著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.6, pp.325-348, 2001-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32
被引用文献数
2

近年の急速な経済開発下におけるインドの2農村を事例に,耐久消費財の普及という新たな経済的変動がそれまでの伝統的な村落社会の階層構造にどのよラな影響をもたらしたのかを論じた.具体的には,耐久消費財所有に基づく経済的階層と農地所有やカーストに基づく階層の比較を行った.その際,とくに各階層の上位と下位の動向に着目し,結果として,カースト制度に基づく社会の階層構造が崩壊したとはいえないものの,個々の世帯単位では両村ともにまとまった変化の傾向が認められた.これに関わっては,一部の上層農塞を除き,農外就業の多寡が新たな経済階層上の地位に大きく影響した.わけても高い学歴を経て得られる局収入で安定した農外就業の果たす役割が大きい.
著者
荒木 一視
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100002, 2015 (Released:2015-10-05)

報告者は日本の近代化を担った工業労働者に対する食料供給はどのようにして担われたのかという観点から研究を進めてきた。その過程で,米の海外植民地依存が都市労働者の食料供給を支えたことが浮かび上がってきた。特に朝鮮からの米移入の重要性は際立っている。その反面,朝鮮の農民への食料供給はどのようにして担われてきたのかという関心は決して高くなかった。 戦間期の東アジアを巡る主要な食料貿易としては①朝鮮から日本(内地)への米,②台湾からの米,③同様に台湾からの砂糖,④満洲からの大豆等がよく知られており,それらに関する先行研究も多い。実際,1932年には①が約108万トン,②が約51万トン,③が約80万トン,④が46万トンなどとなっている。戦間期を通じて米需要全体の1~2割程度がこれら植民地から供給され,内地の食料需要を支えた。これに対して,朝鮮農民の食料需要がどのようにして支えられたのかに着目したとき,22万トン(1932年)もの輸入量がある満洲から朝鮮向けの粟貿易が重要な役割を果たしているのではないかと考えた。戦後,十分な議論がなされたとはいえない満洲から朝鮮に送られた粟に焦点を当てて,そのフードチェーンの解明に取り組んだ。(本報告は戦間期の統計に基づいた研究であり,朝鮮や台湾は当時の植民地の呼称として使用した。同様に満洲や奉天(瀋陽)などの標記についても,もととなる統計に従って,そのまま使用した。)  戦間期の朝鮮・満洲間の貿易は「満洲国」建国以前の1932年までのそれ以降に大きく分けることができる。それ以前の1920年代を中心とした時期は,満洲から朝鮮への輸入が卓越する時期,それ以後は逆に満洲向けの輸出が卓越する時期である。前者の時期には粟,柞蚕生糸,豆粕,木炭,石炭などの輸入品,後者の時期には,金属,薬剤,車両,木材,衣類などの輸出品が主力であったが,期間を通じて最大の貿易額を維持したのが粟で,輸入額1千万円を超える品目は移輸出入を通じて他にはない。 この時期の満洲の主要な貿易港は,大連,営口,安東(丹東)の3港であり,大連は最大の貿易量を誇り,営口は主として中国との貿易,安東は朝鮮との貿易を担った。安東と鴨緑江を挟んで向かい合うのが朝鮮側の新義州で,ここが朝鮮側の対満洲貿易の主要貿易港となった。なお,貿易港とはいうものの貿易量の大半は鴨緑江橋梁を利用した鉄道によるものである。1911年の同橋梁の完成により京義線(京城・新義州)と安奉線(安東・奉天)が連結され。貿易の中軸を担うようになった。 『新義州税関貿易概覧』による1926(昭和1)年と1939(昭和14)年の食料貿易状況は以下の通りである。1926年の輸出では魚類,果実,1939年では米,りんご,1926年の輸入では粟,1939年では粟,黍,コウリャン,蕎麦,大豆,小豆が主用品として取り上げられている。 まず輸出品であるが,1926年の魚類はシェア5割の釜山を最大の産地とし,仕向先は大連と奉天でほぼ5割を占め,それに安東や撫順が続く。果実では黄海道のリンゴ産地,和歌山県のミカン産地から安東向けが中心である。1939年の米は平安北道各地から安東,奉天,ハルピンさらに天津に仕向けられている。リンゴは黄海道や平安南道から安東,奉天,ハルピン,新京向けが中心となる。いずれも主要な農業産地や有力漁港から満洲の大都市向けに輸出されている。 次に輸入品であるが,両年を通じて粟は四平街や奉天など京奉(新京・奉天)線沿線各地を中心として,ハルピンや通遼,白城子など満洲各地から集荷され,朝鮮各地に仕向けられている。平安北道が4割近くのシェアを持つものの,仕向先は平安南道,黄海道,京畿道,忠清北道・南道,全羅北道・南道,慶尚北道・南道,江原道,咸鏡北道・南道と全道に及ぶ。その一方,当時大人口を擁した京城や,仁川,釜山,平壌などの入荷量は決して多くない。これは輸出品が主として大都市に仕向けられていたのとは対照的である。例えば,魚類の場合,連京線(大連・新京)沿線の9駅を含む合計15駅が仕向先となっているのに対し,粟の場合は京義線の27駅を始めとして,朝鮮全土に広がる幹線・支線を合わせて33の鉄道路線の合計154駅が仕向先としてリストアップされている。これは仕向先が新義州や平壌に集中する蕎麦などとも異なり,産地と都市の消費地を連結するチェーンというよりも,産地と農村の消費地を連結するチェーンと見なすことができる。当時の朝鮮からの米移出を支えた背景に,大量の満洲粟の輸入と朝鮮全土の農村部への供給があったことを指摘できる。
著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.74, 2010 (Released:2010-06-10)

