著者
小菅 健一
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.1-12, 1997-12-10

村上春樹の処女作である「風の歌を聴け」の総合的な作品論を展開していくために、これまで、考察の前提条件、つまり、作業仮説として、作品全体の性格や位置付けを包括的に捉えるために、前々稿として、第1章を論の中心に据えて、そこに呈示されている<文章>・"空自"・<リスト>というキーワードに注目して、表現論的な視点から、作品の正確な措定を試み、前稿として、「風の歌を聴け」という<物語>の語り手であるとともに、主人公でもある<僕>の初期設定の問題ということで、幼年時代に自閉症気味で非常に内向的な性格であったという、生い立ちに関するエビソードをめぐって、作品における<僕>という存在の性格設定の持っている様々な意味を考察、そして、本稿は、それらを踏まえて、<僕>と<鼠>の交友関係を中心に、ジェイや左手の小指がない<彼女>を相対化の視座として、他者との関わりにおいて顕著になってくる、<僕>の存在としての問題点を、関係性の枠組みから明らかにしていこうとしたものである。
著者
白倉 一由
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.15-28, 1995-12-10

近松世話浄瑠璃のこの期の作品の特色は内容の複雑化と人物の性格・思考・行動の現実化である。主人公善人、副主人公悪人の構想ではなく、主人公副主人公共に実存的・現実的になっているのである。この作品は主人公中心でなく、副主人の貞法・由兵衛が重要の人物であり、特に貞法の見解はテーマの構成に大きく関わっている。貞法の考えは個人的な愛より、家を存続させ維持させる事であった。主人としての世俗的の発想であった。二郎兵衛おきさの愛は初めは自己中心的なエロスの愛であった。二郎兵衛のおきさへの愛は男の一分であり、人間として誇りを持って菱屋に居る事であった。このおきさへの愛は貞法の考えと対立するようになっていく。家の存続と維持は大切な事であったが、人間性の立場に立てば、限界があり、全面的に肯定する事は出来なくなる。二郎兵衛おきさの愛は次第に罪の意識と共に献身的な他者への愛に生きるようになり、宗教の発想と共に死の通行となるのである。自己を罪の意識において他者への献身的愛と家の存続と維持のモラルとの葛藤が主題である。
著者
武田 武長
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.1-15, 1996-12-10

戦後日本のキ-スト教にとって、克服しなければならない過去、清算しなければならない過去-それも日本のキリスト者にとって特別な最も深刻な過去とは何かを考えることは、いぜんとして根本問題である。これは、その日本のキリスト教の根本問題を、戦時下のドイツのキリスト教との同時代史的な比較をとおして、天皇制とのかかわりで明らかにしようとしたものである。戦後五十一年の今あらためて日本のキリスト教の過去を真攣にふりかえるならば、戦時下におかされたその罪が単に戦争協力という程度のものではなかったことは明らかである。それは、「国民儀礼」という名のもとに天皇教儀礼を受け入れ、神と並べて「天皇」と「皇国」を置いた罪、その実は「天皇」と「皇国」を神の御座の上に置いた偶像礼拝の罪であった。これは日本のキリスト教にとってまことに深刻な過去である。本来は、この過去の克服をぬきにして戦後の日本のキリスト教の再出発はありえなかったはずである。それはキリスト教会についてばかりでなく、キリスト教系学校についても妥当することなのである。
著者
斎藤 信平
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.80-68, 2001-02-28

英国の風景庭園は理想的風景画家、クロード・ロランやニコラ・プッサンらの影響を受けて発展していった、というのが大方の見方である。しかし、理想的風景画が英国に持ち込まれた時期にはすでに、初期の風景庭園の実験的な試みが始まっていた。更に風景画に霊感を感じて風景庭園を造ったという説明では、当時のイギリス人の空間認識を十分には言い表わしてはいない。本論では、特に理想的風景画における遠近法の空間処理に焦点を合わせ、当時のイギリス貴族がどのような経過から庭園の塀を飛び越し、自然と一体になるという認識のなかで、理想的風景画の美意識を造園における美意識へと転換し利用するに至ったかを、特に18世紀初頭を一つの転換点として捕らえることで論じた。
著者
杉山 哲司
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.174-165, 1996-12-10

