著者
柏瀬 愛子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.187-198, 1977-03-15

知能と音楽的能力の相関については,未だ十分明らかにされていない.しかし,鈴木鎮一氏は,「音楽はどの子も教え方一つで育つものである」,「人間の音感覚は3才頃をもって,もっともよく発達し成人とほぼ同じ能力をもち出す」,「手指の運動は脳の発達を促す」など述べておられる.こうした説からいっても幼児期での楽器指導は大切な活動の一つであり,知能発達の誘因ともなるといえよう.音感教育にもっとも適しているのが旋律楽器であることはいうまでもないが,中でもとくに笛,ハーモニカ,バイオリンなど,鍵盤をもたない楽器は,自分の耳だけを頼りに音を捜さねばならないので,より絶対音感が身につくとされる.しかし,こうした楽器を幼ない子どもの集団保育の中に採りいれることは容易なことではない.そこで比較的取り扱いがやさしい鍵盤ハーモニカによる楽器指導が,早期音楽教育の叫ばれだした今日,盛んになりだしたのである.ピアニカの演奏がやさしいとはいえ,子どもたちにとっては,そう簡単なことではない.「早くまとまった曲を演奏させたい.」それも「上手に」などと,その結果はあせるあまりに導入をおろそかにし練習を強要すれば,子どもたちは楽器に対する興味を失ないその練習に負担を感じだす.一旦興味を失なったなら上達は望み薄いこととなる.また,このことから端を発して,すべての音楽活動を嫌うようになるかも知れない.(音楽嫌いの多くは,練習の強要とその過程の中でおこる劣等感からだともいわれる.)子どもの楽器指導は,それがどんな種瀬の楽器であれ,子どもの心に負担を感じさせることなく,楽しいあそびとして受け入れられるものでありたい.またその練習は,もちろん自発的になされるものであって,強要されてはならない.こうしたことをふまえた上で指導者は次の事項に留意すべきであろう. 1)十分検討された無理のないカリキュラムによる指導. 2)一度体験させたことは,何度もくり返しを行ない,十分理解をもたせるようにすること 3)いたずらに多くの活動を与えず,応用,活用の体験をもたせていくこと. 4)子ども自身に発見させること. 5)楽器の練習としてではなく,総合的な音楽体験を与えるようにすること.6)「きかせる」ことを大切にすること. 音楽教育はただ芸術教育,情操教育としてとらえるだけのものではない.人間形成の一端を荷なう大切な役割をもっていることを常に心して,その指導にあたらねばならない.音楽することを楽しみ,音楽が好きになる心を育ててこそ,感覚の発達,ひいては知能の発達も促がされるではないだろうか.今回のピアニカ一斉指導では,いろいろのことを体験した.この体験を生かして,いま一度本学付属幼稚園の年中児(4才児)を対象とした指導を,毎日,自分の手によって行なってみたいと思つている.
著者
酒井 映子 末田 香里 内島 幸江
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要. 家政・自然編 (ISSN:09153098)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.145-153, 1994-03-05

中国貴州省吾南部の苗族と布依族の食文化の特徴の一端を栄養的側面から明らかにすることを目的として,日常の食事状況について調査研究を行った.中国における栽培作物の事情は,1980年の「包産到戸」,すなわち農家の個人販売許可によって,食料作物から経済作物へと変化している.このような状況の中で,少数民族である苗族や布依族においても食料事情には変化が生じているものと考えられる.そこで,主として日常の食物摂取状況から両民族間の比較検討を行い,さらに,現状の栄養的問題についても若干の検討を行ったので報告する.
著者
柴村 恵子 織田 恵子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-14, 1981-03-31

