著者
ミデール ライムンドS.
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.59, no.6, pp.362-369, 1986

第2次大戦後のポーランド経済,とくに工業の急激な発展によって,急速な都市化過程が生じた.1950~80年の間に,都市人口割合は総人口の38.4%から58.7%へ増大した.この時期に,ポーランドの市・町の人口は1,140万人(54.3%)増加した.そのうち,ちょうど42.4%は自然増加, 33.9%は農村地域からの流入, 23.7%は行政区域の変更によるものである.<br> 1980年末には,ポーランドには804の都市と都市的集落とがあった.ポーランドの町のうちでは,小さい集落(人口1万人以下)が圧倒的に多い.それらの小集落は,都市的集落総数のうち55.9%を占め,同時に全都市人口の約10%を占めている.同年,人口5万人以上の町は75(都市的集落総数の9.3%)を数え,全都市人口の62%以上を占めている.<br> 空間的視点から見て,最も都市化しているのはポーランド西部および南央部であり,全国の都市化指数を超えている.国土には16の都市アグロメレーションがつくり出され,その中で9つが充分に発達したもの(上シロンスク,ワルシャワ,ウッジ,クラクフ,プロツラフ,ポズナニ,シュチェチン,グタニスク・グジニア,ビドゴシュチ・トルニ)であり, 7つがある程度発達した都市アグロメレーションである(スデーティ,スタロ・ポルスカ,ビエルスコ,オポーレ,チェンストホバ,ルブリン,ビアウイストック).顕著な16の都市アグロメレーションは,全国人口の20%以上,都市人口の60%以上,全産業人口の約65%以上を占めている.別に, 4つの都市アグロメレーションの発生が目立つ.すなわち,タルノブジェック—スタロバ・ボラ—サンドミエシ,周カルパチア,下シロンスク,カリシュ・オストルフである. 20世紀末には,ポーランドの総人口は, 3,900~4,000万人の水準に達し,そのうち65~75%は都市人口と推定される.現在目立つ16の都市アグロメレーションは,多中心地結合集落システムの内部で主要な経済的中心地の機能を果たし,ポーランドの都市人口の約80%が集まっているであろう.
著者
西川 治
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.62, no.11, pp.765-775, 1989
被引用文献数
1

It is the purpose of the present address to focus on the enlightening role of geography in the several decades preceding to the French Revolution, to caution ourselves against some faults which many geographers tend to have, to propose several global projects with which geographers in very diversified fields should deal in close cooperation, and finally to suggest the necessity of integrating the many branches of geography into a new system of "Ecumenology" that would include the discipline of Geopacifics.<br> At the beginning of this year the long continued Showa period came to an end in Japan and the new era of "Heisei" started; coincidentally, this year is the two hundredth anniversary of the French Revolution.<br> The historical meaning of the Revolution and its profound effects on the modernization of societies are being discussed and reconsidered by various scholars also in Japan. As a geographer I feel it necessary to awaken them an interest in the role of geography at the time of the Enlightenment. As I am, however, not a specialist in this subject, I must confine myself to the mention of two relevant articles: "Voltaire und die Geographie im Zeitalter der Aufklärung" (Weinert, 1949), and "Die Geographie in der "Encyclopédie" (Dörflinger, 1976). In addition, however, I would like to give some information on the similar effect of geography on the thought and attitude of edified leaders in the Edo period. After the middle of the 16th Century world maps and other geographic materials were brought bit by bit into Japan, from Europe directly or through China. Because the country was kept strictly in seclusion during most of the Edo period, educated people desired eagerly to acquire new information about the world through the narrow window of the Dutch Trading House at Nagasaki. The information they were able to obtain resulted in a substantial change in the world view of the intellectuals and the identification of their country. European astronomy and geography became indispensable parts of culture along with traditional learning in Japanese classics, Confucianism and Buddism. They reformed their appraisal of their own country in the light of world maps and geographic descriptions, as I have written in several papers, guided by the excellent book "Geography in early modern Japan" (Tsujita, 1971).<br> I have not enough space to introduce such works; however, it is worth remarking that many enlightened scholars expressed their geopolitical opinions in various essays. For instance, such opinion leaders as NISHIKAWA Joken (1648-1724), HONDA Toshiaki (1743-1820) and SATO Nobuhiro (1769-1850) proved in comparison with foreign countries that Japan was a big and very fertile country and had enough potential to develop into a leading country if Japan could take advantage of the same trading benefits enjoyed by European countries. It is also interesting to recall such words as those of the prophetic writer HAYASHI Shihei (1738-1793): "Exceedingly important is geography ! Those officers engaged in the government who have no geographic knowledge are bound to fail both in times of war and of peace."<br> The second point of my address is to point out some unfavorable habits into which many geographers, especially younger ones, are liable to fall.<br> The first of them is the capricious character already criticized by Prof. W. Bunge (1973) as follows: "Instead of an accumulation of concepts, what we witness and endure in geography are purges... Environmentalism was decimated by quantification which in turn is threatened by the geography of the human condition. This is exceptionalism among the sciences."
著者
李 炳〓
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.459-484, 1975
被引用文献数
4

