of the persistence of the virus in vector mosquitoes and the virus might be carried into the survey area in Amami island. These findings were of great significance in connection with the problems on the overwintering of JE virus in Japan. In the midnight on 24th to the very early morning on 25th July, 1973, mosquitoes of Culex tritaeniorhynchus were captured with the light traps set up on the ship sailing between the south part of Kyushu (Kagoshima) and Amami island. This finding suggest that vector mosquitoes might be transported with the wind over the ocean. In accordance with these evidence, the attempt to disperse mosquitoes of Culex tritaeniorhynchus experimentally labeled with dyes from Amami island to the southern part of Kyushu (Kagoshima) was made under the selected condition of the weather in the end part of July, 1975. It was, however, unsuccessful with hindering of occassionally happened typhoon.