著者
広田 照幸 武石 典史
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.400-411, 2009

本稿は、90年代以降の教育政策の決定過程を取り巻く諸動向を、マクロな政治構造の変容の中に位置づけるという作業を通して、政治変動によって直面するであろう、教育政策をめぐる新たな対立的事態の一つの捉え方を提示する。すなわち、自明性を失いつつある単純な「大きな政府/小さな政府」的把握を超えた、各アクターがどういう社会モデルのもとで教育政策案を形成しているのかという認識枠組みが有効性を持ちうると考えられる。
著者
飯吉 弘子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.438-451, 2009

日本の大学における学士課程教育の全専攻分野共通の学習成果である「学士力」の議論を深めるためには、21世紀型の「教養ある人間」像と、彼らが持つべき「教養」とは何か、大学はその育成をどのように担うべきかという問題を考える必要がある。(1)「教養ある人間」像の普遍性とその時代変化に伴う差異の考察、(2)米国AAC&U(やOECD)と日本の21世紀認識や教養教育の方向性の確認、(3)産業社会的・職業的文脈と教養教育の変化と両者の関係の分析を行い、それらから(4)21世紀の教養教育のあり方を考察し、今後の教育実践への仮説的提案を行った。

3 0 0 0 OA 教育工学

著者
坂元 昂
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.407-409, 1992-09-30 (Released:2009-01-13)
参考文献数
5
著者
田中 治彦
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.168-179, 2017-06-30 (Released:2018-04-27)
参考文献数
21

2020年代には日本は「18歳成人」社会を迎える。本稿では、これまで「成人」および成人年齢がどのように捉えられてきたかを、民俗学、教育学、心理学、法学の観点から歴史的に明らかにする。次に、選挙権年齢・成人年齢引き下げの動向とその理由を日本と英国の事例をもとに考察する。さらに、成人年齢引き下げに伴い必要な市民教育について、実践やカリキュラムをもとに検討する。最後に18歳成人が教育現場に与える影響について議論する。
著者
丸山 恭司
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.111-119, 2000-03-30 (Released:2007-12-27)
被引用文献数
1

<他者>あるいは他者性は現代思想のみならず、教育研究においても重要な概念である。この概念に着目することによって、抑圧された人々を不当に扱うことを避けることができる。研究者は<他者>承認の可能性を問うてきた。しかしながら、教える者と学習者の教育的関係は他の人間関係とは異なっているため、<他者>の一般概念を教育の文脈に応用するとき、誤謬が生じることになる。しかし、一方で、教育的関係において<他者>が何を意味するかは決して明確ではない。よって、本論の目的は、教育的関係に現れる<他者>の特性を明らかにし、学習者の他者性を問うことの意味を探ることである。第1節では、まず「他者」概念と他者問題の歴史を概観したうえで、現代思想において問われる<他者>と教育関係における<他者>の相違が考察される。<他者>をめぐる現代の思想家の関心は哲学的であると同時に論理的-政治的なものである。それは、抑圧された人々の解放である。一方、教育的関係において<他者>は必ずしも抑圧されているわけではない。抑圧と解放の図式に囚われてしまうと、教育的関係において現れる<他者>の特性を見落としてしまいやすい。教育的関係において学習者の他者性がいかに現れ、消滅するのかを明らかにするために、第二節では、ヘーゲルとウィトゲンシュタインの他者論を比較する。ヘーゲルの他者概念ではなく、ウィトゲンシュタインの他者概念によって教育的関係における<他者>の特性が説明されることが示される。ヘーゲルおよびその継承者は主人と奴隷の関係が逆転する主奴の弁証法に関心があり、自己意識は初めから承認を求めて闘争する者として描かれている。一方、ウィトゲンシュタインは、<他者>を戦士としても、被抑圧者としても描かない。彼は教育的関係における<他者>の文法的特性に明らかにする。学習者の他者性はその技術と知識の欠如ゆえに言語ゲームの進行を妨げる者として現れ、実践ないし生活形式における一致のうちに解消されるけれども、また顕在するかもしれないものなのである。教育的関係において<他者>を承認する可能性を探るために、学習者の他者性を問うことの意味が、最後に明らかにされる。ウィトゲンシュタインの議論は教育の概念を制限づける。教育は学習者の心性を制御することでも彼らを放置することでもありえない。それは実践における一致として終了する。教育はユートピアを実現するための手段ではなく、われわれは学習者の潜在的な他者性を引き受けるねばならないのである。
著者
近藤 凜太朗
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.89, no.4, pp.642-654, 2022 (Released:2023-04-25)
参考文献数
36

本論では、文科省「生命(いのち)の安全教育」モデル教材の内容をフェミニズム理論の視点から分析し、その論理体系を明らかにした。本教材は、DV・性暴力の被害者を非難する神話を問い直す点で一定の意義を有しながらも、家父長制や異性愛主義といった権力構造を不問に付していた。そうした両義的性格は、「男女共同参画」という政策概念自体の限界に由来すると同時に、国家的人口政策としての少子化対策にも矛盾なく接続されうるものである。
著者
田嶋 一
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.140-152, 1977-06-30 (Released:2009-01-13)
参考文献数
70
著者
八鍬 友広
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.524-535, 2003-12-30 (Released:2007-12-27)

