著者
山田 隆治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.209-212, 1956-12-25
著者
風戸 真理
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.050-072, 2017 (Released:2018-03-15)
参考文献数
56

本論はモンゴル国の牧畜における家畜糞(以下、畜糞)の利用を事例とし、生業と産業の領域がどのように併存しているのかを議論するものである。モンゴル社会は1920年代からの社会主義化と1990年代からの市場経済化によって産業化されてきた。しかし、人類学者はモンゴルの家畜飼育を、産業社会の「畜産」や「酪農」と区別して「牧畜」と呼んできた。モンゴルの家畜飼育はなぜ「生業」的な「牧畜」とみなされるのだろうか。 「生業としての牧畜」は、家畜を所有し、飼育する人びとが畜産物に依存し、これが文化諸要素と多面的に結びつく総合的な活動を意味する。ただし、現代の生業には「市場」や「商品化」の諸要素が混ざっている。モンゴルの家畜生産は社会主義期から現在に至るまで、商品化、産業化され、畜産物の多くが輸出産品となってきた。肉・乳・毛・皮革は工場で処理され、国内外に流通してきたが、人びとは家畜や畜産物を自家消費や贈与の領域でも用いてきた。その中でも畜糞は、国家統計年鑑に生産量や輸出量の記載がないことから、自家消費の度合いが強い畜産物であると考えられる。畜糞は、燃料・家畜囲いの材料・家畜管理の道具・畜産物加工の道具などとして基本的に自家消費されてきた。つまり畜糞は「産業社会」の周縁で、「生業」的な領域を形づくってきたのである。 畜糞の利用をめぐっては、精緻な民俗知識に裏づけられた「共時的な多角性」と「通時的な多層性」、そして家畜の排泄物で家畜の世話をし、その畜産物を加工する再帰的な「家畜=畜糞関係」がみられた。さらに、畜糞の煙とその匂いは都市生活者を含むモンゴル人の思考の材料および牧畜生活の記憶の手がかりとして、アイデンティティーのよりどころとなっていた。以上から、モンゴルの牧畜は「生業」と「産業」の重なりの上に成り立っており、畜糞は文化に埋めこまれて「牧畜文化」を形成していることが示された。
著者
宮平 盛晃
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

台東県パイワン族の2村落を対象に、動物を要する村落レベルの儀礼や、狩猟といった動物との関わり方の実態に焦点を当てた分析から、それら動物の可変性と不変性の原理を考察した。分析の結果、両村落とも儀礼に要されていた野生動物の猪は市販の豚へと変化し、本来なら、猪を使いたいという意識が存在するものの、法律的な問題、狩猟を行える若者の不在、豚肉を安くて容易に入手できるという経済的かつ合理的な理由から、その実現は非常に困難であるという現状が明らかになった。
著者
生井 達也
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第54回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.A14, 2020 (Released:2020-09-12)

本発表では、ある程度決まった成員によって定期的にライブ・パフォーマンスが繰り返されている小規模ライブハウスにおいて、同じ出演者と客という組み合わせでもライブの盛り上がりや評価が〈その場〉によって異なるという点を取り上げ、そのような〈その場〉を立ち上がらせる差異がどのように作られているのかを検討する。

1 0 0 0 OA 日琉語族論

著者
折口 信夫
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.194-206, 1950-11-15 (Released:2018-03-27)

