著者
山神 達也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.187-210, 2003-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
59
被引用文献数
6 3

本稿では,日本の大都市圏における人口増加の時空間構造を把握するために,展開法に依拠し,時間的・空間的連続性を仮定したモデルを適用するとともに,観測値が得られる最新年次までの動向を基に,人口増加の空間構造の将来予測を行った.その結果,以下のことが明らかとなった.まず,日本の大都市圏では,人口増加の絶対水準が徐々に低下した.また,東京・大阪・福岡の各大都市圏では,人口成長の中心が遠心的に移動し,近年,人口の再集中傾向がみられる。一方,他の大都市圏は,人口成長の中心が都心から10~15km帯にとどまり,都心区の人口回復は,予想されないか,予想されても人口増加の空間構造が絶対的分散から相対的分散へ変化するにすぎない.以上の結果は,展開法に依拠した本稿のモデルの適用によりはじめて得られるものであり,従来の都市発展モデルでは同一の発展段階にあるとされた大都市圏問の差も確認することができた.
著者
西部 均 平野 昌繁
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.7, pp.479-491, 2002-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
39

兵庫県南部地震による市街地被害の数量的評価のため,神戸市兵庫区・中央区の応急修正版住宅地図に基づいて震災被害率を計算した.家屋の被害には1950年の建築基準法施行が最も大きく影響していると考え,米軍空中写真を利用して市街地の戦災状況を判別し,震災被害と戦災状況を比較した.その結果,震災被害率は戦災の程度が大きいほど小さくなる関係にあることが確認された.その関係性を踏まえた上で,さらに1万分の1地形図を利用して震災被害率の空間分布の方位特性を分析した.その結果,戦災を免れた地区ばかりでなく,活断層に沿う部分でも被害が大きいことも判明した.このように空間的に市街地被害を評価することで,被害分布図のみでは判定しがたい家屋特性と活断層という被害要因の相乗効果を明確化することが可能となった.
著者
後藤 拓也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.7, pp.457-478, 2002-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
34
被引用文献数
3 2

本稿はカゴメ株式会社を事例に,食品企業が農産物流動の国際化にどのように関与しているのかを明らかにした。日本のトマト加工品輸入量は1972年以降急増し,早くから国際的な農産物流動を経験してきた.その輸入地域は,1980年代までは台湾に依存していたが,1990年代以降は著しく分散化し,空間的変化が顕著である.輸入地域の1980年代以降の変化は,基本的には原料のコスト要因に規定される傾向にある.しかし,輸入量の約50%を占めるカゴメの海外調達戦略が,輸入地域の空間的変化に大きな影響を与えていた.そこでカゴメを事例に,企業単位で海外調達のメカニズムを検討した.その結果,カゴメが1980年代以降に海外調達提携先の多元化を進め,調達地域を著しく分散化させてきたことが確認された.カゴメによる海外調達先の分散化は,調達用途の多様化,調達のリスク分散,調達の周年化を進める上で重要であり,低コスト調達のみを追求した結果ではない.事実,カゴメの調達組織では,海外産地に対し多面的な評価を行っている.一方,カゴメによる海外調達の進展は,国内調達にも大きな影響を与えた.カゴメは,自らの国内産地を輸入原料で代替困難なジュース専用産地に位置付ける必要があり,国産原料をジュース専用品種へ全面的に転換したのである.これは,カゴメが海外調達で進めてきた用途別調達,分散調達,周年調達が,国内調達と連動していることを端的に示している.
著者
北崎 幸之助
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.161-182, 2002-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
36

本研究は,戦後開拓地が現在まで農業集落として維持・発展している大八洲開拓農業協同組合地区を研究対象地域として取り上げ,アクターネットワーク論を用いて,開拓集落の維持・発展の要因を明らかにすることを目的とした.満蒙開拓団出身者らによって建設された大八洲開拓農業協同組合地区は,加藤完治の直接的な指導を受けた初代組合長の佐藤孝治が地域スケールのグレートアクターとなって,満蒙開拓団時代の紐帯や加藤から受けた農業指導を活かしながら共同経営を開始した.高度経済成長期以降,入植2代目の多くは日本国民高等学校や農業試験場などから最新の農業技術を学び,地域の営農に活かしていった.地域内に形成された水稲作や酪農における機能集団の外的なネットワークは,国家や地方スケールの補助事業を積極的に導入しながら営農の集団化を進め,水稲の請負耕作や集団転作などに対応した.また,開拓組合員に求心力を持たせる相互扶助や土地売買に関する内的なネットワークも形成され,組合員の離脱を防ぐ役割を果たしていた.このように,大八洲開拓農業協同組合地区内には,外的・内的なネットワークが重層的に形成されるとともに,国家や地方スケールの垂直的なネットワークとの連繋も図られていたため,戦後開拓地を農業集落として維持・発展させることができた.
著者
大橋 めぐみ
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.139-153, 2002-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
23
被引用文献数
3 3

