著者
林 信太郎
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

ブラタモリとはどういう番組か?「ブラタモリ」は NHK総合テレビで2008年から放送されているエンターテインメント・教養番組で,その視聴率は時として15%を超える。タレントのタモリ(以下タモリさん)がNHKの若手アナウンサーとともに各地を“ブラブラ”歩きながら謎解きをし,様々な発見をする。また,「案内人」という解説者の問いかけにより番組が進行する。謎解きの「お題」には,しばしば地質学や地理学に関連したものが登場し,地球科学のアウトリーチに大きな効果を発揮している。講演者は「#81 十和田湖・奥入瀬~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」メインの案内人として登場した。「ブラタモリ」:私の印象と案内人の責任 私の印象:番組中で見せるタモリさんの地球科学に関する広い知識は本物と強く感じた。また,タモリさんの発見能力,対象をじっくりと思考する真摯な態度は,たいへん印象に残った。また,案内人の私にコンタクトを取る以前に,担当ディレクター(地球科学の非専門家)は,文献から得られる情報はほとんど調べつくしていた。 案内人の責任:案内人には番組の科学的妥当性を担保するという社会的責任がある。「ブラタモリ」は地球科学者の視聴率も高く,常に誤りがチェックされている。実際,「ブラタモリ」と同時進行で,ツイッターで批判的意見をつぶやく地球科学関係者は多いし,自分でもたいへんそれを楽しんでいる。しかし,自分が案内人の場合はそのプレッシャーがことごとく自分にかかってくるのである。 番組の正確性の担保のため,案内人は調査に多大な時間をかける。講演者の場合,十和田湖や奥入瀬に関連した書籍や論文を100編以上参照した。また,案内人はこの他にロケハンやリハーサルの作業にも付き合い,番組の正確性を担保する。現場の確認(ロケハン)のために合計4日間,現地での(タモリさん抜きでの)リハーサルや最終確認のために3日を要した。実験とブラタモリブラタモリの番組内ではしばしば実験が解説の手段として用いられる。「#81 十和田湖・奥入瀬~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」では,カルデラ湖のでき方をココアとコンデンスミルクを用いて説明した。ココアの山の中にコンデンスミルクで見立てたマグマを置き,それを下から抜き取ることでカルデラ陥没を起こすという実験である。この実験は小中学生を対象に何度も試行したことがある。これまでの授業経験から,言葉での説明や図解でカルデラのでき方を理解させることが難しいことはわかっていた。そのため,番組にこの実験は必須だった。視聴者やタモリさんに,カルデラのでき方について納得させるだけではなく,ココアでできたカルデラの形状の観察も番組のその後の部分に繋がった。ブラタモリで実験が採用されるための必要条件? じつは提案はしてみたが,番組に採用されなかった実験も多い。その1例として「パリパリ溶岩実験」がある。先端を溶融したガラス棒を水につけ水冷破砕させるという実験である。ブラタモリの他の回の番組で2度提案したが,どちらも不採用だった。 「パリパリ溶岩実験」不採用の理由として考えられることは,「パリパリ溶岩実験」は1)ビジュアル的に地味である,2)ガラスと水という素材はあまり印象的ではない,の2点が挙げられる。もちろん,単に番組の編集作業の過程で提示する時間がないため削られただけという可能性もある。ブラタモリとアウトリーチ地球科学分野におけるアウトリーチ活動は, 1)研究資金の獲得;2:後継者の育成;3:一般社会に認知してもらうことの3点で重要である(鎌田,2004)。そのために地球科学で得られた成果を科学者の側からわかりやすく発信していく必要がある。ブラタモリのアウトリーチ効果は2つある。第1にブラタモリは多くの国民が視聴し,科学者の努力では到達し得ない多くの国民へのアウトリーチが可能である。第2に科学者に対する教育効果が大きいことがあげられる。ディレクターは番組をわかりやすくするために徹底的に努力し,科学者の側はそこに啓発される。また,担当ディレクターとのやり取りの中で,わかりやすさと正確さを両立させる方法を体験的に学ぶことができる。 ブラタモリの案内人になることは,多大なエネルギーと時間を使うことである。しかしながら,その大きなアウトリーチ効果を考えると(声がかかった)研究者は積極的に応じるべきであろう。
著者
尾方 隆幸
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

ブラタモリは,地理学的事象や地質学的事象をわかりやすく学ぶ機会を一般市民に提供し,地球科学の裾野を広げることによって,アウトリーチや生涯学習に高く貢献している。番組で扱われるストーリーは地理学や地質学のトピックスを多く含んでおり,それらが文学・農学・工学など,地球科学以外のトピックスともシームレスに連結している。地球科学のストーリー(ジオストーリー)をシームレスに構築する試みはジオパークでも盛んになされており,地球科学のアウトリーチにおいては重要な手法である。ジオストーリーを構築するにあたっては,数多くの科学的なデータに基づき,多彩なトピックスを精選する必要がある。ブラタモリで扱われる地球科学のトピックスに接するのは,一般市民だけではなく,地球科学の研究者や教育者も同様である。われわれ地球科学者は,自らの専門分野が番組でどのように扱われるかをチェックしており,同時に自らの専門分野が隣接分野とどのように繋がっているかを知る機会を得ている。ブラタモリのストーリーにみられる総合性とシームレス性は地球科学の教育・アウトリーチや科学コミュニケーションに対してあらゆる示唆を与えているが,それらは科学性を担保する案内人,科学的内容をわかりやすく伝える高い技術を持つ番組制作者,そして主役であるタモリ氏の高い教養に支えられている。
著者
高坂 宥輝 日置 幸介
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

2011年東北沖地震を契機に、大地震の前兆が地球の超高層大気である電離圏の全電子数(Total Electron content、TEC)変化として直前に現れることが、GNSS(Global Navigation Satellite System)衛星の2周波マイクロ波の位相差から見いだされた(Heki, 2011)。その後の数多くの地震前後のTECデータの解析により観測事実は充実していったが(e.g. He & Heki, 2017)、原因となる物理過程に関しては未解明な部分が多い。この前兆の存在は、本格的な断層滑りが始まる前に地震の最終的なサイズがある程度決まっていることを示唆し、地震学的にも重要である。現在考えられている地震直前のTEC変化のシナリオは以下のようなものである。地震直前に断層を一方の端から侵食(弱化)する過程が起こる際に、微小な割目や食い違いが岩石中に生じる。そこで過酸化架橋と呼ばれる格子欠陥が切断されて生じた電子の空隙(正孔)が電子の移動とともに岩石中を移動し、互いの反発によって拡散した結果地表に蓄積する。蓄積した正孔は大気中に上向き電場を作り、地震断層が大きい場合電場は超高層大気に達する。電離圏内では磁力線に沿った電気抵抗が極めて小さいため、磁力線に沿って荷電粒子が移動してその方向の外部電場を打ち消す誘導電場が生じる。その過程で震源上空の電離圏下端の電子密度が上昇し、逆に高高度の電離圏では電子密度が減少する。この構造は電離圏トモグラフィーで推定した2015年Illapel地震直前の電子密度異常の3次元構造からも支持される(He and Heki, 2018)。本研究では地震直前TEC変化の物理過程の解明に向けて、地震直前直後のTEC変化を、前兆が認められた18の地震(Mw7.3-9.2)について比較し、それらの間のスケーリング則を議論する。またそれらをスタックしたTEC変化標準曲線を導出し、物理過程のヒントを探す。上述のシナリオから考えると、地震とともに応力が解放され、新たな食い違いや割れ目の発生が起こらなくなると、地表の正電荷蓄積も停止し、TEC異常の成長も頭打ちになるだろう。導出した標準曲線から、地震発生時から音波擾乱が生じる約十分後までの間は、予測どおりTECは増加せず、ほぼ一定で推移することが示唆された。またTEC異常の蓄積曲線は地域性を持つ可能性がある。陸域に対する海域の割合が大きい地域の地震では、電気伝導度の高い海水中の電荷拡散が速く、電荷が地表に蓄積しにくい。そのためTEC異常の成長も早期に定常状態になるだろう。逆に陸域では電荷の消散が遅く、地震まで継続してTEC異常が成長するかも知れない。TEC標準曲線と各々の地震におけるTEC変化曲線との形の比較から、一見かなり違って見える各地震の地震前TEC上昇曲線の形の差異は小さく、地域性はそれほど顕著ではないことが示唆された。
著者
藤原 智 宇根 寛 中埜 貴元 矢来 博司 小林 知勝 森下 遊
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

