著者
赤堀 雅幸
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.367-385, 2017 (Released:2018-05-16)
参考文献数
31

女性に対する暴力が、「名誉」の概念の下に振るわれる諸事例に注目した特集中にあって、本稿がまず指摘するのはしかし、名誉に基づく暴力の行使は「女性」に対するものだけではない点である。地中海周辺域において名誉と暴力との関係に注目した人類学分野の研究が過去に注目してきたのは、むしろ血讐といった、主として男性によって集団間で展開される暴力行為であった。本稿でも、著者が1980年代末から断続的に調査を行っているエジプト西部砂漠のベドウィンについて収集した情報を主たる事例として、前半部では血讐をめぐり名誉が論じられる文脈を取り上げ、「名誉に基づく暴力」の概念を拡張して捉えることをまず提案する。同時に、暴力の行使が名誉に基づいて正当化されるだけではなく、暴力の抑止や和解もまた、名誉に基づいて説明されることを明らかにし、「名誉に基づく暴力」の概念を見直す。 後半部では、そのようにして拡張した「名誉によって正当化される暴力」の枠組みの中で、女性の性的不品行を契機に発動される暴力が、血讐などとは異なる、別個の種類の事象として設定しうるものであるかを、同じく西部砂漠ベドウィンの事例に則して検証する。注目されるのは、男性の調査者がベドウィンの男性から聞き取りを行うに際して、血讐については誇らしいことがらとして積極的に語るのに対して、名誉殺人について語ることにはある種の気まずさを伴う点である。そうした気まずさは、女性の性的不品行が、集団による女性のセクシュアリティの管理の失敗という、他集団との関係において語ることのできない事象であることと深く関わっている。 これらの議論を通して、本稿は「名誉に基づく暴力」の概念をより大きな研究対象として設定し、その中で名誉が暴力の行使を正当化するだけではなく、暴力について語る際の汎用的なイディオムであることを指摘し、次いで女性の性的不品行に対して発動される暴力が名誉の増進をめぐる集団間の公的な競争ではなく、集団内で隠蔽されるべき名誉の喪失として、血讐などとは区別されると結論づける。
著者
吉野 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.134-159, 1980-09-30 (Released:2018-03-27)

In the serialized reports the writer gave in this journal's previous issues entitled "Studies on Ise Shrine, Part I-III, the contention is that what we conceive of as typically Japanese festivities observed and conducted in the Shrine were actually very much influenced by the old Chinese philosophical thinking of "Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements' as envisioned in the enshrining of AMATERASU, the Imperial ancestral goddess in the Ise Shrine. She was the incarnation of the Chinese cosmic god of Tai-Yi, the mythical identification of the North Star and to the Geku goddess, the outer Shrine, the enshrining of the Big Dipper. While festivals observed at Ise Shrine are Imperial Household rituals, the thought of Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements was also widely and forcefully applied and practiced in the public domain such as in the festivities, seasonal change customs and in conjurations to avoid ill omens and calamities. The present report is a study of such phenomena. According to ancient Chinese philosphy. CHAOS was the one and only absolute being in the primordial age. Out of this CHAOS, the light, clear and clean Yang (陽) atmosphere rose to form the Heavens while the dark, heavy and murky Yin (陰) atmosphere descended to form the land. Since the two poles of Yin (陰) and Yang (陽) are the spinoff from the same maternal substance, the CHAOS, their roots are identical and therefore, they would attract one another, mingle and react, and as a result, would produce the five natural elements of Wood, Fire, Earth, Metal and Water. Every phenomenon was categorized into one of these five natural elements. The colours, directions, seasons, times, virtues, sounds and the kinds of living creatures to such natural phenomena as thunder, wind and so forth were all conformed into one of these five natural elements. To illustrate, the wood spirit symbolizes the Spring of the seasons, blue is its colour, East is its direction, and Morning in time, while the Fire spirit symbolizes Summer, Red, South and Noon, and Metal, Autumn, White, West and Evening respectively. There was another thought regarding these five Natural Elements which was reactionary in its function:one was continuity and amity, while the other was conflict and struggle. Continuity and amity will bear Fire from the Wood while Fire will bear Earth and the Earth, the Metal and the Metal bears Water while Water bears Wood. This is the plus or positive factor relation. The conflict and struggle are negative or minus relation in which the Wood overcomes Earth, and Earth the Water and Water the Fire and Fire the Metal, with Metal overcoming the Wood. These two opposing and reactionary functions serve to guarantee the perpetuation of all living matter. What the Chinese emphasized most was the smooth transition of the four seasons. They believed that people should actively participate and assist the natural transition of seasons and to this end the ancient Chinese emperors wore blue clothes and blue jewels to meet the Wood spirit on the first day of Spring (calendar date) and walked out to the East suburb to personally welcome the Spring. By the same token. in summer they wore red clothes and red jewels and walked out to the South suburb. Thus, by personally greeting the four seasons, they encouraged the natural transition of the seasons. For the Japanese, a race dependent on rice crops, they too would seek a regulated transition of the four seasons and the principle practiced in China would be utilized and practiced.
著者
大澤 隆将
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.567-585, 2017 (Released:2018-02-23)
参考文献数
28

