著者
田端 健人 守谷 繁
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education
巻号頁・発行日
no.54, pp.367-384, 2020-01-30

本稿は、小学校特別活動での話し合い活動を、新学習指導要領の「合意形成」「意思決定」の視点から構想し実施した研究実践の報告です。構想にあたっては、「討議デモクラシー」ならびに「子どもの哲学ハワイ/ みやぎ」の理論と実践を参照し、小学₆年生の学級での児童による民主的討議による合意形成を目指しました。第₁章では、実践者守谷の問題意識として、「学校的なもの」による児童の抑圧の実態とその解放(脱学校化)という課題を記し、第₂章では、話し合いの議題として学級の多くの児童が「朝遊び」を提案したことを述べ、この議題が前記の実態と課題に沿うことを示しました。第₃章では、実践者守谷の問題意識に対し、合意形成や意思決定の話し合い活動をどのように理解し実践するかについて、研究者田端が討議デモクラシーの理論と実践を参照し応答を試みました。こうした事前の検討を経て、どのような特別活動の話し合いがなされたかを、第₄章に記しています。話し合いは₃時間構成で実施されましたが、議論が白熱した第₁時の詳細な記録を掲載しました。話し合いでは、「朝遊びは『本当に』絆を深めることになっているか」の問いをきっかけに、児童たちは本音を語り始め、「絆を深めるどころか逆に学級内のスクールカーストを助長している」という痛烈な批判まで噴出しました。第₅章では守谷の総括、第₆章では田端の総括を記しています。児童たちの批判意識に一定の限界はあったものの、わたしたちが予想した以上に児童は、自分たちの現状を見つめ直し、批判的・創造的・ケア的思考で話し合いを展開し、自分たちの学校生活をより良いものにする意義深い討議になったと総括しました。わたしたちはこの実践の理念と方法を、「討議教育(デリバレイティブ・エドゥケーション)」として提案します。
著者
小島 雪子
雑誌
宮城教育大学紀要 = BULLETIN OF MIYAGI UNIVERSITY OF EDUCATION
巻号頁・発行日
no.56, pp.458-447, 2022-01-31

十世紀半ば頃から、それまでほとんどみられなかった「よもぎ」の用例が、かな文に散見されるようになる。その理由の一つとして、その時期までに中国古典文学の「蓬」に触れ、それらに学んで日本においても「蓬」を用いて漢詩文を作ったことを挙げることができる。前稿では、中国の古典文学、日本の漢詩文、さらに、かな文へと、何が学ばれ、どのような展開をみせているかを考えてゆくために、平安初期までの日本の漢詩文における「蓬」について検討した。本稿では、前稿で検討の対象とした時期以降、承平・天暦期から寛弘期頃までの漢詩文において「蓬」がどのように表現されているかを明らかにし、それらと中国文学との関わり、平安初期からの展開のありようについて検討する。Although there are no examples earlier, yomogi appears in Heian kana discourse from the early tenth century onward. One reason is that earlier on practitioners had come into contact with hou in Classical Chinese literature and used it in kanshibun in Japan as well. In the previous Part 1 of this article, the use of hou in kanshibun in Japan until the early Heian period was examined in order to see what was studied and to map its development from Chinese literature to Japanese kanshibun to Japanese kana discourse. In this article the ways in which hou was utilized in kanshibun in the later Zyōhei, Tenryaku, and Kankō mid-Heian periods and its relationship with Classical Chinese literature from the early Heian period onward will be examined.
著者
川崎 惣一
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.89-99, 2014-01-27