日本の梅雨や秋霖と同じ現象である韓国の長森と秋長森について,悪天示数と悪天候日カレンダーとを考案し調査した結果,次のことが明らかになった.長霖は梅雨の中休みにあたる6月23日頃のsingularityの後始まり,韓国の南部では7月中旬,中部では下旬に明ける.長森前線の南北振動によって長霖の中休み及び長霖明け後の長霖のもどり現象が現われる.盛夏に,高緯度低圧帯の低気圧からのびる寒冷前線によって盛夏の中休み現象が現われる.秋長霖は8月下旬から9月初旬にかけて現われるが,日本の秋霖に比べると期間も短いし,現われ方が年によって非常に不規則である.秋長霖は高緯度から南下する寒冷前線によるものと,東支那海から日本列島の南岸沿いに停滞する停滞前線によるものとが認められる. 6月から10月までの寒帯前線の位置と動きは,北太平洋高気圧の動きと密接な関係がある.
著者
加藤 昭一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.32, no.5, pp.256-260, 1959-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
3

On the southern slope of Mt. Ogi and Momokura in Yamanashi Prefecture, there runs a thrust fault line where an easy slope lies toward the River Katsuraa Though it seems as if it were the river terrace of the River Katsura, the slope consists of rock dust called Miyatani rock-dust-bed containing rock-dustbed slate, hornfels, diorite and andesite and the fine material bed alternately. According to the results of my observation, it is 24.82 meters thick at Jakotsuzawa, and the Miyatani rock-dust-bed runs down with a dip of 8°_??_14° from Mt. Momokura to the River Katsura or the River Kuzuno, The upper part is seen even when the surface of the earth is cut, and blue-grayband of clay material containing tiny plantseeds lies in the lower. Judging from the facts I conclude as follows: 1) The bed rock is of the conglomerate of the River Katsura. 2) Upon the bed rock were deposited in the still water blue-gray band and Miyatani rock-dust-bed. 3) After that the bed rock was elevated and the present surface was formed, but rejuvenation took place again.
著者
久野 久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.13, no.9, pp.836-845, 1937

野外に於ける諸事實に基き,箱根火山體を横斷して第1圖に鎖線で示した位置に一つの構造線を推定し,之を"金時山-幕山構造線"と名附けた。<br> 箱根火山古期外輪山熔岩噴出期の中頃に,本構造線の西北部では東北側地塊が東南部では西南側地塊が夫々反對側地塊に對して隆起し,其の結果火山體は第3圖に示した如き外形を呈するに至つた。又此の運動に伴つて金時山・幕山等の火山體が構造線上に噴出した。<br> 金時山熔岩其の他此の運動後に流出した各種の熔岩は,當時の斜面上の凹所(沈降部)を選んで流下し之を填めた結果,火山の外形は再び比較的凹凸の少いものに變じた。<br> 本火山最後の活動を代表する中央火口丘群も,本構造線に沿ふた弱線を利用して噴出した(第1圖参照)。<br> 古期外輪山熔岩の活動に關係した寄生火山,岩脈等の分布區域は,本構造線の運動によつて沈降した區域と略〓一致して居る事も明かになつた。<br> 本構造線の運動方向は,丹那斷層竝に足柄層の構造と共に,現在本邦本州各地に生ずる地震斷層の運動方向と類似する點が多い。
著者
内田 順文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.276-290, 1986-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
1

