著者
岡嶋 君幸 後藤 淳
出版者
東亜大学
雑誌
東亜大学紀要 (ISSN:13488414)
巻号頁・発行日
no.12, pp.25-39, 2010-07

前ソクラテス期の哲学者エンペドクレスは,人間の精神活動に関する叙述の中で,古代ギリシアにおいて心という意味を持つ「φρήν(フレーン)」という用語を使用している。心の語義から推すならば,「フレーン」と思惟性や生命性との間には,何らかの関連性があると想定される。本稿は,1.エンペドクレスにおける「フレーン」についての検討を通して,「フレーン」が思惟性や生命性を担うということを示すこと,2.「フレーン」を有するもの,すなわち,思惟性と生命性の範疇を規定すること,を目的とする。 1.「フレーン」の機能としては,「思惟する」という機能を挙げることができる。「思惟する」という機能を有する「フレーン」は,また,人間の思惟の座であるとも考えられる。このことは,その機能が叙述される際に,「φρεσί」と与格変化形で用いられていることから示唆されている。「フレーン」の性質としては,「学ぶこと」によって成長し,「欺き」によって衰退するという可変性,感覚によっては認識できないという非感覚性を挙げることができる。本稿においては,「フレーン」を四根の混合を促す作用因である愛と解釈する。愛が「フレーン」と同様に,「思惟する」という機能,および可変性,非感覚性という性質を有するということをエンペドクレスの断片中から窺うことができるからである。 2.「フレーン」が愛であるとなれば,思惟の変化や生命体の生成消滅は,作用因である愛の影響度によって決定されるといえるであろう。また,思惟性と生命性の範疇は,少なくとも愛を内在するものに限られるであろう。思惟性と生命性の具体的な範疇は,「πάντα(パンタ・すべてのものら)」という用語の使用法を見るならば,生命体までに限定されていると考えられる。このことは,愛が常にフレーンとして存するのではなく,「フレーン」として顕現するための基盤を必要とすることを意味している。
著者
柳沢 貴司
出版者
東亜大学
雑誌
総合人間科学 (ISSN:13461850)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.63-73, 2003-03

「人を殺してはいけない」ということの理由は何であろうか。この問いに答えるのは、それほど簡単ではない。何らかの理由を提示したとしても、その理由に対しては更にまた「なぜ」と問うことができるし、そうすれば、結局は、確実な根拠など存在しえないことが明らかになるのである。しかしそうは言っても、「人を殺してはいけない」という道徳規則を多くの人は常日頃守っている。実際には殺さないでいる。それはなぜか。少なくとも、二つの理由があると思われる。一つには、人間は他者の苦しみに無関心ではいられない、ということである。殺人者もまた自分が相手に与える苦しみを共有せざるをえないのであり、それは殺人者にとっても望ましくないことなのである。もう一つの理由は、殺人は自らのアイデンティティを破壊する恐れがある、ということである。道徳は人間のアイデンティティを構成する重要な要素であり、その道徳を破るということ、しかも「殺人」という「取り返しのつかない罪」を犯すことは、アイデンティティの「取り返しのつかない破壊」を招きうるのである。さて、このような「殺さない理由」は、はたして対人間にしか当てはまらないことなのだろうか。私は決してそうではないと考える。それはまた同時に、対動物に関しても妥当しうるものである。そうであるにもかかわらず、人間と動物の扱いに根本的な差異を設けるとするならば、それはまったく一貫性を欠いたことなのである。 : Why must we not kill humans? This question is not so easily answered. The normal answer is like this : if you were killed, you would be intolerable and so you must not kill other humans. But those who dare to ask, why must we not kill humans, question this answer itself. Namely their question is why must we not kill humans, even if I am not willing to be killed?. This question is the one about morality itself : why be moral. But this question turns out to be almost impossible to answer. However we mostly observe the rule must not kill humans. Most of us don't kill other humans. Why is this? There seems to be at least two reasons. One reason is that man cannot be indifferent to other's suffering. Murderer gives the victims much suffering. But the murderer also share the suffer he gives and it is of course undesirable to him. Another reason is that killing humans is breaking murderer's identity. Morality is indispensable constituent of identity. Therefore breaking moral rules, what is worse, committing a murder that is an unrecoverable sin results in unrecoverable destruction of identity. By the way, are these reasons of not killing humans only applicable to killing hu-mans? I don't think so. These reasons are applicable to killing animals too. In spite of this, drawing distinction between killing humans and killing animals is totally in-consistent.
著者
北村 章 深田 剛毅
出版者
東亜大学
雑誌
東亜大学紀要 (ISSN:13488414)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.11-20, 2008-06