本論の目的は、人間が生きるうえで必要不可欠である「食べること」という営みが、人間と自然との関わりをどのように規定しているのかという問題について、人類の歴史を振り返りつつ、哲学的に考察を加えることにある。人間と動物は「食べること」において共通しており、「食べること」を通して栄養素を摂取することで、活動のエネルギーを得るだけでなく、自らを新たに作り出してもいる。しかし、人間において特徴的なのは、「食べること」それ自体が楽しみとして追求されるという点である。この点において人間の「食べること」は、生命的な次元を超え出ていると言える。火を使って料理することは、「食べること」によるカロリー摂取の効率を上げることを可能にし、これによって人類は独自の進化をとげることに成功した。火の使用による料理は、人間が自然を自らの意志に従わせる基本的な手段となった。料理はまた集団の成員がともに食べるという習慣を生み出したことで、文化の成立・発展に寄与した。さらに食料の生産を目的とした農耕が始まり、人間は自然を積極的かつ組織的に改変・利用するようになった。時代を経て、いまや人間は、量と質の両面において自然を過度に改変し、そのことが人間自身に悪影響を与え、人類の存続そのものを危うくするに至っている。こうしたさまざまな問題を検討するためにも、「食べること」をめぐって、たとえば人間が何をどのように食べているかを文化的および歴史的に振り返ることで、人間と自然との関わりをあらためて問い直すことが重要である。
著者
佐藤 得志
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education
巻号頁・発行日
vol.52, pp.85-96, 2018-01-31

Riemann積分の定義の方法には2つの流儀があり,それは,Riemann和から定義するものと,Darbouxの上積分,下積分から定義するものである.この2つの定義の同値性を証明するための鍵となるのがDarbouxの定理であるが,その証明はRiemann積分の理論の中では最も難しいものである.本稿においては,初学者の理解の手助けとなるように,Darbouxの定理の厳密かつ丁寧な証明を与える.また,積分可能な関数とLipschitz連続な関数の合成関数の積分可能性を証明し,これを用いて積分可能な関数の絶対値や積の積分可能性を導く.
著者
亀井 文 星 千裕
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = BULLETIN OF MIYAGI UNIVERSITY OF EDUCATION (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.165-170, 2023-03-31

レジスタントスターチ(RS)は、食物繊維と類似の生理作用を持つ機能性成分として注目されている。本研究においては米飯の炊飯直後から約20℃までの温度降下の初期老化過程において、米飯のRS含量がどのように変化するかをおにぎりの形態で明らかにすることを目的とした。炊飯後すぐにおにぎりを作製し、①おにぎりを皿に置き、そのまま放冷と②おにぎりを皿に置き、皿ごとラップをかぶせて放冷の2条件で2時間室温放冷したときの温度変化とRS量の経時変化を比較検討した。①の条件下では、温度は0分から30分において急激に低下しRS量は時間経過ごとに有意にRS量は増加した。②の条件下では、温度の低下は①の条件の温度低下と比べて緩やかな低下となり、時間の経過によるRS量に有意な差は見られなかった。このことから、老化が始まるとされる60℃までのおにぎりの急激な温度低下とその後の継続的な温度低下がRSの生成に関わることが示唆された。
著者
渡辺 尚 猪狩 豪
雑誌
宮城教育大学紀要 = BULLETIN OF MIYAGI UNIVERSITY OF EDUCATION
巻号頁・発行日
vol.56, pp.53-61, 2022-01-31

日本とエストニアの理科教育の比較を行った結果、①エストニアでは情報処理能力を重視した教育を行っており、学習指導要領には日本よりも多く、より具体的なICTの活用例が記載されていること、②日本の大学生はエストニアの高等教育(大学相当)を受けている学生と比較して自主的な学習時間が半分以下であること、③日本のデジタル教材『NHK for school』では、教員が欲しい教材を探しやすい工夫がなされている特徴があるのに対して、エストニアのデジタル教材『e-schoolbag』では、教員が教材をアップできるため教材が豊富にあり、閲覧者がフィードバックやコメントを残せるため、製作者が教材の修正がしやすい点が特徴的であることが明らかとなった。本研究を通して、今後の日本の理科教育には、現在のICT教育の特徴に加え、エストニアのようにアップデート可能なデジタル教材が活用できるなど、教員・生徒共にICT教育を利用しやすい環境づくりが重要になると考えられる。
著者
遠藤 仁
雑誌
宮城教育大学紀要 = BULLETIN OF MIYAGI UNIVERSITY OF EDUCATION
巻号頁・発行日
vol.56, pp.75-89, 2022-01-31