本研究における「都市のイメージ」とは,広い意味での地理的イメージとしての「場所イメージ」の一部を意味する.本研究では,まず,この都市のイメージを一定の社会集団に共通するイメージとしてとらえ,わが国の70都市について具体的に都市の象徴要素を抽出することによって,都市のイメージを示した.次に,場所イメージによる感覚的な全体像評価の例として,都市の「風格」という概念を提示し,70都市について「風格」を評価することとした.次に,都市の「風格」を都市のイメージとの関連によって分析し,回答者が理解している都市の「風格」とはどのような概念なのか,を考察した.その結果,都市の「風格」の評価は,都市の歴史的側面に関係する都市の審美的評価系列と,都市の機能的・規模的側面に関係する都市の総合的能力の評価系列という, 2つの異なる評価系列によって都市のイメージを評価した結果を総合したもの,として表わし得ることが明らかとなった.

1 0 0 0 OA 書評・紹介等

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.255-257,261_1, 1997-04-01 (Released:2008-12-25)

1 0 0 0 OA 書評・紹介等

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.369-372,375, 1988-04-01 (Released:2008-12-25)
著者
斎藤 功
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.41, no.10, pp.623-640, 1968-10-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
10
被引用文献数
1 1 1

群馬県東南部で,酪農地域の発展過程を牛乳産業を構成する搾乳業者,酪農家,乳業会社の歴史的関連から考察した結果,酪農地域は牛乳産業の分化にともない6期の発展過程を示した. 搾乳業者は,幾多の変化をしつつも,戦前まで当地域の牛乳産業をリードしてきたが,第IV期における地元乳業会社の成立と戦時統制,続く第V期の外来中小乳業会社,第VI期の大手乳業資本の進出のなかで,地域社会と結びついた学校牛乳業者と牛乳販売地盤を生かしつつ大手乳業会社の牛乳販売店へと転化した. 明治30年代に乳牛飼養を開始した農家は,大正末期に搾乳産業組合を設立し,牛乳の処理・販売に着手したが,多くは失敗した.戦時統制により集乳圏が明治のSpot, 大正のlocalからRegionalとなるなかで,戦後の広範は酪農の普及が準備された. 昭和31年,集約酪農地域の指定以降,東京集乳圏の拡大にともなう大手乳業資本の進出のなかで多頭育酪農が行なわれた.この結果,農家の複合経営のなかで,酪農部門が経営結合の中心的地位を占めると同時に農家間結合をひきおこすに到り,牛乳産業は,単に酪農家のみならず,地域社会に及ぼす影響が大きくなった.
著者
石本 巳四雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.4, no.6, pp.551-561, 1928-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13
著者
正井 泰夫 松本 園子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.1-13, 1971-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6
被引用文献数
1

関東地方における市街地(都市)の分布は,明治・大正・昭和の3期においてそれぞれ異なるパターンをもっている.明治・大正期については,大縮尺地形図および利用可能な市街地人口統計から平均市街地人口密度を求め,図上測定によって得られた市街地面積にかけ合わせて市街地人口を求めた.昭和期については,人口集中地区平均人口密度により,市街地人口を求めた.3期とも,人口1,000人以上の市街地をすべてプロットし,分布のパターンを分析した.その結果,明治期は中心地型と宿場町型の分布,大正期は中心型,昭和期は中心地型と衛星都市型の分布が明瞭に認められた.また,東関東と西関東においては,少なくとも最近までは,かなりの差異が分布に見られることが証明された.
著者
大庭 正八
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.12, pp.833-857, 1994-12
被引用文献数
1 1