本研究はコンタクトスポーツにおける攻撃行動の特質と性差を明らかにすることを目的として、コンタクトスポーツに参加する男女923名を対象として、質問紙法による調査を行った。因子分析の結果6因子が抽出され、その相関関係の分析からスポーツ場面における攻撃行動の特質が明らかとなった。攻撃的なプレイをすることは、ラフプレイのような報復的攻撃との間には全く関係がなく、達成動機との関連性が高いことが明らかになった。各因子について性差を分析した結果、報復的攻撃では男子の方が有意に高かったが、闘争心などでは性差は見られなかった。種目別、男女別に分析すると女子の方がスポーツにおける攻撃性が高くなるという結果もみられた。スポーツ場面での攻撃行動がスポーツ種目に応じて必要とされる、状況に特有の行動であることが示唆された。以上のような結果に対し考察がなされた。
著者
稲垣 伸一
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.132-122, 1997-12-10

ヘンリー・ジェイムズ『カサマシマ公爵夫人』は、不幸な出生の秘密を持ち自らのアイデンティティーを獲得しようとする主人公の苦悩の物語である。彼の苦悩する姿からは他の登場人物との間で互いが相手を見るという交錯する視線の関係が認められる。そしてその互いの視線によりある種の権力関係と、見る対象のフィクション的要素を読み取ることができる。一方この作品は技法上自然主義的要素と同時に全知の語り手の不在という特徴を持つ。これらは作者が作品内で身をおく位置つまり視点の問題を提示する。本稿では、テーマと形式両面に認められる視線をめぐる問題について検討しながらフィクションと現実認識の関係について考察していきたい。
著者
戸田 勉
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.47-57, 1992-12-10 (Released:2020-07-20)

本稿は、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』第二挿話「セイレーン」における技法「カノン形式のフーガ」の一側面を考察したものである。これまでこの技法に関して繰り広げられてきたさまざまな議論を踏まえつつ、フーガ形式の模倣反復という特質を「逃走」と「追跡」という動きに還元し、その観点から挿話全体の構成を分析した。一では、人物の外面的な動きを中心に考察し、ブルームにとってセイレーンとは誰(何)かについて探った。二ではーブルームの内面的な動きを追い、セイレーンの本当の姿について検討を加えた。三では、「丸刈り組」という曲とフルームの関係から、別な種類のセイレーンの正体を突きとめ、この挿話のもう一つの主題について考えた。
著者
西村 徹
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.50-43, 1997-12-10 (Released:2020-07-20)

企業内の研究所では、新技術・新製品開発が日夜進められている。この開発過程の中で発生する科学技術情報は、機密情報として、厳重な情報管理がなされており、簡単には社外に発表はできない仕組みになっている。そのために、企業では、いち早く科学技術情報を入手するために、「公開特許公報」を情報誌として重視し活用している。また、学会の年会等で配付される「講演要旨集」は、開催当初は情報価値が高いが、時間の経過と共に情報価値は落ちる。企業内技術情報が、オリジナルな、まとまった学術論文として、学協会等の学術雑誌に発表されるのは、長い時間を経過した後であり、情報としては古くなってからである。着想から発表までのタイムラグは、早くても数年を要しているであろう。
著者
白倉 一由
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.27-39, 1994-12-10 (Released:2020-07-20)

『心中宵庚申』の主題は中之巻・下之巻に表現されている。中之巻は平石衛門の家で、平右衛門の父親としての我が娘を思う諦観と意地更に願いが入り混じった複雑な親心を巧みに書いている。半兵衛は養父母の孝行・義理に自害しようとするが、ちよとの夫婦愛に生きようとする。中之巻の半兵衛ちよの夫婦の愛は下之巻において高められていく。下之巻は八百屋伊右衛門の家であり、姑・半兵衛・ちよの関係が語られている。姑とちよとは性格が違っており、理由なしに合わない。近松は姑と嫁ちよとの人間的本質性を問題にしている。半兵衛は姑に対して孝行するか、ちよと離婚するか姑に責められる。半兵衛はちよと離婚すると言う。しかし半兵衛はちよを愛しているので庚申の夜心中するのである。半兵衛は時代のモラルに生きようとするが、それ以上に愛に生きようとするのであり、愛の死が主題である。背後に仏教の信仰があり、封建制度に対する抗議がある。
著者
斎藤 信平
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.76-59, 2002-03-01