本論は、スマトラ島東部に暮らすかつての狩猟採集民、スク・アスリの民族誌的記述を通して、部族社会における権力に対する態度についての考察を行うものである。近年、部族社会における国家体制からの逃避の歴史、すなわち「アナキストの歴史」に関する研究が進められている。しかしながら、彼らの周縁化されてきた歴史と現状における国家権力の拒絶と受容のアンビバレンスについては、明確な説明がなされていない。彼らが日常生活の中で行ってきた国家に対するコミュニケーションの忌避を「小さな逃避」と定義し、部族の国家に対する態度に関する分析を行う。 スマトラ東岸部に暮らすスク・アスリは、国家の支配者・従属者たる「マレー人」の概念のアンチテーゼとして周縁化されてきた歴史を持つ。結果、彼らは階層制の中で強い権力を持つ人々に対して怖れと気後れの感情を抱いており、日常生活においての接触を避ける。この「小さな逃避」は、国家支配内部での部族としてのポジションを再生産している。一方、過去のスルタンとの交流、現在の政府との交渉、そしてシャーマニズムのコスモロジーには、階層システムの中で強い権力を 持った存在への積極的な働きかけが認められる。このような働きかけは、相対的に権力を持つ存在との関係を調整・改善する役割を果たす一方、政府への働きかけはごく一部のリーダーによっての み行われている。 描写を通して明らかとなるのは、彼らの世界における権力の外在性である。彼らは、国家の階層的な権力構造を理解し、時として積極的に働きかける一方、その権力や階層制を内在化させることはない。したがって、周縁化されてきた部族社会におけるアナキズムは、国家の階層的な権力に対する拒絶や抵抗の実践ではなく、その権力を外部に認めながら、一定の距離を保つ態度として捉えることができる。
著者
土佐林 義雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3, pp.286-299, 1952

Kuwa or grave-posts of the Ainu are considered by the Ainu themselves to be sticks for the dead. Their possible origin from the hoe (kuwa in Japanese) was also once suggested. But there is nothing in their forms, varying from village to village, which can support such a view. Nor can there be any influence of Christianity in their. T or Y forms and X signs upon them. The author, analyzing not only their forms, but also the way in which strings are bound around them, came to the conclusion that the Ainu gravepost represents a part of the arrow-trap amakpo erected originally to avert evil spirits. In the folkbelief of the East, a magical power to subdue evil spirits is attributed to tightly-bound strings. A further proof is offered by the Ainu word ku wa (bow). In the northeastern district of Honshu, Japan, we find also the custom of erecting a bow on the grave. The author assumes that the custom probably originated in Korea or China.
著者
王 維
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.209-231, 1998-09-30 (Released:2018-03-27)

