著者
岸江 信介 西尾 純二 峪口 有香子
出版者
奈良大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2018-04-01

本研究では、主に関西と関東における無敬語地域の配慮表現に注目し、無敬語地域が有敬語地域とは異なるウチ社会を基盤とした言語共同体を形成しているという仮説のもとに配慮表現の研究を進めている。関西地域においては、すでに有敬語地域である京都・大阪をはじめ、無敬語地域である熊野・新宮地方などで多人数の調査を実施し、有敬語地域における配慮表現の運用状況のみならず、無敬語地域における配慮表現の実態についても把握することにつとめてきた。現代日本語の待遇表現や配慮表現の使い分けの目安とされてきた目上/目下,ウチ/ソト,心理的・社会的距離の遠近,親疎関係,恩恵の有無といった敬語地域では成り立つが,無敬語地域にもこの軸を当てはめ,有敬語地域と比較することはできるのであろうか。無敬語地域では,地域を構成する成員間の関係が都市部と比較してより緊密であり,ウチ/ソトといった関係も,都市部とは異なり,ウチ社会のみをベースとして形成されていると考えられる。無敬語地域では一般的に敬意表現や配慮表現が有敬語地域と比較して希薄に見えるのは,このような要因が大きく関与しており,ウチ社会独特の言語行動の規範となるメカニズムが存在するという仮説を立てることができる。この仮説検証のため,本年度はおもに無敬語地域とされる北関東地域の茨城県の漁村地域を中心に調査を実施した。この調査を進めるなかで次第に明らかになったことは,無敬語地域といえども都市化が急速に進みつつあり,従来、無敬語地域とされてきた地域の有敬語化が起きており、この変化はかなり進行しているということであった。これに伴い、配慮表現の運用についても、有敬語地域とほとんど変わらない実態が明らかとなった。
著者
坂本 英夫
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.15, pp.p105-125, 1986-12

近年,わが国においては高速道路・新幹線・航空による高速交通の発展は著るしいものがあり,国土の時間的距離の縮小が達成されつつあるといえよう.しかし,一方で,それら高速交通の恩恵に浴していない地域も存在している.このような地域は概して部分的・飛地的に局在しているので,鉄道や道路による高速交通をはかることは困難な点がある.そこで,航空機をもって交通面の隣路を打開しようとする動きが出ている.乗客数と設備投資の上から,小型の航空機で比較的短距離(150㎞程度)を運航する,いわゆるコミューター航空の構想がこれである.欧米では,小型機の運用形態には3種類あるといわれている(今野修平,1985).1つはコミューターで,定期航空である.第2はエアタクシーで,不定期のチャーターである.第3は自家用機である.わが国で,小型機を活用して地方の活性化をはかるべく,注目をあびているのが,第1番目にあげたコミューターである(西岡久雄,1985,佐藤文生,1985).本稿では,とくに辺地での地域航空の可能性を検討するとともに,問題点を探り,かつ具体的な場として北海道と近畿地方を例にして考察を進めることにした.
著者
滝川 幸司
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.32, pp.41-58, 2004-03

延喜二年に開催された藤花宴の公的地位について検討した。この藤花宴は、通説では和歌が公的地位を獲得した晴の場として理解されているが、、資料を再検討して、藤原時平による献物という私的場であって、和歌の公的地位獲得の場とは評価できないこと、また、この藤花宴について記す『延喜御記』の記述からも、醍醐天皇が和歌を高く評価し、和歌の勅撰に強い意志を持っていたとは考えがたいことなどを指摘した。一般に、宇多・醍醐朝に和歌が公的地位を得、その結果、『古今和歌集』の勅撰に結びつくといわれるが、延喜二年の藤花宴の地位、『古今集』における作者層からも、和歌の地位は必ずしも高いとはいい難いことを述べた。
著者
横山 香
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.1-17, 2019-02

