著者
岩井 大慧
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.51-57, 1949

The author is a pioneer in the study of shamanism. His interest dates from the presentation of his dissertationthesis : "The Religious Belief Proper to the Mongols-a Study of Shamanism" submitted to the Dept. of Oriental History at Tokyo University in 1917. His first research problem concerned the reason why the Mongols, who took up orthodox buddhism at their ascendancy, were converted into lamaism at the time of Khubilai Khan and also why they have remained so faithful to this cult. In the author's youth, however, academic circles did not regard shamanism as a legitimate and worthwhile topic for scientific investigation, and he encountered many obstacles. The donation of the Morrison Library in 1917 and the founding of the Toyo Bunko (Oriental Library) in 1924, as well as the development of field research by Japanese scholars on the peoples of the continent, changed the atmosphere. The study of shamanism has gradually become a favorite topic both in ethnological and historical studies.

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著者
西本 太
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第45回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.30, 2011 (Released:2011-05-20)

ラオスの山地民カントゥは、精霊など不可視の存在への供物としてスイギュウを差し出す場合、いたぶりながら殺す。これは他の動物の殺害では見られない特徴である。本発表では、スイギュウをいたぶることが、スイギュウに仮象された闘争状態を再現する契機になっていて、その闘争によって人間とスイギュウと不可視の存在の境界が揺らぐことを指摘する。
著者
秋山 晶子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.77-88, 2011

The anthropology of agriculture, especially ethnoagronomy, has explored the local/indigenous cognition of the environment, which is considered to be guiding practices, that is, transactions between humans and the environment. Previous studies of that perception have applied linguistic methodologies and investigated local classifications of plants and animals to extract the system of knowledge underpinned by locally shared logics. The perception and approach intend to position local knowledge as a more sustainable and rational one under given circumstances than Western/modern knowledge. However, it is also pointed out that local knowledge is not always logically designed to guide practices, but actual practices are led by a bundle of individual experiences or knowledge along with a situation. In the post-Green Revolution era of India, it no longer seems to be an adequate approach to derive such local knowledge, underpinned by Indian cosmology or inner logic, from linguistic data analysis either, hi a village of northeastern Kerala, for instance, countless number of actors, such as governmental officers, local/international NGOs, and agri-business entrepreneurs introduce different things and words (ideas) to promote organic agriculture, including organic certification, bio-input, and an ancient farming calendar. Each farmer then selects and applies things or words in a rather situational manner. In such a situation, not only is the local/Western binary of knowledge obscure, but local, Western, traditional, and "re-traditional" knowledge are also intertwined in farmers' dialogues and practices. Therefore, this paper avoids the assumption that local shared knowledge shapes farming activities tentatively. Instead, it attempts to perceive that collectives of symmetric non-human and human actors (actants) form farming practices, and attempts to describe the process of the assembly and separation of actants, especially focusing on non-humans. That is because local peculiarities are still embedded in the way of assembly and separation and in the performance of the assembling, even though observers can neither assume them nor hypothesize a logical system from them. Besides, some words perform as non-human actants, or comprise hybrid actants with other non-human actants. Thus, this paper follows certain actants, including such "thing-like" words. To do so, I especially focus on the practices of three farmers in a village in Kerala who changed their ways of farming after converting to organic agriculture. The examples show that farmers' initial performances are gradually directed by certain active non-humans, such as the regulation of organic agricultural certification, a traditional farming calendar, and plants and insects. In addition, a scrutiny of the process by which the actants assemble can shed light on locally specific ways of assembly and the performance of humans, non-humans, and words. The appearance, assembly and performance of actants are random and situational, so all an observer can do is to find changes in farming practices, following the process of those changes, while keeping an eye on the active actants. Even so, that approach indicates one way to disentangle the intermingled farming practices and figure out the spatially and historically localized aspects of farming practices.
著者
内山田 康
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.38, 2009

意識が無意識や狂気をコントロールできないのと同じように、ダルマ(法)がコントロールできない部分が思いがけない飛躍を起こすのではないか。これを起こしている主体は何か?それはどのような性格のものなのか?非倫理的な生命力は、人びとが思い描くのとは質的に異なるアッサンブラージュを作っているのではないか?予測不可能で脱人間中心主義的な生成の性格を民族誌的に記述することを試みる。
著者
内山田 康
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.37, 2009

