著者
滝川 幸司
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.35, pp.31-59, 2007-03

菅原道真の官歴を辿りながら、その時々の同僚を考証した。道真の公生活における交流を知るためであり、今後の道真伝研究への一階梯となすためである。
著者
明石 岩雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.12, pp.p42-62, 1983-12

「国璽」、一般に国印はその国の政治形態如何にかかわらず、国家それ自体を表象するものであり、たとえば「天皇御璽」や「太政官之印」等の統治主体や統治機関の印章とは明確に区別される。わが国においては「大日本国璽」がこれにあたる。「国璽」の使用規定が法制的に明確化されたのは明治十九年の公文式によってであり、条約批准書、国書、全権委任状等各種外国派遣官吏委任状など主として外交関係の重要文書に用いられ、その他に勲記の一部にも使われた。「国璽」制定の時期に関しては、現在のところ『明治天皇紀』の明治四年制定説が通説となっており、各種の辞典もみなこれに従っている。しかし、この制定時期については、なにぶんにも「国璽」に関する研究が極端に少なく、十分な論証がつくされているとは言い難いのが現状である。ところで筆者は最近、「国璽」制定時期に関する新たな史料を相ついで見る機会に恵まれた。ひとつは慶応四年の王政復古の布告書であり、もうひとつは「国璽」の彫刻にかかわった京都の印司・中村元祥の記録である。本稿では、これらの史料を紹介するとともに、これを機会にいくつかの考証を付け加えて、通説の再検討を試みたい。(史料は本文末尾に掲載)
著者
木村 紀子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.8, pp.p25-38, 1979-12

一枝の花(桜) を、もっとも短い言葉とともに、他者に示そうとするとき、我々は、「はな。」と示すこともできるし、「これ。」と示すこともできる。そのかぎりで、コレは、ハナという名(詞) に代わりうる語- 代名詞という呼び方もできるだろう。ところが、今、目の前に桜の一枝をおかないで、言葉の中だけの問題とすると、「はな」という語は我々に種々の花のイメージを喚起させるが、「これ」という語は、何のイメージも喚び起こすことはできない。「れんげの花がひらいた。」という童謡の中において、ただ「コレがひらいた。」とすることは無意味にちかい。コレは、何かを言葉で指示する、そのことにおいてハナに代わりえても、指示されさもののイメージや概念を示す名そのもののあり方を代行するわけではない。つまり、あらゆる言葉(語) は、いわば発語者が主体的に何かを指示するものだという、言葉の根源的なあり様においてのみ、いわゆる代名詞(指示詞) は(「こう・そう・ああ」「こんな・そんな・あんな」等の同類の語幹をもつ語も含めて)、あらゆる言葉のはたらきを代行する。それは、指示されたものが何であるかの区別にかかわる名以前の、いわば言葉の即物・即事的な指示機能そのものの音声化である。その意味において、指示詞(代名詞) は、その成立が、もっとも感動詞のあり方にちかいのである。
著者
長坂 成行
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.41, pp.382-366, 2013-03

『太平記』諸本は、巻数及び巻区分のあり方を基準にして甲乙丙丁の四類に分類されるが、巻区分が特異な丁類本についての研究は、他系統に比べ未だしの所がある。本稿では丁類本系統の詞章を持つと判断される、『銘肝腑集鈔』・『太平記聞書』について検討し、『西村随筆』が触れる天文古写本を紹介した。また『興福寺年代記』が依拠した『太平記』、および伊勢貞丈編纂の『異本太平記抜書』の異本も丁類本の未紹介の写本であろうと推測した。従来、これらの資料は断片的に言及されてはいるが、丁類本が享受された痕跡を示すものとして改めて考察した。
著者
辻本 弘明
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.15, pp.p18-35, 1986-12