本研究ノートは、十八世紀の英国における独自の美意識の確立とその変遷を研究するために、大まかにその流れを辿ったものである。十八世紀の英国は、その歴史上初めて独自の文化形態を作り上げ、次にその文化を輸出した時期であることは間違いない。この英国独自の文化とはどのようなものであり、またどのような経緯で形成され、大陸に影響を与えるまでになったのか。文化の受容から発信へいかに変化していったのか。このようなテーマのもとにこのノートは作成された。
著者
荒井 直
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.13-27, 2000

(一)で、「表現文化」と「ギリシアの演劇」とを関連づける課題を示す。(二)では、(1)「表現」は実体としてあるのではなく、人間の主体的享受過程を媒介にした現象として成立すること、(2)「文化」の「表現」には直示・共示が重層していることを例示する。(三)では、「表現」・「文化」を軸にして何らかの現象を扱う場合、(1)「表現文化」はその対象の大きさゆえに原理的に基礎論や方法論が整備され得ないため、「ディシプリン」として研究・教育が不可能だろうという問題点が予想されること。しかしその反面で、とくに(2)「表現」という概念は、研究の伽になっているような不要な概念を再検討するため、また従来の専門の枠を超えて自由に対象にアプローチするため、有効に機能する可能性があること。この二点を論じた。(四)において、ポリス・アテナイの「民主政につよく規定された文化」のなかに、ドラマ上演という「表現=行為」を位置づけるというアプローチが、ドラマのもつ文化=政治的アスペクトの理解において有効であること管見する。(五)には、いささか主観的な考えを述べた。
著者
鈴木 武晴
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.1-12, 1994

本稿は、萬葉集巻第十八に収められている大伴家持の「史生尾張小咋(ししやうをはりのをくひ)を教へ喰(さと)す歌」(前文・四一〇六〜四一〇九番歌)の長歌四一〇六番歌の「波居弖」の本文と訓について考察したものである。四一〇六番歌の本文は、伝来の途上損傷を受け平安時代に補修された蓋然性が高く、問題を持つ。「波居豊」も問題箇所の一つである。この「波居弖」の本文についての諸説のうち、「波」と「居弖」の間に「奈礼」の脱落があると見て「波奈礼居弖」(離(はな)れ居(ゐ)て)を萬葉集原本の本文と捉える説と、「波」は「放」の誤写であると捉 (ゐ)えて「放居弖」(放(さか)り居(ゐ)て)を原本の本文とする説の二つの説が有力候補として残る。そこで、その二つの本文のうちいずれが妥当か、「はなる」と「さかる」の語義・用法、文脈への適応、原文表記等の観点から詳細に検討した。その結果、誤写説の本文「放居弖」(放(さか)り居(ゐ)て)を原本の本文と推断した。この「放居弖(さかりゐて)」は反歌の表現の形成に作用しており、反歌第一首四一〇七番歌の歌い起こしの「あをによし奈良にある」の表現は、この「放居弖(さかりゐて)」を具体化した表現と考えられる。
著者
山田 吉郎
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.33-43, 1998-12-10 (Released:2020-07-20)

立原道造は、詩人として本格的な出発を果たす以前の昭和六年、前田夕暮主宰の短歌結社白日社(機関誌『詩歌』)に入会し、一年ほど自由律短歌の創作を試みている。こののち立原は、短歌から身を引くのと踵を接する形で詩作に専念し、周知のように昭和詩史の上に清らかな独自の航跡を残してゆくのであるが、小稿は、立原の文学的生涯の中で初期の『詩歌』時代がいかなる意味を有するのか検討を加えたものである。当時の立原は、前田夕暮の散文集『線草心理』を耽読したと想像される。その『緑草心理』の感覚の美しさが若き立原にいかなる影響を与えたのかという点に焦点を据えて考察し、それをふまえた上で立原の自由律短歌作品の特質を分析した。死と虚無感の揺曳、夢と現(うつつ)のあわいを縁どる少年性といったモチーフをはらむ立原の文学世界を、現実的社会的側面を重視しがちな当時の短歌界の潮流や、さらにモダニズムの大きなうねりと対比させつつ考察を進めた。
著者
越沢 浩
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.156-139, 1995-12-10 (Released:2020-07-20)

