著者
小松 美彦 大谷 いづみ 香川 知晶 竹田 扇 田中 智彦 土井 健司 廣野 喜幸 爪田 一寿 森本 直子 天野 陽子 田中 丹史 花岡 龍毅 的射場 瑞樹 皆吉 淳平
出版者
東京海洋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

米国で誕生し日本に導入されたバイオエシックスの特性を検討した。すなわち、文明論、歴史、メタ科学、経済批判、生権力の視点が稀薄ないしは欠落していることを剔抉し、日本の生命倫理の改革の方向性を検討した。成果は共著『メタバイオエシックスの構築へ--生命倫理を問いなおす』(NTT出版、2010)にまとめた。また、バイオエシックスが導入された1970~80年代の日本の科学・思想・宗教・政治状況を、文献輪読やオーラルヒストリー調査などを通じて考察した。以上は、国内外の研究にあって初の試みであり、書評やシンポジウムなどで高く評価された。
著者
定松 淳 花岡 龍毅 田野尻 哲郎 田中 丹史 江間 有沙 廣野 喜幸
出版者
北海道大学 高等教育推進機構 オープンエデュケーションセンター 科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)
雑誌
科学技術コミュニケーション (ISSN:18818390)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.3-15, 2017-06

科学技術コミュニケーションの重要な課題のひとつとしてリスクコミュニケーションがあり(廣野 2013),そのなかでも一般市民にも広く接点のある領域として医薬品のリスクコミュニケーションがある.特に医薬品の副作用は身近で,重大なものになりえるにもかかわらず,その事実は社会的に十分認知されているとは言えない.医薬品リスクについてのコミュニケーションを活性化させ, リテラシーを向上させる必要がある.本稿では,医薬品についてのリスク情報を掌握している薬剤師の専門性に注目し,一般市民の薬剤師との関わりの実態についての探索的調査を行った.その結果から,医薬品リテラシーの向上のために薬剤師の専門性を活用する余地があること,その際には 前提としての「薬剤師が医薬品についての専門性を持っている」という点についての社会的認知を 高める必要があることを指摘する.これは,一般市民に対して知識の増進をつい求めてしまいがちな科学コミュニケーション一般に対しても,社会的なインデックス情報の重要性を指摘するものとして示唆するところが小さくないと考えらえる.
著者
田中 丹史
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.179-192, 2019-04-20 (Released:2020-04-20)
参考文献数
26

本稿は生命科学・ライフサイエンス論の3 人の著名な研究者の見解を科学者の社会的責任論の観点から考察した.まず分析対象とするのは江上不二夫の見解である.江上の特徴は生命科学・ライフサイエンスを人文・社会科学を含む学際領域と捉えた点にあり,その研究審議の結果を踏まえて市民との対話の必要性も説いている.続いて取り上げるのは、中村桂子の議論である.中村は基礎研究の段階から,生命科学・ライフサイエンスには科学コミュニケーションが重要になることを主張していた.さらに1990 年代以降,生命誌の研究に移行すると,科学者の内的責任と外的責任の双方が当然視されるような世界観を打ち出している.最後に取り上げるのは,渡辺格の主張である.渡辺の生命科学・ライフサイエンス論の特徴は淘汰されるマイノリティもコミュニケーションに参加すべきとした点にある.3 人の主張はそれぞれ科学者の社会的責任論を展開していた点に特徴があると言える。
著者
田中 丹史
出版者
国立大学法人 東京医科歯科大学教養部
雑誌
東京医科歯科大学教養部研究紀要 (ISSN:03863492)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.33-47, 2017 (Released:2018-11-18)

日本では脳死・臓器移植をめぐって激しい論争が起こったが、定義としての脳死に関しては生命倫理の中で議論がなされない状況が続いた。例えば日本医師会生命倫理懇談会は、「死の自己決定権」という概念を導入し、脳死が人の死であるかどうかを個人の判断の問題とした。また生命倫理研究会・脳死と臓器移植問題研究チームは脳死を人の死であるか否かという問いを回避しつつ、臓器移植法の試案を発表した。しかし臓器移植法の改正をめぐる論議において発足した生命倫理会議は、法の改正を批判したばかりではなく、まさに定義としての脳死そのものを問い返すことで従来の生命倫理の活動の在り方自体をも批判したと言える。国際的にも定義としての脳死を再考する動きがあり、こうした議論が日本の生命倫理の中でさらに展開されることが望まれる。