本研究では,日本の条件不利地域における小規模なルーラルツーリズムの可能性と限界を明らかにするため,長野県栄村秋山郷の事例を取り上げ,ツーリズムの需給構造ならびにツーリズム資源となるルーラルアメニティの保全との関連に注目して検討した.秋山郷を訪れるツーリストは,ルーラルアメニティを構成する要素のうち自然的・文化的要素への関心が高く,リピーターを中心に満足度も高い.しかし,農業的要素への需要は十分満たされていない.地域住民は,農業や建設業との複合経営の一環として,低コストで小規模な宿泊施設を経営してきたが,近年は経営の維持が困難となっている.こうしたツーリズムは文化的要素の維持には貢献してきたものの,農業的要素の維持には結び付いてこなかった.ルーラルアメニティの劣化はツーリズム自体の存立を脅かすものであるが,その保全のためにはツーリストやツーリズムに携わる住民のみでなく,地域住民全体を含めた保全の枠組が必要である.
著者
吉村 信吉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.19, no.7, pp.365-381_1, 1943-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13

1) 昭和17年12月及び18年1月の低水時に原町田及びその西方の相模野臺地の地下水を調査した。 2) 本地域の一般地下水ば臺地面下23~17mにあり,地形に從つて北西より南東に向つて低下する。その面は境川の河水面と平衡を保ち下の不透水層とは無關係である。原町田附近では町田川及びその支谷の底が低い位置にあるのでそれに向ひ流出し,地下水面は境川との間に分水線を作ることなしに低下してゐる。これは境川中流の冬季の水量を減少させる1つの原因である。 3) 大沼,鵜野森,原町田,金森の3宙水域が本水面上10~15mの所に發達してゐる。武藏野臺地と異なり中央は邊縁部よりも10m近く盛上つてゐる。原町田に於ては宙水域の端を精密に觀密することが出來た。 4) 聚落の發生,立地と地下水との關係を略述した。
著者
林 上
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.12, pp.875-877, 1971-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
2
被引用文献数
3 2

冒頭で述べたように,濃尾地震直後における小藤文次郎の調査により本巣町金原地区において, 7.2mに及ぶ水平変位のあったことが報告されているが,筆者はこのたび根尾村中地区における同地震にともなう断層運動の水平変位を調査した.その結果,上述した地籍図と実測図との間における各境界線および道路の食違い量を水平変位量の近似値と考え, 7.4mの値を得た.この値は小藤の値とほぼ同じであるが,このように大きな水平変位が単に金原地区だけにあったにとどまらず,それより12kmも北西に位置する当地区においても発生していたことなどからみて,根尾谷断層は濃尾地震時の断層運動においても,広範囲にわたって「横ずれ断層」(水平成分〉垂直成分)の性格をもっていることが裏付けられたといえよう.
著者
竹内 常行
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.445-458, 1975-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13
被引用文献数
1

九十九里平野では,いく列かの砂堤(あるいは浜堤,砂堆)と砂堤間の低湿地が,海岸線にほぼ平行しているという地形的特色に対応して,砂堤は集落・畑・山林などの場所,低湿地は水田になっているというのが,従来の通念であった.しかし,砂堤の大部分は島畑区域となっているので,水田は砂堤の区域にも広く分布しているという事実によって,従来の通念を修正し,ついで九十九里平野に島畑のできた理由について.従来発表された意見の誤りを指摘し,地形に由来する水利上の不利を克服しながら,砂堤区域に水田を拡張して行なった結果,島畑景観が生れたものであることを明らかにした. ついで本稿の大部分を椿海干拓地の島畑地域の記述にあてて,まずその島畑の分布図を作成し,特色ある島畑景観地域について,いかなる地形,いかなる水利条件の地域に,島畑景観が生れたかを明らかにする.
著者
木村 ムツ子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.394-401, 1974-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
15
被引用文献数
3 4
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.33, no.12, pp.636-642,1_2, 1960-12-01 (Released:2008-12-24)
著者
水越 允治
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.7, pp.447-460, 1965-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
42
被引用文献数
4 6 7