1.目的と方法 今日の食料供給体系は高度に複雑化しており,その全貌が明らかになることはない。本報告ではこうした供給体系の持つ食の安全上の問題点を,2008年秋に発生した事故米の不正転売事件(いわゆる三笠フーズ事件)を事例として検討する。具体的な手順としては,第1に農林水産省が発表した資料を手がかりとして,わが国の米及び米加工品の流通実態を明らかにする。すなわち,特定の業者から出荷された米がどのような経路をたどって,加工や小売業者に流れたのかを地図化し,事故米穀が拡散していく過程を空間的に再現する。次に,農林水産省が転売先として公表した業者を対象にしたアンケート調査から,今般の事件から教訓とすべき食の安全上の問題点について考察を加える。なお,アンケートは公表された391の業者(118の給食業者は同一経営体と見なしたため実質274業者)から所在の確認できた266業者に対して郵送し,48の業者から回答を得た(2009年11月実施)。 2. 事故米の不正規流通 三笠フーズによる不正規流通は残留農薬米(メタミドホス,中国産もち米)800トンと同(アセタミプリド,ベトナム産)598トン,カビ米(アフラトキシン,中国・ベトナム・米国産)9.5トンの3ルートがある。メタミドホスの場合はうち123トンが市場流通し近畿地方の23社,九州地方の20社を含む51社の中間流通業者を経て最終的に317社の製造・販売会社に流れ,消費者に渡った。317社のうち近畿地方が166社(118の給食業者を同一経営体と見なすと49社),九州地方が109社である。アセタミプリドは447トンが市場流通し,中間流通業者は,東京,大阪,福岡,鹿児島格1社の合計3社で,いずれも東京2社,福岡1社,熊本3社,鹿児島3社の酒造業者に出荷された。カビ米は2.8トンが市場流通し,2社の中間流通業者から鹿児島県の酒造業者3社に渡った。 3. 食の安全上の脆弱性 業者に対するアンケート結果からは,悲痛な叫びともいえる訴えが多く寄せられた。本来これらの業者は事故米と知らずに使用,販売していたにもかかわらず,農林水産省による公表によって,加害者扱いされかねない状況を被ったからでもある。回答を得られた48業者のうちわけは,菓子・和菓子の卸,製造,販売にかかわるものが34,食材・食品卸が5,米穀販売4,酒造2,食品製造1,給食1,飼料卸1であった。従業員数は1000人を越える2社(給食と酒造)を除くといずれもが100人以下であり,10人未満の零細な規模の業者が26社にのぼる。以下,10人台が8社,20人台が4社,30人台が3社,40,50,80,90人台が各1社であった(無回答1)。また,主たる販売先も29業者が自市町村やその周辺としており,販路を都道府県外としたものは5社であった。業者リスト公表以後の業績の落ち込みについては,半数の24業者が1年以上を経た今日でもなお,公表以前の水準を回復できていないとしている。 以上のようにわずか百トン余の原料米が,和菓子製造業者などの使用量の少ない小規模の業者に広範に流通したことがうかがえる。このような流通経路を持つ食品に関しては,風評被害の発生を避けるためにも,きめ細かな情報の開示と管理が必要であるとともに,損害補償ではなく開示措置に対する補償も十分に検討債いく必要がある。
著者
荒木 一視
出版者
広島大学現代インド研究センター
雑誌
広島大学現代インド研究 : 空間と社会 (ISSN:21858721)
巻号頁・発行日
no.1, pp.59-78, 2011-03-22