株式会社不二家が消費期限切れの牛乳を使用してシュークリームを製造し、埼玉県により食品衛生法に基づき定められた埼玉県食品衛生法施行条例に規定する管理運営の基準に違反するとされた。この件に関して、食品衛生とコンプライアンスの観点から、食の安全・安心に関して論じた。不二家の自主検査によると、期限切れの牛乳に問題はなく、また、この牛乳を原料として製造したシュークリームも問題のないものであった。但し、この自主検査結果は原料としての使用時点では得られていない。牛乳の原料としての使用の可否は官能検査で判断できる部分もあり、使用時点では官能的に問題のない原料であったため、シュークリームの製造がなされたと推察される。結局、期限切れの牛乳は製造後に原料として使用可能と科学的に判断されたこととなる。食品衛生法およびJAS法は直接消費される食品の飲食に起因する衛生上の危害の発生防止を目的としているため、食品の原材料は両法の適用範囲外である可能性が高く、埼玉県は消費期限切れの牛乳を原料として使用したこと自体が違反ではなく、施設および食品等の取り扱い等に係る衛生上の管理運営違反とし、厳重注意どまりとした。結果的に問題のない原料であったにせよ、社会規範に照らして安全・安心な食品を製造するにしては、衛生管理や品質管理が経験と勘に依存した製造と言わざるを得ない。経験と勘を科学的・合理的な根拠に昇華させ明確な基準を設定した後に使用すべきであった。不二家の問題も含めた食品に関わる報道により、食の安全・安心を支える食品表示の信頼性が低下しているが、食の安全・安心のために食品に関する正しい情報を今後とも公開していく必要がある。
著者
西村 太志 内田 裕之 原 夕紀
出版者
東亜大学
雑誌
総合人間科学 : 東亜大学総合人間・文化学部紀要 (ISSN:13461850)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.87-95, 2006-03

本論文は,心理学における研究手法の一つである調査的面接技法について、心理学の研究法の初学者を対象に演習を行った際の手法や工夫した点、結果のまとめ方などについて取り上げた。調査的面接技法は、質問紙調査や実験的手法では得ることのできない、非言語的な対象者の反応や、時間的流れの中での反応を測定することのできる手法であり、卒業研究などにおいても取られうる手法として、心理学分野のみならず幅広く用いられるものである。本論文は特に、(1)心理学の研究技法における面接法の位置づけ、(2)今年度心理学演習で実施した調査的面接法実習の内容、およびそのノウハウ、(3)演習において実際に学生が行った結果のまとめ、ならびに資料としてのプレゼンテーションの仕方、について、次年度以降学習する学生の手引きとなりうる形でまとめたものである。
著者
森川 展男
出版者
東亜大学
雑誌
総合人間科学 : 東亜大学総合人間・文化学部紀要 (ISSN:13461850)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.105-121, 2001-03