前の報告では,わが国の主要地点における降水量の極値を推算し,これにもとづいて概略の地域分布図を作成し,二・三の説明を付け加えた.しかしながら,推算地点が少なくて必ずしも分布の全貌を明らかにしたとはいえず,また推算に際して採用した GUMBEL の方法にも若干の問題点のあることが指摘された.ゆえに,今回は地点数をできる限り増し,推算も JENKINSON の方法ですべてやりかえた.その結果,季節別の極値分布について詳細な状態が明らかとなった。例えば,梅雨による大雨の卓越する地域と台風による大雨の卓越する地域とが明確に分れることがわかった.また前報で降水量極値の経年変化についてあらましを述べたが,今回経年変化型の地域分布について改めて検討してみた結果,若干地域的なまとまりを見せる傾向の存在することが明らかとなった.
著者
吉田 英嗣
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.8, pp.544-562, 2004-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
46
被引用文献数
4 4

第四紀の成層火山を持っ流域の地形発達には,大規模山体崩壊など,火山特有の侵食過程に伴う土砂供給が関与し得る.本稿ではその一例として前橋・高崎地域の地形発達を検討した.24ka頃,利根川が形成する扇状地面上に前橋泥流堆積物が堆積した結果,泥流堆積域で地表が緩傾斜化し,河床高度が増した.利根川は泥流堆積面を侵食し,16ka以降,河道を定めて広瀬面を形成した.前橋泥流堆積面である前橋面上には,前橋泥炭層が広範に形成された.11ka頃,前橋泥流堆積面を侵食していた烏川の谷を含む高崎地域に,井野川泥流堆積物が流下し,鳥川は河道を現在の位置に変えた.この烏川は井野川泥流堆積面(高崎面)を下刻し,高崎面が離水した.さらに,高崎面東部で井野川泥流堆積物を刻む水系が,侵食面の井野面を形成した.両泥流の堆積は,本地域における複数回の大規模な河道変遷を招き,ひいては地形発達を長期的に規定してきた.
著者
岸本 實
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.54, no.7, pp.353-363, 1981-07-01 (Released:2008-12-24)

Professor G. T. Trewartha delivered the presidential address on “A Case for Population Geography” before the Association of American Geographers on the occation of its 49th annual meeting held in Cleveland, Ohio, March 20 _??_ April 2, 1953. He, then, suggested that in geography the central theme is human life and fundamentally geography is to be anthropocentric, and emphasized the necessity of the research of population geography. After the Second World War, the research works on population geography have increased so much in comparison to the Pre-War days, and it owes to a greater degree of spatial mobility than ever before, in almost all countries containing the developing and developed countries due to the results of stability of political conditions. The mobility has taken many forms; some have been in response to the general evolution of national societies and economies, others have acted as stimuli for fundamental social, economic, and political changes in the nations. In Japan, too, spatial mobility after the War has been equally intense as European countries. About eight millions or seven percents of the national population changed their residences in every year and such spatial mobility has changed the regional conditions in the country. Spatial mobility in Japan after the War has taken three types as follows: (1) rural-to-urban migration, especially in the first stage, (2) residential mobility in and around the great cities as the results of population concentration, (3) inter-urban migration mainly since the oil shock in 1973. As to the regional factors of the rural-urban migration, it has been, hitherto, insisted on that the economic motivation, that is, the lower level of income in the farm areas is the most important regional factor for the rural-to-urban migration. But it is not necessarily the most important. There are many other social factors which push out people to urban areas from rural farm, especially the breakdown of human relations in rural areas. As to the residential mobility and inter-urban migration, we are also forced to explain the factors from human values, want, needs, and choice of the inhabitants, in addition to the economic motivation.
著者
上杉 和央
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.13, pp.823-841, 2007-11-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
63

江戸時代, とりわけ18世紀以降の地図収集のネットワークについて, これまで具体的に論じられたことはなかった. 本稿では大坂天満宮祝部渡辺吉賢の収集した地図を出発点にして, 地図の貸借をしていたことが明らかな人物を網羅的に提示し, そのうち代表的な人物にっいて吉賢との関わりを論じた. そして, その上で地図収集のネットワークの広がりにっいて検討を行った. その結果, 日本中にネットワークが広がっていたこと, 身分や職業を越えて地図の貸借があったこと, そして世代を超えた時間的広がりを持ったネットワークになっていたことなどを指摘した. また, このようなネットワークは, 森幸安の地図作製にも関わるなど, 地図史の展開において不可欠な役割を担っていたことも明らかにできた.
著者
森川 洋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.6, pp.421-442, 2002-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
107
被引用文献数
4