How many people could read and write in Tokugawa Japan? This is the main topic for this paper. Actually it's very difficult to calculate the number of people who could read and write in Tokugawa Japan. Because there are no documents like marriage certificates with signatures, as most research on popular literacy in western society usually include. But we can glean fragmentary information about popular literacy by following historical sources: (1) the surveys on the rate of people who could write their own names in the Meiji period, (2) the "Monjincho", attendance books of "Terakoya", and (3) the historical materials with "Kao", special signature in medieval and early Tokugawa Japan. (1) There were several surveys on the rate of people who were above six years old and could write their own names during 1877-1889. Results of those surveys of Shiga, Gunma, Aomori, Kagoshima and Okayama prefectures were listed on "Monbusho Nenpo", annual report of Japanese Ministry of Education. Those surveys show that about 90% of men in Shiga could write their names, but on the other hand 33% of men and only 4% of women in Kagoshima could write their own names. The 1879 survey of Kuga County, one of the counties of Yamaguchi Prefecture, on the rate of people who could write their names is important. It covered 122 villages and towns, 88 school districts and a population of approximately 135, 000. The literacy rate, the rate of people who could write their own names for the total population, was 36.3%(men 55%, women 16.5%). The literacy of men of every district ranged from 19.3% to 98.3% and women from 0% to 68.5%. Literacy rate has minus correlation with the rate of agriculture population (r= -0.66), and has plus correlation with the rate of commerce and manufacture population (r=0.65). (2) The "Monjincho" of "Jishuusai juku" in Omi and "Isobe Juku" m Echigo show how many people of those regions were enrolled for Terakoya. According to Jun Shibata, 91% of Kitanosho village people were enrolled for "Jishusai juku" in 19 Century. Through the case of "Isobe juku" we can see the situation in the 18th Century In Komachi one of the towns of Murakami city, 64% of the households had their children, at least one child, enroll for "Isobe juku" in the middle of the 18th Century. (3) In medieval and early Tokugawa period there were some documents with "Kao", special signature. To sign "Kao" practice in writing was required. Those who could not sign "Kao" marked a circle by stem of the brush. Therefore we can know the literacy through these documents. According to Masanobu Kimura, about 80% of the present head of the family could sign "Kao" in the first half of the 17th Century. We can conclude that partial literacy has already been considerably high even in early Tokugawa period, and a major difference of literacy between men and women existed, which deeply depended on the region even in early Meiji era.
著者
日下田 岳史
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.89, no.4, pp.603-615, 2022 (Released:2023-04-25)
参考文献数
35

高等教育の専攻の性別分離の遠因を「理系意識」の男女差に求め、小学5~6年生の女子が理系意識を持ちづらい要因を検証した。その結果、①算数の勉強への不安に由来するジェンダー・ステレオタイプの受容、②父親との接触頻度、③業績主義的価値観が、女子の理系意識の持ちづらさに関連しているということが分かった。教育機会の男女均等を目指すには、小学校教師の教科指導力という基本的な能力が重要であること等の示唆を得た。
著者
齋藤 孝
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.287-294,368, 1999-09-30 (Released:2007-12-27)

この論文の目的は,「身体知としての教養(ドイツ語で言えば,ビルドゥング)」という概念の意義を明らかにすること,および,日本の伝統的な教養と教育を検討することによって,私たちによって生きられている身体の重要な役割を教育学の文脈に位置づけることである。 この概念には,二つの主な効果がある。一つの効果は,身体的な経験を通して獲得された知恵を一つの教養としてみなすようになることである。もう一つの効果は,たとえば音読や古典的な詩歌の暗誦のように,古典的な教養を学ぶ上での,私たちによって生きられている身体の重要性を評価するようになることである。生きられている身体というのは,メルロー=ポンティの『知覚の現象学』の中心概念である。「身体知としての教養」という概念は,私たちによって生きられている身体によって基礎づけられているものである。 教養というのは,通常は,多くのスタンダードな書物を読むによって得られた幅広い知識の問題とみなされている。しかし,19世紀までは,日本人にとって,五感を通して,言い換えれば,生きられた身体を通して学ぶことが非常に重要であった。日本の伝統的な学習法では,知の問題は,身体の問題と切り離すことのできないものであった。かつての日本人にとっては,教養をつけるということは,日々の生活の中で自分が生きている身体を耕すことを意味していた。それゆえに,教養ある人間には,何らかの身体的なアート(技芸)を経験していることが期待されていた。身体的な技を反復練習によって向上させる,まさにそのプロセスが,教養の概念の中心だったのである。 「身体知としての教養」という概念を代表する典型的な日本人は,卓越した小学校教師であった芦田恵之助(1873-1951)である。かれは,伝統的な呼吸法を応用したある特定の身体的実践を訓練した。そして,その身体的実践が自分自身の心身の健康にとってのみならず,教育にとって重要であると考えた。身体の基本的な技法が,自己のテクノロジーの中核であった。彼にとって,またかつての日本人の大部分にとって,教養は,心身を耕すことを意味していたのである。