近年の犯罪傾向を見ると、行為者の精神の障害又は未確立に起因する事件の数が急増している。このような状況下、従来の刑法上の責任能力概念及びそれを判定するための精神鑑定のあるべき姿についても変革が求められる。刑法は第39条において心神喪失・心神耗弱という形で責任能力について規定すると共に、第41条において14歳未満の少年の責任無能力を規定する。また少年法は、20歳未満の少年について原則として刑事処罰の対象としない旨規定する。しかし、近時、凶悪犯罪の多発を受け、責任能力や処罰対象を広く認めようとする傾向が出てきている。これは、行為に対する非難可能性に刑罰の根拠を求める責任概念の趣旨に反するもので、被疑者・被告人の人権と社会秩序維持の調和の観点からも好ましくない。しかし、従来の責任概念のあり方にも問題無しとはしない。これをより精緻化し、国民の理解を得られるものとするために、その判断の根拠を可及的に客観的にする必要がある。そのためには、精神鑑定の基準を客観化するとともに、第三者機関を設立することによって恣意的な鑑定がなされることを排除する仕組の確立が必要である。最後に、責任能力概念及び精神鑑定は、社会の安定及び個々人の人権を守るための手段に過ぎないとの理解から、真に安定した社会の実現に向けた抜本的解決を模索する。家庭、教育現場、地域共同体が緊密に協力し、犯罪予防の実効性の高い社会を小さな単位から構築し、それを情報技術などを利用して社会全体のシステムに昇華させていくことが真に秩序ある社会の構築のための最善の方法であると考える。
著者
後藤 淳
出版者
東亜大学
雑誌
東亜大学紀要 (ISSN:13488414)
巻号頁・発行日
no.20, pp.1-9, 2014-09

ソフォクレスの悲劇『オイディプース王』は,アリストテレスの『詩学』以来現代に至るまでさまざまな解釈を受けてきた。それは,神という形而上的存在の前での人間の無力への悲嘆を,あるいは逆にその中での積極的で肯定的な人間把握への試みを,あるいは政治と人間の相互関係を読み取ろうとするものなどである。 本稿では,悲劇自体への考量は行わず,オイディプース(Οἰδίπους)という人物が体現した「人間」を,より正確に言うならば,彼の言葉‐ソフォクレスによる創作であるとはいえ‐を介してわれわれに開示された「人間」の原型(パラディグマ)について考える。それは彼の名前が本来の語義である「腫れ上がった足」に加えて,「私は(自分の)足を見た」と解し得ることから,人間が「知る」ということの意味とその妥当性と限界を考察することである。 感覚与件に依拠して先ず認識は成立する。そこに錯誤が介入することは自明の前提ではあるものの,しばしば人間はそれを忘却してしまう。オイディプースのグロテスクな悲劇は,そのことの極端なモデルである。人間の「知」が漸進的に深化するものであるとしても,それが有限「知」でしかありえない以上,「知」への過信は驕慢へと置換され人間の暗部を露呈することになる。オイディプースは自分の足を見ることでスフィンクスの謎を解いた「人間」である。しかし,怒りによる傲慢さによりその存在規定すなわち「禁忌の輪」である限界措置を視界の外にしたとき,大地に立つ確実な足を端緒とした彼の「知」も崩壊したのである。 この悲劇の中にわれわれが読むべき人間の「原型(パラディグマ)」とは,「汝自身を知れ」という格言が説く自己探求による限界認識と,同じく「矩を越えることなかれ」が戒める「知」に驕ることない平静の中で自己を反復探求することであると考えられる。
著者
李 良姫
出版者
東亜大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