" ドイツ語の"heile Welt"(「無傷の世界」)は、「ユートピア」という意味で肯定的に用いられると同時に、通俗性を批判するクリシェとなっている。 その"heile Welt"を描く代表格としてLudwig Ganghofer(1855-1920)がいる。彼は、彼の描く「郷土」「高地」「農村」のイメージから、ドイツ・ナショナリズムの体現者とされ、こういったイデオロギー批判的言説は、いまなお学術界に根強くある。 一方ジャーナリズムのGanghofer像は、ナチス時代から戦後を通じた彼の「郷土映画」と関連している。1950年に出版された詩集から広まった"heile Welt"は、戦後のドイツ的アイデンティティの再構築と関わった「郷土映画」における表象そのものであった。 しかし1960年代になり、「郷土映画」などの復古的な1950年代の文化は批判にさらされ、それとともにGanghofer が描く"heile Welt"も欺瞞的な「キッチュ」とされていくようになった。 このように"heile Welt"とは、ドイツの歴史的、文化的背景があって、初めて理解可能な言い回しなのである。"
著者
吉川 敏子 吉川 真司 小山田 宏一 鷺森 浩幸 田中 俊明 坂井 秀弥 藤本 悠
出版者
奈良大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2018-04-01

2019年度は3年間の補助事業の2年目として、昨年度の成果を踏まえ、概ね4つの方面での成果を得た。まず1つめは、当初より予定していた朝鮮半島の牧の故地を巡見し、韓国の研究者と交流したことである。韓国における古代牧の研究自体がまだ始まったばかりであり、今後、国際的な視野を広げつつ本研究課題を継続的に行っていく上での課題を得た。2つめは、平安時代の勅旨牧設置4カ国のうち、信濃国と上野国の古代牧推定地を巡見し、昨年度巡見した甲斐国との比較検討ができたことである。上野の場合は、榛名山噴火の火山灰降下により、通常は遺らない古墳時代の地表面の人為的痕跡が調査されてきたが、現地に立ち、地形を実見しながら牧の景観復元について学べたことは、これを畿内の古代牧に置き換えて検討する際に、両地域の相違点も含めて大いに参考となるとの手応えを得た。また、信濃国望月牧では実際に土塁の痕跡を地表にとどめており、具体的に畿内牧の故地を検討する際には、地中に埋もれたものも含め、留意すべき遺構であることを注意喚起された。3つめは、昨年度に続き、個別具体的な畿内の古代牧についての検討を進められたことである。年度中に、研究代表者による河内国辛嶋牧、研究協力者である山中章による大和国広瀬牧・伊賀国薦生牧についての研究論文を発表し、本年度の研究会において報告と検討を行った摂津国鳥養牧、同垂水牧、河内国楠葉についても、近年中に成果を公表できると考えている。4つめは、本年度より、古代の馬を研究する考古学のグループとの情報交換を積極的に行える関係を築いたことである。本科研補助事業の研究は、現在のところ文献史学と地理学に比重がかかっているが、考古学を基軸とする研究会との研究協力により、古代の牧と馬の双方向から、古代社会における馬の生産と利用の具体相の解明を加速させられると考える。
著者
酒井 竜一
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.22, pp.p157-170, 1994-03

本稿は、アラム語の一方言であるシリア・パルミラ語碑文に関する初歩的な学習記録である。その出発点としてこれまで3回は、墓と列柱碑文を例に、主に単語の目安程度の意味を知る作業を試みてきた。ただし単純ミスや誤解が多く、各単語の正確な意味・語根・品詞・語形変化・発音等、いわゆる文法的な検討も今まだ皆無の状態にある。今後は、当面の課題である「単語集」を充実させながら、そうした点の学習にも努めたい。さて今回は、西暦137年に制定された有名な『関税碑文』の「序文」部分をテキストにとりあげる。パルミラ語とギリシャ語で書かれたこの碑文は、1881年にロシアのA・ラザレフによってパルミラ遣跡内のアゴラ南側で発見され、現在、サンクト・ペテルブルグ(レニングラード)のエルミタージュ美術館に所蔵されている。数年前、西藤清秀・豊岡卓司・酒井龍一の3名は、パルミラからの帰途この碑文を実見すべく同館を訪問したが、関係者不在のため実現しなかった。それは些かの心残りとなっている。以下、主に次の文献等に学びながら、テキストの検討を進める。
著者
池田 碩
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.34, pp.65-78, 2006-03