1.インドシナ半島のうちでタイ国は,永く他の民族の支配を受ける事なく,独立国家としての立場を守ってきた唯一の国であり,日本とも古くから深い関係を持ってきた.また,この国は複合国家としても広く知られているが,その中でチェンマイ,チェンライなどを中心とする西北部山地に住む諸民族は,独自の生活習慣を持ち,特有の民族服を身につけている.これについて私たちは,文献と国立民族学博物館および名古屋女子大学生活科学研究所の資料をもとに研究を行った. 2.上記の資料によると,現在タイ国にはメオ族・ヤオ族をはじめ約14の山地民族が住んでおり,これらは主として西北部の山地に分布している. 3.彼らの生活の特色を解析すると,次の様な諸点が上げられる. (1)各種族のほとんどが原始宗教を信仰しており,精霊に豚や鶏のいけにえを供える習慣がある. (2)一部の種族(メオ族・ヤオ族)には,漢字の読み書きができる者がいるが,多くは文字を使用しない. (3)彼らの多くは,焼畑農耕を営み,綿を栽培し,自ら機を織り,染色をするなど自給自足の生活を行っている.また,規模の大小はあるがたいていはケシの栽培を行い収入の道を計っている. (4)衣裳は特別の場合を除き,日常着・仕事着・晴れ着などの区別はなく,常に同じものを着用している. (5)ある種族(メオ族・ヤオ族)は,犬を彼らの祖先として崇める習慣があるが,他の種族(アカ族)では,これを好物として食用にするものもある. 4. 各種族の最も顕著な特色は,民族衣裳である.それは各種族ごとに特有の染め,織り,デザイン,アクセサリーをしており,他の種族と一見して容易に区別ができる.服装は男性の場合さほど目立たないが,女性において特に目立つ. 5.これら山地民族の生活や衣裳も,時代の変遷に伴い少しずつ変化が現われてきている.即ち平地民との交流により,彼らの生活にも永年母から子へと根気よく歳月をかけて伝承されてきたものも,金ですぐ買える安易なものに変わり,また便利さと引き換えに伝統の技術が失われていく可能性もそう遠くはないのではなかろうか.今後さらに現地調査を行い,その実態を明らかにしたいと思うが,現時点においてこれらの記録を残しておくことは有意義なことと思われる.最後に本研究に当り,その機会を与えて下さった名古屋女子大学生活科学研究所長広正義博士,また終始懇切な御指導を賜った岐阜大学教授中野刀子先生に深く感謝の意を表すると共に,親切な御助言を賜った名古屋女子大学教授栃原きみえ先生,資料を提供下さり懇切な御助言を頂いた名古屋女子大学教授佐藤正孝,平野年秋の両先生,および国立民族学博物館助教授大丸弘先生に対し厚く御礼申し上げる次第である.なおこの研究は,本学生活科学研究所の助成によって行ったものである.
著者
加藤 潤
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 人文・社会編 (ISSN:09152261)
巻号頁・発行日
no.36, pp.p63-72, 1990-03

The conception of youth or adolescence can not be defined by only biological or even psychological process (Dornbusch, 1989). But it is rather social or cultural phenomenon (Mead, 1928, Aries, 1960). Especially the period of YOUTH can not be explained without putting it in the context of social change or industrialization process during the ninteenth cnetury in the Western world. Such a sociological research has not been done for the Japanese modernization period. Only the work of KINMONTH (1981) is an outstanding exception. This paper argues that social conception of YOUTH was formed in Meiji Japanese (1868-1912). We specify the time in late Meiji era when intellectuals (Journalists or scholors) found that educated young people were going away from the former value or nation. Educated young people were separated from work place and no longer in the period of childhood. Instead they were in school and oriented to literature, philosophy and themselves. The older generation looked their behaviors as ununderstandable and alarmed that the crisis of national integration was stemming from those young people. But some intellecturals found them from quite different aspect. They discovered the conception of YOUTH in the corupted youth culture and their diffused psychological state and insisted on the importance of schooling as socialization institution. Since then, two incompatible thought on YOUTH has been on the argument among intellecturals until Japan went into militarism. One is to place educated youth in the authorized social moratorium period. The other thought sees young people negative even dangerous and want schools to be total institution in order to keep social integration as it was in early Meiji era.
著者
加藤 潤
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 人文・社会編 (ISSN:09152261)
巻号頁・発行日
no.35, pp.p41-51, 1989-03

