著者
太田 雅子
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.39-44, 1997-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
10

本稿では, 「因果的説明が因果関係を表すならば, それは何と何との間に成り立つ関係なのか?」という問題提起のもとに考察を行う。「因果的説明」には, 「cがeを引き起こした」という形の単称因果言明の他に, 文を単位として理由を表す言明「AだからBである」または「BなのはAだからだ」をも含めて考えることとする。手順としては,「出来事」を因果関係の関係項とする立場を取り上げた後, それ以外の存在者 (事実, 性質など) もまた因果関係を構成しうることを示し, それによって因果的説明にもたらされる利点を明らかにしたいと思う。
著者
八杉 満利子
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.59-64, 1996-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
6

1 0 0 0 OA 絵画と類似性

著者
佐藤 英明
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.79-84, 1996-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
12

従来, 絵画的描写は言語的記述と異なり, その対象との間に何らかの「類似性」が存在するものと考えられてきた。だが, N.グッドマンは『芸術の諸言語』において, そのような考え方が誤りであることを指摘し, 言語的記述と絵画的描写との違いは, その記号系が「稠密」か否かに求められるとした。本稿は, このグッドマンの理論の難点を明らかにし, その克服の方途をフッサールの像理論に見いだそうとする試みである。そして, それによって, 逆にフッサールの像理論をグッドマンの理論に基づいて再構成し, そこに「類似性」を考察する新たな視点を求めたい。
著者
九鬼 一人
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.45-50, 1995-12-25 (Released:2010-05-07)
参考文献数
13

本稿は, ストローソンの「真理の遂行説」を, 新たな形で継承することを主題とする。遂行説はオースチン等からの批判のためにあまり顧みられていない。がしかし, それに対する過去の多くの批判は, 遂行説と人格概念とを結合することで, 回避できると考える。真理とは「(1)判断という行為において (2)人格たる認識者によって (3)態度決定された事柄である」と捉えることで, 批判から逃れうるのではないか。まずストローソン, そして遂行説的スタンスを先駆けて提唱したリッカート(1)とともに認識の原基的場面を判断という行為に求める((1))。そしてリッカートを介して, 判断行為の主体が人格であることを押さえる((2))。この改作した立場からいかに遂行説を復権できるかを述べたい。((3))。
著者
中山 康雄
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.37-43, 1995-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
8

1 0 0 0 OA 書評

著者
黒崎 宏
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.53-54, 1994-12-25 (Released:2009-07-23)
著者
中野 伸二
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.57-62, 1995-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
8

ライプニッツの「可能性」概念には少なくとも2つの意味(1)を見出すことができる。そして, この2つの意味の差異は, とりわけ形而上学的著作と論理学的著作の間で顕在化してくるように思われる。それら2つの意味については, ライプニッツが, 混乱して使用したのだという解釈も見られるが, ライプニッツ自身は次のように述べている。「個体的なもの, もしくは偶然的真理の可能性は, それらの概念の中に, それらの原因の可能性, 即ち神の自由決定の可能性を含んでいるからである。この点で, それらのものの可能性は, 種や永久真理のような『神の意志を仮定しないで, 専ら神の悟性に依存しているもの』の可能性とは異なっている」(G. II. 51. アルノー宛書簡)。ここからも明らかなように, 彼は, その2つの可能性概念の差異について, 十分に意識していた。そして, このことは論理学的著作の中でも次のように言及されている。「現実に存在するものは, 存在するもの即ち可能なものであって, その上に何ものかである。しかし, すべてを考慮しても, 現実存在するものにおいて, 存在のある度合以外の何が考えられるか私には分からない。…しかし私は, 『あるものが現実に存在すること』が可能であるということ, 即ち, 可能的現実存在をいおうとは思わない。これは本質自体にほかならないからである。…従って私は, 現実存在するものは, 最も多くのものと両立する存在, 即ち最大に可能な存在であると考える」(C. 376. “Generales Inquisitiones de Analysi Notionum et Veritatum”.以下『一般的研究』と略す.§73).従って, これらの可能性概念は, それぞれの分野で異なった意味で用いられているばかりでなく, 後により詳細に検討するように, 非常に重要な哲学的役割を担わされていると考えられる。そこで, ここでは, こうした可能性概念の二重性の背後に彼がどのような問題意識を抱いていたのか, あるいはまた, このような二重性を認めることにどのような哲学的な意図が込められていたのかについて考えてみたいと思う。そのためにまず, 可能性という概念がそれぞれの分野でどの様な意味で用いられていたのかを見てみよう。
著者
大川 修司
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.63-69, 1995-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
19

ダーウィンの進化論が生物学で確固たる地位を築いた後, 進化論は生物学以外の分野においてもその思想は多大な影響を及ぼしており, 同時に進化論という言葉が多義的に用いられるようになってきている。特に優生学に代表されるような進化思想と社会をめぐる研究は数多く報告されている。その一方で, 生物学以外の自然科学分野における進化論の影響についてはあまり語られていない。本稿は, 進化生物学者であるエルンスト・メイヤーと, 物理学的な背景をもち進化論からの影響を受け独自の科学思想を発展させたカール・ポパーの進化論解釈を比較することにより, その多義性を明らかにしようとするものである。特に, ダーウィンの進化論が問題提起したとされる人間中心主義思想に対して両者は全く異なる立場をとっている点を議論の中心的なテーマとする。
著者
中島 敏幸
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.71-77, 1995-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
15
被引用文献数
1 1