本稿では、明治期より親しまれてきた「マッチ売りの少女」の表現と文体のうち、特に文末表現に着目し、文語から口語へ、そして「読むための物語」から「語りかける物語」に変容していくプロセスをたどってみた。その結果、昭和20年代後半、折しも「岩波少年文庫」の創刊と相前後するかのように「デス・マス体」専用の軽快かつ安定した訳文に統一され、今日まで親しまれてきたこと、書きことばとしての規範性や形式性が強く作用した結果として、話しことばの標準化より20年あまりも早く訳文の現代口語化を完了していることが明らかとなった。
著者
川崎 惣一
雑誌
宮城教育大学紀要 = BULLETIN OF MIYAGI UNIVERSITY OF EDUCATION
巻号頁・発行日
vol.56, pp.91-101, 2022-01-31

自我アイデンティティは自分自身の同一性と持続性の自覚であるが、つねに生成の途上にあり、変化しつつあるものでもある。道徳的アイデンティティは道徳性に関するアイデンティティであり、私たちの道徳的判断基準の基盤となっている。道徳的アイデンティティは、自身が帰属意識をもつコミュニティのなかで身につけられるものであり、私たちは自身の属するコミュニティにおいて「善き生」のイメージを生き方のモデルとして受け取る。ただしそれは無条件にではなく、私たちはコミュニティ内部で共有されている価値や規範に違和感を覚えたり反発したりすることもある。道徳的心理学は私たちの道徳的行動が思考よりもむしろ直観や情動に強く影響されていることを証拠立てているが、道徳的アイデンティティはこうした直観や情動のレベルと結びついたものであり、思考によって吟味されたり矯正されたりする。
著者
中地 文
雑誌
宮城教育大学紀要 = BULLETIN OF MIYAGI UNIVERSITY OF EDUCATION
巻号頁・発行日
no.56, pp.446-424, 2022-01-31

日本の現代児童文学作家宮川ひろは、代表作『春駒のうた』刊行以前に、同じ題材での試作を繰り返したと語っている。今回、『春駒のうた』につながる最初期の作品とみられる未発表作品「春駒」の原稿を確認する機会を得た。これは、宮川ひろのご子息宮川健郎氏が保管しているものである。本稿では、未発表作品「春駒」について、宮川ひろ自身の発言と現存稿の状態とを確認したうえで、原稿全133枚中66枚目まで(作品第二章まで)の本文紹介を行うとともに、推敲過程を明らかにした。
著者
亀井 文 渥美 令菜
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education
巻号頁・発行日
vol.52, pp.211-217, 2018-01-31

Background and objectives:Traditional Japanese sweets are very popular and are often eaten in middleage and elderly people. A lot of traditional Japanese sweets are made from adzuki bean paste, which is called “An”. Adzuki beans are a good source of carbohydrate as well as of protein, because they are starchy pulse. Resistant starch(RS)escapes digestion until reaching colon and acts like dietary fiber. Recently, many researchers suggest taking this new type of dietary fiber for our health benefits. The purpose of this study was to investigate that the effect of different cooking times on RS contents and particle morphology of adzuki bean paste “An”.Methods:Adzuki beans were boiled 50, 70, 90 minutes with five times volume of water. After grinding, the mixture was strained through a sieve in order to remove husk and put into cheesecloth. Then, 6kg of stone was placed on the cheesecloth for 1 hour to dehydrate “An”. Each treatment of “An” was analyzed RS contents and observed “An” particles by optical microscope.Results:RS contents of “An” of 50, 70, 90 minutes cooking time were 6.4%, 5.0%, 4.4%, respectively. These results showed that the longer adzuki beans were cooked, the less amounts of RS were formed. Optical microscope observation showed that longer cooking time increased damaged or ruptured “An” particles.Conclusions:These results indicated that damaged “An” particles had more digestible than intact “An”particles. It might be possible that intact “An” particles resist digestive enzymes. Furthermore, starch inside ‘An’ particles might be altered their structure during cooking. These change would be affected RS contents of adzuki bean paste “An”.
著者
越中 康治 目久田 純一 淡野 将太 徳岡 大
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education
巻号頁・発行日
no.54, pp.425-432, 2020-01-30