1.はじめに 2016年熊本地震(M7.3)について「だいち2号」(ALOS-2)のSARデータを用いてその変位を面的に検出している。これらの地表変位の大部分は震源断層の断層運動で説明できるものの、震源断層から離れた場所で断層運動を示唆する線状の変位(リニアメント)が数多く見つかっている(Fujiwara et al., 2016)。 こうした特徴的な変位は、2018年6月の大阪府北部の地震(M6.1)や2018年北海道胆振東部地震(M6.7)でも捉えられており、それぞれの地震で現れた変位の数や変位量等は異なるものの、周辺状況から大地震に付随して発生した「お付き合い地震断層」と呼ぶべきものとなっている。 本講演では、これらのお付き合い地震断層の特徴について報告する。2.お付き合い地震断層に共通する特徴 お付き合い地震断層は、寒川他(1985)が駿河湾西岸南部地域の活断層について示したもので、単独に活動して大きな地震を引き起こしたものではなく、他の大きな地震の結果として断層が動いたもの、という考え方である。 これらのお付き合い地震断層に共通な特徴には下記が挙げられる。(1) 標準的な長さは数kmで、直線もしくはゆるやかな曲線状の変位が連続しており、断層を挟む変位量は数cmから数10cm程度である。(2) 震源断層から離れており、震源断層そのものや直接の分岐断層である可能性は低い。(3) 大きな地震動を出したとする証拠は確認されていない。(4) 自ら動かずに、受動的に動かされたと考えられ、大きな地震の原因ではなく結果としての断層変位が生じたと考えられる。(5) 地形と変位分布に相関があり、その地形的特徴から「活断層」と認識されていたものもあるため、過去から類似の運動が蓄積している可能性がある。(6) 走向や変位の向きは周辺の応力場と整合的である。3.地震毎の特徴3-1)2016年熊本地震(1) 全体で約230本のお付き合い地震断層が確認されており、検出された数が桁違いに多い。(2) 変位の形態は正断層が大部分を占める。(3) 場所ごとに、複数の断層の走向・間隔・深度・変位の向き・変位量等がほぼ一定で揃った「群」を形成している。(4) 九州中部の別府湾から雲仙にかけて、類似した形状の正断層群がいくつか存在しており、九州中部では、類似したお付き合い地震断層が発生してきている可能性がある。(5) 熊本地震の震源断層となった布田川断層帯・日奈久断層帯の断層モデルによるΔCFFでは、お付き合い地震断層の変位の成因を説明できない。3-2)2018年6月18日大阪府北部の地震(1) 有馬-高槻断層帯の真上断層と一致する場所でお付き合い地震断層が認められた。真上断層は1596年慶長伏見地震(M7.5)での変位が確認されている。(2) 右ずれ成分が卓越しているが、地表までずれが到達しているのではなく、ずれ成分の変位は数百mほどの幅をもって広がっている。(3) お付き合い地震断層直上では、南落ちの縦ずれ成分が見られる。(4) 地震前の長期の観測によれば、お付き合い地震断層を含むやや広い範囲が継続的に沈降している。(5) 大阪府北部の地震の本震による地殻変動はお付き合い地震断層以外でも小さく、最大でも数cm程度である。3-3)2018年北海道胆振東部地震(1) お付き合い地震断層を挟んで東西短縮の変位を示し、上下成分はほとんどない。このことから、低角逆断層を形成していることが推定される。(2) 地表面でのトレースが直線ではなく、地形に沿うようなやや複雑な曲線となっており、上記の低角逆断層の性質と整合的である。(3) 現時点で、お付き合い地震断層付近は活断層とは認定されていない。(4) 地震波探査(横倉他,2014)でお付き合い地震断層直下にずれが認められており、伏在断層として存在している可能性がある。
著者
箱崎 真隆 三宅 芙沙 佐野 雅規 木村 勝彦 中村 俊夫 奥野 充 坂本 稔 中塚 武
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

十和田カルデラ(青森県/秋田県)と白頭山(中国/北朝鮮)は、10世紀に巨大噴火を起こした。その痕跡はTo-aテフラ、B-Tmテフラとして、北日本の地層に明瞭に残されている。この2つの噴火は、それぞれ過去2000年間で日本最大級、世界最大級のものと推定されている(早川・小山1998)。しかしながら、この2つの噴火に関する直接的な文書記録は、周辺国のいずれからも見つかっていない。そのため、その年代は長らく未確定であった。また、年代が未確定であるために、人間社会や地球環境への影響評価も進んでいなかった。近年、白頭山の10世紀噴火の年代は、日本で発見された西暦775年の炭素14濃度急増イベント(Miyake et al. 2012)を年代指標とする「14C-spike matching」と、日本で実用化された「酸素同位体比年輪年代法」により、西暦946年と確定した(Oppenheimer et al. 2017, Hakozaki et al. 2018, 木村ほか 2017)。この年代は、早川・小山(1998)が日本列島と朝鮮半島のごく限られた古文書(「興福寺年代記」や「高麗史」)から読み取った「遠方で起きた大きな噴火」を示唆する記述と一致した。一方、B-Tmの年代が確定したことにより、十和田カルデラ10世紀噴火の年代に疑義が生じた。十和田カルデラ10世紀噴火は、「扶桑略記」における東北地方の噴火を示唆する記述や、ラハールに埋没する建築遺物の年輪年代をもとに西暦915年と推定されてきた。この915年を基準にTo-aとB-Tmの間に挟まる年縞堆積物をカウントし、上手ほか(2010)は白頭山の噴火年代を929年と推定していた。しかし、先のとおりB-Tmの絶対年代は946年であったため、上手ほかの推定から17年のズレがあることが明らかとなった。つまり、十和田カルデラ10世紀噴火は西暦946年から14年を差し引いて西暦932年である可能性が生じた。もし、これが正しいとすれば、扶桑略記の西暦915年の記述は、十和田カルデラ以外の火山で起きた噴火を示唆している可能性がある。最近、宮城県多賀城跡の柵木に、酸素同位体比年輪年代法が適用され、西暦917年の年輪が認められた(斎藤ほか 2018)。この柵は、考古学的調査ではTo-aテフラ(915年)の降灰前に築造されたと考えられてきた(宮城県多賀城跡調査研究所 2018)。その構造材に西暦917年の年輪が認められたことは、To-aテフラの年代と大きく矛盾する。さらにその構造材には樹皮も辺材も残存せず、伐採年は917年よりも後の年代であることが明らかである。本発表では、「14C-spike matching」と「酸素同位体比年輪年代法」という2つの新しい年輪年代法によって、白頭山や多賀城跡の木材の年代がどのようにして決定したのか、十和田カルデラ10世紀噴火の絶対年代の確定に必要な調査とは何かについて示す。
著者
林 能成
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

