著者
田島 充士
出版者
京都大学
雑誌
京都大学高等教育研究 (ISSN:13414836)
巻号頁・発行日
no.19, pp.73-86, 2013-12-01

The present study investigated the potential of university education from the perspective of Vygotsky's semiotics.Following Vygotsky's theory, this study defined "partial understanding" as rote learning that enables learners to use whatis learned in only one social context, and defined the ability to generalize the application of such knowledge beyond thatcontexts as "boundary crossing" (Engeström, 2001; Engeström, Engeström & Kärkkäinen, 1995; Wenger, 1998). Thus,boundary crossing can be considered the ability to connect, during dialogic interactions, knowledge that has been nurturedin different social contexts. However, engagement in co-creative communication with others from heterogeneous socialbackgrounds is not easy; some students achieve only partial understanding, even in interactions that require each speaker toengage in boundary crossing. In examining the effects of recent interventions by universities to promote students' ability toengage in boundary crossing and move beyond partial understanding, I identified those characteristics of university teachersthat render them especially well-suited to facilitate this kind of growth in their students.
著者
田島 充士
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.318-329, 2008-09-30
被引用文献数
1

本研究では学習者が,科学的概念と日常経験知との関係を,対話を通して解釈できることを「理解」と捉えた。そして,この理解達成を促進する方法として,教師が学習者らの発話を引用しながら,より深い解釈を行う対話へ誘導する「再声化(O'Connor & Michaels,1996)」に基づいて作成した介入法を取り上げ,その効果の検討を行った。大学生26名を対象に,2名1組の実験参加者組に分かれ,対話を通して課題とした科学的概念と日常経験知の関係を解釈するよう求めた。そして,ここで作成された解釈が両者の関係を十分に説明できないものであった場合,さらに対話を続けてもらい,同時に調査者が再声化介入法に基づいた介入を行った。その結果,再声化介入には,1)理解の達成に効果があるトランザクション対話(Berkowitz & Gibbs,1983)を増加させ,2)説明内容における日常経験知のメタファーも増加させる効果があり,最終的に概念理解を達成できる実験参加者を有意に多く生じさせたことが明らかになった。以上の結果から再声化介入法には,理解達成を促進する効果があると考えられ,本介入を活用した新たな授業実践の可能性について考察がなされた。
著者
田島 充士
出版者
ヴィゴツキー学協会
雑誌
ヴィゴツキー学 (ISSN:13454900)
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-16, 2010-12

This study investigated the structure of "partial understanding"and "understanding" from the perspective of L.S. Vygotsky. This paper discusses the theories of Russian formalists, paying particular attention to the work of L.P. Jakubinskij as a precursor to Vygotsky's semiotics. Jakubinskij's framework of "dialogue" and "monologue" influenced Vygotsky's ideas of "development"; dialogue refers to the semiotic interaction form "in" a context, and monologue refers to the interaction form "between" contexts. The structure of understanding is thus interpreted as the capacity of speakers that enables communications beyond the boundaries of exclusive contexts gained through "zones of proximal development".
著者
田島 充士 古屋 憲章
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.260-278, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

ロシアの文芸学者・M. M. バフチンのダイアローグ(対話)論を教育実践研究に応用するトレンドは,筆者が専門とする教育 ‐発達心理学において,すでに定着している。実際,バフチンは中等学校の教員として教鞭を執っていたこともあり,教育場面においてみられる具体的な諸現象に対する,彼の議論の解釈力・説明力はかなり高い。しかしバフチンのいう「ダイアローグ」は,慣れ親しんだ仲間同士の会話というよりもむしろ,異質な文化的背景を持つ他者同士のコミュニケーションを志向する概念である。このダイアローグ概念の特殊性を理解せずに,具体的な事象の説明に適用しては,バフチン理論が本来持つ,豊かなポテンシャルを活かしきることはできないように思う。本論では,異文化交流の可能性を拓くという視点から,バフチンの議論を読み解く。また関連する実践研究にも触れ,教育実践の豊かさを理解する上での,バフチン論の魅力について紹介する。
著者
田島 充士 茂呂 雄二
出版者
筑波大学心理学系
雑誌
筑波大学心理学研究 (ISSN:09158952)
巻号頁・発行日
no.26, pp.83-93, 2003

