著者
石田 英一郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-10, 1950

N. Nevskii recorded on the islands of Miyako, Okinawa, a folk-tale which explains the dark spots on the moon as the form of a man carrying two water-pails with a pole, as a punishment for his sin of pouring water of rejuvenescence on serpents, and water of death on men, the opposite of what the gods had ordered him to do. Although the present-day Japanese see in the moon-spots a hare pounding rice-cake, we find in the Manyoshu, compiled in the 7-8th centuries, the phrase "water or rejuvenescence in the hands of Tsukiyomi (moon, moon-man)". The above-mentioned Okinawan tale suggests that the Japanese also had at one time a belief that the moon-man carried the water of life. The author traces the distribution of the motif of the humam figure with a water-pail (or pails) in the moon from Northern Europe through Siberia (the Yakuts, the Buryats, the Tungus) and East Asia (the Goldi, the Gilyaks, the Ainu, the Okinawans) to N. W. North America (the Tlingit, the Haida, the Kwakiutl) and New Zealand. He traces the motif of a hare (or a rat) from South Africa through India, the South Seas, Tibet, China, Mongolia, Japan etc. to North America, and finds in some folk-beliefs with the latter motif the same idea of the origin of human death as in Okinawa. Both motifs must have originated in the primitive belief of seeing in the eternal repetition of waxing and waning of the moon its immortal life or rejuvenescence, and the water carried by the moon-man (or moon-woman) must originally have meant the water of life or rejuvenescence, as in the case of the Okinawan folk-tale.
著者
陳 珏勲
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.22-22, 2009

日本の都市祭礼には、様々な儀式、風流、見物を伴った「見せる/見られる」という特徴がある。「近世以前からの日本の伝統」を守りつづけていると言われる浅草の三社祭はその代表である。本発表の主な目的は、東京都台東区浅草地域の宗教と社会を中心にして浅草の人々の関係について考察を試みることにある。浅草寺と浅草神社に関係する宗教行事は数多いが、その代表は3月の浅草寺本尊示現会と5月の三社祭である。本発表は主として浅草寺本尊示現会と三社祭の関係を取り上げ、祭礼を担う団体の現状(特に平成18年から平成20年の3年間に起きた変化)を事例とし、分析を加える。
著者
杉野 昭博
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.439-463, 1990-03-30 (Released:2018-03-27)

本論の目的は「障害」についての文化分析の視点を検討することである。まず第一に, この視点の成立経緯をたどることによりその特徴を明らかにし, 次にこの視点から従来の日本の障害研究を批判的に検討することによってこの視点の意義が明らかにされる。さらに縁起や説話を題材としてそこに見出される盲目あるいは盲人の表象形態を日本における盲人文化としてとらえ, これに文化分析を適用する。つづけてこれらの盲人文化を担った日本の伝統的盲人職能集団の社会的性格に考察をすすめ, 「障害」を社会的=文化的コンテクストの中で全体的にとらえることにより「障害」を抱摂する社会の<民俗福祉文化>を明らかにする人類学的アプローチの可能性が検討される。結論としてゴフマンのスティグマ論について批判的検討が加えられる。
著者
平田 晶子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.290-310, 2017 (Released:2018-05-16)
参考文献数
47
被引用文献数
1

本論文では、ラオス人民民主共和国の民族楽器である笙(khaen、以下ケーン)の事例から、音楽芸能をめぐる性言説と実践を通じて「男らしさ」が、男性による女性の支配構造、権威性、カリスマ、強靭さとつながりながら再生産されていく状況に注目する。この作業を通じて、研究対象であるカップ・ラム歌謡における一定の性別役割分業が、楽器の創作や吹奏の行為をめぐる言説や近代国家の建設過程で打ちだされる男性指導者のカリスマのイメージと一体化されながら、一種の「男らしさ」の意匠をまとうようになってきたことが明らかとなる。第1章では、男らしさの人類学の学説史を振り返りながら、東南アジアやラオスにみるタイ系(Tai)の人びとの男らしさに関する先行研究を整理する。タイ系民族の中でも、男性側の視点から論じられてこなかった民族と音楽の関係をつなぐ章として第2章を設け、ケーンの吹奏者のジェンダー表象について宗教社会的な環境決定論や意味論から考える。第3章では、ケーンをめぐる伝承を取り上げ、ケーンが自然との共生の中から創られてきた楽器から、ある集団組織を統一するために必要な権威性に結びけられて語り直されるまでの言説を分析する。第4章では、ケーンの形状や構造について概説した上で、カリスマ的存在によってケーン吹奏がラオ人の男らしい男性像となる状況を考察する。現地社会で語られるケーン吹奏に関わる伝承や男らしさの性言説を相対化する作業として、第5章を設け、現地社会におけるケーン吹奏と女性性の位置づけを理解しながら、男性の領域と女性の領域の交差で生じるジェンダーバイアスの問題を徹底的に検討する。第6章は、ケーン吹奏の性別役割分業をめぐるジェンダーバイアスに対して寄せられる声をまとめ、教育活動を通じて性差を乗り越えようとする新たな動きを考察する。
著者
河野 正治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第51回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.C12, 2017 (Released:2017-05-26)