本稿では, 長崎華僑社会を一つのエスニック・グループとしてとらえ, 祭祀や芸能に焦点を当てることにより, 華僑文化のダイナミズムを再検討した。祭祀と芸能は, 変動するエスニシティにとって重要な意味をもつ文化要素である。日本華僑の場合, 住居, 服装, 生活様式など文化の日常的側面においては, 日本社会への同化の傾向が強い。その代わりに弁別的特徴として重要な役割を果たしてきたのが祭祀と芸能である。祭祀については次の3タイプに類型化することができる。1)「被受容祭祀」 : 江戸時代に日本人社会に受容され日本の祭と混淆して現在に受け継がれているもので, 「長崎くんち」に代表される。2)「伝統祭祀」 : 同郷組織等によって運営され, 華僑の寺院で行われる「普度勝会」(盂蘭盆)などの祭祀。3)「新伝統祭祀」 : 中華街の活性化を目的として, 近年に春節(旧正月)・元宵節等を再編して創造された新たな祭。旧来のエスニック・アイデンティティのシンボルとしての「伝統祭祀」は同郷組織によって維持されてきた。しかし, 第二世代は伝統祭祀への関心を失いつつあり, 長崎華僑社会は近年急速に変化を示している。それは, 特に「新伝統祭祀」ランタンフェスティバルの創設過程にみることができる。ランタンフェスティバルは, 政治的変化(日中国交正常化)を契機とし, 観光と地域活性化という新たなニーズによって, 新たなエスニック・アイデンティティのシンボルとして中華街を中心に創造されたものである。それに先だって, 中華街の二代目店主らは, 日本人店主らとともに, 新しい組織として中華街商店街振興組合を結成した。こうして, 長崎華僑のエスニック・アイデンティティは, 同郷組織を核とし「伝統祭祀」をシンボルとするものと, 振興組合を核とし「新伝統祭祀」をシンボルとするものとに二極化してきた。さらに, 長崎市は, 中華街で創設された「新伝統祭祀」を市全体の祭として取り込んだ。長崎は, 古くから華僑の文化を「被受容祭祀」として取り入れることにより, 自らの地域文化を構築してきたが, そうした過程が現代的な形で再生産されているととらえることも可能である。このように, エスニック・グループとしての長崎華僑社会は, 上位社会(日本社会及び長崎地域社会)や出身社会(本国)との交渉の中でエスニシティ再構成をしているのみならず, 上位社会に対しても影響を与え続けていると言えよう。
著者
煎本 孝
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.320-343, 2001-12-30 (Released:2018-03-27)

北海道阿寒湖畔において50年間続けられてきたまりも祭りは、アイヌの伝統的送り儀礼の形式を取り入れて創られた新しい祭りである。当初、この創られた伝統は、アイヌ本来の祭りではない、あるいはアイヌ文化を観光に利用しているという批判を受けることになった。しかし、祭りを主催するアイヌの人々は、この祭りは大自然への感謝祭であると語る。本稿では、まりも祭りの創造と変化の過程、それをめぐる語り、阿寒アイヌコタンと観光経済の関係、さらに現在行われているまりも祭りの分析から、アイヌの帰属性と民族的共生の過程を明らかにする。その結果、(1)アイヌの民族性の最も深い部分にある精神性の演出により、新しいアイヌ文化の創造が行われていること、(2)この祭りの創造と実行を通して民族的な共生関係が形成され、それが維持されていること、(3)そこでは、アイヌとしての民族的帰属性が、アイヌと和人とを含むより広い集団への帰属性に移行していること、が明らかになった。さらに、最後に、民族的共生関係の形成を可能にするのは、経済的理由や語りの技術によるだけではなく、異なる集団を越えて、それらを結び付ける人物の役割と人間性が重要であることを指摘した。
著者
秦 兆雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.4, pp.511-533, 2004

