著者
子安 潤 久保田 貢
出版者
愛知教育大学
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センター紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.9-16, 2000-03-29

1950年代末より積極的に展開された「主権者教育論」は,その初期の頃,「国家の一員」におしとどめようとする教育内容が,「国家の教育権」のもとに強制されようとしていたことに抗し,「国民」を「主権者」と位置付け,次代の主権者を育てようと提起した点で,意義は大きい。しかし,「国民」に限定した点や,子ども自身が権利行使主体としてどのような行動ができ,あるいはその行動能力を育むのか,といった考察が乏しかった点など,問題点も残されていた。
著者
下村 美刈 日下部 美衣
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.11, pp.279-286, 2008-02

母子生活支援施設での母子自立支援では,主に母親の経済的自立に重点が置かれ,家庭内の問題も母親への働きかけが中心となっている。しかし,母子生活支援施設に入所している児童の中には,学習面,生活面,対人関係面など様々な面で困難を抱えている児童も多い。特に,学習面での困難は,児童の低い自己評価をもたらし将来の展望において希望を喪失することも間々あり,児童への直接的支援も必要である。そこで本研究では,学習ボランティアとして筆者らが母子生活支援施設児童と関わる中で,児童への支援の一つとして学習支援を行った。その中で,学習支援では単なる学習の教授のみではなく,児童一人一人との関係を築くことがより重要であることがわかった。また,その関係形成においては,施設児童に特有な対人関係における困難さが浮き上がってきた。
著者
吉岡 恒生
出版者
愛知教育大学実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.13, pp.251-258, 2010-02

発達障害児の支援について,前半は乳幼児期の支援,後半は小学校期の支援について論じた。前半は,乳幼児期の発達障害児への支援は基本的に母子支援であること,母親の揺れる気持ちを否定せずに聴くことが支援につながることを,筆者が担当した3事例を通して例証した。なかでも「うつ」状態の母親を支援する際には配慮が必要である。また,後半ではまず,小学校における特別支援教育の現状について,X市教育委員会の特別支援教育コーディネーターへの調査を元に紹介した。次に,特別支援教育支援員の活用,学校支援ボランティアの活用について述べ,最後にボランティアにあたる者の心構えについて論じた。
著者
西川 絹恵 生島 博之
出版者
愛知教育大学実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.13, pp.225-231, 2010-02

ギャップの典型例は,支え喪失(強力な支えがなくなった),自己発揮機会喪失(自分を発揮する機会が持てなくなった),脆弱性露呈(関係維持の潜在的な脆さが徐々にあらわれた),課題解決困難化(課題解決が徐々に困難となり不満や不安を募らせてきた),友人関係展開困難化(仲間関係を広げていくことができず徐々に孤立した)があるといわれている。しかし発達障害児(グレーゾーンの生徒も含む)の特徴と「中1ギャップ」の5つの典型例はよく似ている。発達障害児は小学校から中学校入学という環境の変化において,変化を好まない,適応が困難であることなどの障害特徴から,二次的障害としての不登校を誘発しやすい状況となっていることが多いと思われる。よって発達障害の子どもたちの多くにも中1ギャップが影響している可能性は非常に高いと思われる。発達障害と不登校の関連性については多くの研究が指摘するところであり,したがって発達障害児に対しては,さらにきめ細やかな中1ギャップに対する対応が必要であると考えられる。本研究では「特別支援教育」の観点から,そのギャップの解消につなげるためのスクールカウンセラー(以下 SC と表記)の小学校から中学校へつなげるための取り組みについて,広汎性発達障害児とのかかわりを通して「小学校から中学校への変換期を支える特別支援」について検討した。
著者
村岡 眞澄
出版者
愛知教育大学
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センター紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.77-82, 2003-03-29