地震災害軽減において、地震予知への社会的な期待は極めて大きい。公的機関による大規模な地殻活動の観測を根拠にするものから、民間による根拠不明な予言レベルのものまで、多くの地震予知がかなり昔から試みられているが、現実には予知率、的中率、警報期間の3つ全てを実用レベルで実現しているものはない(泊, 2015)。国として進められてきた東海地震の予知と大震法に基づく社会規制という体制は、ターゲットとする地震を南海トラフ全体に広げる検討の中で後退し、2017年11月から「南海トラフ地震に関連する情報(臨時)」による控え目な対応へと変更された。現在、市民、企業、行政などで行動指針の策定が試みられているが、事前に出される可能性がある情報についての予知率や的中率に関する共通認識が得られているとは言い難く、非常に厳格な社会規制や対応が真面目に検討される場面が少なくない。また地震研究者の間でも、地震予知の実現可能性についての認識には幅があり、大地震に先行する現象がそもそも存在しないと考える者もあれば、観測や判定に関する知見が不足していると考える者もいるなど多様性がある。そこで地震前予測情報についての地震研究者の総合的な認識を明らかにするためのアンケート調査を行なった。アンケートでは地震の事前予測ができる、できないという単純な聞き方ではなく、地震予測情報を発表に至るまでのプロセスを以下の4段階に分解したのが特徴である。4段階とは、(1)地震に先行する現象の有無、(2)その現象の観測可能性、(3)観測された事象を異常と判定できる可能性、(4)異常と判定された場合に社会に向けて発表できるか否かで、各研究者の認識を0%から100%まで10%きざみの数値で回答を求めた。さらに、地震前に情報が出された場合に、市民が制限のある生活に耐えらられる期間に地震が起こる確率(的中率)についても、同様に0%から100%まで10%きざみの数値で回答を求めた。ほとんどの研究者はこれらの数字を判断する上で明確な科学的根拠を持っているわけではないが、地震に関する調査・研究を長年進めてきた経験に基づく相場観を聞いた形である。対象とした研究者は日本地震学会の理事、代議員、合計129名で、このうちの90名から回答を得た。地震学会の代議員は会員による選挙で選出されるため、同分野の中で一定の見識を持っている研究者が選ばれていると考えることができる。アンケートへの回答は2018年の日本地震学会秋季大会の会場において対面で依頼することを基本とし、それが不可能だった人にはメールによって回答を求めた。暫定的な集計結果では、情報を発表に至るまでの4段階いずれにおいても0%から100%まで回答には幅があり、地震学者の中でも地震の事前発生予測に多様な認識があることが明らかになった。各段階の平均値は(1)「現象の有無」47%、(2)「観測の可否」47%、(3)「判定の可否」28%、(4)「発表の可否」41%となり、判定を難しいと考える研究者が多い傾向にある。しかし、全ての回答が平均値に近い研究者は少なく、専門分野やこれまでの研究経験によって、4段階のどこが難しいと考えるかには明瞭な違いが見られた。観測に基づく地震の事前予測を行い、その警報を社会に発表するためには、この4段階全てを成功させる必要がある。そこで各研究者の4段階の回答全てをかけ合わせた数字を求めたところ平均値は6%という値になった。これは市民や行政が期待している値よりも低い(たとえば、静岡新聞, 2018)。また情報が発表された時に、地震が起きる確率(的中率)の平均値は22%であった。当日の発表では平均値だけではわからない、回答のばらつきも踏まえた解析結果を示す。多くの専門家は科学的誠実さにもとづいて「実用的な地震予知ができる可能性は低い」とこれまで述べてきたが、その真意は必ずしも社会には伝わってこなかった。受け止める側では、「低い=0ではない」=「0でないなら対策を決めなければならない」=「想定される地震の被害は大きいので厳重な警戒が必要」となり、地震が発生しなかった場合を考慮しない厳重な対応策を選択しがちであった。この種の情報を使いこなすためには、市民感覚に比べて極めて低い予知率、的中率で、さらに長い警報期間を前提にした、無理のない対応策の検討が求められる。
著者
小口 高 山田 育穂 早川 裕弌 河本 大地 齋藤 仁
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

日本地球惑星科学連合(以下連合と記す)には、2005年の発足時から地理学に関連する学会が団体会員として参加している。2019年2月の時点において、連合の50の団体会員のうち学会名に地理の語を含む学会が6つある。他に学会の英語名に Geographical を含む学会や、地理学と関連が深い地図学や地形学の学会なども参加しており、地理学は連合の中で一定の役割を果たしている。特に、連合の地球人間圏セクションでは地理学の研究者が主体的に活動している。一方、地理学関連の諸学会の会員の中で、連合の大会や活動に参加している人の比率は低い。この理由として、地理学者の過半を占める人文地理学者が理系色の強い連合に親近感を持たないことや、各学会が独自の春季大会等を行っており、連合大会と重複感があることなどが挙げられる。しかし、連合と地理学が強く結びつくことは、双方にとってメリットがあると考える。近年、文科省などが科学における文理連携・融合を重視しているため、連合の活動を理系の研究以外にも広げることが望ましいが、この際には文理の連携を長年実践してきた地理学が貢献できる。一方、2022年度に高等学校の地歴科で必修となる新科目「地理総合」において、自然災害や地球環境問題が重視されていることに象徴されるように、地理学の関係者が地球科学の素養を高める必要も生じている。本発表では、連合と地理学が連携しつつ発展していくための検討を行う。発表者は連合大会に継続的に参加している3世代の自然地理学者、人文地理学者、および修士まで工学を学んだ後に地理学のPhDとなった研究者の5名であり、多様な側面からの考察を試みる。
著者
大野 夏樹 中田 裕之 大矢 浩代 鷹野 敏明 冨澤 一郎 細川 敬祐 津川 卓也 西岡 未知
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