「アジアに第1次フードレジームは存在したのか」というのが研究の主題であり, 統計資料に基づいてフードレジーム論を検討する。その際, コロニアル・ディアスポリック・レジームと呼ばれる第1次フードレジームに着目し, 具体的には英領インドの農産物貿易に焦点をあてた。英領インドは第1次レジームを主導したイギリスの統治下にある一方, 巨大な人口を擁しアジアとの関係も強い。こうした点から, アジアにおける第1次レジームを検討する上では極めて興味深い対象である。また, 典拠とした資料は山口大学東亜経済研究所に所蔵されている戦前期に収集された資料である。これを用いて, 20世紀はじめの第1次レジームとその崩壊期の英領インドの貿易が, ヨーロッパとヨーロッパ人ディアスポラ国家を基軸として描き出された世界で初めての基本食料の国際市場という第1次レジームの文脈でどのように解釈できるのかに取り組んだ。
著者
荒木 一視 柴 彦威
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.249-265, 2004
被引用文献数
1

世界の食料経済が新たな局面を迎える中で,食料貿易は近年増加している.それは特にアジアの消費の拡大にもよるものである.アジアの大国でもある中国は,特に近年のめざましい経済成長の中で,農産物の大生産国であると同時に,大食料消費国でもある.南米から北米,アフリカからヨーロッパという食料貿易の研究は,世界システム論的な視点あるいはコモディティチェーン(商品連鎖)といったアプローチにより行われてきた.しかし,中国の食料流通に関する研究は少なく,これ抜きには東アジアの食料貿易の理解は難しい.これらのアプローチの東アジアヘの適用を検討する上で,この巨大な国の国内の流通システムの研究は不可欠である.以上のような観点から本論では,中国の青果物供給体系を明らかにすることを試みる.その際,研究事例として北京はもとより中国でも最大級の卸売市場である大鐘寺青果物卸売市場を取り上げ,3月と9月の入荷状況を検討した.両月を設定したのは,3月は多くの野菜が端境期を迎える一方,9月は出荷が最盛期を迎える時期に相当するからである.使用した資料は「大鐘寺農副産品批発(卸売)市場蔬菜水果上市行情及産地月報表」「大鐘寺農副産品批発(卸売)市場月成交量統計表」である.「月報表」では各品目ごとの入荷産地が,「統計表」では各品目ごとの取引額,取引量,最高値,最安値を含む単価がそれぞれ示されている.以上の資料を用いて具体的に北京市に入荷する青果物がどの地域からどのような形態で輸送されているのかを明らかにし,このような青果物の入荷圏がどのように形成されてきたのかなどにも言及するとともに,わが国の青果物流動との比較も行った.その結果,青果物の入荷パターンには季節的な違いが認められた.多くの農産物が出荷の最盛期を迎える9月には,同市場への入荷は北京市近郊,華北地域に集中したが,端境期となる3月には遠く華中・華南方面からも入荷が認められた.その際,単価の高いものほど遠隔から,安いものほど近郊から入荷するという傾向が確認できた.総じて,季節的な変動が認められるものの,端境期には中国全土をカバーするような北京市への青果物供給システムがすでに構築されているといえる.その背景には中国国内の経済格差が影響していることが考えられる.特に,北京の購買力の高さがこのような全国的な体系の構築において重要な役割を果たしたと考えられる.その意味では北京で豊かな消費を享受する者は,日本や米国などの消費者と同じであり,従来コモディティチェーンのアプローチなどで取り上げられた生産地と消費地の格差の問題と同様の問題が中国国内にも当てはめられる.今回確認されたのと同様の全国的な青果物供給体系を早くに構築した日本との比較では,両者の性格の違いが浮き彫りになった.また,東アジアの食料供給という観点からは,中国のもつ,供給者としての側面のみならず,強力な購買力を持ち,時に広大なスケールでの供給圏を構築しうる消費者としての側面が重要であることが確認された.これは欧米諸国への供給者として注目されたアフリカや南米の国々とは大きく異なる点であり,東アジアの食料流通を考える上での極めてユニークな特徴である.
著者
荒木 一視 岩間 信之 楮原 京子 熊谷 美香 田中 耕市 中村 努 松多 信尚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.526-551, 2016 (Released:2017-03-29)
参考文献数
40
被引用文献数
2