いわゆる「一年生プロブレム」などをきっかけにして、幼・小連携への実践的取り組みに対する関心が高まっている。より実りある連携を推進するには、従来のようなイベント的な交流に終ることなく、教育内容や指導方法の見直しといったところにも踏み込んでいく必要があると思われる。このような問題意識から、小学校低学年の子どもの発達特性に相応しい教育の内容や指導方法を「体育」を切り口として探ろうとした。幼少年期の子どもにとって、身体活動の持つ意味は大きいからである。運動種目を課題として与えず、「子どもがやりたい」と思い、「やってみよう」と自分で取り組み、多種多様な動きを工夫してつくり出す子ども中心の生き生きとした体育学習を総合的につくろうとしている岩井の「忍者体育」のような実践が追究されるならば、そこに自ずと幼・小連携の道が開かれるであろう。岩井の実践はまた幼児教育の見直しを要請する。幼・小の相互理解をふまえながら、子どもの側からの教育を追究することが小連携の基本となると考える。
著者
瀬田 祐輔 牧 恵子
出版者
愛知教育大学実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センター紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.91-100, 2010-02

学校図書館司書教諭講習科目「読書と豊かな人間性」は,司書教諭が,読書指導の直接の担い手となることばかりではなく,全校の読書指導の推進者としての役割を果たすことをも見据えた内容となっている。しかしながら,子どもを読書に誘うための個々の手法を実習または演習として組み込むのみでは,それらを駆使した計画・実践ができる力,いわば応用のきく力として身につけさせることは困難である。そこで本稿においては,この問題を解決しうる授業方法を探るべく,プロジェクト型の学習形態(「第2回科学・ものづくりフェスタ@愛教大」に参加し,科学読み物を中心とした読書材の読み聞かせ企画を受講生に運営させるという形)を組み込んだ授業を構想し,実施を試みた。その結果,「読書と豊かな人間性」において,プロジェクト型の学習形態を採用することには,読書指導に関する知識や技能を応用のきく力として身につけさせるという点で,一定の効果を見出すことができた。
著者
星 博幸 岩山 勉 沢 武文 菅沼 教生 戸谷 義明
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.12, pp.191-198, 2009-02

愛知教育大学は2008年7月31日と8月1日の2日間にわたって「高校生サイエンス・サマー・キャンプ」を開催した。愛知県及び隣県の高校生25名が参加し,生物学,地学(地球科学),天文学,物理学,化学の大学レベルの実験や観測に取り組んだ。受講生アンケート調査の結果を取りまとめ,過去2回(06, 07年)のアンケート結果と比較したところ,受講生の得意科目/不得意科目や開催通知手段に関して興味深いデータが得られた。今回のキャンプの成功は,本学院生・学部生アシスタントの貢献によるところが大きい。こうした取り組みは,地域社会及び本学の両方にとって非常に高い教育的価値があると考えられる。
著者
加藤 祥子
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.10, pp.221-227, 2007-02

2006年7月末から8月初めの土日にトヨタテクノミュージアム産業技術記念館で行われた『夏休みワークショップ』で「オリジナル素材を使ったモノづくり体験」と題して博物館内の自動織機で織り上げた布を使ってクッションカバーを作った。「モノづくりの楽しさ」として被服製作を見直し「被服離れ」,「ミシン離れ」を解消することを目的とする。2回目の試みでもある今回は,参加者を小中学生に限定して行い,作品完成までの製作時間を30分として布の前処理,裁断,縫製の最初の工程は本研究室で準備した。参加者には最終段階のみを作ってもらい,参加人数,学年・性別による製作時間を調査した。また指導者として参加した学生にアンケート調査を行い,次回に繋げる反省とした。2週に渡る土曜,日曜の計4日間の取り組みだったが約400名の参加をみた。 ミシンに触れた事のない小学校低学年の児童も作品作りに興味を持ち,楽しそうに参加していた。主催する側として昨年度に行った同取り組みの課題を克服して今期に臨んだが,活動が概ね成功であったことは昨年度に残された課題の解決が妥当であったと考えられる。
著者
川北 稔
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.9, pp.227-236, 2006-03

家族会への親の参加が引きこもりの改善にどのような影響を与えているのかを考察する。東海地方の民間支援機関における質問紙調査から,親の参加頻度や参加期間と,引きこもりの改善との関係について検討した。特に家族が主観的に引きこもりの改善を評価する要因について分析した結果,親の参加頻度の高さと,引きこもり本人の支援機関への参加が,ある程度相互に独立した要因として改善に影響することが明らかになった。また,参加期間の長い親が家族会から得る多様な効果が示唆された。
著者
内田 良
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.11, pp.263-269, 2008-02