荘園制における「職」と「知行」の在り方は、中世の土地領有にかかわる法律関係を示す重要な指標であるといわれる。中田薫博士は比較法史の方法によって、「知行」をGewereに相当するものとした。これは事実関係としての占有を、法律関係として認定したものと解されているのである。そして、「職」は荘園制の構造の下では、荘園付属的下級領主特権とみられるものであり、その職の対象である土地の商品化に伴い、私的移譲が頻行する事態になると、かゝる土地を知行している制度上の標識であった「職」は法史の上では、不動産物権と理解されるようになった。さらに、知行の効力の面からみても、その発展過程をたどると、これは占有としての事実関係が法律関係即ち、知行となったから、当然のこととして、権利の推定性を受けることになり、また、知行不可侵の原則的効力の発生乃至強化をもたらす。かかる関係から、「職」も単なる標識であったものが、知行制度の発展の過程の中で独立した権利=不動産物権となったのである。かくて知行の対象である土地の自由移譲の盛行は知行制度の発展を斎らし、ひいては、在地領主の自立を促がし、同時に、それは土地の封土化を斎たらす結果となる。武家法における「年紀制」(時効)は、知行の内容が荘園領主との間で、競合するに及んで、在地領主権の権原(由緒)として成立してきたものである。しかし、鎌倉期の「当知行」は、年紀制を媒介としてしか本権に準ずる権原(由緒)として承認されてこなかったという点は見逃せない。しかし、「年紀制」は、「当知行が在地領主制の中に生成してきた慣行の中で成立させて来た在地領主権の存在を合法化する法慣行的規範として認知された法意識である。」という意味において領主制の歴史の中で、一つの劃期を形成するものであった。かくて、知行が自由移譲性(相伝性) を帯びてくるにつれて、「職」との関わりの中で、改変されてゆく面と、知行の事実関係的性質が法律関係化して、知行保護の発展史の究極である「当知行」の法制化してゆく動向との二つは、知行制研究の中では重要な検討事項であるのは多言を要しない。以下先学諸氏の研究を再吟味し、これらの諸点に考察を加えたい。
著者
芹澤 知広
出版者
奈良大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1998

本年度は前年度に引き続き、大阪、名古屋、東京、福岡においてアジアの大衆文化の普及状況についての実地調査を行い、文化人類学・社会学・カルチュラルスタディーズの分野を中心に文献を調査し研究動向・展望を俯瞰することを行った。またその間、日本においては、5月の日本民族学会第33回研究大会における分科会「文化を売る/売ることの文化:ポピュラーカルチャーの人類学」を組織し、香港においては、12月の香港大学日本研究学科主催・国際交流基金後援のワークショップ「Japan in Hong Kong/Hong Kong in Japan:Systems of production、Circulation、and Consumption of Culture」に参加して、とくに「同人誌」の問題を扱った研究報告を口頭で行った。本年度も香港芸能専門店など、大衆文化の生産・流通・消費の結節点となる場所や商品、集団に注目して調査研究を行ったが、「同人誌」(「ミニコミ誌」ともいう)はそのなかでも興味深い研究対象である。それは、「おたく」や「コミケ」ということばで紹介される1980年代以降の消費社会の成熟と市場の多様化、消費者の生産・流通への積極的な関与にかかわる現代的な事象である。しかしながら、日本の「同人誌」ブームの歴史は1950年代の市民運動に遡ることができ、「アジア」ブームについては「反米帝国主義」としてのベトナム戦争反対など1960年代から70年代にかけての「アジアの民衆」の発見と自由旅行ブームなどとも関係がある。「香港」がいわば歴史的な場所となった今日の状況も踏まえ、「アジア文化」、「中国語圏」、「香港」などが歴史的にどのように日本人に受容されてきたのかということについて実証的なデータを積み重ねることで、今後もこの研究を深めていくことを考えている。
著者
安藤 真理子
出版者
奈良大学
巻号頁・発行日
2017

doctoral thesis
著者
丸田 健
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of the Nara University
巻号頁・発行日
no.51, pp.1-16, 2023-02-28

本稿では、柳宗悦の民藝思想の基礎を辿りながら、現代に通じる民藝の意義を考察する。民藝理論では、直下に直観されるべき道具の美が強調される。しかし民藝的諸道具にある価値は、それだけではないだろう。諸道具には様々な指示内容があり、それらにも人間にとって重要な価値がある。そしてそれらを知ることではじめて見える美の側面もある。民藝的道具はまた、使用を通じ、様々な親密な関係を作らせるものである。これらの、美や指示内容や用途性の全体によって、民藝は我々を、生活へ向かわせる。民藝には、人間存在の根源に触れる重要な価値があるが、他方、手仕事道具の存続は危ぶまれている。民藝は多くを与えつつ、同時に、人間がいかに生きるべきかを考える課題も突き付けているように思われる。
著者
横山 香
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of the Nara University
巻号頁・発行日
no.51, pp.17-33, 2023-02-28