概念の学習ないしその理解に関しては、これまで様々な立場から、多くの議論が闘わされてきた。その中でも昨今、学校における概念学習が生徒たちの認知発達につながっていないことを指摘し、学校教育の閉鎖性を問題視する論調が強くなってきている。認知心理学においては、子どもたちが学校において教授される科学的概念を容易に受け入れず、 ...This paper investigates the socially-constructed structure of concept learning and understanding. The first purpose is to argue that the phenomenon of assuming that we understand concepts that we do not really understand is ...
著者
田島 充士
出版者
京都大学高等教育研究開発推進センター
雑誌
京都大学高等教育研究 (ISSN:13414836)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.73-86, 2013-12-01

The present study investigated the potential of university education from the perspective of Vygotsky's semiotics. Following Vygotsky's theory, this study defined "partial understanding" as rote learning that enables learners to use what is learned in only one social context, and defined the ability to generalize the application of such knowledge beyond that contexts as "boundary crossing" (Engeström, 2001; Engeström, Engeström & Kärkkäinen, 1995; Wenger, 1998). Thus, boundary crossing can be considered the ability to connect, during dialogic interactions, knowledge that has been nurtured in different social contexts. However, engagement in co-creative communication with others from heterogeneous social backgrounds is not easy; some students achieve only partial understanding, even in interactions that require each speaker to engage in boundary crossing. In examining the effects of recent interventions by universities to promote students' ability to engage in boundary crossing and move beyond partial understanding, I identified those characteristics of university teachers that render them especially well-suited to facilitate this kind of growth in their students.
著者
田島 充士 茂呂 雄二
出版者
一般社団法人 日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.12-24, 2006-03-30 (Released:2013-02-19)
参考文献数
31
被引用文献数
6 1

本研究は日常経験知と矛盾する科学的概念を学習した中学生を対象に, 両者の矛盾関係の解消を目指した説明を求める半構造化面接を実施し, この中で対立する日常経験知をどのように関連づけるのかという視点から, 概念理解の実態を検討したものである。予備調査の質問紙で科学的概念を支持した被験者 (科学群) に対しては日常経験知に基づいた情報を, また素朴概念を選択した被験者 (素朴群) に対しては, 科学的概念に基づいた情報を提示して, それぞれの矛盾を解消するよう求める対話に参加してもらった。その結果, 矛盾を解消できた者 (解消群) とできなかった者 (不解消群) に分かれた。科学解消群では論理的な解釈によって両者の矛盾情報を統合するような説明を, 科学不解消群では日常経験知を無視するような説明を, また素朴不解消群においては科学的概念と日常経験知を適用する文脈を分離させるような説明を行う傾向にあった。本研究ではこれらの傾向を, 日常経験知の「調整」「圧殺」「すみわけ」と名づけ, パフチン理論の立場から「調整」を, 学校教育において目指されるべき概念理解活動として位置づけた。
著者
田島 充士
出版者
The Japanese Association of Educational Psychology
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.318-329, 2008
被引用文献数
1

本研究では学習者が, 科学的概念と日常経験知との関係を, 対話を通して解釈できることを「理解」と捉えた。そして, この理解達成を促進する方法として, 教師が学習者らの発話を引用しながら, より深い解釈を行う対話へ誘導する「再声化(O'Connor & Michads, 1996)」に基づいて作成した介入法を取り上げ, その効果の検討を行った。大学生26名を対象に, 2名1組の実験参加者組に分かれ, 対話を通して課題とした科学的概念と日常経験知の関係を解釈するよう求めた。そして, ここで作成された解釈が両者の関係を十分に説明できないものであった場合, さらに対話を続けてもらい, 同時に調査者が再声化介入法に基づいた介入を行った。その結果, 再声化介入には, 1) 理解の達成に効果があるトランザクション対話 (Berkowitz & Gibbs, 1983) を増加させ, 2) 説明内容における日常経験知のメタファーも増加させる効果があり, 最終的に概念理解を達成できる実験参加者を有意に多く生じさせたことが明らかになった。以上の結果から再声化介入法には, 理解達成を促進する効果があると考えられ, 本介入を活用した新たな授業実践の可能性について考察がなされた。
著者
田島 充士 茂呂 雄二
出版者
筑波大学心理学系
雑誌
筑波大学心理学研究 (ISSN:09158952)
巻号頁・発行日
no.26, pp.83-93, 2003-09-01