本研究は、中国湖北省の農村地域における招贅婚(妻方居住婚)に関する具体的な資料を提出し、招贅婿の改姓と復姓及び帰宗現象に焦点を当て、そのメカニズムを解明し、漢人社会の宗族規範と個人の選択について検討する試みである。宗族規範に基づく漢人社会では、夫方居住の嫁娶婚が正統的な婚姻形態であり、妻方居住の招贅婚はその逆だと文化的に見なされている。招贅婚の家族において岳父と婿は契約に基づいて同じ家族を形成しているが、それぞれは異なる系譜の一員として、異なる集団及び相互に対立する利害関係を代表しているため、たとえ婿が改姓して息子としての権利と義務を引き受けても、岳父と婿は同じ父系出自のアイデンティティを共有することは難しく、両者の関係は壊れやすい。父系理念としての宗族規範は、岳父の婿に村する改姓要求を正当化する理由と動機づけになる一方、婿の出身宗族に復帰する力としても作用している。従って、社会状況が婿にとって有利に変わると、彼らはしばしば復姓や帰宗の行動をとる。また、父系理念以外に、岳父と婿の個人または出身家族と宗族をめぐる社会的、経済的及び政治的な力関係や婿自身の性格などの要素も婿の復姓と帰宗に大きく作用していると考えられる。しかし、改姓した招贅婿の中には契約通りに自分の役割を果たし、復姓と帰宗を行っていない者もいる。そこには契約に関する社会的規範ならびに婿自身の性格や岳父側が優位に立つ社会的、経済的及び政治的状況などの要素が作用していると考えられる。また、息子を持たない家族は族内の「過継子」よりもむしろ族外の招贅婿を優先的に取る傾向も見られる。このような行為を合わせて考えてみれば、招贅婚における当事者は、宗族の規範よりもむしろ状況に応じて個人の利益を最優先にして社会関係を選択操作し、行動している傾向がみられる。このような宗族規範と個人の選択の相違により、招贅婿には多様な形態が見られる。改姓しない年眼婿と、改姓した後に復姓と帰宗をした終身婿という両極の間に、いくつかの形態をその連続線上でとらえることができる。招贅婿の改姓と復姓及び帰宗をめぐる折中国成立前後の動きは、宗族規範と個人の選択のゆらぎを示す事例として興味深い。その多くは、解放前岳父側の父系理念に従って一度改姓した婿が、解放後の劇的な社会変化を利用して、出身宗族の父系理念を優先させたものである。しかし、それは、必ずしも従来の内的な要因による両者または両宗族の力関係の変化ではなく、むしろ政権交代及びそれに伴う新しい国家政策が婿に有利になり、彼らの復姓と帰宗を可能にさせ、促進させた結果である。この現象は、解放後、国家の宗族に村する諸政策が、一方で強大な宗族の力と機能を弱めたが、他方では、弱小な宗族の機能と規範を強めているという両側面があることを示している。この意味で、本稿は従来の宗族研究の中で見落とされてきた土地改革と人民公社時期における宗族の実態を別の角度から明らかにし、弱小宗族の動きにも着目する必要性を示したと言える。
著者
櫻田 涼子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.163, 2011

本発表は、漢民族社会において婚姻儀礼の実施に先立ち準備される「婚房(hunfang)」を介して女性は娘から嫁という新しい属性を獲得するという点に着目し、婚姻儀礼とは、住宅という空間をめぐり女性の身体が生家から切り離され、そして新しい空間へと接合されることにより新しい社会関係が創出される出来事であることを示し、空間と身体の関係性について考察することを目的とする。
著者
菅原 和孝 藤田 隆則 細馬 宏通
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.182-205, 2005-09-30 (Released:2017-09-25)
被引用文献数
1