本研究の目的は,国民意識(国家的遺産への愛着,愛国心,国家主義,国際主義)と道徳教育均質化志向及び道徳の教科化に対する態度との関連について検討を行うことであった。教員を対象とした質問紙調査の結果,道徳教育均質化志向については,国家的遺産への愛着・愛国心・国家主義との間に正の相関,国際主義との間に負の相関がみられ,重回帰分析では国家的遺産への愛着から正の関連,国際主義から負の関連がみられた。また,道徳の教科化への賛意については,国家的遺産への愛着及び愛国心との間に正の相関がみられ,重回帰分析では国家的遺産への愛着から正の関連がみられた。これらの結果を踏まえ,国家的遺産への愛着が道徳教育均質化志向を媒介して道徳の教科化に対する態度に影響するかを検討するために間接効果の検定を行った結果,間接効果の有意性が確認された。すなわち,国家的遺産への愛着と道徳の教科化に対する賛意との関連性は,道徳教育均質化志向を介在させることによってよりよく説明された。
著者
川﨑 惣一
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
no.53, pp.37-48, 2019-01-31

本論の目的は、「人はなぜ謝罪するのか」という問いに対して哲学的なアプローチを試みること、そしてそれによって、謝罪というテーマに関する一定の見通しを得ることにある。 一般に、謝罪の目的は「過去の過ちを償うこと」にある、と理解されているように思われる。しかし、過去を書き換えることはできないし、後悔や自責の念だけでは、私たちを謝罪へと促す理由としては十分ではない。むしろ謝罪は、未来における個人の人格的な評価を高め、人々との間の関係をよりよいものにするために為される、と理解されるのがふさわしい。 私たちは、個別の行為をその担い手である人格に結びつけて理解するという傾向を持っている。過ちとされる行為は、その担い手である人格の評価を著しく下げるであろうし、反対に、加害者は謝罪することによって自らの人格的評価を高めることができるであろう。ただし、謝罪によって加害者が後悔や自責の念から解放されるかどうか、被害者が苦しみや傷つきから癒されるかどうか、加害者が被害者から赦しを得られるかどうかといったことは事前に確実に予測できることではなく、その意味で謝罪はつねに「賭け」である。それでも人があえて謝罪に踏み切るのは、加害者たる自分自身および被害者、そして両者を取り巻く人々のよりよい在り方とお互いのよりよい関係の構築を目指してそれを実現したいと願うからである。 したがって、謝罪の意義は〈加害者と被害者、および両者を取り巻く人々との間によりよい人間関係を(再)構築すること〉にあり、私たちが謝罪する根本的な理由は、私たちが社会的かつ倫理的存在であり、未来において、他者たちと共に、幸福でより善い生を送ることを望むからだ、と言うことができる。
著者
石田 雅樹
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.39-47, 2015-01-28

ウォルター・リップマンが『世論』(1922)で安易な「世論」民主主義を批判し、政治の実践においては専門家の知性の活用を重視していたことはよく知られている。しかしながら、この専門家の知性の活用は統治者だけではなく、「世論」を生み出す「一般公衆」へも向けられていることについては、これまでほとんど注目されてこなかった。またさらに「世論」の偏向を是正する取り組みとして、今日で言うところの「メディア・リテラシー」への言及があることも考察の対象とされてこなかった。本稿はこれまで軽視されてきたリップマンの「市民教育」論、あるいは「メディア・リテラシー」論に光を当て、それが「世論」改善にどのような役割を果たすのかを明らかにした。
著者
堀田 幸義
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.279-302, 2017-01-31

日本近世史分野では、身分制研究の進展を背景に、大名家の家臣団のなかでどの階層からが世襲の武士身分であったのかという点が議論されており、一方、武士身分とは誰が認定するのかといういう点についても研究されている。 本稿は、以上のような認識のもと、「武士身分の者」の多さが特徴とされる仙台藩の武士身分について整理するものである。果たして、仙台藩の領内では誰が武士として認められたのか、いわゆる武士身分であると認められる存在について、直臣、陪臣、金上侍、浪人まで含めて考察を加え、同藩における武士身分の重層的なあり方を論じたものである。 なお、その過程で従来の研究の誤りや等閑に付されてきた点についても言及している。
著者
小島 雪子
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
no.48, pp.315-326, 2014-01-27