Among the world languages, that which is most akin to Japanese is Ryukyuan, both of which may be classified together as the Ryukyu-Japanese language group. The author seeks for the original common form of this group by comparing the order of word components found in archaic Japanese and Ryukyuan. The problem of the order of word-components suggests also a possibility of special relationships between South China, the South Sea Islands, Formosa, Ryukyu and Japan. The present paper will serve as a preliminary contribution to such a problem. Among Japanese words which have become classic or obsolete since the mediaeval age, there are many which have a reverse order of components as compared with ordinary modern Japanese, such as kataoka, shita kutsu, hashi-date, mo-gari, which means respectively "land beside (kata) a hill (oka), " "a piece of cloth attached under (shita) a bamboo blind (sudare), " "socks worn under (shita) shoes (kuisu), " "an upright (date<tate) ladder (hashi), " "a provisional (gari<kari) funeral hall (mo)." Among the place and personal names, we find evidence that a female was called "Hime so and so" and a male "Hiko so and so" instead of "so and fo Hime" and "so and so Hiko." From the Ryukyuan vocabulary, examples are given mainly concerning personal names, which were intimately connected with the religious life of the islands, and its focus on the female shaman. On the grounds of various religious phenomena as well as relation between posthumous and infantile names of kings and nobles, the author demonstrates that there are many words meaning "one beloved by gods" and that these, too, were originally used in the order reverse to that of present usage. His study on such honorific suffixes as kimi and anji, and such eulogistic words as kikoe and shirare, gives additional examples of reverse word-order. Analysis of words like nozaki (first-fruits), katami (keepsake) etc. shows the archaic customary and ideological background of such words, and possibilities for reconstruction of early Japanese culture are indicated. The author asserts that the two peoples whose languages constitute the Ryukyu-Japanese group have lived in an intimate ethnic relationship for a long time.
著者
小川 さやか
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

本発表では、香港・中国広州市在住のアフリカ系居住者たちが、出身国や言語、宗教(宗派)および「アフリカ(性)」を基盤に重層的にアジア諸国とアフリカ諸国をつなぐ組合を結成していることを明らかにし、彼らの組合運営の論理と実践を市民社会論と認知資本主義をめぐる議論の接点から探る。それを通じて「信頼」や「互酬性」に対する期待を伴わない市民社会組織活動のあり方を提示する。
著者
小川 さやか
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.172-190, 2019

<p>インターネットとスマートフォンが普及し、人類学者が調査している社会の成員みずからが様々な情報を発信するようになった。本稿では、香港在住のタンザニア人と彼らの友人や顧客などが複数のSNSに投稿した記事や「つぶやき」、写真、動画、音楽、絵文字などの多様な発信を「オートエスノグラフィ」の「断片」とみなし、断片と断片が交錯して紡ぎだされる自己/自社会の物語を「彼らのオートエスノグラフィ」と捉え、その特徴を明らかにする。香港のタンザニア人たちは、SNSを利用して商品情報や買い手情報を共有し、アフリカ諸国の人々と直接的につながり、オークションを展開する仕組みを形成している。彼らはそこで一時的な信用を立ち上げ、多数の顧客と取引するために、好ましい自己イメージにつながりうる断片的情報を投稿する。彼らが投稿した多種多様な断片的な情報は、他のユーザーとの間で共有されることによって価値を持つ。また異なる媒体に投稿された断片的な情報は、インターネット上で他者の欲望や願望と交錯し、偶発的に継ぎはぎされ、いまだ実現していない個人の可能性を示す物語となっていく。本稿ではこのような形で生成する被調査者の多声的なオートエスノグラフィの特徴について認知資本主義論を手がかりにして明らかにする。それを通じて人類学者によるエスノグラフィの特徴を逆照射し、ICTを活用したエスノグラフィの新たな方法を模索することを目的とする。</p>
著者
登 久希子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第52回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.78, 2018 (Released:2018-05-22)

本発表は2000年代初頭から現代美術の文脈で注目をあつめてきた「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」や「ソーシャル・プラクティス」と呼ばれるような「社会性」を指向する芸術実践を事例に、芸術と非芸術としての日常生活(life)のあいだにいかなる《境界的領域》が生起し得るのかを人類学的に考察するものである。
著者
渕上 恭子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第49回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.H09, 2015 (Released:2015-05-13)

中国同胞(朝鮮族)代理母による韓国人不妊夫婦相手の代理出産において、従来主流であったホストマザー型代理出産に代わって、近年、韓国人の不妊夫婦の夫が、中国同胞代理母の所に赴き、性交渉を行って子どもを産ませた後、DNA鑑定を行ってその子を認知する形態のものに変わってきている。その理由を、韓国の代理出産をめぐる文化伝統と、韓中両国の生殖市場を取り巻く近年の法的・社会経済的状況の変化に照らして考察する。