本稿の目的は,児童虐待防止の前提となっているいくつかの知識を批判的に捉えなおすことをとおして,虐待問題の今日的な性格を明らかにすることである。これは,「虐待」という行為がいかなる社会的・文化的状況下において,「回避すべき問題」とみなされているのかを見極める作業となる。今日の虐待防止活動を支える代表的な視座に,「子どもの権利擁護」「子育て支援」「心理学」の3つがある。虐待は,一枚岩的に「悪」として論じられているのではない。上記にあげるような複数の視座のもとで,それぞれに特有の問題化がなされている。虐待について考察する際には,これら3つの視座を十分に意識することが重要である。ところで「虐待」とはそもそもなぜ問題なのか。この問いを考えるために,まず「虐待」ではなく,「暴力」・「放置」という表現を用いたい。「虐待」には,「回避すべき」という意味が強く含まれているため,実態ベースの議論が難しくなるからである。客観的な行為に注目した「暴力」・「放置」の視点から子どもの養育・教育をながめると,虐待問題における「安全と危険のパラドクス」を見出すことができる。「安全と危険のパラドクス」とは,安全が当たり前になるほど危険が目立っていく事態を指す。すなわち,しつけの基準が高まり暴力・放置がおこなわれなくなってきた安全な今日において,子どもへの暴力・放置が危険なものとして顕在化するのである このように考えると,虐待は「子どもへの人権侵害だ」(子どもの権利擁護の視座),「子どもの心の成長を妨げる」(心理学の視座),「都市化・核家族化によって起こる」(子育て支援の視座)という説明は,すぐれて現代的で都市的な解釈のもとに提起されたものであることがわかる。虐待防止活動は,現代においてこそ虐待の危機が高まっていると説明する。またそれと連動して,根拠もないままに虐待の増加が叫ばれることもある。だが,暴力・放置は増加していなくてもよいし,都市化による一種の文明病である必要もない。虐待を考えるうえで重要なのは,冷静に暴力・放置の行為を見極め,暴力・放置の原因や問題点を追究することである。学校現場と虐待問題との距離が急速に近づいている今日,教育に携わる者には,暴力・放置防止への熱き思いと冷静な判断力が求められている。
著者
松本 昭彦
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.12, pp.199-206, 2009-02

絵に求められているものは「個性」とか「新しい表現」なのであろうか。絵を見たり描いたりする際に必要なのは「絵心」や「感性」であろうか。モノを見ることを《入力》,モノを描くことを《出力》に例えると,世間では出力ばかりが強調され過ぎて,表現上の目新しさだけに注目が集まっているように思われる。豊田市立挙母小学校や岡崎市立常磐南小学校等でキミ子方式による似顔絵の指導をして「モノを見る」技術が「モノを描く」技術に先立って重要であるとの感を深めた。授業後の子どもたちの感想を読むと,自ら進んで絵を描こうとする意欲や,暖かい人間関係を尊ぶ心情が見て取れる。似顔絵は地味で卑近な題材ではあるが,昨今の子どもたちの漫画的な様式傾向を打破するのに必要と思われる《見る技術》や《描く技術》を学ぶためには格好の題材であると言えよう。
著者
生島 博之 岩田 郁子
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.12, pp.37-51, 2009-02
被引用文献数
1

本論文は,最近10年間あまりにおける少年犯罪を特別支援教育の観点から研究したものである。豊川主婦殺害事件からスタートし,西鉄高速バス乗っ取り事件,長崎男児殺害事件,佐世保小6同級生殺害事件,寝屋川教師殺人事件,浅草レッサーパンダ殺人事件,等を取り上げ,これらの少年たちが,犯罪に至るまでにどのような学校教育を受けてきたのか,そして,規範意識が育たなかった,あるいは,規範意識が 弱過ぎたのは何故なのか等について考察した。その結果,学校が少年犯罪の『舞台』とならないようにするためには,『怨み』を聞く回路づくりができる教師の実践的指導力が不可欠であると同時に,特別支援教育の本格的な実施および性教育の効果的な実践が重要であることが判明した。
著者
中田 敏夫
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.12, pp.159-165, 2009-02

