著者
徳丸 義也
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.229-244, 2013-06-30

製造業大企業の複数事業所立地においては,最終消費財生産企業を対象とした,立地と空間的分業についての研究が蓄積されている.本研究は,独立系の電子部品サプライヤー企業の複数事業所立地を事例として,空間的分業論や支店立地研究,立地調整の視点から考察した.その結果,国内外の生産拠点においては,顧客企業への近接立地とともに,電子部品の製品セグメント別の分業が,複数の顧客企業に対応する市場圏分割の戦略としてみられた.専門化した領域での工場内のフレキシブルな生産システム採用がされている.電子部品企業の支店立地には,機動的で分散型の傾向がみられる.海外販社・営業所に配置された開発・設計,改良設計機能においては,顧客企業との近接性や接触の利益のための立地指向が明らかになった.また,アジアの支店に配置された機能においては,情報要因と物流の両面からの立地指向が示された.そして,海外生産拠点での立地調整では,新設や現在地での製品転換を通じて,工場間や現地協力企業との立地集中がみられた.これらは,製品セグメント別の領域を事業ドメインとし,それを軸として,規模の経済とともに個別の製品のライフサイクルや需要変動に対応するフレキシブルな生産システムという,一般には相反する機能としての立地調整が明らかになった.
著者
和田 崇
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.23-36, 2014-03-30

大阪・日本橋は,1980年代後半から家電小売店数が減少する一方で,漫画やアニメ,ゲームなどオタク向け専門店が多数立地し,東京・秋葉原に次ぐオタクの街となった.20〜30歳代男性を中心とする関西圏のオタクは,自宅で密かに楽しんでいた漫画やアニメ,ゲームなどの趣味について,インターネット上で情報を収集したり,同人と交流したりしながら,オタク向け専門店が集積し,イベントが開催される日本橋に出かけている.彼らは日本橋を現実空間におけるホーム/居場所と認識し,そこで自己を表出し,趣味を他者と共有している.こうした状況を踏まえ,日本橋ではオタクを集客対象としたまちづくりが,2000年代半ばから商業者を中心に行われるようになった.その取組みは,既存の権力サイドにあたる商店街振興組合のキーパーソンが,オタクの街・日本橋の磁力に惹きつけられて集まった若者を巻き込み,彼らの意欲とアイデア,行動を引き出し,後押しするかたちで展開された.自らもオタクであり,オタクの感性と興味に応じた企画を立案できる若者の存在が,オタクの街・日本橋のプロモーションに重要な役割を果たした.
著者
和田 崇
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.23-36, 2014

大阪・日本橋は,1980年代後半から家電小売店数が減少する一方で,漫画やアニメ,ゲームなどオタク向け専門店が多数立地し,東京・秋葉原に次ぐオタクの街となった.20〜30歳代男性を中心とする関西圏のオタクは,自宅で密かに楽しんでいた漫画やアニメ,ゲームなどの趣味について,インターネット上で情報を収集したり,同人と交流したりしながら,オタク向け専門店が集積し,イベントが開催される日本橋に出かけている.彼らは日本橋を現実空間におけるホーム/居場所と認識し,そこで自己を表出し,趣味を他者と共有している.こうした状況を踏まえ,日本橋ではオタクを集客対象としたまちづくりが,2000年代半ばから商業者を中心に行われるようになった.その取組みは,既存の権力サイドにあたる商店街振興組合のキーパーソンが,オタクの街・日本橋の磁力に惹きつけられて集まった若者を巻き込み,彼らの意欲とアイデア,行動を引き出し,後押しするかたちで展開された.自らもオタクであり,オタクの感性と興味に応じた企画を立案できる若者の存在が,オタクの街・日本橋のプロモーションに重要な役割を果たした.
著者
矢田 俊文
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.112-129, 2014-06-30

本稿は,特定地域総合開発,一次から五次の全国総合開発計画,計6つの計画すべての策定に参画した下河辺淳前国土庁事務次官の『戦後国土計画への証言』を分析することにより,各全総策定の構図を解明しつつ,戦後の国土計画の大局的な流れを把握する.構図では,世界と日本の経済・社会情勢と日本のマクロ経済・社会政策(動因1),深く関与した首相等の権力中枢(動因2),国土に関する思潮(動因3)を動因とし,責任官庁および審議会を主体として位置づけ,さらに,策定の重点分野について,国土構造の構築(照準1),地域の活性化(照準2),国土管理(照準3)を照準として描く.照準の3つの分野は,経済地理学の主要研究分野でもある.特定地域開発と一全総では,緊急課題への対応から復興や成長政策が照準となり,国土構造に照準が当てられなかった.官僚機構が整備され,下河辺氏のリーダーシップが確立する二全総では,交通・通信ネットワークの整備を軸にした「100年の計」と豪語する国土構造の構築を提起し.その後はその補強・修正に重点を置いた.つまり,三全総は,構想の弱点であった地方の活性化や国土の管理などの分野に照準を当て,四全総は東京一極集中の是正,五全総は日本の北東,南西,日本海沿岸地域など周辺地域に国土軸や地域連携軸を整備し,太平洋ベルト一軸一極集中の是正に照準を置くとともに,「21世紀のグランドデザイン」と銘打ち,二全総から半世紀後の国土の姿を描いてみせた.
著者
加藤 幸治
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.225-241, 2005-09-30