日韓における祭りの再生と観光資源化について観光学的な理解を深める研究目的を達成するため、日韓における幅広い現地調査及び文献調査を行い、以下の主な研究成果をあげることができた。①韓国の祭りの衰退の原因は、日本植民地支配による影響より、キリスト教及び近代化の影響が大きい②日韓において伝統文化の観光資源化が積極的に行われている。③祭り開催は、韓国は行政、日本は地域住民が主導することが多い④地域の伝統文化は地方のインバウンド観光の拡大につながる⑤少子高齢化時代には祭りの観光資源化が有効な手段になりうる。
著者
黄 暁芬 宇野 隆夫 吉井 秀夫 河野 一隆 上原 雅文 米田 穣 河野 一隆 諫早 直人 宮原 晋吾 臼井 正 張 在明 塔 拉 魏 堅 王 曉〓
出版者
東亜大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究は4年間にわたり、対象調査地のフィールドを通して考古学、歴史学、地理情報システムや年代測定法などの学際的研究を展開していた。主な成果は下記3点にまとめられる。1.漢魏帝都と郡県城址の構造プランとその象徴性1)帝都建設における理念空間の完成:漢帝都長安の建設プランは、南山子午谷口から嵯峨郷五方基壇まで南北軸線全長75kmに及ぶ。それが渭水を中心として都城・陵墓との生・死空間が南北正方位に対置し、天と地・自然山川と記念的建造物の対象性をベースにおき、漢帝国支配の正統と神聖を表象したシンボルであり、東アジア古代都城の成立にも多大な影響を与えていた。2)郡県城址の調査と復元:華北、内蒙古における戦国・秦漢期の郡県城址が計26ヵ所を調査、測量した。GPS・GIS解析によって各遺跡の方位と構造プランを解明し、中央帝都建設に対して地方郡県都市の特色を初めて把握した。一辺500~600四方の城郭都市がほとんどで、北方位を重視するが、真北からの偏角は1度~7度あり、帝都建設ほどの精度がない。その偏角の大小は、中央勢力との関係緊密度に影響されるように見て取れる。城外には正方位重視の墳墓が造営されたことも判明し、帝都長安の都市計画を模倣したものと考える。3)北方国境線遺跡の探求:内蒙古の陰山南麓一帯の調査では、城塞、長城、烽火台の併存が発見した。一辺40-50四方の城塞は城門1つ、石積みの城壁が幅3-5、頑丈な防御施設で、それに長城と烽火台は近接に築かれ、戦国秦漢期の北方軍事施設として完備されたことが判明した。2.秦直道の調査と研究1)秦直道の真相究明:紀元前212年建造された秦帝国の南北幹線道路-秦直道は歴史上、深い謎に包まれ、長い間不明なままであった。近年、秦直道の発掘調査や日中連携調査によって、秦直道の真相がようやく解き明かされてきている。山岳高地の作道、版築土の舗装道路の道幅は平均30m、道の沿線に壮観な皇室の行宮や防御に備えた関所、駅舎施設が付設された。それは高度な土木技術と巨大な権力組織によって創り出された「帝国の道」である。2)古代ローマ道との比較:ローマ道は礫石や砂石の作道が主で、道幅4の石畳みの舗装道が特徴的である。帝国領域間の軍事、交通運輸道として発達し、商用道路の兼用を含む実用性の優れた古代ハイウェーである。3.チベット吐蕃王墓の調査と実測チベットの吐蕃王国を象徴する巨大墳墓の4大分布地点で実地調査とGPS測量を行った。その結果、時期の異なる巨大方墳・円墳を特徴とした吐蕃王室・貴族大墓の構造配置と分布を総合的に把握し、吐蕃大墓の立地方位と景観の特色などの検証が初めて実施した。
著者
勝田 茂 奥本 正 鰺坂 隆一 久野 譜也 向井 直樹
出版者
東亜大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究は世界のトップとして活躍しているシニアアスリートの体力とライフスタイルについて検討を行った。測定参加者の10年後の平均年齢は90.3歳。男性2名、女性7名、計9名が測定に参加した。結果;瞬発的な筋力発揮を求められる種目、すなわち垂直跳び・反復横跳び・立ち幅跳びなどで著しい低下を示した。年齢別でみると、体力の年間低下率は、70歳台から80歳台では-2%、80歳台から90歳台では-3%を示した。ライフスタイルについて、高齢者にとってスポーツも生きがいに足るものであることが示された。結論:高齢者こそ筋トレーニングが必要であることが判明した。
著者
吉田 信啓
出版者
東亜大学
雑誌
東亜大学紀要 (ISSN:13488414)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.111-116, 2005-11-30
著者
大城 剛 安陪 大治郎
出版者
東亜大学
雑誌
総合人間科学 (ISSN:13461850)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.49-51, 2007-03