1886年から1889年にかけての東海道鉄道(現JR東海道本線)建設のとき,静岡県内の宿場町や農漁村では鉄道反対運動があったと伝えられるが,それは鉄道忌避伝説と称すべきもので,県内ではむしろ鉄道線路と停車場の誘致運動の方が盛んであった.鉄道に対する真の運動と称すべきものは,農業用排水,地域交通路の確保,治水,用地買収等の関係から提起された工事改善要求運動であった.<br> 東海道鉄道は日本の東西を貫く幹線として建設されたもので,その線路は,1890年第1回帝国議会召集までの期間内に,限られた予算内で完成させることが求められた.したがって線路の選定は,いちいち住民の忌避iや誘致について配慮することはなく,地形的に建設しやすく,あるいは勾配が緩やかで列車運転に適したルートが選定された.住民の反対のために線路が曲げられるようなことはほとんどなかったと考えてよい.しかし,停車場は,誘致運動のあった旧城下町・宿場町・港町や地の利を得た場所に多く設置された.
著者
河野 敬一
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.1-28, 1990
被引用文献数
1

本研究は,動態的中心地モデルの理論化という課題に対するアプローチとして,明治前期から第二次世界大戦直後までの長野盆地の中心地システムの変容過程を明らかにすることを目的とした.中心地とそめ機能を抽出するために商業サービス業,行政機能,交通・流通機能,人口規模,工業を指標に設定した。これらの指標を用いて,相対的中心性指数流の算出,行政機関等の所在の得点化によって中心地の把握を行なった.また,明治前期から第二次世界大戦直後までの間に3つの復元時点を設定し,各時点における中心地の規模,機能,分布,補完領域の画定を行なった.これらをもとに中心地システムを復元した.その結果,長野,中野という複数の一次中心地をもつ中心地システムが,.大正期には,長野という優勢な一次中心地を頂点とするシステムに統合され,第二次世界大戦後までに,一次中心地長野への機能の集中に伴って,二次中心地以下の階層構造が不明瞭になっていくという,中心地システムの変容過程が明らかになった.
著者
河野 敬一
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.1-28, 1990
被引用文献数
1 5

本研究は,動態的中心地モデルの理論化という課題に対するアプローチとして,明治前期から第二次世界大戦直後までの長野盆地の中心地システムの変容過程を明らかにすることを目的とした.中心地とそめ機能を抽出するために商業サービス業,行政機能,交通・流通機能,人口規模,工業を指標に設定した。これらの指標を用いて,相対的中心性指数流の算出,行政機関等の所在の得点化によって中心地の把握を行なった.また,明治前期から第二次世界大戦直後までの間に3つの復元時点を設定し,各時点における中心地の規模,機能,分布,補完領域の画定を行なった.これらをもとに中心地システムを復元した.その結果,長野,中野という複数の一次中心地をもつ中心地システムが,.大正期には,長野という優勢な一次中心地を頂点とするシステムに統合され,第二次世界大戦後までに,一次中心地長野への機能の集中に伴って,二次中心地以下の階層構造が不明瞭になっていくという,中心地システムの変容過程が明らかになった.
著者
岡崎 由夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.33, no.9, pp.462-473, 1960-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
34
被引用文献数
1 2

広く平坦な釧路湿原は周囲を海成および河成段丘にかこまれ,南部の太平洋とは狭長な砂丘群でへだてられる.これら段丘面は次の通りである.すなわち,海成段丘-白糠 (Dl2, 洪積世前期),根室 (Du1a, 洪積世中~後期)および釧路 (Du2a, 洪積世後期),河成段丘-I (Du1a), II (Du1b, 洪積世中~後期), III (Du2a) およびIV (Du2b, 洪積世末期),および冲積面(釧路平原)である.これら地形面は,主に第三系の向斜が横わる現平原に求心的に繰返された海進,海退によつて形成されたものである.したがつて本平原は主としてこの海進と海退によつて生じたとみられたが,しかし,これら地形面の分布や形状および地形的特徴から,平原は,その中心を洪積前期には西におき,後に東南部へ移した造盆地運動とみられる地盤運動に著しく影響されたことがわかる.大ざつぱに言えば,本平原は撓上地形面にかこまれた一つの堆積盆地である.この地域の地形は冲積世前後のユースタチック運動と地盤運動によつて最終的に決定された.洪積世最末期には海水面は現水準下約90mまで降下し,同時に海蝕面を現海水準下80~160mに形成し,また陸上では海面下80mに埋積谷を作つた. 冲積海進はその最盛期には現海面上約10mに高まり,海湾,古釧路湾を形成した.海退は背後に砂洲や湖沼に伴われた海岸平野を残したが,これらは示差的隆起による地形的特徴を示している. 湿原の形成は排水を阻害したその低水準と砂洲に基づいたものであつた.それ以来,以前の造盆地運動の軸心部に撓下軸をおいた撓曲運動が行われ,湿原表面の起伏に影響を与えている.
著者
野上 道男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.23-29, 1999-01-01
被引用文献数
17