本報告では、再分配が倫理的な問いにかかわる点に注目し、倫理の人類学の観点から再分配を再考する。倫理の人類学は、普通の人々の日常生活における倫理、すなわち日常倫理への注目を基礎的な研究態度とするものである。本報告の目的は、再分配の当事者による倫理的判断を観察しやすい比較的小規模な再分配として、ミクロネシア・ポーンペイにおける首長制にもとづく祭宴を取り上げ、再分配における日常倫理を考察することである。
著者
比嘉 理麻
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

いわゆる「工場畜産」と呼ばれる環境下で、飼育される家畜たちは、エージェンシーなき客体、あるいは肉を生み出す単なる機械なのだろうか。この問いを出発点に、本発表では、産業化の進んだ沖縄の養豚場の事例から、人とブタの個別具体的なかかわりを明らかにすることで、産業家畜と人間の関係について別の見方を提示することを目指す。
著者
唐木 健仁
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.75, 2008

沖縄出身者に対する社会的環境は急速に変化しているなかで、「再発見者」が強調する文化的特性は、文化的他者のみならず、世代を超えてエスニック・グループ成員に大きな影響を与える。それらの集団によって共有される歴史的経験の中からなにを選択し、どのように表現するのかが、エスニシティの地域性を規定する要因となる。沖縄の伝統芸能であるエイサーに注目し、「再発見者」の影響を考慮し、愛知と大阪の地域性を比較する。
著者
真島 一郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.24-49, 2006

本稿では、デュルケムの中間集団論およびその受容をめぐる人類学史を概観したうえで、今日の人類学が「社会的なるもの」を再考するうえでの発見学的モデルとして、一世紀の時を経た「中間集団」概念の理論的な加工作業が試みられる。デュルケム社会学の底流には、産業資本と福祉国家生誕の時をむかえた20世紀転換期フランスの「社会」危機に対し、彼のいう二次的集団、とりわけ職業集団の再編成を軸に道徳的個入主義と有機的連帯の育成を促そうとする社会工学の意図があった。だが、その後デュルケム理論の継承を図ったイギリス社会人類学は、自社会の変革をめぐる彼の政治規範を理論から漂白する過程で、市場の対概念であるモラルの思想史的含意、ならびに「未開社会」が植民地帝国下の入工的な中間集団たる現実を忘却していった。起点からの分岐と忘却を経た入類学に社会への視線が回帰する時期とは、脱スターリン化から「1968年革命」、福祉国家危機論の台頭へと到る、社会科学全般のパラダイム転換期でもあった。社会的なるものを主題とした人類学的考察の今日における顕著な増加を、パラダイム転換第二波の徴候とみるにせよ、モラル・エコノミー論争の70年代から地続きの現象とみるにせよ、社会介入型国民国家の生誕から問い直しへと到る歴史の一サイクルが閉じつつある今、19世紀末の社会工学を参照点とする「社会」再考の試みには、相応の意義が見出せよう。
著者
永吉 守
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.105-105, 2012

三池炭鉱が存在した大牟田・荒尾には、明治末期の集団移住を起点とするユンヌンチュ(与論島住民)が「大牟田・荒尾地区与論会」を組織して奥都城(集団納骨堂)の運営や三線教室の開催をしている。近年、大牟田夏祭りの「一万人の総踊り」にて、彼らは独自の法被をまとい、子どもたちにエイサー太鼓を持たせて炭坑節などを踊っている。本発表ではこうした動きをとらえながら、日本の中のエスニシティや文化的多様性を改めて考えたい。
著者
桑原 牧子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.82, 2009

タヒチ社会では西欧人接触以前から現在に至るまで、生物学的には男性として生まれたが、家事や子育てなど、女性としての役割を担うマフ(mahu)と呼ばれる性を生きる人々がいる。近年になり、このマフに加えて、女装や化粧をする人々に対してラエラエ(raerae)という呼び名も使われるようになった。本発表では、そのようなマフとラエラエの名称の呼び名の使われ方をタヒチ島とボラボラ島の事例を比較して分析する。
著者
國弘 暁子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.13, 2009

ペニスと睾丸を切除する去勢儀礼を通過したヒジュラは、女神の衣装であるサリーを身に纏い、現世放棄者のような立場にあるが、しかし、その性的な欲動を放棄することはない。密室の空間において、男性と共に、あるいは師弟間において、セクシャルな関係を結んでいる。「ホモセクシュアル」としては決して括ることのできないヒジュラの情交のあり方について発表する。
著者
石塚 道子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.485-503, 2008-03-31 (Released:2017-08-21)