概念の学習ないしその理解に関しては、これまで様々な立場から、多くの議論が闘わされてきた。その中でも昨今、学校における概念学習が生徒たちの認知発達につながっていないことを指摘し、学校教育の閉鎖性を問題視する論調が強くなってきている。認知心理学においては、子どもたちが学校において教授される科学的概念を容易に受け入れず、 ...
著者
工藤与志文 藤村宣之 田島充士 宮崎清孝
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第56回総会
巻号頁・発行日
2014-10-09

企画主旨工藤 与志文 本シンポジウムは2011年から始まった同名のシンポジウムの4回目である。また,企画者の一人として,その締めくくりとしての意味合いを持たせたいとも考えている。今回のテーマは「教育目標をどう扱うべきか」である。そもそもこれら一連のシンポジウムは,学習すべき知識の内容や質を等閑視し,コンテントフリーな研究課題しか扱わない教育心理学研究のあり方に対する批判からスタートしたものと理解している。そのような問題意識の行き着く先は「教育目標の扱い」ではないか。これまでのシンポジウムで度々指摘されてきた教育心理学の「教育方法への傾斜」は,自ら教育目標の善し悪しを検討することが少ないという教育心理学研究者の研究姿勢と関連している。教育目標がどうあるべきかという問題は教育学や教科教育学の専門家が取り扱うべきであり,教育心理学はその実現方法を考えていればよいという「分業的姿勢」の是非が問われるべきではないだろうか。本シンポジウムでは,上記の問題意識をふまえ,教育心理学研究は教育目標そのものをどのように俎上にのせうるか,その可能性について議論したい。教科教育に対する心理学的アプローチ:発問をどのように構成するか藤村 宣之 教育目標に対して教育心理学がどのようにアプローチするかに関して,より長期的・教科・単元横断的なマクロな視点と,より短期的なミクロな視点から考えてみたい。 マクロな視点によるアプローチの一つとしては,各学年・教科・単元の目標を,発達課題などとの関わりで教科・単元横断的にあるいは教科や単元を連携させて設定し,それに対応させて構成した学習内容に関する長期的な授業のプロセスと効果を心理学的に評価することが考えられるであろう。その際には,学習内容にテーマ性,日常性を持たせることが教科・単元を関連づけた目標設定を行ううえでも,子どもの多様な既有知識を生かして授業を構成するうえでも重要になると考えられる。 より短期的に実現可能なミクロな視点からの関わりの一つとしては,各単元・授業単位で,どのような発問を設定して,子どもたちに思考を展開させることを考えることで,単元の本質的な内容の理解に迫るというアプローチも考えられる。当該単元の教材研究を子どもの思考や理解の視点から行うことを通じて,どのような力をその単元・時間で子どもに獲得させるか(たとえば当該単元のどのような理解の深まりを一人一人の目標とするか)を考え,それを発問の構成に反映させていくというアプローチである。 ミクロな視点からのアプローチの一つとして,子どもの多様な既有知識を発問の構成に活用し,探究過程とクラス全体の協同過程を組織することで,一人一人の子どもの各単元の概念的理解の深まりを目標とした学習方法(協同的探究学習)のプロセスと効果について,本シンポジウムでは報告を行いたい。発問の構成の方針としては,導入問題の発問としては,当該教科における既習内容に関する知識,他教科の関連する知識,日常的知識など子どもの多様な既有知識を喚起し,個別探究過程,協同探究過程を通じてそれらの知識を関連づけ,さらに,後続する展開(発展)問題の発問としては,それらの関連づけられた知識を活用して単元の本質に迫ることが,個々の学習者の概念的理解を深めるうえでは有効ではないかと考えられる。以上に関する具体的な話題提供と討論を通じて,教科教育の教育目標を対象とする教育心理学研究のあり方について考察を深めたい。知識操作と教育目標工藤 与志文 ここしばらく「知識操作」に関する研究を続けている。知識操作とは,課題解決のために知識表象を変形する心的活動のことを指す。近年,法則的知識(ルール)の学習研究において知識操作の重要性が示されつつある。ところで,同一領域に関する知識といっても,操作しやすい知識と操作しにくい知識があるように思う。西林氏の言葉を借りれば,知識は「課題解決のための武器」であるのだから,どんな武器を与えるかによって戦い方も変わってくるだろうし,すぐれた武器があれば勝算も高まるだろう。筆者は,「操作のしやすさ」をすぐれた武器の要件の1つだと考えている。雑多な知識の中からすぐれた武器となる知識を精選し,学習者がそれらを使えるように援助することは,重要な教育目標となると考えている。