本稿ではドイツのベストセラー作家シャルロッテ・リンク(Charlotte Link, 1963-)の5つのミステリー小説を取り上げ、女性の登場人物を中心に考察した。人間関係に悩み、孤独で内面に傷を抱えた彼女たちの、怒り、憎しみ、孤独、絶望といった負の感情を、リンクは徹底してリアルに描く。これらの負の感情は、孤独は恥であり、愛されることが幸福であるといった現代社会の価値観に彼女たちが束縛されているために生じるものである。もっともリンクは、そこから自らを解放しようとする姿も描くことを忘れない。こういった登場人物の心理や感情描写は、ミステリー小説の本筋からみれば「余分」であるが、まさにこの部分によって、読者を感情的にテクストに関わらせ、読者に力を与えることになっている。 本稿ではジェンダーの視点から、リンク作品を文化的なテクストとして読む試みをおこない、娯楽文学研究の方法のひとつの可能性を示した。
著者
内田 聖二
出版者
奈良大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2022-04-01

伝統的に転移修飾(transferred epithet)と呼ばれている修辞表現は文語的、詩的と言われてきたが、コンピューターコーパスなどで確認すると、現代英語でも同じような現象が観察される。本研究では、この「文語的」な言語現象を認知語用論の視点から見直すことによって、転移修飾、メタファー、連語などにおける修飾関係は基本的に同じで、それぞれが独自の分布をしているのではなく、段階的な言語現象であることの説明を目指す。
著者
山口 勧 村上 史朗 森尾 博昭
出版者
奈良大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

謙遜についての比較文化的研究を行い、21カ国の国民を対象にした調査及び実験的な研究により、謙遜が文化に共通した価値であることを確認した。より具体的には、謙遜の目的が低い自己評価の提示ではなく、謙虚であることを示すことにあることが、確認された。さらに、一方では、実験研究により、謙遜の程度や仕方には、文化差があることを示す結果が得られた。同じように謙遜しているといっても、文化により、その謙遜が意味する自己卑下の程度が異なっていることがわかった。
著者
栗田 美由紀
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.27, pp.53-91, 1999-03

暈繝彩色とは、淡い色から濃い色へ色を段階的に変化させて作った色の帯を対比的に組み合わせて、立体感や明るい多色感などの色彩効果をあげる彩色装飾の一技法である。わが国へは中国より伝えられ、奈良・平安時代を中心に、建築、仏像、仏具などの文様の彩色にさかんに用いられた。今回、飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代にかけての暈繝彩色に用いられた色彩について調査した結果、時代によって使用される量細の種類、組合せ、輪郭線の色に違いがあることが明らかとなった。本稿では各時代に見られる暈繝彩色の色彩的特徴を明らかにし、そこから生まれる色彩効果に着目しながら、わが国における暈繝彩色の受容から発展、衰退の過程について考察を試みる
著者
森本 茂
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.15, pp.p48-58, 1986-12

『源氏物語』の二条院は、もと桐壷更衣の里第であったが、更衣の没後は源氏が伝領した。二条院は源氏が元服し葵上と結婚してまもなく、父桐壷院の命によって改築され(桐壷)、紫上はこの院の西の対に住み(若紫)、のちに六条院に移ったが、晩年はふたたびこの院で病床に臥して没した(御法)。明石姫君もこの院で紫上に養育された(薄雲)。源氏の没後は匂宮がこの院に住み(匂宮)、宇治中君が西の対に迎えられた(総角)。また、二条院の東院は、源氏が父桐壷院から伝領した院で、さらに修築を加え(澪標)、花散里が六条院へ移るまで住み(松風)、末摘花も引き取られ(玉鬘)、源氏の没後は花散里が伝領した(匂宮)。このように二条院は、六条院とともに『源氏』の主要な邸宅であり、作者は然るべき準拠に基づいて設定したと推定される。ところがこの二条院の位置には従来二説あり、その準拠には三説あり、まだ定説らしいものがない。そこでこの問題を考えてみたいと思う。
著者
池田 碩
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.26, pp.33-49, 1998-03