東日本大震災を踏まえて,広域災害発生時の救援物資輸送に関わる地理学からの貢献を論じた.具体的には遠くない将来に発生が予想される南海トラフ地震を念頭に,懸念される障害と効果的な対策を検討した.南海トラフ地震で大きな被害が想定される西南日本の太平洋沿岸,特に紀伊半島や南四国,東九州は主要幹線路から外れ,交通インフラの整備が遅れた地域であると同時に過疎化・高齢化も進んでいる.また,農村が自給的性格を喪失し,食料をはじめとした多くを都市からの供給に依存する今日の状況の中で,災害による物資流通の遮断や遅延は,東日本大震災以上に大きな混乱をもたらすことが危惧される.それを軽減するためには,迅速で効果的に物資を輸送するルートや備蓄態勢の構築が必要であるが,こうした点に関わる包括的な取組みは,防災対策や復興支援などの従来的な災害対策と比べて脆弱である.
著者
荒木 一視
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.27-46, 2000-01-28
被引用文献数
2 5

本研究は地方都市に位置するスーパーマーケットの青果物調達戦略の検討から,青果物流動の全国体系に言及するものである。その際,愛媛県松山市のスーパーマーケットA社を中心とした検討を行った。同社の調達戦略では,通年での安定供給を目指した品目に関しては地場の卸売市場から多くが入荷した。その一方,高付加価値戦略品目の調達にあたっては,地場の卸売市場に依存しない独自の調達ルートが重要な役割を果たした。独自のルートとは,小規模の契約栽培,大都市や産地市場からの仲卸業者を使った調達などである。その背景には産地の出荷戦略とともに,現代の青果物流動の全国体系のもつ構造的な問題が存在する。すなわち,大口で高値のつく大都市市場へと農産物が集まり,他方,地方都市では潤沢な供給を確保する上で,取引量の少なさに起因する障害がある。こうした状況下,特に地方都市ゆえに小規模な需要しか見込めないという限界の中で,地方都市の卸売市場とスーパーによって,地方都市の安定して多様な青果物供給が維持されていることは評価できる。そこでは大都市の大規模需要を背景にした青果物の調達戦略とは異なる解釈が必要である。
著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.52-68, 2010 (Released:2010-04-06)
参考文献数
10
被引用文献数
1 2

中国からの輸入農産物や食品は食の安全性や品質に関わって近年大きな関心を集めている.その反面,中国の農業生産や流通の実態に関する情報や知識は決して十分とはいえない.とくに巨大な国土を持つ中国の農業生産や食品流通は決して一様ではなく,それらの地域的なパターンを認識することが,中国からの輸入農産物・食品に対する理解の上で求められているのではないかと考えた.こうした観点から筆者のこれまでの中国調査で得られた情報の一端を報告する.1960年代以降中国の農業生産は拡大を続けてきたが,とくに果実や野菜,畜産物などで1990年代以降に飛躍的な伸びが認められ,その過程で短期間での新興産地の台頭,首位産地の入れ替わりなど産地の地域的なパターンにも変化が起こっている.これは主食食材や工芸作物での変化が比較的緩慢なこととは対照的である.さらに,農産物・食品の各部門,品目別の国内市場の取引額および輸出額の省別の集計からは,双方の地域的パターンと生産の地域的パターンがそれぞれ異なるものであることが明らかになった.
著者
高田 峰夫 山本 真弓 荒木 一視 三宅 博之 山本 真弓 高田 峰夫
出版者
山口大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究では、在日バングラデシュ人と在日ネパール人を中心に、韓国(東アジア)とタイ(東南アジア)のバングラデシュ人とネパール人についても調査した。その結果、日本の各コミュニティーが日本を越えたネットワークを形成していることが判明した。一方、当初想定していた南アジア出身者としての両コミュニティーの結びつきは見られなかった。また、タイについては、東アジア(日本と韓国)とは異なったネットワークのあり方が見られた。これは、東南アジアに位置する(すなわち、国内にイスラム教徒がいる)仏教国という側面が影響していると思われる。