北海道を除く日本列島全域について,50m-DEMから250mメッシュごとの地形特性値(高度,険しさ,凸斜面率)を計算し,それと250m解像度の地質データをクロス集計して,地質と地形特性の関係を明らかにした.地形特性値は,地形を作る地質の時代にっれて完新世から新第三紀へと変化するが,その傾向は古第三紀で中断する.このことは,現在の地形を作る隆起運動が古第三紀直後に始まり現在まで続いていることを意味する.<br> 中生代・古生代の地層を刻んで形成されている現在の山地地形の地形特性は地層の時代との相関が薄い.このことは低地に堆積した状態を初期条件として,それが隆起しっっ谷が刻まれることで山地地形が形成されるという地形発達史を考えるとき,初期条件の影響を受けるステージがすでに過ぎていることを意味しているので,日本列島の山地地形は理論的には地層の侵食されやすさ(相対的な岩石特性)と隆起速度で決まる定常状態に近づいているか,すでに達していると解釈される.
著者
寺本 潔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.89-109, 1984-02-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
38
被引用文献数
9

本研究は,子どもの知覚環境の発達とそのメカニズムを明らかにするために,熊本県阿蘇カルデラ内に居住する小学校2・3・5年生,および中学校1年生,計1,432名を被験者としてなされたものである. 調査方法としては,身近な地域を描いた手描き地図から読み取る方法と,周辺の地物を撮影したスライド画像に対する反応を分析する方法を用いた.前者により描かれた空間は,発達段階に従って外延的拡大を示すが,著しく動線に影響されることが明らかとなった.また,子どもにとって「意味のある空間」として, (1) 近道,抜け道 (2)「秘密基地」,「隠れ家」(3) こわい場所,「幽霊屋敷」を検出した.後者により,可視領域に位置する目立つ地物は,知覚環境を構成する重要な目印として作用していることが推察された. このような子どもの知覚環境の発達に関する基礎的な研究は,子どもの発達を内発力とする新しい地理教育のカリキュラム開発に寄与しうるものと考えられる.
著者
福井 英一郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.10, pp.531-547, 1964

東アジアー帯に発達する夏の雨季は従来,太平洋からの南東季節風によって説明されて来た.しかし北海道を除いた日本のほとんど全部の地方では盛夏を中心としてかえって雨量は減少し,梅雨季と台風季に挾まれた軽徴な乾燥季が形成され,決してこの問題が単純でないことを示している. Flohn<sup>1)</sup>はこのことに関連して"月別の平均降水量や頻度によって見ると,日本では夏の初めと終りに雨季が現われ,途中7月中旬ごろから始まる乾燥季によってこの雨季は前後に2分されることが知られる.既にJ. J. Reinは1876年にこの日本の夏の天候の三重構造について記述しているにもかかわらず,夏の全期間を通じた雨季というような小説的表現が広く認容され,これを南東季節風と結びつけて,夏季の凡ての現象が太平洋からの湿潤気団の侵入によって支配されると考えられて来た."と述べている.このように8月を中心とする日本の小乾燥季は気候学上からも非常に重要な問題であるが,この時季があたかも1年中での最も高温な時季とも一致するために,水利用の問題とも関連して地理的にも産業経済の諸方面からも重要且つ興味ある事実を提供している.本論においては最初にまずその現象自体を明らかにした上で原因および影響などに論及したい.