現在存在している地形は不動のものではなく、長い歴史の中で生まれ、そして変形してきたものであり、今後も変化していく。だから我々が見ているものは、現在の時点の地形にすぎない。 地形形成にかかわり、地形を支配する要因には、組織・構造・地殻変動・気候・時間などがあげられる。これらのうち、筆者は組織と地形との対応関係という視点から「花崗岩」がつくる地形を調査してきた。 一般に組織の概念には、地形に影響を与える岩石の性質と地質構造が含まれる。しかし筆者は現在の地形を対象とするため、本論では岩石の性質(物性)と地形について考察する。このため、組織地形と岩石地形とはほぼ同意と考えている。 いろんな地形を構成する岩石の種類によってそれぞれの岩石の性質のちがいを反映した固有の地形(岩石制約)ができる。それにはさらに気候・気象環境のちがいが層地形の変化を助長させるため、世界には地域性に富んだ地形が形成される。一方、同一気候、同一の岩石からなる地域でも地形形成後の時間(年)や地形が位置している場の条件の差によって、多様な風化段階の地形が出現する。 以下、組織地形の視点から花崗岩・花崗岩地域の地形の事例を紹介し、基本的な考え方を述べる。
著者
鎌田 道隆
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.11, pp.p1-16, 1982-12

近江国高島郡大溝を城地とする大溝藩は、元和五年(一六一九)八月分部光信が伊勢国上野から入封したのに始まる。分部氏は、『寛政重修諸家譜』によれば、伊勢国安濃郡分部村の出身で、代々伊勢国内を地盤に活躍したが、織田信包・豊臣秀次・豊臣秀吉・徳川家康らに仕えて頭角をあらわし、関ヶ原戦後には伊勢上野に住して二万石余を領する大名となった。分部氏は、大溝入封後も二万石余であり、以後江戸期を通じて石高・城地ともに変更がなかった。二万石の大名といえば、江戸期の大名としては極小規模の大名ということになるが、改易や転封・減封など、めまぐるしいほどの江戸幕府の大名統制の動きのなかで、二百五十余年もの間大溝を動くことなく、二万石余の石高を維持していったことは、注目に値する。分部家の永続は、数百人にのぼる家臣たちの身分とその家族の生活保障を意味した。大溝の城主としての分部家の二百五十余年には、その維持のための君臣一体となったそれなりの努力と悲願がこめられていたはずである。そしてまた、それは大溝藩領の領民の生き方にも、二百五十余年を同じ領主のもとで過さなければならなかった喜怒哀楽の特別な営みとなって深くかかわったに違いないのである。大溝藩の歴史については、すでに『高島郡誌』においても言及されているが、このたび『高島町史』の編纂の過程で新しい在地史料が数多く発見された。これらの新史料の分析から、あらためて近世小大名の家臣団構成と財政の問題を究明してみようというのが本稿のねらいである。
著者
正司 哲朗 エンフトル A. イシツェレン L.
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.147-158, 2019-02

本稿では、モンゴル国ドルノド県ツァガーンオボー郡に位置する契丹(遼)時代に築かれた土城バルスホト1に隣接する仏塔の調査成果について述べる。2014年の仏塔調査においては、デジタル化および建築部材の年代測定を行った結果、一部の建築部材が16世紀から17世紀前半であることが判明した。このことから、この仏塔は、契丹(遼)時代に建立され、修築されている可能性を示したが、2014年から2016年にかけて大規模な修築が行なわれた。2018年の調査においては、ドローンと画像計測を用いて、バルスホト1および修築された仏塔をデジタル化した。さらに、この仏塔が、どの程度修築されているかを調べるために、2014年と2018年にデジタル化した仏塔をもとに、修築前後の構造を比較した。最後に修築に関する問題について考察した。
著者
増本 弘文
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.23, pp.p29-50, 1995-03

死刑の一般的量刑基準を示した昭和五八年の永山判決以後の判決を検討した結果、以下のような死刑の具体的な量刑基準を定立することができた。しかし、心中事件に関する死刑判決が存在しないため、その量刑基準は不明のままである。①無期懲役の前科は、罪種・被殺者の数に拘らず死刑②被殺者三名以上の場合は、原則死刑であり、極めて例外的なケースにおいてのみ死刑が回避され得る以上のいずれにも該当しない場合であり、かつ、③被殺者一名では、「重い前科のない被告人が、悪しき動機に基づき、とりわけ残酷な方法で計画的に殺害した」という標準的ケースを少なからず上回る場合(例えばバラバラ殺人のような群を抜いて残酷な殺害方法)にのみ死刑④被殺者二名では、右の標準的ケースと同等あるいはそれを上回る場合に死刑しかし、以上の基準、就中③④は必ずしも安定的とは言えず、今後の判例の動向に注目しなければならない。
著者
西山 要一 植田 直見 桐野 文良 野尻 忠 早川 泰弘 今津 節生 東野 治之 関根 俊一 望月 規史 成瀬 正和
出版者
奈良大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2018-04-01