大規模な地震の発生後に地面変動や津波により生じた音波や大気重力波が電離圏高度まで伝搬し電離圏擾乱が発生することが知られているが,地震発生後の電離圏中での鉛直方向の伝搬を捉えた例は多くない.本研究で用いる HFドップラー(HFD)では, 異なる送信周波数(5.006,6.055,8.006,9.595 MHz)の電波を用いることで複数の高度での変動を観測することが可能である.国土地理院のGNSS連続観測システム(GNSS Earth Observation Network : GEONET)により導出されるGPS-TECのデータと合わせて,地震に伴う電離圏擾乱の変動について高度方向の変化に注目し,解析を行った.2011年3月11日 14:46(JST)に発生したM9.0の東北地方太平洋沖地震において,観測点( HFDの電波反射点)直下付近の地震計に変動が確認された.HFDでは地震計に表面波が到達した約9分後に菅平,木曽受信点の両データに変動を確認しGPS-TECでは約10分後に変動を確認した.津波から直接音波が到達するには約20分かかるため,変動初期の10分は地面の変動により励起された音波が上空に伝搬して発生したと考えられる。さらにHFD, GPS-TEC, 地震計のデータにより観測された擾乱の周波数解析を行った.地震計および比較的低高度電離圏で反射したHFDデータ(5.006,6.055 MHz)の変動は,3~20 mHzまで周波数成分を含んでいたが高高度で反射したHFDデータ( 8.006,9.595 MHz)は3~5 mHzの周波数成分が卓越していることが分かった.3~5 mHzは多くの地震に伴うTEC変動で卓越する周波数帯であり本イベントでも同様の変動が確認され,高高度で反射したHFDデータにおいて近い周波数成分をもつ変動が確認された.7~20 mHzの周波数成分は,地震波が励起した音波は高い周波数ほど高高度で減衰するため,8.006,9.595 MHzのデータでは変動が減衰したと考えられる.この変動について,他の受信点のHFDデータとGPS-TECデータ, 地震計データを用いて比較・解析を行っており,発表ではその結果について報告する予定である.
著者
馬場 章 藤井 敏嗣 千葉 達朗 吉本 充宏 西澤 文勝 渋谷 秀敏
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

将来起こりうる火山災害を軽減するためには,過去の噴火推移の詳細を明らかにすることが重要である.特に西暦1707年の宝永噴火については,富士火山では比較的例の少ない大規模爆発的噴火の例として,ハザードマップ作成でも重要視されている.宝永噴火は基本的にプリニー式噴火であったとみなされているが,火口近傍相の研究は多くない.また,宝永山については,脱ガスしたマグマの貫入による隆起モデルが提唱されており(Miyaji et al.,2011),さらにはマグマ貫入による山体崩壊未遂の可能性と,予知可能な山体崩壊の例として避難計画策定の必要性が指摘されている(小山,2018).本発表では,宝永噴火の火口近傍相の地質調査・全岩化学組成分析・古地磁気測定などから新たに得られた知見をもとに,宝永山の形成過程について考察する.富士火山南東麓に位置する宝永山は,宝永噴火の際に古富士火山の一部が隆起して形成されたと推定されてきた(Tsuya,1955 ; Miyaji et al.,2011).しかし,赤岩を含む宝永山には多種多様な類質岩片は認められるものの,主には緻密な暗灰色スコリア片、火山弾から構成され,斑れい岩岩片や斑れい岩を捕獲した火山弾も認められる.それらの鏡下観察・全岩化学組成分析・古地磁気測定から,赤岩を含む宝永山は,Ho-Ⅲでもステージ2(Miyaji et al.,2011)に対比され ,マグマ水蒸気爆発による火口近傍の降下堆積物ないしサージ堆積物と推定される.また,宝永第2・第3火口縁,御殿庭の侵食谷側壁は,宝永噴火の降下堆積物で構成されており,ステージ1のHo-Ⅰ~Ⅲ(Miyaji et al.,2011)に対比される.侵食谷の基底部に白色・縞状軽石層は現時点において確認できないものの,下位から上位にかけて安山岩質から玄武岩質に漸移的な組成変化(SiO2=62.8~52.2wt%)をしている.そして,宝永第1火口内の火砕丘,宝永山山頂付近,御殿庭の侵食谷から得た古地磁気方位は,古地磁気永年変化曲線(JRFM2K.1)の西暦1707頃の古地磁気方位と一致する.これらの新たな知見に加えて,宝永噴出物のアイソパック(Miyaji et al.,2011),マグマ供給系(藤井,2007 ; 安田ほか,2015)と史料と絵図(小山,2009)も考慮し,宝永噴火に伴う宝永山の形成過程を推定した.宝永山はわずか9日間で形成された宝永噴火の給源近傍相としての火砕丘である.1.玄武岩質マグマがデイサイト質マグマに接触・混合したことで白色・縞状軽石が第1火口付近から噴出し,偏西風により東方向に流された(12月16日10~17時頃,Miyaji et al.,(2011)のUnit A,Bに相当).2.火口拡大に伴って第1火口の山体側も削剥され,多量の類質岩片が本質物と共に東~南方向に放出し,宝永山を形成し始めた(12月17日未明,Miyaji et al.,(2011)のUnit C~Fに相当).3.第1火口縁の地すべりによる火口閉塞ないし火口域の拡大により,噴出中心は第2火口に移行した(12月17~19日、Miyaji et al.,(2011)のUnit G~Iに相当).4.火口閉塞した類質岩片が噴出されることにより,噴火中心は第1火口に遷移し,断続的なマグマ水蒸気爆発により宝永山(赤岩)が形成された(12月19~25日、Miyaji et al.,(2011)のUnit J~Mに相当).5.噴火口が第1火口に限定されることで類質岩片の流入が止み,玄武岩質マグマによるプリニー噴火が6日間継続したのち,噴火が終了した(12月25~30日,Miyaji et al.,(2011)のUnit N~Qに相当).
著者
西川 友章 松澤 孝紀 太田 和晃 内田 直希 西村 卓也 井出 哲
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

Subduction zone megathrust earthquakes result from the interplay between fast dynamic rupture and slow deformation processes, which are directly observed as various slow earthquakes, including tectonic tremors, very low-frequency earthquake (VLFs) and slow slip events (SSEs), and indirectly suggested by a temporal change in the frequency of repeating earthquakes and the occurrence of episodic earthquake swarms. Some megathrust earthquakes have been preceded by slow earthquakes and terminated near the areas where slow earthquakes were frequently observed. While capturing the entire spectrum of slow earthquake activity is crucial for estimating the occurrence time and rupture extent of future megathrust earthquakes in a given subduction zone, such an observation is generally difficult, and slow earthquake activity is poorly understood in most subduction zones, including the Japan Trench, which hosted the 2011 Mw9.0 Tohoku-Oki earthquake. Here we reveal the slow earthquake activity in the Japan Trench in detail using tectonic tremors, which we detected in the seismograms of a new ocean-bottom seismograph network, VLFs, SSEs, repeating earthquakes, and earthquake swarms. We show that the slow earthquake distribution is complementary to the rupture area of the Tohoku-Oki earthquake and correlates with the structural heterogeneity along the Japan Trench. Concentrated slow earthquake activities were observed in the afterslip area of the Tohoku-Oki earthquake, which is located to the south of the fore-arc geological segment boundary. Our results suggest that the megathrust in the Japan Trench is divided into three segments that are characterised by different frictional properties, and that the rupture of the Tohoku-Oki earthquake, which nucleated in the central segment, was terminated by the two adjacent segments.
著者
鎌谷 紀子
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