熱帯サバナ気候下に位置するカンボジア・アンコール地域の地盤の安定度と、石造遺跡の風化状況について調査した。その結果、地質地盤は安定陸塊上に位置しているが、寺院遺跡は環濠の掘り込みとその土砂による盛り土の上部に構築されているものが多いため、表層地盤は不等沈下や流動による被害が生じている状況を各地で確認した。石造遺跡の石材の風化は長年月を経て全体に進行してきているが、風化による剥離破壊は石材の限られた部分で急速に進んでいる。その部分と剥離破壊の状況は、自然界に生じているタフォニTafoni侵食と極めて類似していることがわかった。さらに風化破壊の速度は、砂岩石柱に生じている剥離破壊深が7~10cmに達しており、遺跡の構築がすでに800年程経過していることから、ほぼ100年間で1cmの速度で進行してきていることが推測できた。
著者
池田 碩
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.30, pp.83-96, 2002-03

Aw気候下のインド東南部で1300年前に構築されたことがはっきりしている石造寺院に生じた風化破壊の状況を観察、調査した。その結果、石造寺院の風化は全体に同速度で進行しているのではなく、風化の状態は上方から下方へかけて4層に分かれ、中央部の2層が速く、上方部と下端部では遅れていることがわかった。風化の内容も、最も進んでいる中央部では特異な形状を示すタフォニTafoni化タイプの風化を伴ないつつ進んでいるのに対し、下方部では剥脱・剥離exforiationタイプの風化破壊を進行させている。さらに、この石造寺院に生じているタフォニの成長速度は、自然界で形成している活発なタフォニで実験計測して得た値とほぼ一致することがわかった。
著者
水野 正好
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.16, pp.p59-72, 1987-12

近時の考古学の著しい進展は、多くの分野に対して詳細な「語り」を整え、次第に体系化を促す方向に進みつつある。「女性論」、とくに古代における女性の在り方をめぐっても多くの資料が蓄積されており、視座の展開と相俟って種々の見解が叢出している。本稿では、こうした所見を踏まえつつ、私見を中心に据え私なりの構造観でもって「女性論」の考古学を語ることとしたい。
著者
吉村 治正
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.183-195, 2019-02

本稿では、シカゴ社会学の学説史研究の一事例としてエモリー・ボガーダス(Emory Bogardus)をとりあげ、彼の展開した社会調査方法論を検討した。シカゴ社会学というとエスノグラフィーに衆目が集まる。そのため、社会的距離尺度を提唱し戦後の計量的社会分析の確立に大きく貢献したボガーダスは、シカゴ学派の中ではマージナルな存在とみなされている。だが、彼の1920年代から30年代の研究記録を検討することで、この態度測定法は、ライフヒストリー法による社会調査の困難さの克服を求めた試行錯誤の産物であったことが明らかになった。
著者
廣井 いずみ
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.93-107, 2019-02