携帯型蛍光X線分析装置、据付型蛍光X線分析装置、X線回折装置、X線透過撮影装置など多種の分析器機・調査機器を活用して真鍮製考古資料・美術工芸品の成分分析等を行った。三重・大宝院所蔵大般若経八巻(紺紙金字経)の詳細な科学分析、および平安~江戸時代の紺紙金字経・同断簡の分析などによって、経典写経における真鍮泥使用の広がりを把握し、その宗教的・技術的・経済的な意味を歴史上に位置付けることを試みた。また古代~中世の京都・平安京跡、岩手・平泉遺跡、近世の奈良・奈良町遺跡、和歌山城跡などの出土銅合金・真鍮資料・鋳造資料を悉皆的に科学分析し、各遺跡・各時代における真鍮製品の実態を把握した。美術工芸資料調査では、長谷寺・九鈷鈴(中国・元時代)、當麻寺・螺鈿玳瑁螺鈿唐草合子(朝鮮・高麗時代)の将来品の分析を行い真鍮が使われていることを確認した。この種の日本製真鍮製品が見当たらないことから、真鍮の利用に日本と両国の間では様相を異にすると考えられる。近世には日本絵画の彩色に真鍮泥が使われる諸例を明らかにしつつあり、江戸時代以降の広範な真鍮利用の実態が判明しつつある。史料学調査では、日本・韓国の真鍮関連の古記録の探索の中で、新たに朝鮮の「三国史記」に真鍮関連の記載を見いだし、その真鍮史上の位置付けを試みている。さらに、韓国の真鍮資料を同国の分析科学者の協力を得て科学分析データおよび記録データの収集を行った。紀元前より真鍮製品(ローマコインなど)が存在するヨーロッパの諸例のデータも研究協力者の助力を得て収集し、日本の真鍮製品との共通性と差異、西アジアに発するとされる真鍮の起源とその伝来の道(ブラスロード)と歴史の一端を垣間見ることができた。これらの研究成果は、昨年度報告と同様に2019年度研究成果(冊子)にまとめ、日本文化財科学会大会(2020年7月)などで公表の予定である。
著者
松前 健
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.23, pp.p75-96, 1995-03

鎌倉時代の軍記物、室町時代の謡曲、舞の本、それから江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎に至るまで、民衆の英雄として、人気の的であった人物の一人は、悪七兵衛景清であった。景清の史実性についての確実な資料は乏しく、『吾妻鏡』などにも、その名は現れない。ただ十二巻本の『平家物語』では、八島合戦のとき、美尾谷十郎との一騎打ちの中で、豪快なシコロ引きの話が語られる位で、そのほかは、大勢の平氏の武者の中に、その名をつらねるだけで、それほどの武将とも思われない。
著者
木田 隆文
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.29, pp.190-166, 2021-01

" 漢口(武漢)日本租界に関する研究は、これまで政治史や建築・都市研究の分野で一定の成果が挙げられてきたものの、居留民社会、特にその文化面の研究は資料不足も相俟ってほとんど進展がなかった。 しかし先ごろ稿者は、漢口で発行された文学雑誌『武漢歌人』および『武漢文学会雑誌 武漢文化』の二誌を入手した。両誌は現地居留民が結成した文学者団体、武漢歌話会・武漢文学会の会誌であったが、やがて汪兆銘政権が設立した翼賛文化団体である中日文化協会武漢分会の機関誌へと位置づけを変えた。そのためこの両誌からは、現地居留民社会の文芸文化の動向だけではなく、汪兆銘政権統治地域における文化支配の実態をうかがい知ることもできる。 本稿はその両誌の改題および記事細目を紹介することで、武漢居留民社会の文化動向および文化支配の実態を解明する基礎資料を提示することを試みたものである。"