著者
加藤 克
巻号頁・発行日
2006-03-24

207p.
著者
森 郁惠 都築 和代
出版者
産業技術総合研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究は、人体と環境変化に対して体温調節を補う役割を果たす寝具を1つの系とした寝具-人体熱収支モデルを構築することにより、睡眠時の人体周りに形成される寝床内温熱環境を予測・評価する手法を開発することを目的としている。平成23年度は、寝具の使用量が少なく変数が単純な夏季を対象として、サーマルマネキンを用いた測定を実施した。実験条件は、実生活に即した環境温度、空調制御の方法および寝具と着衣を用いた既往の睡眠に関する被験者実験を参考に、寝具としてベッドの上に敷布団とタオルケット、着衣は夏用のパジャマ、空調制御はエアコンとパネル冷房および冷房なしの組み合わせで設定した。測定項目は、マネキンの皮膚表面温度および発熱量、寝具や着衣の表面温度と表面熱流とした。マネキンによる計測データと、先に行われた被験者実験の結果と比較して用いることにより、モデル構築の一段階において、皮膚温や深部温のセットポイントや代謝量、寝具の総合的な断熱性能等の変数や係数をチューニングすることが可能である。本研究は、事業機関の初年度早期に廃止となったため、サーマルマネキンを用いた基礎的データの測定実験を行うに止まったが、得られた計測データは、寝具-人体熱収支モデル構築の基礎資料として有用である。今後、設定する条件を拡大して測定を行うことで、モデルの適用範囲を拡大するとともに、被験者実験の結果と比較検討することにより再現性を確認し、精度の高い有用なシミュレーションモデルを構築し、健康で快適な睡眠環境の形成に資することが出来ると考える。
著者
鎌田 篤慎
出版者
社団法人情報科学技術協会
雑誌
情報の科学と技術 (ISSN:09133801)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.175-180, 2014-05-01

昨今,ビジネスの潮流を作っているWeb APIであるが,その歴史は意外にも古く,もっとも最初に企業が公開し,成功したWeb APIは米国のeBayが2000年に公開したものと言われている。それから十数年,インターネットに接続するデバイスの増加に伴い,これまでにない勢いでWeb APIの公開が進んでいる。また,政府が主導するオープンガバメントの流れを汲んだオープンデータもWeb APIで公開されることが増えてきた。そうした背景とHack For Japanの活動でも政府が公開したWeb APIを使ったHackathonにおける成果,また,より利用されるために提出した提言書などの紹介と共に,そこに存在する課題を説明する。
著者
寺野 香織 剣持 聡久 中村 暢達 根本 啓次
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会総合大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.1996, 1996-03-11

筆者らがこれまで開発したバーチャルスキーシステム(図1)は,スキーヤの生体情報を計測し,その動作に応じて映像や音響を呈示し,仮想的なスキー滑走を行うVRシステムである.[figure] このVRシステムの音響生成部では,現実を再現するスタート時のカウントダウン音や,ゴール時の観客の歓声,ゲーム性を高めるBGM,映像情報を補助するボール通過音等の効果音を呈示してきた。しかし,実際のスキー場では,他にも色々な音が生じている。本稿では,より臨場感ある音環境生成のための,滑走音の呈示について述べる。
著者
田中 岩男
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

本研究により以下の諸点が明らかにされた。(1) 歴史と神話を同時にはらむ『ファウスト』の特有の「歴史性」(2) 時間的にかけ離れた事象を重ね合わせ、類型化・典型化して考える方法論的原理 (3)『ファウスト』全体をつうじゲーテの思考における本質的なパラメーターとしての〈自然〉(4)〈人工〉による〈自然〉の支配に顕著に表れた近代の暴力的な性格 (5) 近代に対するゲーテのアンビヴァレントな立場、等。

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1902年09月20日, 1902-09-20

2 0 0 0 OA 東京印象記

著者
児玉花外 著
出版者
金尾文淵堂
巻号頁・発行日
1911
著者
海老田 輝巳
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.79-91, 1999-09

津和野は、森鴎外の生地として多くの人々に知られ、現在、西日本における観光地としても有名である。鴎外の津和野在住は生誕から一八七二(明治五)年、十歳(数え年十一歳)までの十年間であった。この間、鴎外は、六歳(数え年。本論では数え年で論述)の時、藩校養老館の教官村田義実に『論語』を学び、八歳から藩校養老館で、四書五経の経書や『史記』その他の史書などを学んだ。廃藩置県で養老館が閉校になるまでの約二年間藩校の経営が続けられた。一七八六(天明六)年から一八七一(明治四)年までの八十五年間、養老館の教学は、山崎闇斎(一六一八-八二)を祖とする朱子学、すなわち崎門学派の朱子学が根幹であった。八十五年間には、時代の趨勢によって、洋学が採り容れられたり、日本神道や国学が中心になったこともある。また我が国啓蒙思想家西周(一八二九-九七)によって、これらの思想を包括して広い視野に立った近代教育への脱皮の試みがなされたこともあった。森鴎外は藩校養老館で学んだ最後の学生の一人である。彼は、死去する五年前、一九一七(大正六)年に、随筆「なかじきり」を『斯論』第一巻第五号に掲載し、「幼い時に宋明理気の説が、微かにレミニサンス(筆者注-フランス語で、無意識の記憶。)として心の根底に残ってゐて、」と述べ、さらに「同書」で、宋代理学、すなわち朱子学と西欧のエドワルト・フォン・ハルトマンの無意識哲学やショーペンハウエルの厭世哲学の影響が、鴎外の思想的生涯に大きいことを述べている。本論では、藩校設立以前の藩学の状況、藩校設立に崎門学派朱子学を導入した際の経緯、それ以降の藩学の推移などについて論述し、崎門学の果たした役割について述べる。
著者
友成 有紀
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.1179-1183, 2012-03-25

パーニニ文法学者は文典Astadhyayi (A)に何らかの技術的問題点が見つかった場合,常に詳細な説明(vyakhyana)を行いその排除に努めてきた.それらの問題は基本的にパーニニ文法学者の扱うべき課題であったが,Brhati (B)およびNyayamanjari (NM)という非文法学者による著作にそれらが批判されている箇所が存在する.前主張としてのヴェーダ批判の文脈に現れるこの批判は,内容としては大略パーニニ文法学者の著作,特にMahabhasyaの部分的な焼き直しに過ぎない.しかし,それらの議論がBおよびNMといった著作に取り上げられているという事実はなお一考の価値を有するものである.なぜなら,これらの議論の存在は,プラクリヤー文献と呼ばれるのAの注釈書群-これらはそれ以前の注釈書とは方法論的/性格的に一線を画する-が登場する舞台背景を我々に示し出す可能性を有しているからである.