本稿では,企業グループの企業戦略や組織再編の中で,子会社とりわけ情報サービス子会社を中心とするサービス関連子会社がどのように配置・展開され,どのように再編されているのか,IT企業グループであるA社グループの展開とその日本法人・日本A社における子会社・関連会社の展開を跡付けることを通して検討していく.日本の情報サービス産業においては,大企業の影響力がもともと強く,近年におけるグローバル競争の本格化,金融グローバル化(なかでも日本における国際会計基準の導入)によって,大企業グループの動向が情報サービス産業に与える影響がより一層強まっている.グループ全体の利益が優先される中,子会社の生産性や市場での優劣に関係なく,全社的視点から位置付けや方針が決定されているからである.その中で情報サービス産業の子会社・関連会社の立地・配置やその展開は,情報サービス企業の論理によって決まるというよりも,むしろそれを一部として内包する企業グループを取り巻く競争環境・競争条件,それに対応するグループの戦略・行動に大きく左右されている.地域的視点からみれば,企業(子会社)とその立地地域との関係はこれまで以上に希薄なものとなり,「企業の論理」が貫徹される傾向が近年ますます強まっている.こうした「グローバル化」を共通の起動因とした企業グループの行動は日本企業に広くみられており,企業論的視点が産業・企業と地域との関係を捉える上で,より重要性を増している.
著者
外枦保 大介
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.1-16, 2012-03-30

本稿の目的は,自己完結型生産体系の企業城下町である南足柄市における,中核企業の事業再構築とそれに対する地域諸主体(自治体,下請企業)への対応の実態解明を通じて,企業内地域間分業の再編をめぐる中核企業・地域の相互作用の意味について考察することである.2000年代,南足柄市と隣接する開成町において,富士フィルムは,写真感光材料事業を縮小する一方で,それで培われた技術を活かして,液晶用フィルムの工場を新設した.また,研究所を新設し,研究開発機能の強化を図った.企業内地域間分業の再編に伴い,そこは,主力事業の生産を担う役割から,高付加価値な製品を創出する生産・研究開発拠点という役割へ変化した.富士フィルムの事業再構築の影響を強く受けた南足柄市は,富士フィルムを引き留め,再投資を促すために対応し,研究所や工場を誘致した.中核企業出身の市長が誕生したことで,企業の意向が自治体政策に反映されやすくなった.自治体財政が悪化し企業城下町として危機に陥ったものの,結局,中核企業との結びつきを強め,企業城下町として生き残る道を選択した.一方で,下請企業も事業再構築の影響を被っており,取引先拡大や新事業展開,技術力強化が求められているが,市はそれら課題克服のために直接的な支援はせず,再投資の波及効果の期待に留まっている.南足柄市では,中核企業へのスピーディな対応が投資を引き付ける決め手の一つとなった.製品のライフサイクルの短縮化にあわせて企業組織を適時に再編するという企業の意向が,いっそう自治体政策に影響を及ぼすようになってきたことが,今日の自己完結型生産体系の企業城下町が有する特質の一つである.
著者
友澤 和夫
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.323-336, 2000-12-31
被引用文献数
14

本稿は, 1990年代の欧米工業地理学の特徴を, (1)産業集積を最大の関心事とすること, そして(2)それを把握する分析軸が従来の生産システムを主としたものから, 知識やイノベーションの役割とその創出過程を重視した, いわば学習システムの視点を持ったものに変化していることと捉え, 当該分野の研究動向の把握を行った.ローカルミリュウ論, 学習地域論, そして集団的学習過程論の3つを取り上げ, 方法論的特性や分析視角のオリジナリティ等を論じるとともに, 若干の批判的コメントも施した.ローカルミリュウや学習地域は, 「産業地区」がいわば進化した形態と捉えられ, ローカルな不確実性低下機能やイノベーション能力を有している.知識経済化の下では, 産業集積はこうした側面を強めると考えられ, わが国の工業地理学においても理論面での消化・吸収と実証研究の遂行が必要であることを主張した.
著者
河島 伸子
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.295-306, 2011