このような観点で教科教育を見た場合,わざわざ鈍い武器を与えているのではないかと思われる事例が少なくない。重さの保存性の学習を例に説明してみよう。 極地方式研究会テキスト「重さ」では,「ものの出入りがなければ重さは変わらない」というルールを教えている。このルールは含意命題の形式をとっているため操作が容易であり,ここから直ちに他の3つのルールを導く事ができる。①「重さが変わらないならばものの出入りはない(逆)」②「ものの出入りがあれば重さは変わる(裏)」③「重さが変わるならばものの出入りがある(対偶)」小学生がこれらのルールを駆使することで,一般に困難とされている課題に対して正しい推論と判断が可能になることが教育実践で明らかにされている。たとえば,水と発泡入浴剤の重さを測定し,入浴剤を水に入れた後の質量変化をたずねる課題では,小学3年生が重さの減少と気体の発生を関連づける推論を行うことができた(重さが減ったということは何かが出ていった→においが出ていった→においにも重さがある)。 一方,学習指導要領をみると,小3理科の目標の1つとして「物は形が変わっても重さは変わらない」ことの学習が挙げられている。教科書では,はかりの上の粘土の置き方を変えたり形を変えたりして確かめている。しかし,このルールは命題の帰結項(重さは変わらない)に対応する前提項を欠いており,含意命題の形式をとっていない。したがって,上記のような操作は不可能である。しかもこのルールは,変形して重さが変わる状況では使えない(極地研のルールでは,「重さが変わったんだから何か出入りがあったのだろう」と予想できる)。重さの保存性理解にとって,どちらの知識が武器として有効であるかは明らかではないか。本シンポジウムでは,知識操作という観点から,学習すべき知識の内容や質を問い直すつもりである。ここから,教育目標を対象にした教育心理学研究の1つの可能性を示してみたい。「学習者を異世界へいざなう教科教育の価値とは:分かったつもりから越境的交流へ」田島 充士 「学校で学んだ知識は,社会に出ると役に立たない」との言説は,今も昔も多くの人々にとって,強い説得力を持って受け止められているものだろう。学習者が学校で学ぶ知識(以下「学問知」と呼ぶ)は,実践現場で養成され活用される具体的知識(以下「実践知」と呼ぶ)と乖離する傾向にあると多くの人々によって受け止められているのは事実であり,学習者に対し,学外における実践知学習の場を提供する,インターンシップ等の実践演習型教育プログラムの実施も盛んである。 しかし教育心理学においては,この実践知習得をターゲットとした実践演習等の価値が認められる一方で,肝心の,社会実践に対する学問知教育(教科教育)の貢献可能性については,十分にモデル化されているとはいえない状況にある。本発表では,ヴィゴツキーによる科学的概念を介した発達論を基軸として,学問知が有する実践的価値を実証的に分析する理論モデルを提供することを目指す。 科学的概念とは,教科教育を通し学習される,抽象的な概念体系をともなう学問知の総体である。その特徴は,空間・時間を異にする,個々別々の具体的な文脈に孤立した実践知を,学習者自身がこの抽象体系に関連づけることで特定のカテゴリーとしてまとめ,相互の比較検証を可能にすることにある。以上のように学問知を捉えるならば,教科教育とは,異なる実践文脈を背景とし,異質な実践知を持つ,いわば異世界に属する人々との越境的な相互交流を促進する可能性を有するという点で,広く社会実践に開かれた価値のあるものだともいえる。 その一方で,教科学習においては多くの者が,授業文脈では学んだ知識を運用できるが,学外の人々との相互交流において応用的に利用することができない「分かったつもり」に陥る傾向も指摘される(田島, 2010)。これは本来,越境的交流の中でこそ活かされるべき学問知が,教室内の交流のみに,その使用が閉じられている問題といえる。つまり教科教育の問題とは,学問知そのものが社会実践に閉ざされているという点にではなく,現状では,多くの学習者がそのポテンシャルを十分に活かすことができず,学外の社会実践との関連を見出すことができないという点にあるのだと考えられる。 本発表では,以上の問題に取り組むべく,実践知との関連からみた学問知に関する理論的視座を提供する。さらに学習者を分かったつもりにとどめず,学問知のポテンシャルの活用を促進し得る教育実践の展開可能性についても検証する。その上で,学習者を異世界へいざなうという学問知の強みを活かした教科教育の社会的価値について論じる。
著者
田島 充士 森田 和良
出版者
一般社団法人 日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.478-490, 2009 (Released:2012-02-29)
参考文献数
28
被引用文献数
5 2

