著者
小田 光宏 堀川 照代 間部 豊 庭井 史絵 仲村 拓真
出版者
青山学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

学校図書館職員(司書教諭,学校司書)に求められる技能(知識・技術)に対して,資格教育の内容が十分であるかどうか,また,資格教育で扱われる内容は,求められている技能と乖離していないどうかを解明する研究を実施した。具体的には,資格教育で使用されるテキストブックの分析,資格教育の担当者への聴取調査,司書教諭への聴取調査,学校司書への聴取調査行い,結果を統合的に分析した。結論として, 司書教諭に求められる技能は,資格教育で獲得できるものの一部に乖離が見られること,また,学校司書に求められる技能は,資格教育において不足するものがあり,乖離が大きいことを導き出し,得られた示唆についての意義を検討した。
著者
小屋 菜穂子
出版者
青山学院大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2004

テニスにおける調整力トレーニングのあり方を論じていくために、一昨年度から引き続き、今年度も国内外の選手が見につけている動き(技術)を発育発達段階に沿って、実際の試合をもとに分析してきた。分析ソフトの作成は、今後の使用目的を考慮すると、ベース自体からの練り直しが必要になり、引き続き継続している。日本選手は、ジュニア時代は上位にランキングされていても、シニアになるとその順位を維持できない。特に、男子の場合、トップ100位に入ることが非常に難しい。女子の場合は、トップ50位前後には入っており、今年は再び、国別団体戦であるフェド杯で、ワールドグループ1に入った。これは、世界ベスト8に相当する。しかし、個人のランキングを見ると、トップの杉山選手でも20位代である。体格差や筋力など、原因はいろいろと叫ばれているが、実際に見て情報を得る必要があった。そのために今年度は、世界のジュニア選手のレベルを把握するために、海外大会を視察した。世界のトップシニア選手の試合は、テレビ放送があるが、ジュニア選手の試合はあまりない。大会として選んだのは、世界4大大会のひとつであるUSオープンである。ここでは、日本選手vs外国選手、シード選手vsノーシード選手など、技術やプレースタイルをレベル別に把握できる試合が集中している。また、ジュニアとトップが同一会場で試合を行うことから、発育発達に沿った技術レベルの向上も見ることができた。有効な情報は数多くあったが、特に、ボールスピードのコントロールは、ジュニアとシニアの差が歴然であった。これを状況によって使い分けることが、トップになるための一必要条件である示唆を得た。昨年度からの、gradingの調査は上記の裏づけにもなると考えられる。今年度はさらにデータを増やすため、12歳から大学生まで、測定を行った。昨年度の結果に追加して、有用な示唆が得られると考えている。
著者
冨山 太佳夫 川津 雅江 大石 和欣 梅垣 千尋 吉野 由利 山口 みどり 高橋 和久 川島 昭夫
出版者
青山学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

18世紀後半から19世紀前半にかけてのイギリスにおいて、社会の多様化や消費文化の進展、国外への帝国主義的覇権の伸長が起こった結果、イギリス国内にいる女性にとっても公共圏が複層的、複次元的に展開していった。「私/公」の境界線は、ジェンダーによってはもとより、社会階層によっても、また家族構成によっても、まったくそうなる形で形成され、その複層性・多元性の実態を文学および歴史資料の中から精査した。同じ女性であっても状況によって複数の境界線が存在し、意識されていたのであり、さらにはその境界線自体が明瞭なものではなく、曖昧なグレイ・ゾーンであったことである。Mary WollstonecraftやCharlotte Smithのような女性とHannah MoreやJane Austenそれぞれが、一定の範囲内であいまいな「公共圏」を想定し、そこに共存しつつも、消費、政治、宗教、情報、地域といった様々な領域において異なるpublic/privateの境界線を意識し、言説として公表してきた。全体として、家庭イデオロギーが19世紀初頭にかけて支配的になっていくのは明らかであるが、しかしその状況において女性たちは異なる「公/私」の境界線上を往還運動していたのである。
著者
國分 俊宏
出版者
青山学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究の目的は、20世紀前半のフランス文学において、言語実験的作品を書いた作家たちのうち何人かを取り上げて、その背景、特質、射程を検討することであった。具体的にはレーモン・ルーセル、ゲラシム・ルカ、ジョルジュ・ペレックの三人を取り上げた。初年度においては、秋に一度、フランスへの研究出張を行い、資料収集に努めた。特にゲラシム・ルカに関連して、ルーマニア・シュルレアリスム関係の古雑誌などのコピーを手に入れた。またその際、特異な文体で知られる現代フランスの作家フランソワ・ボン氏と面会し、インタビューを行った。ジョルジュ・ペレックの資料が所蔵されるアルスナル図書館を紹介していただいたのもボン氏である。第2年度は、ルーセル、ゲラシム・ルカに関する論文をそれぞれ一本ずっ執筆した。この2本の論考は、1年遅れで翌年せりか書房より『ドゥルーズ千の文学』(宇野邦一・堀千品・芳川泰久編著、2011年1月発行)の中の分担執筆分として刊行された。また夏に一度、フランスへの研究出張を行った。その際、フランスにおける若手のペレック研究の第一人者であるソルボンヌ大学教授のクリステル・レッジアー二氏と面会し、関連文献をコピーさせていただくなどした。最終年度には、「レーモン・ルーセル:言葉と物」のタイトルで学会ワークショップを開催したほか、シュルレアリスムの詩人ポール・エリュアールやレーモン・ラディゲらの翻訳をした日本のモダニズム詩人北園克衛を軸に、日仏の言語実験詩人の比較研究にも手をつけた。
著者
高田 賢一
出版者
青山学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究の目的は、20世紀アメリカ児童文学における子ども像と自然環境意識の変容の歴史を解明することである。そこから得られた結論の第1は、自然環境の破壊と公害の先進国であるアメリカは、児童文学の分野において人間と自然環境の調和を真剣に考える先進国でもあるということである。結論の第2は、子どもが社会改革の可能性を秘めた存在であるという点である。第3の結論は、20世紀アメリカ児童文学、特に動物物語における子ども像と環境意識の歴史的変遷を『オズの魔法使い』を始めとする主要な作品に即して解明することにより、アメリカの児童文学が未来の社会を担う子どもたちに対して、新たな自然観、さらに自然環境への対応方法を提示してきたことが明らかとなった。すなわち、自然は人間が支配することのできない他者であるとの認識を持つことの必要性である。第4の結論は、児童文学に焦点を絞ることにより、自然・環境意識の変遷、レイチェル・カーソンのいう「驚きの感覚」を持つ子どもと自然環境との関連の歴史的特質、そして児童文学作家たちの環境意識の変容を明らかにしたことである。つまり本研究は、子どもと自然環境の角度から考察したアメリカ研究なのである。今後の課題は、子どもと自然環境の関わりを重視する新たなアメリカ児童文学史の構想であり、児童文学と環境教育との結びつきを視野に入れた研究へと幅を広げる必要性ではないだろうか。今後、このような考えに基づき、さらに多くの作家・作品を対象とすれば、その研究は国内外の最先端の研究と位置づけることが可能になると思われる。