1 はじめに日本では、北朝鮮付近を震源とする、自然地震ではない可能性がある地震波を気象庁が観測した場合は、気象庁は即座に首相官邸に連絡するとともに記者会見を開き、その事象のパラメーターを発表する。そして、過去に行われた北朝鮮の地下核実験や自然地震の波形と比較した資料を提示して、S波が不明瞭であるなどの地震波形の特徴を根拠として「自然地震ではない可能性がある」との説明を行う。これらの記者会見の資料は、気象庁ホームページで公開される。しかし、核実験の探知は気象庁の本来の業務ではないため、公に発表される解析結果はここまでである。また、CTBTO(包括的核実験禁止条約機構)のデータをもとに核実験を監視する機能を担うNDC1(国内データ・センター1)である気象協会は、核実験が行われた際には地震波形の解析を行うが、監視業務の委託元である日本国際問題研究所ホームページで公表されるのは、「爆発事象の特徴を有する波形であるので、この事象は核爆発を含む人工的な爆発事象である」といったシンプルな報告のみであることが多い。核実験の探知は日本の安全保障上重要な事柄であり、日本の研究者が核実験探知技術を研究することは重要である。今回は、これまでに日本語の文献で公表された、日本における地震波による核実験探知の研究についてレビューする。2 事象を記録していた時代現在入手できる最も古い文献は、久保寺・岡野(1960)であると考えられる。久保寺らは、1958年6月及び7月に米国がビキニ環礁で行った水爆の実験で、微気圧振動が到達するのと同じ時刻に、長周期地震計にも周期9分~1分程度の長周期の波動が記録されていたことを報告しており、それは、気圧変動によって地震計の振り子部分に浮力変化が生じたからであろうとしている。また、気象庁観測部(1972)は、1971年11月7日(日本時間)に米国によってアリューシャン列島アムチトカ島で行われた、TNT火薬約5メガトン級と言われる最大級の地下核実験による地震波形の記録を、ほぼ全国の観測点分掲載している。3 自然地震との識別に関する研究核実験を自然地震から識別するための研究は、主に松代地震観測所における地震波形を用いてなされている。山岸・他(1973)は、地下核実験のP波のスペクトルは短周期の波が卓越していることを述べた。また、大規模な地下核実験であれば、Msとmbを比較すれば識別は可能、と結論づけた。関・他(1980)は、地下核実験でも規模が大きくなるとS波や表面波が観測されることを指摘した。涌井・柿下(1986)は、MbとMSの比を使う識別方法は、大規模な地下核実験にしか適用できないことを指摘した。鎌谷(1998)は、複雑度、スペクトル比、周波数3次モーメントを使って、松代地震観測所の短周期上下動成分で観測された米国ネバダ州と中国シンチャンを震源とする地震波形を解析し、Mb5.3以上のイベントでは地下核実験の複雑度は全て1.00より小さいことを示し、自然地震からの識別には複雑度が最も有効であると述べた。岡本・神定(2007)は、2006年10月9日の北朝鮮による地下核実験について、松代の他、IRISの牡丹江と仁川の地震波形も解析し、PnやPgは自然地震のものと比較して高周波数に卓越していること、P波輻射は爆破震源に見られる等方輻射パターンであること等を示した。また、小山(2007)は、同じ実験について、松代の短周期地震計波形を使用して複雑度とスペクトル比を求め、複雑度よりもスペクトル比の方が識別しやすいとした。菊池(1997)は、1995年~1996年の中国とフランスによる核実験について、IRIS観測点の波形を用いてモーメントテンソルを求め、3つの主値の組み合わせが自然地震とは明らかに異なることや、核実験の震源としては中国は針状、フランスは円盤状のものが推定されることを示した。菊池は、震源の深さが数キロ未満で、かつ、Msとmbの差が大きい地震についてモーメントテンソルを求めることにより効率的に核実験の監視ができるであろうと述べた。これらの他、石川・他(1988)、森脇・石川(2007)、石川(2007)は、松代地震観測所における地下核実験の観測能力等について調査を行っている。また、吉澤(2008)は、IRISと防災科学技術研究所のF-netの地震波形を用いて各相の震幅や見かけ速度を求め、日本海の地震学的構造を論じた。4 今後に向けて日本における地震波による核実験探知の研究は、最近10年間はあまり進展していない。今後は、CTBTOとも連携しながら、核実験の識別技術について世界の研究成果を学ぶ努力が必要である。また、世界の地震波形を解析することにより、地下核実験の識別技術を高める研究を日本でも継続的に進めていくことが重要である。
著者
小山 真人
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

1707年富士山宝永噴火の火口は、これまで富士山南東斜面にある火口列(宝永第1〜第3火口)とされ、その脇にある宝永山は宝永噴火中のマグマの突き上げによって古い地層(古富士火山の一部)が隆起したものと解釈されていた(宮地・小山, 2007,「富士火山」;Miyaji et al., 2011, JVGRなど)。しかしながら、最近の台風通過による露頭状況の改善後に現地の地形・地質を見直した結果、従来の考え方と異なる結論に達したので報告する。宝永山付近の地質と赤岩の成因宝永山の山頂近くの赤岩に露出する凝灰角礫岩(ATB)は、1)黄褐色をして変質・固結が進んでいること、2)山体の傾斜とは不調和な南西方向に傾斜し、周囲の地層と不整合関係に見えること、3)宝永山の膨らみが宝永第2火口底を変形させたように見えること、4)周囲には見られない複数の断層が観察されることから、古富士火山時代の古い地層が宝永噴火の際に隆起して地表に露出したものと考えられてきた。しかしながら、地質調査ならびにドローンを用いた近接撮影画像とそれらのSfM(Structure from Motion)解析の結果、ATBは未固結・新鮮な降下スコリア(宝永スコリア:図のHSc)と指交関係にあり、従来考えられていた不整合は見当たらない。また、ATBは、着地時の高温で周囲を焼いた新鮮な火山弾・火山礫を含む。これらの観察事実から、ATBは宝永噴火堆積物の一部と考えられる。黄褐色の変質部分は、おそらく噴火時かその直後の熱水変質によるものであろう。また、第2火口底の「変形」は、HScが風下の東側に厚く堆積したことと、堆積後の斜面移動の影響と考えて矛盾はない。なお、赤岩表面の断層群には南東傾斜と北西傾斜の2系統(走向はともに尾根の伸びに沿う北東―南西)があって共役断層の疑いがあり、隆起の可能性は残される。HScの下位には、細粒基質をもつ凝灰角礫岩(宝永噴火堆積物の一般的特徴であるハンレイ岩礫を多く含む)が宝永山の東側斜面を取り巻くように広く露出しており、第1火口によって形成された火砕丘(HCC)と考えられる。宝永噴火の給源火口と推移 宝永噴火を起こした火口は、従来の考えでは宝永山の南西に隣接して北西―南東方位に並ぶ火口列(宝永第1、第2、第3火口)であり、噴火初期の軽石(宝永軽石)の給源が第2・第3火口、以後のスコリアの給源が主に第1火口と考えられてきた(宮地, 1984, 第四紀研究)。しかしながら、実際には第1〜第3のいずれの火口の周囲にも軽石が見当たらず(第1火口の東側地表に変質した軽石がまれに見つかるが、転石状で層位不明)、宝永軽石の給源火口は不明と言わざるを得ない。 一方、第3火口の東側にU字形をした火砕丘とみられる地形があり(ここでは御殿庭東火砕丘GHCと呼ぶ)、その表面ならびに断面には灰色で雑多な岩質の巨礫を多数含む角礫岩(基質は均質で新鮮な黒色岩片)が露出する。その特徴は、宝永第2・第3火口周囲の火砕丘HCCと類似し、噴火堆積物と考えられる。GHCのU字形の北西延長上には宝永山がある。 以上のことと前節で述べた宝永山付近の観察事実に加え、宝永噴火の古記録と絵図(小山, 2009,古今書院)、宝永軽石と宝永スコリアの等層厚線図(宮地, 1984)、宝永噴火のメカニズムに関する岩石学的解釈(藤井, 2007,「富士火山」;Miyaji et al., 2011)も考慮に入れて、宝永噴火の推移を次のように見直した(1〜5が従来の考え方と大きく異なる)。1.宝永噴火は、現在の宝永山から南東に伸びる割れ目(第1噴火割れ目)の噴火として始まり、最初に宝永軽石を噴出した後、割れ目火口の南東端に火砕丘GHCを形成した。2.宝永軽石(流紋岩質マグマ)の噴火を誘発した玄武岩質マグマが、軽石に引き続いて上昇し、若干南西側にずれた場所に新たに北西―南東方位の割れ目火口(第2噴火割れ目)を開いた。3.第2噴火割れ目上に並んだ宝永第1〜第3火口から爆発的な噴火が起き(火口が開いた順序は、地形から判断して南東→北西)、火口の周囲に火砕丘HCCを形成した。4.宝永スコリアが主として第1火口から噴出し、すでにあった火砕丘(GHCとHCC)の一部を厚くおおった(図のHSc)。この際に赤岩のATBも堆積した。5.主として3〜4の結果として、噴火初期にできた宝永軽石の給源火口が埋没し、宝永山が形成された。なお、宝永軽石の元となった流紋岩質マグマの一部が宝永山を若干隆起させた可能性が残る。6.噴火の最終段階に至り、第1火口底にスパター丘HSpが形成され、最後の爆発でその山頂に小火口が開いた。
著者
松田 法子
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