今日の急激な社会変化に対応して,欧米諸国では地理学者の多くが地域概念に注目している.その場合に,社会科学としての人文地理学には今日の社会存在論に適合した地域概念を構築し,研究に利用することが要求される.本稿ではドイツ語圏における地域に対する考え方とその変化をたどり,今日論議されている問題点を紹介する.WerlenはGiddensに倣って現代社会をポストモダン社会ではなく近代末期として解釈し,近代社会の特徴を脱定着化,時空間を超えた社会システムの広がり,グローバル化としている.しかしその解釈は,伝統的社会と近代的社会の差異を中心に考えたもので,情報技術や交通の発達とグローバル化に基づく現代社会=近代末期社会の特徴を明確に示したものとはいえない.人文地理学で考えられた地域概念の発達史をたどってみると,「実在する全体的地域」から研究者の分析的構築物または思考モデルとみられるようになり,さらに,人間行為によってつくられた社会的構築物と考えられるようになった.ドイツ語圏では地域概念は今日なお玉虫色をなしていて種々の見方があるが,地域はグローバル化と平行して発展する傾向にあると考える人が多い.地域の特徴や形態は変化するとしても,それは将来もなお重要な研究対象として存続するであろう.地域的アイデンティティを加えた地域の重合関係や他地域との結合関係を中心とした地域構造の研究が今後重要であろう.地域の計画面における実用的価値も低下することはない.
著者
菊地 利夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.27, no.5, pp.193-202, 1954-05-25 (Released:2008-12-24)
参考文献数
19

Geographers and historians have studied “Shinden” Settlemeats (or newly reclaimed lands) developed by wealthy merchants and landowners or by feudal lords and the Shogunate, but no one has reported as to those lands reclaimed by vassals (or lower class Samurai). Yet there are numerous examples in the economically stagnant regions of north-eastern and south-western Japan. This study deals with “Shinden” settlement in the domain of the Hirosaki clan (located in the western part of present Aomori Prefecture) where 522 settlements, viz. 62% of the total number of all settlements, were of this sort. Reclamation by vassals of the I irocaki clan was commenced in 1620 when an ordinance encouragting the roclamation of waste land was issued (by feudal lord) in order to rehabilitate the rural areas devastated by fare pine in 1618. Reclamation by vassals was prohibited in 1661. In the initial stage, the carrying out of the reclamation did not require very much expense, for waste land favourable for development and labor (the second and. third sons of farmers) were readily obtainable. Thus, either a lower class vassal or a wealthy merchant or landowner could take part in this type of development. “Shinden” settlement was accomplished, the person who had developed the land was given a portion of the newly reclaimed paddy fields and appointed a vassal (if he was merchant or landowner) or promoted to the next higher rank (if lie already held the rank of vassal). The remainder of the reclaimed land was continued in the posession of the original owner. Each “Shinden” Settlement way organized with one vassal (who served as the village official) and with the farmers owing allegiance to the feudal lord. “Shinden” settlement increased rapidly owing inpart to the rise of the price of rice. In the late stage, circumstances were reversed. Much money was needed. to establish a “Shinden” settlement. Expenses needed were invested jointly by many vassals, consequently a “Shinden” settlement which was opened in this stage was organized with many vassals and a few farmers. Such “Shin den” settlement added little to. the revenue of the feudal lord. Thus as more “Shinden” settlements were opened, the settlers were confronted with a scramble for irrigation water. At the same time, the financial status of the Hirosaki elan were increasingly difficult. The situation became critical, so teat the reclamation by vassals was prohibited in 1666. In 1685, the Hirosaki clan made an administrative reform confiscating the lands of the vassals and giving them stipend of rice ann-cally. Thus the Hirosaki clan was able to acquire much more revenue and promoted the reelamation project on the Iw aki river delta plain with its own f ands, comnmandeering the farmer's labor.
著者
篠田 雅人 森永 由紀
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.13, pp.928-950, 2005-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
61
被引用文献数
21 19

干ばつは過去数十年間に世界で起きた自然災害の中で最も被災者が多い.1970年代後半以降,エルニーニョ/南方振動の温暖位相への移行と同調して,強い干ばつが世界で広域的に発生する傾向にある.モンゴル国では乾燥かつ寒冷という厳しい気候ゆえに,基幹産業である遊牧が干ばつとゾド(家畜の大量死につながる寒候季の寒雪害)に繰り返し脅かされてきた.本研究では,世界にある干ばつの早期警戒システムとモンゴル国における気象災害業務・研究を概観し,この地域の自然・社会経済条件に適合した気象災害の早期警戒システムを提案する.忍び寄る災害である干ばつ・ゾドは,深刻化する前に先行時間があるため,定量的予測の不確実な天候の長期予報の助けを借りないでも,気候メモリとしての陸面状態(土壌水分,植生,積雪,家畜の状況など)を的確にモニタリングしていけば,災害予測と影響緩和が可能である.