"This paper firstly presents a methodological survey over the series of studies on the youth as the concept historically discovered in the course of Japanese modernization. The concept of Youth or Adolescence, formaly recognized only as one of the stages of epigenetic development, recently has been re-examined in the context of historical event or social control. The analysis here is also based on such a methodological revision. Secondly for the specification of our analysis, we focus on the Modern Japanese Youth which was percieved as an ""Alien Generation"" to the preceding one. Using the data such as descriptive poll or publication dealing with the disparity between two generations, we find clear turningpoint of value structure of youg men in pararell with the change of Japanese social structure around the 1905, the year of the Japanese-Russian War was over. Our findings here are as follows. l)The society found the concept of selfness in the psychological status of youg men around the twentieth cetury. But instead of sharing the concept of identity crisis among young men, people labeled them as morally corrupted generation. 2)Such a situation can be accounted by the transition of the social goal from the nation oriented one to the private life oriented one. 3)This social situation gave rise to two types of young men, one was enthusiastic for own success and consumatory life style, and the other was gloomy in the identity diffusion and vacancy of any goal or value to commit themselves. But more detailed first hand data should be collected and examined before we come to conclusion. At the same time, we should examin how the social fact of market revolution and the extension of shooling affect the life cycle of young men and their internal status."
著者
古川 智恵子 堀 逸子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.75-84, 1977-03-15

以上,東海地区における婦人用農作業衣についての実態調査の結果を要約すると次のとおりである.1.現在最も多く着用されている作業衣は,上衣が既製作業衣,下衣がもんぺいの二部形式のものであり,従来からの和服の二部式はあまりみかけなくなった.その他には既製ブラウスの古着を着用している場合がみられた.2.作業衣の着にくい理由は,1)サイズ面,2)デザイン面,3)縫製面,4)材質面の順序であった.特にサイズ面で,上衣の背幅がきつくて着にくいものが最も多く,より機能的な作業衣の検討が必要と考えられる.3.作業衣の材質は,上衣・下衣とも木綿がもっとも高率を示し,次いでテトロン,ビニロン混紡の順であった.4.田植時の補助衣の使用は,第1位が麦わら帽子であり,次いで手甲,ビニール合羽,割ぽうエプロンの順であった.5.上衣の損傷部位は,袖口,衿,肩という順位であり,下衣においては,裾,居敷当,内股の順であった.6.損傷理由については,まさつによるものが最も多く,次いで洗濯,3位がサイズによる不適合のための布の伸びによるものがみられた.7.作業衣の購入方法は商店で購入するものが最も多く,次いで農協,共同一括購入の順であった.8.古着作業衣の着用状況では,専業農家は新品を購人するが,兼業農家では古着を作業衣におろして着用しているものがほとんどであった.9.作業衣購人時の選択理由についてはサイズを第1順位に選ぶものが圧倒的に多く,次に材質,色,形,値段という順位で,値段よりもまず着やすいサイズの作業衣を購入している合理的姿勢がみられた.
著者
後藤 喜恵 原田 妙子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.31-40, 1986-03-01

1.子供服の入手方法は,既製服の利用が大半を占めるが,お下がり服の利用も多い.手作り服は,女児服に多くみられ母親の手による物が多い. 2.所持服の好みは,女児年少にワンピース,年長はスカート,ブラウス等年齢による違いがみられる.男児はTシャツ,ズボンが大半を占めた.好みの理由は,着脱しやすい,着くずれしない,組合せやすい等機能面が重視されている. 3.子供服模型・スモックによる嗜好色は,女児は赤・ピンク系,男児は青・緑系に集中した. 4.嗜好色のトーン傾向は,母・子共に上衣はv, ltの2トーンであり,下位はd, ltgである.色相傾向は,母・子共にR, Y, RP, Neの嗜好が高く,更に女児は多色に分散した. 5.所持服の色彩は,女児は上衣にlt 24, Wが多く,下衣はv 2, dp 18, Neがみられた.男児は,上衣にv 18, 下衣にdp・dkの18が多く青系に集中した.次いでW, Bkであった.稿を終わるに当り,御指導・御協力いただいた本学付属幼稚園長三輪弘道教授,松尾愛子前主任,名古屋文化幼稚園寺島房子主任に深く感謝申し上げます.また,園児・父母の皆様の協力に対し謝意を申し上げます.
著者
石川 和代
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.251-256, 1980-03-31