民俗芸能の伝承を身体資源の配分過程として捉え、静岡県水窪町の西浦田楽における世襲制の変容を解明する。また、次世代への継承を実現する場としての練習に注目し、そのやりとりの特質を分析する。西浦田楽の核となるのは毎年旧暦1月18日に挙行される「観音様のお祭り」である。ここで奉納される舞は地能33演目、はね能11演目(うるう年は12演目)である。地能は能衆と呼ばれる24戸の家に固定した役として割りあてられ、父から長男へ世襲によって継承されてきた。200年以上の歴史をもつこの制度は、昭和40年代初頭から農村の過疎化により崩壊の危機に直面した。14戸に減少した能衆組織内で役の大幅な再配分が行われたが、とくに本来は役を持たなかったにもかかわらず技能に秀でた成員に、多くの役が負わされた。演者の固定しないはね能において身体技法の功拙が競われてきたことが、こうした再配分を可能にした。近年、はね能に関与している家のすべては、父と長男の二世代が田楽に参加しており、継承が急速に進行している。練習場面では、太鼓および練習場の物理的構造という資源を最大限活用する教示と習得の工夫が発達している。初心者(「若い衆」)の所作・身振り・動作を継年的に観察すると、困惑や依存から納得への明瞭な推移がみられる反面、年長者によって開示される知識が断片的で不透明であることからくる混乱も顕著であった。祭り前の集中的な練習によってある地能の舞いかたが若い衆に促成で植えつけられたことは、継承を急激に進めようとする年長者たちの決意を示すものであった。これらの分析結果に基づき、正統的周辺参加理論、および民俗芸能において「身体技法的側面」が突出するプロセスに関する福島真人の理論の適用可能性を検討するとともに、練習場面にみられる「楽しさ」を分析する展望を探る。
著者
五十嵐 真子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.221-240, 2007-09-30 (Released:2017-08-22)

神戸学院大学地域研究センターは、未曾有の被害をもたらした阪神・淡路大震災以後の地域社会における大学のあり方について、2002年度より実践的研究を行っている。筆者が所属する同センターの文化人類学分野ではその一環として、大学近郊の明石市稲爪神社の秋祭りの調査を行った。この祭礼は無形民俗文化財に指定されている伝統芸能の奉納と町回り、各町内会の子ども御輿を含む、複合的な地域のイベントであり、人類学を専攻する学部学生の調査実習も兼ね、例年多くの学生と共に参加し、次第にその参加目的は調査から祭礼の一部を担うようになっていった。それは調査を契機として始まった、大学と地域社会との関わり合いの中で、単なる観察者から祭礼の一部を担うものへのスタンスが変化していったといえる。こうした関係の変化は人類学的調査の特徴であり、またその「強み」なのではないだろうか。「フィールドワーク」という言葉はすでに人類学のみが用いているわけではないが、長期間にわたって特定の調査地域と関わり、その過程から関係を構築する姿勢は人類学特有のものであろう。ここで採り上げた事例では、「我々」調査者はいつしか「ある学生(若者)たち」の集団として認識されるようになり、やがて特定の役割を期待されるようになっていった。この段階においてすでに調査の域を越えているのかもしれないが、こうした相互作用こそが人類学的調査の持つ有効性であり、自らが属する地域社会"at home"において何がしかの事業や活動を行う際にその力を発揮するのであり、人類学を通じた社会との連携の可能性を示すものではないだろうか。
著者
吉江 貴文
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.23-43, 2003-06-30 (Released:2018-03-22)

本稿は、20世紀前半のボリビアで起こったカシーケ法廷代理人運動を事例として、文書という人工物が先住民社会の在来的土地制度に介入することでどのような波及効果がもたらされるのかを検討し、世界システムの拡張によって生じる中核と周辺の関係を人間と土地と文書の相互作用として捉えなおすものである。近代以降に起こった世界システムの拡張プロセスにおいて、土地にまつわる複数の文書記録が一定の社会内に循環することを制度的に確立させる過程の成立とそれに伴う文書使用の増大・普及は、周辺社会の在来的制度を中核へ接合する媒介として重要な役割を果たしてきた。元来土地所有の正当性を身体的経験に培われた知識や記憶への高い信頼に求めてきたアイマラ系先住民社会も、19世紀末以降に実施された農地改革と近代司法領域への包摂を契機として文書循環のプロセスに巻き込まれていく。それに対し、植民地時代の文書記録に出自を辿るカシーケ法廷代理人運動は、先住民社会の在来的土他制度を基礎付ける規範が、文書使用の増大・普及という支配的潮流に一方向的に飲み込まれることなく、近代司法領域において生き延びる可能性を一貫して模索しつづけた運動であった。本稿では、そうしたカシーケ法廷代理人運動の展開を検討することにより、地域に固有の文脈のなかで文書循環が成立していくプロセスの多様なあり方を明らかにした。