The Longest Journey(1907)は、その作品としての評価が劣っていることは作者自身認めているのだが、書いたことを最も嬉しく思っている作品であるとも言っている。一つには作者の伝記的要素が非常に多いことがその理由であろう。この作品の英語は現代英語ではあるが、非常に分かりにくく、また、プロットが把握できない程に、人物の心理や情景の描写が詳細である。女性の描写が余りはっきりしないのは、作者のhomosexualityに起因しているかもしれない。とにかく非常に理解しにくい作品である。最初に梗概を述べ、次に主人公のRickieの友達であるAnsellの視点を追ってみた。哲学を専攻しているAnsellがHegelを読み過ぎたために、特別研究員の選考に失敗したことから、彼の物の考え方には当然その影響があると言えよう。「使徒会」の支配的な思想はG.E.Mooreの哲学であって、 MooreがHegelの哲学に反対していたことは当時の常識と思われるので、Ansellに関しての説明は思いつきではないだろう。 Rickieの運命に対するAnsellの見方はその立場から理解すると納得出来ると思う。少なくとも、自分にとって現在考えられる範囲において、この作品の意味が解明できる視点であると言える。
著者
齊藤 育子
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.110-98, 1992-12-10

信頼は、あらゆる人間的生の欠くべからざる前提である。にも拘らず、現代は正に信頼の喪失によって特徴づけられる。今日頻発している無漸で冷酷・非道な大小各種の犯罪も、所詮はこの信頼喪失の必然的結果である。この危機から脱出可能な道があるとすれば,それは本質的に、他者に対する、そして文化と生の全体に対する新たな信頼関係を獲得し直す以外にはあるまい。それゆえ、信頼の本質とその人間形成上の決定的役割について省察することは、現代の中心的課題である。わけても、教育実践の場における教師と生徒との信板関係の再構築は急務である。そこで本稿では、人間存在(人間であること)と人間形成(人間たらしめること)にとって必須・不可欠の信頼について、第一節では、その端緒としての「母と子」の生理・心理・精神的関係を、第二節では、子供の生活圏の拡大に伴う信板の展開を、第三節では、シュタンツにおけるペスタロッツィの教育実践の具体相の分析を通じて、信頼の教育的意味を、そして最終節では、特に教師の側に焦点をおいて,信板をめぐる本質的諸問題を考究した。
著者
白倉 一由
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.1-14, 1999-12-10

小尾守彦の人格と彼の俳語の世界の究明である。八ヶ岳南麓は江戸時代後期農民の間に教育と俳語が盛んに行われたが、その功績は小尾守彦に負うところが大きい。当時里正であった小尾守彦は行政の責任者であったが、蕉庵の三世宗匠でもあり、彼の人格とあいまって、多くの人達が彼の下に集まった。五町田村は八ヶ岳南麓の文化の中心であった。小尾守彦は蕪庵の三世宗匠になったが、この宗匠委譲に大きな力になったのが、馬城ではなかったかと思われる。馬城は『一茶全集第七巻』には大阪の人とあるが、蕪庵の馬城は五町田村の馬城であり、馬城は当時二人居たのである。『一茶全集第七巻』の馬城の注は誤りである。小尾守彦の人格と出自は現山梨県北巨摩郡高根町五町田七八一番地に建立されている漢文五百字の石碑に記されている。彼は人格者であり、教育者であり、行政の指導者であり、俳人であった。天保五年『土鳩集』を刊行する。県内のみならず江戸・信州その他全国から合計二九四人の句が掲載されている。守彦の没後、万延二年慈明忌に、四世宗匠彦貢が追善俳譜集『旭露集』を刊行する。この二句集によって、守彦と蕪庵の俳譜活動の全貌が究明される。蕪庵は蕉風俳語であり、彼の俳静は自然美の詳細な感受性、日常生活の断片的印象、人生の意義、人の生の理想を表現している。「蕪庵とその周辺の俳譜 一」は「日本文芸論集」第二二号に、「蕪庵とその周辺の俳語 二」は「日本文芸論集」第三一号に発表したが、今回の「蕪庵とその周辺の俳譜 三」は山梨英和短大紀要に発表することにした。