「偉大なギャッツビィ」は中西部出身の青年ニックによって語られている.ニックは大学を卒業してから,債券の勉強をするために東部へやってきている.ニック,ギャッツビィ,トム,デイジー,ジョーダンの五人はみな中西部の出身で,語り手ニックものべているように,一応はみな西部人である.現在はみな東部に住んでいるが,トム,デイジー,ジョーダンはロングアイランドの東エッグに,ニックとギャッツビィは西エッグに住んでいる.東エッグに住んでいる三人は,本当に東部に住むことが好きである.東エッグは西エッグよりもっと流行を追い求める場所である.そこに住んでいるトム,デイジー,ジョーダンの三人は,物質的豊かさのみを求める人間,自分勝手で不注意な人間,不正直な人間として描かれている.西エッグに住んでいるギャッツビィは純粋な一面をもっている.彼は貧乏な百姓の子として生まれるが,少年のころから出世を志す.若い将校であるころ,金持の娘デイジーと恋をし,彼女を手に入れるために,あらゆる努力をして富を得る.ところがそのころ,デイジーはすでにトムの妻となっている.「過去はくり返すことができる」と純粋に考える彼は,自分の理想であるデイジーとの生活を夢みる.デイジーが彼の車でトムの情婦をひき殺してしまった時,彼はあくまでもデイジーを守ろうとする.ところが,トムとデイジーの自分勝手なやり方のために,ギャッツビィは殺されることになる.ニックはこのギャッツビィの純粋な一面にふれて,中西部に愛着を感じると同時に,東部がいやになり,東部をすてて再び中西部にもどる決心をするのである.こうして考えてみると,五人のうち本当の西部人はニックとギャッツビィのみであり,トム,デイジー,ジョーダンは西部人であるにはあまりにも純真さがない.作者は東エッグと西エッグの対照によってこのことを暗示しているように思われる.
著者
桜井 淑子 柘植 美紀子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.35-40, 1975-03-15

(1)でんぷんは食器をあらかじめ水浸しておけば洗剤の必要はない。しかしこの場合,湯で予洗して流水すすぎするのが結果がよい。(2)たんぱく質は単純な場合は洗剤は不要である。洗いかたはでんぷんと同様でよい。(3)脂肪は水洗いではとれない。洗剤を用いたほうが早くとれる。しかし湯を用いて時間をかければ洗剤がなくても落ちる。植物性脂肪より動物性脂肪のほうが落ち難く,また皿のふちやくぼみに残ることが多い。(4)食品は実験で行なったような単純なものは少なく,またこれが調理されるとさらに複雑な状態となって食器にもられ,それを汚すことになるから,洗いかたもそれによって適宜行なわなければならないことは当然であろう。(5)食器のABS残留は野菜瀬に比べて少ないようであるが0ではない。特に原液を用いることは使用規準量の1000倍であるから残留も多く,また皮膚からの浸透などを考えれば避けるべきである。濃度を高くしても洗浄効果が上がるわけではなく,不経済でもある。あらかじめ希釈しておいて用いるべきである。(6)流水すすぎは10秒以上したほうがよいが,節水の点からも有効な流水すすぎをすべきであり,実験の結果,ため水洗いと流水洗いを比較して,いずれにも大差なく洗剤残留がみられたことは洗剤が落ち難いものであることを示している。(7)なお洗いかたとして,汚れの少ないものから洗うこと,食器の裏を十分にすすぐこと(特に重ねる場合はそれが必要である)途中で洗剤を足さないことなどに注意すべきである。(8)素焼の食器や,傷のある食器は食品残留も洗剤残留も大であるから使用しないほうがよい。(9)石油系ABS,LAS洗剤は出来るなら使用しないほうがよいが,天然油脂洗剤は洗浄力が弱く,また高価でもあるから,石油系洗剤のメリットを考えてこれを用いるに当たっては十分の注意を払って,極力残留を少なくしなければならない。