「虫めづる姫君」が生まれたのは、社会と仏教との相互浸透が加速した時代であり、仏教の言葉、観念の他の領域への流用、何らかのずれを生じざるを得ない引用は、同時代においては広くみられる言説のありようであった。しかも、そうした仏教の言葉への依拠は、何らかの権威をまとい、自らの述べるところを正当化するためになされてもいたのである。姫君の発言のいくつかにも同様のあり方が認められるが、その過剰さ、ちぐはぐさゆえに、通常は見過ごされてしまいがちな同時代の言説のあり方を意識化することを読者に促す可能性をもっていると考えられる。また、この物語は、人々の信仰のあり方を問題化する側面をも潜在化させている。平安貴族の多くは、日常生活の場においては、仏教の根本にふれるような教えを内面化していたとは言い難く、信仰を使い分けていた。姫君の笑われるべきちぐはぐなありようは、実は相対立するかにみえる周囲の者たちのありように通じるものでもある。物語は、明るくにぎやかな笑いの中に、姫君の過剰でちぐはぐなありさまを語りながら、まっとうに見える人々の仏教とのかかわり方がどのようなものであるのかに改めて気づかせる側面をももっている。
著者
石田 雅樹
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.57-67, 2016-01-29

ウォルター・リップマンの政治思想は、その「世論」民主主義批判の文脈において「エリート主義」「保守主義」と解釈され、ジョン・デューイらリベラリズムの論敵として理解されてきた。しかしながら、リップマンの「政治」と「教育」をめぐる議論を検証すると、そこにはニつの政治教育論が存在し、一方はデューイらと同様に学校教育を通じてアメリカ社会を民主的に変革するものとして、他方はそれとは別の教育論理でアメリカのリベラル・デモクラシーを再構築するものとして描かれていることに気づく。本論はこれまで論じられてこなかったこのリップマンにおける二つの政治教育論を取り上げ、一方の政治教育論が「市民教育」[メディア・リテラシー」「知能テスト批判」をキーワードとして市民の政治知識の向上に寄与するものであり、他方が「コモンローの精神」「公共哲学」「文明的作法」をキーワードとして一般公衆の精神的陶冶を強調するものであることを明らかにした。
著者
吉村 敏之
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.305-315, 2016-01-29

群馬県島小学校において、船戸咲子の学級から「~ちゃん式まちがい」「想像説明」という、授業の方法が生まれた。この方法は、校長の斎藤喜博によって「定石」とされたものの、船戸の卓越した感覚と力量によるところが大きい。子ども一人ひとりのよさをとらえること、子どもどうしを結びつける問題をつくること、自分の考えを明確にして他人の考えと比較できる子どもを育てることなどから、個々が伸びる集団がつくられた。学級が「学習集団」として組織されたことにより、個人も成長し、集団も発展した。
著者
香曽我部 琢
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.171-180, 2016-01-29

本研究では、保育者が熟達者へと成長していく過程で、自らが所属する実践コミュニティとどように相互作用してきたのか、その実相を明らかにし、保育者の成長に与える実践コミュニティの影響について総合的に検討を行う。具体的には、保育者の自己形成について、実践コミュニティがどのような影響を与えてきたのか、SCAT (Steps for Coding and Theorization)によって得られた構成概念をもとに対話的自己モデルを構成し、分析を行う。その結果、実践コミュニティの変容が、(i)保育実践コミュニティの成員性の獲得期、(ii)同じ保育所の保育士との保育実践コミュニティの活性期、(iii)他の保育所の保育土や保護者へと保育実践コミュニティの拡大期、(iv)保育実践コミュニティと保育研究会の融合、地域住民と自然環境の内含期、以上4つに時期区分できることが明らかになった。そして、保育者の実践コミュニティが、特定の仲間を軸に量的、質的な両面からの影響を受けて、自らの保育実践コミュニティにおいて組織アイデンティティを強め、さらにナレッジ・システムを構成することが示唆された。
著者
津田 智史
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education
巻号頁・発行日
vol.52, pp.9-17, 2018-01-31

本稿は、ことばの教育としての国語教育を目指し、そのために何が必要であるかを明らかにするものである。ことばの教育のためには、なにより日本語学(理論面)と国語科教育(実践面)の協働が必要である。知識の精選が日本語学分野には求められ、国語科教育分野には、知識の理解と授業の工夫が求められる。殊に、文法教育においては、暗記に偏向しない授業の工夫検討が必要である。その点で、両分野共に、協働と意識改革の姿勢が必要となることを示す。