現在の「クレオール」は文化の複数性、動態性、脱領域性を捉える重要な分析枠組みと見なされているが、本来この概念は近代西欧普遍主義による文化的否認の解除を目指してきたカリブ海地域の人々の脱植民地運動から創出されたものである。本稿の目的は、クレオール文化概念の空間特性を、マルティニクの空間というローカルなコンテキストから照射することにある。このためにまず、マルティニクの人々の空間分類と空間改変行動に関するフィールド調査結果を、15世紀末から今日まで三期に分けた時間軸において検証し、奴隷制度が廃止されて、現実の生活空間がプランテーションの外へと拡大されてからも、島民は奴隷制プランテーションの内部の空間構造を島空間に重ね合わせた図式で認識してきたことを論じる。次に、1980年代に砂糖プランテーション経済の衰退によって出現した多数の「空地」が、人々の伝統的な島空間認識を揺るがし不安定にしたことを明らかにする。つづいて、慣習的土地所有制度「家族地」に建つ可動式の小家屋「カーズ」の居住空間を分析し、土地に対して人々が抱く相反的な意識を析出する。さらに本論は、フランスの海外県という政治的、文化的同化主義的な社会状況に不満をもつようになった若いラディカルな知識人たちの形成した「独立派」が、1970年代から1980年代に展開した「公園化」運動と「土地占拠」運動を記述・分析するだろう。これらの運動は、不安定で相反的な空間認識を覆し、空間改変のイニシアティブをとるべき抵抗的主体を再構築しようとする空間的パフォーマンスの性格を帯びており、「独立派」は1990年代にクレオール文化言説が登場するまで、自分たちの空間パフォーマンスを脱植民地戦略として意味づけることができなかったのである。結論では、クレオール文化言説がポストモダニズム、ポスト構造主義を援用した思惟であるとしても、1970年代からグリッサンや「独立派」がマルティニクの空間に立ち向かい積み重ねてきた脱植民地化の文化的実践と多様な社会運動の経験の蓄積こそが、彼らをそこに導いたことを主張する。国家領土的空間の創出を棄却して、区画化されて閉じた空間に文化を措定しないクレオール文化空間を構築するという脱植民地戦略は、彼らの実践と経験の蓄積によってはじめて可能となったのである。
著者
山下 晋司
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.1-33, 1979-06-30 (Released:2018-03-27)

The people of the Sa'dan Toraja, the southern branch of the mountain people ("Toraja") in Central Sulawesi of Indoncsia, often say, "We live to die." An anthropologist who studies their society would understand that these words carry crucial implications. The ritual of the dead is their central concern and every effort during life is directed toward death. They accumulate wealth to spend it almost all on the occasion of death. The people who live as members of Toraja society cannot abandon this custom, because the obligation to hold a ritual for the deceased and to participate in the rituals for the relatives or neighbours forms an essential part of their own identity. Even the villagers who have been converted to Christianity or received modern education cannot despise these conventions. If they neglect this "old-fashioned and "irrational" practice they will lose their position in the village community. Thus it may not be an exaggeration to say that their society revolves around "death". This paper aims first to describe the death ritual of the Sa'dan Toraja in detail and, second, to discuss several important problems it contains, based on the data collected during my field research from September 1976 unti January 1978. Although the economy is now founded upon wet rice cultivation in the beautifully terraced fields on the mountain slopes at 800 to 1, 600 meters above sea level, the culture of the Sa'dan Toraja shows striking features of the swidden cultivators in Southeast Asia, that is to say, feasts with the sacrifice of cocks, pigs and water buffaloes, the erection of megaliths, head hunting practices, the use of ship motifs and so on. In particular their death ritual has much in common with the "feast of merit" as it is found among the upland peoples of mainland Southeast Asia. This fact leads me to the assumption that the death ritual of the Sa'dan Toraja is a kind of transformation or developed form of "feast of merit" with pompous stage-setting and elaborate arrangement which is attained by the increase of wealth through the introduction of wet rice cultivation. Therefore, it seems to me more relevant to call their ritual of the dead "death feast", the "feast of merit' on the occasion of death. The death feast is strictly ranked, according to their custom. The rank and scale of the feast, measured by the amount of sacrificed water buffaloes and the main feast, which is counted by the day, depends upon the social rank and wealth of the deceased and his family. In the death feast named dirapa'i, the highest rank, scores of water buffaloes and more than one hundred pigs are consumed for the period of the feast that covers in total one or more years. In the "autocratic" southern villages of the regency of Toraja Land it is the threefold division of social classes the nobles or chief class (puang) , commoners (to makaka) and "slaves" (kaunan) that plays an important role in determining which rank of the feast to hold. Thus, the wealthy noble or the man of the chief class hopes, or is required, to hold a great feast of high rank, because the funeral ceremony gives him the opportunity to reaffirm his socio-political status or rather promote his prestige in his village community. In order to give the full picture of the death feast in the Sa'dan Toraja, the argument of this paper is presented through three main stages of discussion. The theme in each stage is as follows: (1) examination of the ritual categories of the Sa'dan Toraja, (2) a case study on a death feast, and (3) the presentation of some important problems which the death feast contains.
著者
木村 葉子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.134, 2009

1948 年、カリブ海地域から492 人をのせたエンパイア・ウインドラッシュ号の来航は、イギリスが多民族国家へと変貌していく分岐点となる事件であった。現在、イギリスにおける移民や難民、その子孫を含めたエスニック・マイノリティの割合は現在総人口の約8%を占めている。本発表は、文化的アイデンティティを形成してきたノッティングヒル・カーニバルを通してアフリカ系カリビアンの歴史を考察する。