「もの、動き、アッサンブラージュ」というテーマの中心に、動きがあり、その前にはものが、その後にはアッサンブラージュが配置されている。ひとは、ものの中に、動きの中に、アッサンブラージュの中に分配されている。計画や意図ではなく、動き、スピード、強度、無意識が、感覚が重要な仕事をするだろう。民族誌的なケースを通して、人間中心主義的な接近方法では捉えきれない存在の生命的な過程を記述する人類学を試みる。
著者
中村 八重
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第45回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.43, 2011 (Released:2011-05-20)

本報告は韓国人による対馬観光を取り上げる。国境を超える韓国人の対馬観光はどのような行為であるか観光の動機と実態を探ることを目的とする。国境の島としての対馬のアイデンティティはむしろ、近接性や経済性そして韓国で広く共有されている「対馬は韓国の領土であった」という認識のもとに理解されて、韓国人観光客が対馬を訪れる動機になっていることを指摘する。
著者
赤堀 雅幸
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.307-333, 1994-03-30 (Released:2018-03-27)

エジプトの西部砂漠地中海沿岸に居住するベドウィンは,祖先との関係が現在生きている人々の関係に反映され,それを整序すると見なす。父と子の間にたどられるアスル(起源)という概念に結集する祖先との関係性は,これまではしばしば「部族」組織と関連づけてとらえられてきた。しかしながら,父系出自集団への帰属は,祖先と自己を結び付ける仕方の一つにすぎず,ベドウィンたちがアスルを社会関係に繁栄する多様な方法の一部としてある。本稿はそうしたアスルの表現の形式を四つに分け,個人の名前への埋め込みと系図化,介在する祖先の網羅と特定の祖先の選出という観点から,たがいを対比して紹介する。それらが全体としてベドウィンの社会的な位置の認識にどのように関わっていくかを論じ,最終的にはベドウィンが自分たちを「ベドウィンである」あるいは「アラブである」と見なす認識も,そうした祖先との関連付けの延長上にあることを指摘する。
著者
島田 将喜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第51回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F03, 2017 (Released:2017-05-26)

ヤンバルクイナは、やんばる地方のみに生息する無飛翔性鳥類である。琉球人の共存の歴史は長いが、民間伝承の中にクイナは明示的に登場しない。クイナは赤い嘴と足で忙しく地上を走り回り、道具を用いて大型のカタツムリを食べる。沖縄のキジムナーのもつ特徴は、クイナのもつ形態・行動的特徴と類似している。鳥と人間との境界的特徴が、現実世界と異世界の境界的存在としての妖怪のモチーフとなったとする仮説について検討する。
著者
吉田 佳世
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

本発表は、沖縄本島北部X区の年忌行事(スーコー)を事例として、とくに姉妹(ウナイ)と嫁(ユミ)という二つ社会的役割の関係に着目しながら、祖先祭祀における女性の地位と役割を考察しようとするものである。その上で、これまで学問分野によって見解が分かれてきた民俗宗教領域における沖縄女性の地位が、祭祀に参与する女性の社会的役割によっても異なることを明らかにしていきたい。
著者
山本 祐弘
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.36-50, 1949 (Released:2018-03-27)

The author, formerly Director of the Saghalien Museum in Toyohara, after collecting folk-tales among the Saghalien aborigines, comes to the conclusion that the belief in shamanism is the only aspect of their culture which has not been changed by Japanese influence. In the present paper he gives a detailed description of the ceremonies performed by Orokko and Gilyak shamans in January, 1945, in the Otasu reservation near Sisuka, South Saghalien.
著者
飯島 真里子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.592-614, 2016 (Released:2017-02-28)
参考文献数
42