非行経験者が非行から離脱するときに、他者とどのように関係性を発展させ、どのような体験を積むのか、援助要請行動が見られるのはどの段階か、非行経験者の手記を分析することで検討した。非行経験者は、大人に対する不信感、周囲との機能不全のコミュニケーションの課題を抱え、それぞれの課題に対して、①支え、ガイドしてくれる大人との出会い、②周囲との関係性の構築を体験することが、課題解決のプロセスになる。援助要請には、非行や非行集団からの離脱のための援助要請、今後の進路の実現のための援助要請の2種類が見られ、前者については、①支え、ガイドしてくれる大人との出会いを経験していることで、主としてフォーマルな援助要請が為され、一方後者については、①支え、ガイドしてくれる大人との出会い、②周囲との関係性の構築を体験した後、構築された関係性を基盤に、インフォーマルな援助を求めるのではないかと論じた。
著者
中尾 真理
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.22, pp.p33-48, 1994-03

アン・エリオットは「洗練された知性」と「優しい性格」の持ち主として描かれている。「洗練された知性」とは何を意味するのだろうか。オースティンは従来から「理性」と「感性」のバランスのとれた精神を理想としてきたが、それとどこが違うのだろうか。以上の観点から、オースティン最後の作品『説得』について考察する。ヒロインは家族からも、コミュニティからも切り離され、孤独の内に移動を続ける。斜陽の准男爵家から、大家族の暖かい雰囲気を残す郷士(スクワイア)のマスグローヴ家、ライム海岸、そして、最後にエレガントな温泉保養都市バースへの孤独な旅の過程で、アンの洗練された知性はそれぞれのグループにどのように反応し、また、どのようにして心からの共感者であるウェントワース大佐の心を掴むことができたのだろうか。鍵はやはり、感性とモラルに求めるべきだろう。
著者
尾上 正人
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.46, pp.183-196, 2018-03

トマ・ピケティの 『21世紀の資本』 には、2度の世界大戦のみが、資本主義における格差拡大傾向を押しとどめたという、いささか物騒な記述が散見される。本研究はこれにも示唆を得て、進化生物学の「ハミルトン・ルール」(包括適応説)に準拠しつつ、戦争を単なる国民大衆に降りかかる災難ではなく、既存の階層秩序が揺らぐ中で戦功を上げて一族の栄達を図る、繁殖戦略に裏打ちされた身内びいき的利他行動の場である、という仮説を立てた。この仮説を検証するため、究極的利他行動である特攻の実行者の遺族、および生存者を対象とした聞き取り調査を行なった。両家族の比較の結果、当初想定していたような「ハミルトン・ルール」は妥当せず、特攻戦死者の遺族が重要な働き手を失って家族の再生にかなり苦労し、未成年のきょうだいたちも十分な教育が受けられなかったのに対して、生存者の家族は戦後の生活の立て直しも比較的容易であったことがわかった。
著者
中尾 真理
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.38, pp.302-280, 2010-03

バラは栽培の歴史も古く、特に西洋では「花の中の花」として古くから特別に愛されてきた。本稿の目的はバラの栽培、その利用、鑑賞など、バラをめぐる文化を歴史的にたどることにある。バラはギリシア・ローマ時代には主に薬用、香料として利用され、キリスト教のもとでは神秘的な表象として使われた。イギリスでは「ばら戦争」に見られるように、バラが国家の紋章としても使われ、シェイクスピアやR・バーンズなどの詩にも歌われ、広く親しまれている。野生種を含め、バラの品種は多いが、古代から十九世紀の始めにかけて、ヨーロッパで栽培されていたバラは、わずか五系統にすぎなかった。十八世紀に四季咲きの中国バラが伝来したことにより、バラの栽培は飛躍的に発展し、バラの品種も爆発的に増えた。本稿ではバラの文化史(その一)として、ヨーロッパ、特にイギリスを中心に、バラ革命までを扱う。中国とヨーロッパのバラの交流、日本のバラについては次回にとりあげる予定である。
著者
菅野 正
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.11, pp.p17-32, 1982-12