外国人児童の教科指導を支援する方法の一つとして,リライト教材を用いた0時間学習の実践を行ってみた。「現場で,無理なく使え,教科学習に資する」方法を目指して行った国語科学習支援の実践である。結果として,レベル別にその効果は異なっていたが,レベル1・2には有効であろうという判断が下せるものであった。今後,多くの外国人児童に,宿題,放課後学習,あるいは1時間の取り出し授業の形で適用が可能となり,教科学習支援の一つの有力な方法となっていくだろうと予想される。
著者
岡田 之恵
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-9, 2009-02

小・中学校において,LD・ADHD・高機能自閉症等の児童生徒に特別支援教育を行うようになった。発達障害の二次的問題として不登校が考えられる。不登校の背景や要因について考え,特別支援教育を行うにあたってどのように支援したらよいか,先行研究を参考に考察した。不登校になって発達障害と気づかれた場合,小学生においては,学習や友人関係,保護者や担任との関係が影響していると思われる。また,発達障害の児童生徒が不登校となった場合,思春期やいじめの問題,家庭環境などを考慮する必要がある。障害特性に配慮した支援と登校支援が必要で,環境の変化や児童生徒自身の成長発達を考えながら,状況に応じて早めに対応すべきである。
著者
川北 稔
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.12, pp.293-300, 2009-02
被引用文献数
1

格差社会などを背景として「若者の生きづらさ」を訴える声が続いている。1980年代以来,「生きづらさ」(「生きにくさ」)という言葉を用いることで,しばしば,従来の福祉や教育の枠組みに乗りづらい困難が言及されてきた。本稿では,特に精神障害を対象とする障害構造論の議論を参考に,若者の生きづらさ,特に引きこもる若者の生きづらさがどのように捉えられるのかを考える。また「ひきこもり」支援の蓄積が,幅広い若者の人間回復に寄与する可能性について検討する。
著者
新山王 政和 今泉 美貴子 磯部 妙子
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.8, pp.253-260, 2005-02

今日のユビキタス化された社会では,様々なことを気軽にバーチャル体験できる反面,自分自身の力で考え結果をイメージングしようとする機会が失われてしまっている。生きる力の問題としても,脳科学や発達教育科学の分野からこれに対して警鐘が鳴らされている。よって小・中学校音楽科の授業という視点から,次の2点を視野に入れてこのユビキタス社会における音楽の基礎・基本の力について改めて考察してみたい。1.過度に視聴覚機器に頼ることをやめ,イメージングを通じて活きた活動体験を模索する 2.活動の主体を子どもヘシフトし,教師が言語・非言語指示を駆使して一方的にリードした為に子どもが思考停止の状態や指示待ちの状態のようになってしまうことを,イメージングを活用した活動体験によって防ぐ 今回の一巡の授業研究では,この二つのポイントを視野に入れながら,実体験と体感を伴った子ども自身によるイメージングの活動を基盤に据えた授業のあり方について模索してみたい。そして本論文においては,次の二つの授業実践を取り上げて分析を行った。1.小学校4年生を対象にした授業:楽曲の構造からショートストーリーをイメージングし,それを伝える為の演奏表現とリコーダー演奏技法を工夫する 2.中学校3年生を対象にした授業:歌詞のイメージングに基づいて,自分達が歌いたいと感じる表現を考え,それを演奏表現できるような歌い方を工夫する
著者
松本 昭彦
出版者
愛知教育大学教育実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
no.8, pp.189-196, 2005-02

絵の描き方を具体的に指示することは,制作者から「個性」と「創造性」を奪い,不自由さと苦痛を与えるものであると言われてきた。しかし,大学生を対象にキミ子方式で授業を行ってきたところ,多くの学生がこの具体的な指示のあるやり方に満足していることが,昨年度末の「学生による授業評価調査」の結果から判明した。絵画教育では,個性や創造性を発揮させるために自由に描かせることが重要なのではなく,自由に描けるように育てていくための具体的かつ系統的な教育方法が必要であると考える。