講演者は都市史・建築史を専門とする。まちの成り立ちやその展開の歴史を、地理的、建築的、社会的、文化的に検討し、わたしたちの居住地や、他の様々な土地が、いったいどのような背景や経緯によって現在に至っているのかを探っている。またそこから、土地と人とが取り結んできた本質的な関係とその意義を考えようとしている。さて、「ブラタモリ」では、番組の冒頭近くで、その土地に対するある「お題」(設問)が示される。それは一見平易な内容で、出演者や視聴者は、その設問に納得したり、そんなことはもうわかっているよ、と思ったり、あるいはまた少々戸惑ったりしながら、番組の道のりを楽しく想像する。しかし問いに的確に答えていくことは、専門家をもってしても実はかなり難しい。それは既に、多岐にわたる学術分野の知見を制作チームが吸収したうえで、かつ誰もがその土地のイメージとして理解できるようなフレーズとする、という絶妙なバランスによって練られたテーマだからだ。その後に続くまち(土地)歩きは、そのお題を軸に組み立てられていく。複数分野の専門家がリレー式にバトンをつなぎながら土地の解読に付き添うスタイルは、土地を見る視点の複数性と幅広さを担保する。そして、歩きながら答えを見つけていくこのやり方は、都市や山岳、巨大土木構築物などスケールの大きな対象や長い時間の流れを、手元や足元といった身体的で小さなスケールから体感的に理解していくという、フィールドサーヴェイの醍醐味も具現化している。そうした一方で、TVプログラムであるという媒体の特性上、問いの答え探しの道のりやそのストーリー立ては、視覚的に認識しやすい資史料や場所がつながれやすいという側面ももっている。歴史分野で言えば、絵図や古文書、古写真、現場の遺構などは大いに力を発揮するが、目で見てわかりにくい事物や、土地の歴史を語る上では重要であるものの、前提として込み入った解説が必要な事項は通過されがちになるだろう。以上について、講演者の知る範囲に限り若干の話題提供を行う予定である。
著者
宮下 由香里 吾妻 崇 小峰 佑介 亀高 正男 岸山 碧
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

日奈久断層帯は,2016年熊本地震の発生を受け,地震活動が活発化するエリアに属することが指摘されている.しかし,日奈久断層帯の古地震履歴は不明な点が多い.産総研は,熊本地震以降,3年間にわたって日奈久断層帯の陸域及び海域において古地震調査を実施してきた.その結果,日奈久断層帯はこれまでに考えられてきたよりも,高頻度で地震を起こしてきたことが明らかとなりつつある.プロジェクト最終年度にあたる今年度は,八代市でトレンチ調査を行った.速報的な結果と過去2年間の調査結果,今後の課題を紹介する.トレンチ調査は,八代市川田町西地点で行った.トレンチは昨年度同地点で掘削したトレンチ南側に隣接する場所で掘削した.トレンチ掘削に先立ち,7孔のボーリングを掘削して,堆積物の層相と分布を把握し,断層通過位置を推定した.トレンチは2段階に分けて掘削した.1個目のトレンチでは,西側導入路部分に断層が露出したため,断層がトレンチ壁面の中央にくるように2個目のトレンチを掘削した.2個目のトレンチは,長さ17m,幅10m,深さ6m程度で,2段堀とした.トレンチ壁面の地層は,南北両壁面において,上位より,A:人工改変土,B:河川成のシルト,砂,C:チャネルを充填するシルト,砂,砂礫,D:河川成のシルト,砂,砂礫の各層に大別される.B層は古代の土師器を含む.D層は上部の縄文後期の土器を含むシルト・砂,中部の腐植質シルト,下部のK-Ah火山灰層を含むシルト/砂互層,最下部の砂礫層から構成される.断層は,南北両壁面で観察され,北東—南西走向,高角西傾斜の見かけ正断層である.D層以下を変位・変形させる.北壁面では,断層はD層中で上方に向かって分岐する.C層に削り込まれるが,C層最下底は変形に伴う開口亀裂を充填しているようにも見える.以上より,D層/C層境界付近にイベント層準を認定した.D層を構成する地層中では,断層両側での変位量の差違,引きずり変形の程度の違い,断層低下側での層厚の変化などが認められ,D層中に1回の古地震イベントがある可能性がある.南壁面では,平行な2条の断層面が認められる.いずれもD層上部で不明瞭となるが,B層には確実に覆われる.予察的な年代測定の結果,C層から1130±30 yBP,D層から6240±30 yBPが得られている.以上より,1130±30 yBPと6240±30 yBP間に,2回以上の古地震イベントが推定される.
著者
今津 勝紀 中塚 武
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

