著者
日置 俊次
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.9, pp.42-51, 2005-09-10

昭和二十年、横光利一は山形県の僻村に疎開した。その生活が「夜の靴」に描かれる。そこで彼は、祖先と信じた芭蕉の足跡を意識している。「夜の靴」の日記形式には、『奥の細道』の影響が見られるのではないか。俳句、あるいは詩と象徴への執心を示しながら、利一は散文を武器にして、敗戦後の混乱と孤独に真向かい、自らの居場所を定めようとしている。
著者
牛山 恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.8, pp.53-62, 1995-08-10

「猫の事務所」に描かれているのは、官僚機構の中で起こった集団のいじめである。それらは、今日、学校で日常的に行われているいじめと同質ではないか。いじめる猫たち、いじめられるかま猫、ともに存在にはリアリティがある。読み手は、猫の事務所という仮想空間に、己れの現実を見る。だからこそ、いじめの解決が問題となるのだ。それを一挙に解決した獅子の登場にはどのような意味があるのだろうか。それらを通して賢治童話の批評性について考察したい。
著者
小二田 誠二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.11, pp.2-10, 2004

新聞小説のもとになったと言われる続き物は、江戸戯作の作法に倣った物であるという。実際、江戸戯作の中には読者の好評を理由に当初の計画よりも長編化する作品が少なくない。定期刊行物に連続して掲載されるという意味での連載以前に、分割して出版された小説における本文生成について、『椿説弓張月」『春色梅児誉美』『道中膝栗毛』を材料に、それぞれに異なる「長編化」方法の意味を考察する。
著者
中島 正二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.10, pp.58-67, 2003

近世とは、版本というメディアと写本というメディアが共存した唯一の時代である。その時代に物語たち(平安期物語と中世擬古物語)はどのように生きたのであろうか。物語たちは、結局、物語として自立することはできず、歌書の一部分でしかなかった。『伊勢物語』『源氏物語』はあたかも聖なるテクストのごとく、歌書として、特権的な地位を手に入れ、「古典」たりえたが、多くの物語たちはそれに失敗した。
著者
堀切 実
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.10, pp.1-10, 2002-10-10 (Released:2017-08-01)

柄谷行人の名著『日本近代文学の起源』によれば、自らの感性の覚醒に基づく客体としての"風景"の発見は、近世以前の文学にはなかったものだという。明治二十年代以前にあったのは、先験的風景を借りた表現のおもしろさであり、「もの」や「自然」を対象として眺める認識主体は確立されていなかったという。本稿では、広く近世の文学作品を見渡しつつ、こうした説への反証をあげ、近世においても、すでに「実景」を見る目が開かれつつあったことを提言する。
著者
ディミトロフ G ねず まさし
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.4, no.6, pp.430-434, 1955-06-01
著者
冨樫 進
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.9, pp.1-11, 2007-09-10

本稿では『藤氏家伝』の分析を通じて、藤原仲麻呂が理想視した君臣関係を明らかにすることを目標とした。その結果、『家伝』では「雄略」という資質が中大兄と鎌足とを結びつける紐帯であると同時に以後の皇室と藤原氏との関係の礎としても機能している点、更に鎌足と武智麻呂との間に想定された諌臣としての系譜が、仲麻呂を当主とする藤原南家と天皇家との密接な君臣関係の根拠として機能している点の二点を明らかにした。
著者
関谷 由美子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.15-26, 1998-06-10

『夢十夜』の個々の話は、それ自体で完結していると同時に、それぞれが有機的な関連のもとに全体を構成している統一的なテクストなのであるから、個別と統合と、双方の解読を必要とする。小稿はその手掛りとして、<恋の話><室内を舞台とする話><何処かへ真直に向う男の話>など、幾つかの発想の基本型を要素として抽出し、幾つかの群に分類し、その展望に沿って十話全体を貫く構造を求めようとする試みである。
著者
中川 成美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.11, pp.52-63, 2001-11-10 (Released:2017-08-01)

カルチュラル・スタディーズが真に衝撃的だったのは、既存の学問的な思考分類がそれ自身のためにあったのだということに気付かせた点にあるだろう。ハイ・カルチュアーを構成してきた知識人や大学人によって排除・疎外されてきた大衆文化の見直し作業は、<制度>として機能してきたアカデミックな領域そのものへの痛烈な自己批判として出発した。それは「方法」ではなく、思考の転回を期するものであったはずだ。しかし、文学研究の領域で「推進」されようとしている<文化研究>と呼称されるものは、果たしてそうした起点を持ちえていたであろうか。文学におけるカルチュラル・スタディーズとは何を目的とするものなのか、また文学とカルチュラル・スタディーズを繋ぐものは何なのか、本稿で考えたい。
著者
大胡 太郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.46, no.6, pp.23-30, 1997-06-10

「モラル」に<悪><盗人>と<いろごのみ>とを対置し、二項を対立しているかのように構造化する文学の主題のありようを「市(いち)」を媒介にして辿ることを試みた。<いろごのみ>は「風流」の原義にてらしてみれば、それは物語の外部に理念化された<いろごのみ>の者に憑依されたかのように登場する。<絶対悪>という主題が可能かという問題を文学に投影すると、現在という状況が必然的に立ち現われることになる。
著者
横濱 雄二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.11, pp.2-13, 2007

昭和二七年から二九年にかけての菊田一夫『君の名は』のブームについて、映画のキャンペーンとロケの三事例を検討する。主人公二人の全国行脚は、それを演じた俳優たちの現前に注目すると、同時期に行われた昭和天皇の戦後巡幸と寓喩的関係にあることがわかる。俳優という人格を通じて作品の内外を連絡することで、典型的なメロドラマに見える『君の名は』にも、戦後日本を枠づけるという意味で国民国家を強化する側面が見出される。
著者
松本 和也
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.9, pp.33-44, 2012-09-10 (Released:2017-11-22)

本稿では、昭和一〇年代後半(昭和一五~一七年)の私小説言説を検討対象として、それらが陰に陽に意識していたと思しき歴史小説(や客観小説)を主題とした言表との相関関係において分析・記述する。昭和一六年までに歴史小説言説と私小説言説とが、〝私〟を基(起)点とする作家としての態度を重視するという点で近接していたことを明らかにした上で、対米英戦開戦の一二月八日をへて一挙に合一される様相までを論じた。