著者
桂 英史 田甫 律子 西條 朋行 渡辺 好明 清水 秀一 塚田 信吾 長田 謙一 山口 祥平
出版者
東京藝術大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

「芸術の臨床」が地域医療およびコミュニケーションとどのような関係にあるかというテーマについて、実際の臨床やアートプロジェクトの事例を通して考察した。その結果、コミットメントの前後に、参加者(患者あるいは他者)とプログラム(治療者あるいは自己)の間にある、イメージをめぐるルールの変更がメタ・コミュニケーション的に行われることがプロジェクトの必要条件となることを論じた。
著者
長田 謙一
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.29-42, 2006-09-30

In recent years, researches concerning the representative work of Koga Harue's Surrealism, Umi (1929), have pinpointed the sources to the various images portrayed therein. But, they have only deepened its enigmatic character. This paper, however, sheds new light on Koga's art. Constituted in combination with an analogue of a girl in swimsuit (right), the industrial machine imagery (top left) holds an important significance decisive to the understanding of the work's composition and meaning. The source to this image is found in the blast furnace photograph published in the German popular science journal, "Wissen und Fortschritt" (1927-10). Yanase Masamu's CAPITALISMUS too is understood to have been based on the same blast furnace Herrenwyk (Lubeck) photograph, anticipating an affinity between Koga and Yanase. Further, the introductory poem by Koga reveals how a "revolving of the world" image, akin to that of proletariat art, cuts across Umi. But, what is more important with regards Koga's "revolving" image is the collage hier ist noch alles in der schwebe (1920) by Max Ernst. "Soluble Fish" (^military vessel pouring out smoke and whose bowels are transparent=smoke-bellowing ship), with moorings in Ernst, becomes a symbol of the principle in Koga's surrealistic painting and appears frequently in a number of works post-Umi. On the bottom left of his second representative work, Sougai no Keshou (1930), there is an allusion made to a photograph of the metalwork studio of Bauhaus. From a "Romanticism of the machine" of the Umi to a "Realism of the machine" (Itagaki Takaho), as evident in the allusion to Bauhaus, Sougai no Keshou shows how Koga's "Mechanism" underwent a huge gyratory motion.
著者
長田 謙一 木村 理恵子 椎原 伸博 佐藤 道信 山本 和弘 楠見 清 山崎 明子 加藤 薫 木田 拓也 熊倉 純子 藤川 哲 鴻野 わか菜 後小路 雅弘 水越 伸 山口 祥平 毛利 嘉孝 森 司 暮沢 剛巳 神野 真吾 竹中 悠美
出版者
名古屋芸術大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究は、個別研究およびその総合を通して、以下の知見を獲得するに至った。近代社会において「自律性」を有する独自システムを形成したと理解されてきた芸術は、1980年代以降、アジア諸国、ロシア・旧東欧圏、そしてアフリカまでをも包含して成立する「グローバル・アートワールド」を成立させ、それは非西洋圏に進む「ビエンナーレ現象」に象徴される。今や芸術は、グローバル経済進捗に導かれグローバル/ローカルな政治に支えられて、経済・政治との相互分立的境界を溶解させ、諸領域相互溶融的な性格を強めている。しかし、それゆえにまた、現代の芸術は、それ自体が政治的・経済的等々の社会性格を顕在化させることともなる。
著者
長田 謙一 楠見 清 山口 祥平 後小路 雅弘 加藤 薫 三宅 晶子 吉見 俊哉 小林 真理 山本 和弘 鴻野 わか菜 木田 拓也 神野 真吾 藤川 哲 赤塚 若樹 久木元 拓
出版者
首都大学東京
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

従来プロパガンダと芸術は、全体主義下のキッチュ対自律的芸術としてのモダニズムの対比図式のもとに考えられがちであった。しかし本研究は、両者の関係について以下の様な新たな認識を多面的に開いた:プロパガンダは、「ホワイト・プロパガンダ」をも視野に入れるならば、冷戦期以降の文化システムの中に東西問わず深く位置付いていき、芸術そのもののありようをも変容させる一要因となるに至った;より具体的に言えば、一方における世界各地の大型国際美術展に示されるグローバルなアートワールドと他方におけるクリエイティブ産業としてのコンテンツ産業振興に見られるように、現代社会の中で芸術/アートはプロパガンダ的要因と分かち難い形で展開している;それに対する対抗性格をも帯びた対抗プロパガンダ、アートプロジェクト、参加型アートなどをも含め、芸術・アートは、プロパガンダとの関係において深部からする変容を遂げつつあるのである。
著者
長田 謙一
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.29-42, 2006-09-30 (Released:2017-05-22)