年輪酸素同位体比の解析により、年単位の高解像度の気候復原が実現し、過去数千年にわたる気候変動が明らかになった。年輪を構成するセルロースの酸素同位体比はその年の夏期の乾燥と湿潤を反映する。文字資料のない先史時代などの分析では、気候の数十年から数百年の中期的・長期的変動が有効であるが、文字を本格的に利用する国家成立以降の段階では、年単位のイベントと気象のあり方を照合することが可能となったのである。人間の生活が、自然との応答の中にあることは間違いないが、これまでの歴史学においては、過去の人間の生活と自然との応答を客観的に把握する方法が十分ではなかった。高解像度の古気候復原は、歴史学に新たな「ものさし」をもたらしたのである。本研究では、日本の古代、とりわけ8世紀と9世紀を取りあげ、当該期の気候と社会との応答関係を明らかにする。中塚武による当該期の年単位気候復原により、8世紀は総体として乾燥気味ではあったが安定的であり、9世紀後半に不安定化して湿潤化し、10世紀に一転して乾燥が進行することが明らかとなった。当該期の歴史を記した文献資料『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『日本文徳天皇実録』・『日本三代実録』にも気象に関する記事が含まれるが、それは簡略なものであり、実際にどれだけの旱や旱魃、霖雨や大雨であったのかはわからなかった。ようやく、高解像度の気候復原により、夏期の極端な乾燥や湿潤がどのような規模で、どのような被害をもたらしたのかを史料に即して理解することができるようになった。また、中長期的な気候の変動が把握できるようになることで、気候変動と国家や社会の変容との関連について見通しをえることも可能になった。とりわけ、本研究で注目したいのは、古代の人口変動と社会システムの変容についてである。8世紀初頭の大宝律令の施行により、中国に範を求めた律令国家が完成するが、律令国家の諸制度は、日本という枠組みの起源となり、その後の日本の歴史を根底において規定する重要な意味をもった。律令国家の支配人口は、8世紀初頭で450万人程度、9世紀初頭で550万人程度と見込まれており、8世紀から9世紀の年平均人口増加率は0.2%となる。江戸時代の初頭、17世紀の人口は1200万人~1800万人と推定されており、古代から近世にかけて人口は微増するのだが、中世から近世に至る800年間の年平均人口増加率はせいぜい0.1%から0.15%である。日本古代は飢饉や疫病が頻発し脆弱で流動性の高い社会であったが、中世に比して高率の人口増加が実現した。その背景には、人と田を中央集権的に管理する律令制による再生産システムが機能していたことが想定できるとともに、8世紀の比較的安定的な気候が作用していたことが考えられる。また、唐や新羅といった日本の周辺諸国の変動にともない、日本の律令制もなし崩し的に崩壊する。律令国家は、9世紀の後半から10世紀後半にかけて大きく変容するのだが、こうした社会システムの変容には、当時の世界情勢の変化とともに気候の変動が作用した。9世紀の後半には、耕作できない土地の増加や水損被害の田が問題化するが、その現実的な背景として、湿潤化という気候の変動があったことは間違いない。律令国家は、人と田を把握し管理することを放棄するようになるのであり、律令制再生産システムは崩壊していった。この時期は日本列島で地震が頻発し、火山の噴火もみられ、飢饉に疫病が集中する時期でもある。いわば、9世紀後半は日本古代社会の全般的危機の時代であった。8世紀の初頭に完成した律令国家の中央集権的構造は、9世紀の後半以降、崩壊しはじめ、中央政府は都市平安京の王朝政府へと縮小するのであった。
著者
小山 真人
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

演者は、「ブラタモリ」3回(2015年秋に放映された#19富士山、#20富士山の美、#21富士山頂)、ならびに「ブラタモリ×家族に乾杯」2018年初夢スペシャル(富士山・三保松原)に案内人として出演する機会を得た。ブラタモリの案内人は、単なる出演者ではなく、監修に相当する莫大な作業も裏でこなしている。地球科学専門家の立場から、演者が見聞・経験・考察したことをまとめる。番組の作られ方まず、本番ロケの2ヶ月ほど前から何度も現地下見や打ち合わせを行い、話題を厳選しながら台本を作成した後、台本通りに歩くリハーサルをスタッフだけで実施した。本番ロケの大筋は台本に沿うが、台本を知らないタモリ氏のアドリブや脱線は番組を盛り上げる重要な要素であるため、それらも洩れなく収録した。その後、放映まで一ヶ月ほどの編集作業の中で、内容の厳選とナレーション・解説CGの監修作業に携わった。ブラタモリの各回はそれぞれ1名のディレクターが担当するが、その背後にはNHKと下請け制作会社の両方から参加した十数人のディレクターグループがいる。興味深いことに、彼らはフラットな人間関係をもち、製作途中の作品を台本段階から相互に批判し合っている。その過程で台本は何度も書き換えられ、より良い番組に仕上げられていく。そうして出来上がった綿密な台本と、タモリ氏の磨かれたユーモアと話術があいまって、多くの視聴者が楽しみながら納得できる番組に仕上がる。だからこそ土曜のゴールデンタイムに視聴率10%台を維持するのであろう。旅の「お題」ブラタモリは、冒頭に旅の「お題」という謎かけがなされた後、その土地を知りつくした案内人たちが現れ、少しずつ解答へと誘ってゆく。「お題」は単純な問いかけだが、ひと筋縄では解けない。地形の微妙な高低差から土地の成り立ちを読みとり、目の前の風景や事物をつくり出した自然・社会・人の関わりを考えながら、最終解答に至る。 演者に与えられた「お題」のひとつは「富士山はなぜ美しい?」であった。これには正直困惑した。そもそも美は主観的なものであり、客観性を重んじる自然科学とは本来無縁である。しかし、折角の機会なので、均整のとれた巨大な孤立峰ゆえに富士山は「美しい」のだろうと考えた。そして、その「美」を成り立たせた要因を火山学的に考察し、次に述べる7つの「奇跡」として整理した。1.伊豆半島と本州の衝突現場の真上にできたマグマ噴出率の高い火山であること。2.山頂火口から大量の溶岩を流したこと。3.山頂火口の位置が安定していたこと。4.マグマの粘り気が適度に小さいために、溶岩流が遠くまで達して裾を引いたこと。5.富士山の土台の標高が元々高かったたこと。6.頻繁に噴火し、浸食による形状変化をすみやかに修復してきたこと。7.私たち人類が絶妙の時期(山体崩壊の後に、再び美しい山体が修復されたタイミング)に文明を築いたこと。 さすがに上記7つすべてを扱うと番組の時間内に収まらないので、このうち1〜3を除いた残りの4つを台本に取り入れることになった。単純化圧力台本・ナレーション・CG制作のすべての段階で、それらを監修する専門家には、中身を単純にわかりやすくする方向への強い要望がつねに加わる。学術的には複雑かつ未解明のことが多数あるが、そうした圧力に負けてしまうとトンデモな内容を普及する結果になる。ディレクターからの要望を聞きつつも、解明されていること・いないことを区別し、ここまでは言えるという範囲の中でそれらを単純化するというぎりぎりの選択を迫られる。その作業は高度で時間を要するものであり、専門家の解説能力・アウトリーチ能力が最大限試される。演者は苦労の末に乗り切ったつもりだが、他の放映回では疑問符がつく(おそらく専門家側が圧力に負けたとみられる)ものも散見される。素朴な疑問への対応 ディレクターから思いもよらぬ質問が出ることもあった。筆者がとくに驚いたのが、「なぜ力の方位を向き合う対の矢印で示すのか、矢印ひとつで良いのでは?」であった。これに対しては、作用と反作用の結果として力が生じることは中学校理科で習うこと、片矢印では運動の意味になることを根気よく説明して理解して頂いた。実験の考案ブラタモリでは、地形や地層ができる仕組みを直観的に示す実験が必須とされる。演者に課せられた実験は、宝永火口に見られる岩脈方位と地殻応力方位の関係、ならびに三保半島の砂嘴形成であった。前者に関しては、殻付きの栗の実を万力で割ったところ、殻にできた亀裂は圧縮方位と一致した。殻の内部にある柔らかな実に加わる圧力がマグマ内圧の高まりに相当するため、実際の岩脈方位を再現できたと考えられる。後者に関しては、試行錯誤の後、水を溜めたトレーに入れた砂を小型ポンプの水流で移動させ、砂嘴と似た形状を作ることに成功した。
著者
林 幹雄
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