本稿では、フィリピン日系ディアスポラの第二世代による戦後の多様な帰還現象に注目し、帰還経験が当事者の故郷認識に与える影響について考察する。フィリピン日系ディアスポラとは、戦前のフィリピン(本研究では主にダバオを対象とする)に形成された日本人移民社会にルーツをもち、終戦直後の引揚げ政策により離散を強いられた集団とそのコミュニティをさす。日本人家族は祖国に引揚げたが、日本人移民を配偶者としていたフィリピン人妻とその子ども(日系二世)は残留したため、戦前の移民社会は日本とフィリピンに分かれ、それぞれの戦後を経験した。本論文で扱うディアスポラの帰還現象は以下の3つである。まず、第一の帰還現象として、終戦直後の本国への「引揚げ」を取り上げる。次に、第二の帰還現象として、1960年代末から引揚者によって企画されたフィリピンへの「墓参団」を扱う。この墓参団は、戦中に亡くなった肉親の慰霊だけではなく、日系二世や旧友との再会や居住地の再訪など戦前の移民生活の記憶をたどる旅ともなっている。最後に、第三の帰還現象として、1990年代末から始まった「祖国」日本の国籍取得を目的としたフィリピン残留日系二世の「集団帰国」を取り上げる。 これら3つの帰還は、時期、背景、経路も異なる。第一の帰還のように祖国での定住をともなう帰還形態もあれば、第二、第三の帰還のように一時的かつ短期間の帰還形態もある。また、その移動方向もフィリピンから日本(第一、三の帰還)への流れもあれば、逆方向の流れもある(第二の帰還)。本論文では、「帰還」を分析概念として使用することで、3つの帰還的移動を総合的に検討し、これらの継続性と連関性を明らかにする。これにより、「引揚げ」を中心的に扱ってきた日本帝国史研究と「日系人の還流」を扱ってきた移民研究をつなぐ視点を提供できると考える。 さらには、当事者の帰還経験を分析することによって、第二世代の故郷認識の多様性を描き出し、ディアスポラの「故郷」の存在やあり方が一元的でも固定的でもないことを論じる。
著者
相原 健志
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.H01, 2016 (Released:2016-04-23)

本発表は、ブラジルの人類学者E. ヴィヴェイロス・デ・カストロの多自然主義に含まれる身体の存在論の含意と射程を析出することを試みる。その記述を辿ると、多自然主義の機制における存在者間の食人的関係は、スピノザ哲学に由来するコナトゥス概念において捉えられる。そしてコナトゥスは、食人のみならず、「翻訳」といった人類学者の実践をも、つまり他者と人類学者のあいだの差異を横断する力として思考されている。
著者
西 真如
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.651-669, 2017 (Released:2018-02-23)
参考文献数
39
被引用文献数
1

本稿では、普遍的治療を掲げる現代のHIV戦略のもと、病とともに生きる苦しみへの関心と無関心が形成され、制度化されてきた過程について、エチオピア社会の事例にもとづき検討する。アフリカにおける抗HIV薬の急速な展開によって得られた公衆衛生の知識は、「予防としての治療」戦略として知られる介入の枠組みに結実した。この戦略は、アフリカを含む全世界ですべてのHIV陽性者に治療薬を提供することにより、最も効率的にHIV感染症の流行を収束させることができるという疫学的予測を根拠としている。エチオピア政府は国際的な資金供与を受け、国内のHIV陽性者に無償で治療薬を提供することにより「予防としての治療」戦略を体現する治療体制を構築してきた。にもかかわらず現在のエチオピアにおいては、病とともに生きる苦しみへの無関心と不関与が再来している。そしてそのことは、「予防としての治療」戦略に組み込まれたネオリベラルな生政治のあり方と切り離して考えることができない。本稿では治療のシチズンシップという概念をおもな分析枠組みとして用いながら、抗HIV薬を要求する人々の運動と、現代的なリスク統治のテクノロジーとの相互作用が、HIV流行下のエチオピアで生きる人々の経験をどのようにかたちづくってきたか検討する。またそのために、エチオピアでHIV陽性者として生きてきたひとりの女性の視点を通して、同国のHIV陽性者運動の軌跡をたどる記述をおこなう。この記述は一方で、エイズに対する沈黙と無関心が支配的であった場所において、病と生きる苦しみを生きのびるためのつながりが形成された過程を明らかにする。だが同時に、彼らの経験から公衆衛生の知識を照らし返すことは、現代的なHIV戦略が暗黙のうちに指し示す傾向、すなわち治療を受けながら生きる人々が抱える困窮や孤立、併存症といった苦しみへの無関心が、ふたたび制度化される傾向を浮かび上がらせる。
著者
井上 淳生
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第49回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F10, 2015 (Released:2015-05-13)

現在の日本には高齢者が社交ダンス(ballroom dance)を楽しむ施設が何種類かある。カラオケパブもその一つである。本発表ではそこで展開されている踊りの分析を通して、ダンスの領域における身体の規格化について考察する。なかでも、国家や社会的規範への反対運動の過程で構築されてきた「正しい/正しくない」という区分を取り上げ、現実に社交ダンスに参加する人びとの実践との関係に注目する。