都市再生戦略において,文化的施設の建設や文化フェスティバルの開催などを核とする手法が世界各国で定着しつつある.ここでは都心部の整備と美化,都市ブランディングとイメージ向上戦略,文化観光の発展やコンベンション・ビジネスの誘致による入込客の増加策が中心にある.このような,文化を核としてその経済波及効果をねらう政策に加え,産業育成策としての都市文化政策が世界各国に広がった.これには,公的文化政策の対象である芸術文化に加え,映像や電子ゲーム産業など商業性の高い領域が合わさり,「創造産業」と呼ばれるようになったことも影響している.進展する経済のグローバル化,サービス化は,このような状況に拍車をかけている.経済波及効果を目的とする都市文化政策において,また近年急速に発達した創造産業振興型の都市文化政策においても,課題として残るのは,ここで想定されている発展シナリオに理論・実証面において,不十分な点や矛盾,齟齬が残されていることである.今後の都市文化政策においては,優れて多様な文化を育成・普及するという文化政策の基本目標に立ち返り,これらを達成するための環境整備として何をすべきかを十分に検討する必要がある.創造産業のメカニズムに関する研究を,特にデジタル化とグローバル化によりその基本構造がどのように変化しているかに留意しつつ,進展させていくことは,この下地作りのための重要な研究課題である.
著者
梶田 真
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.180-195, 2003-05-31
被引用文献数
1

バブル景気が崩壊した1990年代以降,わが国の建設業では大きな再編成が進みつつある.本稿は地理学的な観点から1980年代以降における建設業の動きを分析し,今後の動向を展望することを目的としている.本稿では特に土木業と公共投資の動きに注目する.オイルショック後の不況に対する1970年代後半の景気刺激策によって,1970年代の末期にわが国の財政は危機的な状況に陥る.1980年代に入ると欧米諸国では,小さな政府を志向したニューライトの台頭の中で公共投資が縮小し,工事内容でも維持・補修工事の比重が高まる.当時,わが国でも同様の動きが予想され,国はこのようなシナリオに基づいた建設業の産業ビジョンを発表する.しかし,バブル景気がはじまると建設需要は再び拡大し,さらに内需拡大を求める諸外国からの圧力によって公共投資額も再び増加した.これらの動きによって,わが国の建設業は1980年代に大きな再編成を経験することがなかった.しかし,1990年代に入って,バブル景気が崩壊すると民間需要は急速に縮小する.さらに,地価の大幅な下落によってゼネコン,特にバブル期に積極的に開発事業に乗り出した業者の経営状態は急速に悪化する.一方で,1970年代後半と同様に,国は1992年以降,毎年のように公共投資を中心とした景気刺激策を打ち出し,土木業中心の経営を行う地方の中小ゼネコンは好調な業績を上げた.地域的にも需要規模が急速に縮小した大都市圏と,民間需要の縮小を公共投資の拡大で補った地方圏との間で対照的な様相を呈する.1990年代後半に入ると長引く不況と,継続的に実施された景気刺激策によって国家財政は再び危機に陥る.当初,財政改革を主張する人々とさらなる景気刺激策を求める人々との間には激しい対立があった.しかし,1999年に公共投資額が減少に転じると,以後,わずか3年の間に公共投資額は10%以上も減少する.さらに,国は公共事業における事業コストの縮減と入札・契約改革を進め,再び建設業界の再編成を志向した産業ビジョンを発表する.市場の縮小によって経営状態が悪化した大手ゼネコンは事業コストの削減に乗り出し,情報化の進展による業者間競争の激化は,わが国の建設業の特徴の一つである,協力会組織の再編成をもたらしつつある.このように1990年代以降,わが国の建設業では大きな再編成が進んでいる.これは他産業において1980年代に生じた現象が,建設業ではバブル景気によって"延期された"ものと考えることができるだろう.
著者
矢部 直人
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.292-309, 2008-12-30
被引用文献数
2

日本における不動産証券化は,バブル経済崩壊後の停滞していた土地市場に資金を呼び込み,流動化を促す手段として使われた.1990年代後半には不良債権処理や資産のオフバランスに伴う不動産の売却ニーズがあり,不動産証券化を通して流入した資金はそれらの不動産の買い手となったのである.不動産証券化スキームの一つであるJ-REITの主なエクイティ投資家は,信託銀行や地方銀行などの国内金融機関および外国人,国内の個人であった.外国人投資家の資金は,大半がロンドン,ニューヨークという金融センター型世界都市を経由していた.J-REITが取得する不動産は,全国スケールでは首都圏に集中しており,なかでも東京23区への集中が顕著であった.J-REIT取得物件の竣工-取得期間の分析からは,東京23区ではJ-REIT向けにマンションと商業施設の開発が進んだことが明らかになった.主な開発主体は中小不動産企業であり,豊富な資金を持つ不動産ファンドへの売却を想定して開発を行なっていたのである.不動産証券投資を通して,東京は海外からだけではなく,国内の地方や個人投資家からの資金も集めている.幅広い投資資金を集める金融商品の一つとして,東京の都市空間が改変されているのである.
著者
梶田 真
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.1-18, 2008-03-30
被引用文献数
2