本研究では, 日常経験知の意味を取り込まないまま概念を暗記する生徒達の, 「分かったつもり」と呼ばれる学習傾向を改善するための教育実践である「説明活動(森田, 2004)」の効果について検討した。本実践では, 生徒達が教師役を担い, 課題概念について発表会で説明を行うことになっていた。また残りの生徒達は聞き手役として, 日常経験知しか知らない「他者」の立場を想定して, 教師役に質問するよう求められた。この手続きを通し, 日常経験知の観点を取り入れた概念解釈の促進が目指されていた。小学5年生を対象に実施された説明活動に基づく授業を分析した結果, 以下のことが明らかになった。1)本授業の1回目に実施された発表会よりも, 2回目に実施された発表会において, 教師役の生徒達は, 日常経験知を取り入れた概念解釈を行うようになった。2)聞き手役からの質問に対し, 1回目の発表会では拒否的な応答を行っていた生徒達が, 2回目の発表会では, 相手の意見を取り入れた応答を行うようになった。これらの結果に基づき, 本実践における, 日常経験知との関係を考慮に入れながら概念の意味を解釈しようとする, バフチン理論のいう概念理解へ向かう対話傾向を促進する効果について考察がなされた。
著者
田島 充士 茂呂 雄二
出版者
筑波大学心理学系
雑誌
筑波大学心理学研究 (ISSN:09158952)
巻号頁・発行日
no.26, pp.83-93, 2003-09-01 (Released:2013-12-18)

概念の学習ないしその理解に関しては、これまで様々な立場から、多くの議論が闘わされてきた。その中でも昨今、学校における概念学習が生徒たちの認知発達につながっていないことを指摘し、学校教育の閉鎖性を問題視する論調が強くなってきている。認知心理学においては、子どもたちが学校において教授される科学的概念を容易に受け入れず、 ... This paper investigates the socially-constructed structure of concept learning and understanding. The first purpose is to argue that the phenomenon of assuming that we understand concepts that we do not really understand is ...
著者
田島 充士 森田 和良
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.478-490, 2009-12-30
被引用文献数
2

本研究では,日常経験知の意味を取り込まないまま概念を暗記する生徒達の,「分かったつもり」と呼ばれる学習傾向を改善するための教育実践である「説明活動(森田,2004)」の効果について検討した。本実践では,生徒達が教師役を担い,課題概念について発表会で説明を行うことになっていた。また残りの生徒達は聞き手役として,日常経験知しか知らない「他者」の立場を想定して,教師役に質問するよう求められた。この手続きを通し,日常経験知の観点を取り入れた概念解釈の促進が目指されていた。小学5年生を対象に実施された説明活動に基づく授業を分析した結果,以下のことが明らかになった。1)本授業の1回目に実施された発表会よりも,2回目に実施された発表会において,教師役の生徒達は,日常経験知を取り入れた概念解釈を行うようになった。2)聞き手役からの質問に対し,1回目の発表会では拒否的な応答を行っていた生徒達が,2回目の発表会では,相手の意見を取り入れた応答を行うようになった。これらの結果に基づき,本実践における,日常経験知との関係を考慮に入れながら概念の意味を解釈しようとする,バフチン理論のいう概念理解へ向かう対話傾向を促進する効果について考察がなされた。