In recent years, researches concerning the representative work of Koga Harue's Surrealism, Umi (1929), have pinpointed the sources to the various images portrayed therein. But, they have only deepened its enigmatic character. This paper, however, sheds new light on Koga's art. Constituted in combination with an analogue of a girl in swimsuit (right), the industrial machine imagery (top left) holds an important significance decisive to the understanding of the work's composition and meaning. The source to this image is found in the blast furnace photograph published in the German popular science journal, "Wissen und Fortschritt" (1927-10). Yanase Masamu's CAPITALISMUS too is understood to have been based on the same blast furnace Herrenwyk (Lubeck) photograph, anticipating an affinity between Koga and Yanase. Further, the introductory poem by Koga reveals how a "revolving of the world" image, akin to that of proletariat art, cuts across Umi. But, what is more important with regards Koga's "revolving" image is the collage hier ist noch alles in der schwebe (1920) by Max Ernst. "Soluble Fish" (^military vessel pouring out smoke and whose bowels are transparent=smoke-bellowing ship), with moorings in Ernst, becomes a symbol of the principle in Koga's surrealistic painting and appears frequently in a number of works post-Umi. On the bottom left of his second representative work, Sougai no Keshou (1930), there is an allusion made to a photograph of the metalwork studio of Bauhaus. From a "Romanticism of the machine" of the Umi to a "Realism of the machine" (Itagaki Takaho), as evident in the allusion to Bauhaus, Sougai no Keshou shows how Koga's "Mechanism" underwent a huge gyratory motion.
著者
長田 謙一 木下 直之 水沢 勉 五十殿 利治 ジャクリーヌ ベルント 長谷川 祐子 長谷川 裕子
出版者
千葉大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1998

研究は,各研究分担者が,テーマの重要なアスペクトを分担して追及し,毎年四度ずつの研究例会を重ねて発表討議を重ね,報告論文集等に成果を発表するという仕方で進められた。その結果,ご開帳から東京国立近代美術館誕生にいたる日本における美術館成立過程をたどる形で,<美術>の確立とその展示空間の成立過程を,次の6つのアスペクトに則してあきらかにできた。(括弧内は,報告論集等におけるそのアスペクトに関する議論部分の執筆者の名である。)(1)展示空間の近代と前近代の関係から(木下直之) ; (2)博物館から近代美術館へ(横山勝彦) ; (3)「明治対象名作美術展覧会」と「日本近代美術」の成立の問題から(五十殿利治) ; (4)近代日本における抽象表現の萌芽との関係で(水沢勉) ; (5)国立近代美術館の誕生(蔵屋美香) ; (6)美術館理念および民芸運動との関係で(長田謙一)。さらに、日本を中心として,美術展時空間の現代的変容を次の6つのアスペクトから明らかにした。(1)共同体との関係で(神野真吾) ; (2)彫刻概念の拡張との関係で(小泉晋弥) ; (3)舞台との関係で(木村理恵子) ; (4)マンガを中心とするポップ・カルチャーとの関係で(ジャクリーヌ・ベルント) ; (5)21世紀の新しい美術館像との関係で(長谷川祐子) ; (6)万国博覧会との関係で(吉見俊也)。こうして所期の目的を達成した結果,特に,1930年代から50年代にかけての日本の近代美術館成立過程のさらに詳細な調査・研究および,1980年代の美術概念の大きな変貌とのかかわりにおける美術展時空間の変容に関する一層グローバルな視野にたった研究という、2方向で、多くの研究課題が浮上することとなった。
著者
横田 ちゑ 長田 謙一 三宅 晶子 忽那 敬三 田中 健夫 山内 正平 内村 博信
出版者
千葉大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1990

本研究においては特に次のテ-マが取り扱われたーー1.浦安における住宅の変化と近代化 2.ベルリンの斉藤佳三・1923 3.北海道と関西の和洋折衷建築 4.日本のダダイスト達 5.イデオロギ-としての技術 6.ベルリンの日本未来派 7.柳瀬正夢ーー未来派からプロレタリア美術へ 8.ブル-ノ・タウトにおけるユ-トピア幻想と革命 9.大船田園都市株式会社の新鎌倉住宅地 10.ト-マス・マンの政治論 1918ーー1923 11.映画『新しき士』におけるファシズム思想 12.1920年代日本におけるジャズ・イメ-ジ 13.近代社会における自己認識と映画ーージガ・ヴェルトフをめぐって 14.近代文化の問題としての二分化これら具体的テ-マの研究とともに、近代化の概念そのものについての議論がなされたーー日本においては、19世紀半ばの西欧受容以前に、既に様々な領域で独自の発展がなされていた(都市文化の成立・合理化・産業化)。これらの、そしてまたその後の状況を考えるなら、まさにそこで進行しつつあったプロセスが、極めて合目的的・功利的に西欧の技術とモノを受容したと言える。本来西欧における近代化は、歴史的にVerburgerlichungーーそれは市民・個人に基礎を置くーーの過程をも内包していた。しかし文化構造の転換とともに、近代化のプロセスはその重心を個人から大衆へと移してきた。ここにおいて、市民や個人の思想なしに都市化・合理化・産業化を加速度的に進展させていくプロセスを、より正確に規定する必要が出て来る。特に、このプロセスは日本においても西欧においても、あるいはむしろ日本においてよりドラスティックに進行しつつあるだけになおさらである。そしてこのプロセスを、モノから機能や情報が抽出されていく過程として促えるなら、それは、すべてが商品になっていき、情報と資本のネットワ-クに組み入れられていくポストモダンへと通じていると言えよう。