一九〇八年(明治四一年、光緒三四年)二月、神戸辰馬汽船所属の第二辰丸(二辰丸)が懊門前面の水域で、武器密輸の容疑で、清国官憲に掌捕、廻航される所謂辰丸事件がおこった。この事件及びこれに係る日貨排斥運動については、菊池貴晴氏の分析、研究があり、以下それによると、日本は広東の張人駿総督と外交交渉に入ったが、話合いがまとまらないまま、強硬手段に出て、三月中旬ついに辰丸釈放、損害賠償、謝罪等の条件をのませ、事件は一応の解決をみた。しかしこの解決に不満だった広東民衆は、日本の強圧的手段および清朝の屈辱的態度に反対し、日本に対し日貨排斥という手段で抵抗を示した。日貨排斥運動は広東を中心に華南各地に広がり、更に遠く華僑の住む南半球にも及び、一九〇五年のアメリカ商品排斥運動につぐ民族運動として発展し、日本に対し、組織的な大規模なものとしては最初の運動となった。中国における運動の中心勢力は、立憲派系の広東自治会で、その背後に広東七十二行商人団がおり、さらに黒幕に香港在住の徐勤、江孔殷がおり、提督李準もいた。そして日本において在日華僑をボイコットに結集せしめた張本人は神戸在住の梁啓超とされている。神戸の巨商は立憲・保皇派で、いずれもボイコット賛成派であり、広東自治会と保皇会=政聞社の関係は密接であったとされる。
著者
大町 公
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p1-10, 1991-03

かつて筆者は勤めから帰って、ぼんやりプロ野球の放送を聞いていた時、いまだ試合前であったろうか、元プロ野球選手であり、現解説者の坂東英二が何気なく、あるいはピッチャーとしての自らの過去を思い浮べながらであろうか、「男にとって実に辛いのは、自分の器を思い知らされる時だ。」といったようなことを言うのを聞いた。思わずドキッとし、くつろぎつつあった気持ちが一瞬にして冷えたことを覚えている。人の値打ちを批評する場合にはいとも簡単、面白おかしくやってのけるくせに、自分の本当の価値だけは人に知られたくない。いや、自分自身ではなおのこと知りたくない。人にはどうやらそんな心持ちがあるようだ。自分の器がいかなるものであるか。視点は異なるが、二十世紀スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセ(一八八三-一九五五)は『大衆の反逆』(一九三〇年刊)の中ですべての人間を「少数者」と「大衆」とに分類している。われわれはいずれに分類されているのか、自らを絶えず吟味しつつ、その論を辿ってみることにしよう。
著者
吉村 治正
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.44, pp.143-154, 2016-03

調査対象者の選択的意思による協力拒否は社会調査にとってきわめて深刻な問題であるにも関わらず、本邦の社会学者の間では未だこれを規範的に評価することが横行している。本稿では、非回答の発生とそれが及ぼす調査結果への影響について、旧来的な理解(抵抗の連続尺度モデル)と、社会科学に立脚し非回答を調査対象者の合理的思考の結果とみなす諸理論(機会費用理論・社会的交換理論・社会的孤立理論・パーソナリティ理論・天秤理論)とを対比させ、その特徴を概略的に論じた。
著者
蘇 徳昌
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.30, pp.15-44, 2002-03

天才的な詩人・作家・文学者である郁達夫は中国文学革命の主将で、中国近代文学の先駆者であったが、その生涯は悲劇の連続であった。多くの国民或いは文学界から頽廃作家などと誹謗され、友や妻に裏切られ、母親・兄は戦争中に悲惨な死を遂げ、自分自身も何と終戦直後に日本憲兵に殺害されてしまった。その彼が日本人は中国人を蔑視していると憤慨しながらも、日本人を心から愛し、日本文化を絶賛し、傾倒した。日中戦争で日本は本来の美しい姿を失い、歪んでしまった。軍部は戦争を起こした張本人である。軍国主義の高圧により、文学は大々的に後退し、絶滅の深淵に陥っている、と指摘し、最後まで闘い続けた。彼は日本人的な中国人であり、その日本観は愛憎交錯したものである。