▼番組開発の経緯「ブラタモリ」は2008年12月に深夜のパイロット番組として始まりました。当時NHKには番組開発という部署があり、そこに所属していた私を含む4人で立ち上げました。内容は「原宿・表参道」。多くの人が当たり前に目にする都市の風景を紐解いていく内容は深夜番組にもかかわらず多くの反響を呼びました。▼レギュラー開始その後2009年10月から翌年3月まで、夜10時の43分番組として全15回のレギュラー放送が始まります。タモリさんのNHKレギュラー番組出演は「ウォッチング」以来、実に20年ぶりでした。以後毎年10月から3月までのレギュラー番組として3年続きます。かつての町の姿をこうだったに違いないと再現した「妄想CG」のほか、タモリさん自身が撮影した「ブラタモ写真館」も話題になりました。番組開発当時の資料をまじえてお話します。▼最初のブラタモリの作り方見え方はほとんど今と変わっていませんが専門家の多くは工学部系の都市設計・開発や街づくりの研究者でした。何より今と違うのはディレクターの街歩きの回数です。「言葉の謎解き」はありませんでしたが「不思議な風景」をタモリさんが発見し、その理由を探って行くという作りでした。視聴者が良く知っている東京を舞台に、あまり知られていない不思議な風景や話題を探すのは大変で、文字通り靴の底が磨り減るほど歩き回りました。▼現状2015年4月からのレギュラー放送は今に至る毎週土曜19:30からの番組で、多くの方にご覧頂いています。「ブラタモリ」は、あくまで街歩き番組ですが、随分「地質」に偏った番組になりました。今のレギュラーが始まって5年。回によって「地質」だけでなく「歴史」「地理」「風俗」「文化」を総動員して、これからも街や土地の成り立ちを解き明かす魅力的な番組であり続けたいと思っています。
著者
中塚 武
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

〇はじめに-文理融合と言う課題 歴史学や考古学と地球惑星科学は、ともに過去におきた出来事を対象に含み、長い時間を掛けて進む、いわゆる歴史的プロセスを扱う学問分野である。その共通の特性を生かして、さまざまな共同研究が行われてきた。しかし文理融合にはさまざまな課題があり、その背景には学問の根源的な目的の違いという問題があった。ここでは、総合地球環境学研究所(地球研)で2014年から5年間にわたって行われた研究プロジェクト「高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの探索」(気候適応史プロジェクト)の経験から、歴史学・考古学と地球惑星科学の協働の活性化の方向性について議論したい。〇気候適応史プロジェクトの基本構造 地球研は文理融合の手法を用いて地球環境問題の解決に資するプロジェクトを全国の大学等から多数公募し、時間を掛けて準備と審査を繰り返したのち期限を定めて本格的な研究を行わせる大学共同利用機関である。古気候学者である私は、その枠組みの中で2010年から全国の古気候学、歴史学、考古学の関係者に呼びかけて、3つのステップからなる気候適応史プロジェクトの構想を作った。1)最新の古気候学の手法を用いて過去数千年間の日本の気候を年単位で復元する、2)得られた古気候データを歴史学・考古学の膨大な史・資料と詳細に対比する、3)気候と社会の関係の無数の事例を比較分析して、気候変動に強い社会と弱い社会の特徴を明らかにする。このプロジェクトでは当初、文献史料から天候を解読する歴史気候学を除くと、理系から文系への一方的な情報の流れだけを想定していたが、実際には両者の緊密な相互作用により、事前の想定を遥かに越えた研究の進展があった。以下、プロジェクトで最も重視した古気候復元指標である樹木年輪セルロースの酸素同位体比を用いた夏の降水量の復元を例にして、文理融合の効果と課題について述べる。〇文理融合による研究の進展と課題 樹木年輪セルロースの酸素同位体比は、年輪古気候学に独特の難しさがあった日本のような温暖湿潤域で高精度の気候復元を可能にした画期的なプロキシーであり、プロジェクトでは、そのデータを日本全国で過去数千年間にわたって早期に構築することを目指していた。文系の研究者は、当初、年輪古気候データのユーザーとしてのみ位置づけられていたが、実際にはさまざまなレベルでデータ構築自体に大きく貢献することになる。理系から文系へは高精度の古気候情報と共に、酸素同位体比を用いた新しい年輪年代情報が提供されたが、それに対して文系から理系には以下のような反応があった。1.出土材や建築古材の積極的な提供、2.データの史・資料による批判、3.データの時空間的な精度と範囲の改善要求である。理系の側にとって1は全面的に歓迎できるが、2,3は耳が痛く、自らの発想からは生まれにくい。しかし3の要求が、世界で初めて酸素と水素の同位体比を組み合わせて、年輪古気候学が最も苦手とする長周期の気候復元を可能にした。その結果、2の批判も克服して、過去数千年間に亘る年~千年のあらゆる周期の気候変動の復元に成功し、古気候学・歴史学・考古学の研究は一気に進展したが、プロジェクトの目的である肝心の「気候変動に強い社会システムの探索」の方はなかなか進まなかった。文理を越えた学問の根源的な目的への相互理解が足りなかったからである。〇おわりに-相互理解が協働の基本 空前の長さと精度を持つ高分解能古気候データの構築という気候適応史プロジェクトの成果は、文理双方の学問的なニーズが緊密に相互作用した結果である。当初は理系データの文系への提供だけを考えていたが、実際には相手のニーズを無視した一方的なデータの押し付けはうまく行かず、文理を超えた相互批判が重要であった。これは、文系のデータを理系が利用する場合でも同じである。一方で、文理融合が個別分野の発展を促すだけでなく、真の「融合」になるためには、より深いレベルでの相互理解が必要であった。私が気候適応史プロジェクトの中で気付いた最も重要な事実は、「歴史学者や考古学者は、必ずしも現代の問題の解決のために、歴史の研究をしている訳ではない」ということである。もちろん、それには意味がある。文系の歴史研究が重視するのは、研究対象とする時代の人々の価値観の違い、つまり歴史上の各時代の人々の多様性を理解し、現代の私たちを相対化することである。現代が過去と違うのと同様に、未来も現代とは違う以上、未来志向で現在の問題を解決していくためには、法則性の発見を重視する理系の研究者と、多様性の理解を重視する文系の研究者が、相互に尊重し合って未来に向って共に考えていくスタンスが必要である。そのことに気が付いたことが私にとってプロジェクトの最も重要な教訓であった。