わが国において,公共事業が重要な地域間所得再分配機能を果たしている理由の一つは,地場・中小業者に対する様々な保護制度の存在にある.本稿では,国が発注する公共事業において,これらの保護制度を規定している官公需確保法の強化との関係から,制度運用変化の実態について分析を行った.さらに,官公需確保法の強化が地場の土木業者に与えた影響についても考察した.事例研究として取り上げたのは,中国地方建設局および島根県内の土木業者である.中国地方建設局では,官公需確保法の強化による分離・分割発注の増加や分任官契約限度額の引き上げによって,発注の主体が本局から地方事務所にシフトしていった.発注できる金額に上限がある地方事務所の入札では,主として指名競争入札が用いられ,原則的に各地方事務所の管轄域内の業者のみが指名されたため,地場業者の受注機会は拡大した.しかし,指名業者間での受注調整により,受注機会は管轄域内の大手業者を中心にバランスを取って配分された.それゆえに,官公需確保法の強化は,有力な業者の育成に寄与したのではなく,県内大手業者の平均的な底上げをもたらした,と結論づけられる.
著者
鈴木 茂
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.10-23, 1991-03-31
被引用文献数
1

わが国において,1980年代になると,「技術立国」構想が提起され,ハイテク型産業の誘致・育成を基調とした地域開発政策が全国的に展開されるようになった.その典型がテクノポリス構想である.テクノポリス構想が公式文章に登場して以来10年を経過し,1990年はテクノポリス開発計画の目標年次である.テクノポリスを実績に基づいて評価することが可能になったといえる.テクノポリスは,従来の地域開発政策と異なって,地域のR & D機能の整備や空港・高速自動車道周辺に内陸工業団地を建設するとともに,都市機能を整備してハイテク型産業の集積や研究者・技術者の定住を図ろうとするところに特徴がある.しかし,1985年の円高・産業構造調整とそれを契機とする生産拠点の海外へのシフトによって,多くのテクノポリス地域では工業開発の目標を達成できていない.そのうえ,テクノポリスの重要な政策課題である地域技術水準の高度化は,進出企業と地場企業の技術格差のために技術移転が円滑に進んでいない.例えば,代表的なハイテク型産業であるIC産業が集積している九州地域においても,集積しているのは生産機能であり,生産に係わる技術集積が見られるが,研究開発開発機能の集積が弱く,地場企業との技術格差が拡大して技術移転をあまり期待することができなくなっている.さらに,テクノポリス地域においては公設試験研究機関が再編拡充されたが,整備の中心が施設や研究機器におかれ,研究者・技術者がほとんど増員されていないために,研究開発機能が実質的に強化されていない.むしろ,ハイテク型産業や民間研究所の一極集中傾向が強まっており,ハイテク時代における地域振興を図るには,公的な試験研究機関の抜本的な拡充を図る必要があろう.
著者
葉 倩璋
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.202-219, 1994
被引用文献数
4

1895年, 台湾は日本の植民地となった. 本稿では, 日本植民地下における台北の都市計画がその統治政策によっていかに規定され, また台北の都市空間構造がどのように形成されていったかを分析する. 台湾の植民地統治政策は, 大きく三つの時期に区分される. すなわち, 1895〜1919年の, 治安平定を目指した撫民政策期, 1919〜1936年の同化政策期, そして1936〜1945年の皇民化政策期である. 都市計画は, 撫民政策期には植民地統治の象徴的建造物の建設などにみられる植民地都市空間の創出を目的とし, 同化政策期には, 都市の機能性, 快適性を追求する, 内地より先進的な都市計画事業が実行に移された. そして1936年には台湾都市計画令が公布される. 皇民化政策期には, 台湾都市計画令に基づく最新の都市計画事業により, 日本人の居住空間や宗教空間の充実と拡張化が図られた. 台北の社会空間においては, 日本人と台湾人との居住分化の構造が顕著にあらわれた. それは,「同化」を促す統治政策の下での都市計画の限界を示すものである. 居住分化は, 植民地という固有の社会状況を示すものであり, 植民地都市計画は, 「植民地」という枠組みのなかで自ら限界を有していたのである.