健康な男子学生8名を対象に、血流制限を施した筋力トレーニングによる最大脚伸展力の変化、および血中乳酸濃度の動態を観察した。対象期間は連続10日間とし、初日と最終日に最大筋力の測定を行った。負荷強度は初日に測定された最大脚伸展力の30%で10回3セットとした。また、3日目と9日目のトレーニング前後に血中乳酸濃度を測定した。その結果、血流制限脚と非血流制限脚の最大脚伸展力の増加率に約2倍の差が生じた。3日目の血流制限脚において、筋力トレーニング前後の血中乳酸濃度に統計的な有意差がみられなかった。トレーニングを開始した頃の血流制限脚では、加圧器具を装着した段階で代謝産物の蓄積が始まり、実際に筋線維に作用したメカニカルストレスよりも、高い生化学的ストレスが作用していたと考えられる。これらの結果から、血流制限脚と非血流制限脚でみられた筋力増強効果の差異は、筋に対する生化学的な刺激の違いに加え、それに随伴する神経生理学的なメカニズムに由来するものと考えられた。
著者
ヤマンラール水野 美奈子 黄 暁芬 杉村 棟 小柴 はるみ 桝屋 友子 阿部 克彦
出版者
東亜大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

1)海外調査を通じて得た主な研究業績(1)研究対象である2冊の詩画帳(通称サライ・アルバム)(トプカプ宮殿美術館所蔵登録番号H.2153,H.2160)の合計289フォリオ、2152作品のデーターの入力を完了した。2冊の詩画帳の画像とデーターの総合的入力は本研究グループが初めて成し遂げた成果である。(2)2冊の詩画帳の書の索引の作成が完了した。これも本研究グループがはじめて成し遂げた成果である。絵画作品に関しては、索引を作成中である。(3)平成16年にはベルリンの国立図書館が所蔵するディーツ・アルバムを調査し、トプカプ宮殿美術館の上記2冊の詩画帳との関連性を考証した。この件に関しては更に詳細な研究調査が必要である。2)研究発表における主な業績:11.研究発表の中でも以下の論文発表は新説であり、本研究グループが成し遂げた成果である;(1)ヤマンラール水野美奈子「サライ・アルバムH.2153における半円形のデザイン文様に関する考察」:従来半円形デザイン文様は根拠なしに襟の型紙とされていたが、住吉神社、手向山神社や中国の例証などからそれらが馬具の障泥のパターンであることを証明した。(2)関喜房「サライ・アルバム(H.2153,H.2160)の装丁の考察(原文ペルシア語)」:研究対象の詩画帳は数回装丁を改められているが、そのオリジナルな装丁の考察に示唆を与える画期的研究である。3)海外における講演・発表(1)上記2)(1)は平成14年の国際トルコ美術史学会で発表された。(ヤマンラール水野美奈子)(2)平成16年10月に中国、煙台大学でサライ・アルバムに見られる中国美術の影響を発表し、中国で始めてサライ・アルバムを紹介した。(ヤマンラール水野美奈子、黄暁芬)(3)平成17年3月には、イラン国立アカデミーでサライ・アルバムを紹介。(ヤマンラール水野美奈子・杉村棟)
著者
家根橋 伸子
出版者
東亜大学
雑誌
東亜大学紀要 (ISSN:13488414)
巻号頁・発行日
no.14, pp.33-43, 2011-07

教室では参加者たちが交流しながら自分自身のことを開示し,表現し合う「交流型言語教室活動」が近年,数多く提案されている。このような活動は,日本語学習だけでなく学習者の自己成長,さらに多文化共生活動としても意義がある。しかし,その理論的基盤の不明瞭さから,実践・研究双方において日本語教育方法として広く受容されているとは言いがたい。本稿では活動が基盤とする人間性心理学の理論について明示するとともに,そこに内包された言語論・言語学習論を検討し,日本語教育方法としての可能性を示した。 : This paper considers the potential of interactive classroom activities for Japanese language education. In recent years Japanese language education practitioners and researchers have frequently advocated these activities, expecting them to be effective not only for language learning but for cross-cultural communication. However, because their theoretical basis lacks clarity they haven't been widely understood. This paper shows that the activities all have humanistic psychology in common and discusses humanistic psychology's language and language-learning theory.