著者
倭文 知騎 藁谷 敏晴
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.61-66, 2003-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
45
被引用文献数
1 1
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.922, pp.30-33, 1998-01-05

1992年、主要パソコンメーカーでは最後発で参入したヒューレット・パッカード(HP)のパソコンが、ここ数年、急成長を続けている。 調査会社のIDCによると、97年7〜9月の販売台数は実に前年同期比69%増と主要メーカーで最も高い成長率を記録。米国のコンパック・コンピューター、IBM、デルコンピュータとともに4強の一角に食い込んだ。
著者
中山 康雄
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.37-42, 2003-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
10
著者
雨宮 民雄
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.31-36, 2003-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
24
被引用文献数
1 1
著者
今田 高俊
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.9-15, 2002-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
8

科学の目的は現象を記述し説明することにある.このことに異論をさしはさむものは誰もいないであろう.しかし, 現象を記述するとは何か, また説明するとは何かという方法論の話になると, しばしば論争の的になる.これまで科学の方法については, 法則定立科学か個性記述科学か, 実証主義か理念主義か, 検証主義か反証主義か, などをめぐって様々な論争が展開されてきた。しかし, 私はこうした論争で展開された方法論の対立が必ずしも有益であるとは思わない.というのも, こうした方法論論争には, 認識対象のリアリティ (現実味) にかんする相容れない前提がそれぞれの立場にあるため, 議論が生産的にならないからである.普遍法則として認識できるリアリティに対して, 個別の事例であるが本質としてのリアリティを対峙したり, 具体的で経験的検証が可能なリアリティに対して, 反証できないかぎり有効な法則であるとする反証可能なリアリティを対峙したりする例がそれらである.しかし, リアリティというものは, 特定の観点から切断されるだけでは全体像が明らかにならない.科学の方法を問う場合, 方法が扱っているリアリティの全体像にまで遡って検討する必要がある.
著者
徳安 彰
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.17-22, 2002-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
21
被引用文献数
1

1 0 0 0 OA 視覚の因果説

著者
前田 高弘
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.103-109, 2002-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
25

知覚の因果説は知覚に関心を持つ哲学者や心理学者によって広く受け容れられているように見えるが, 反対する者もいる。哲学的テーゼに反対者は付き物であるから, そのことは不思議ではないとも言えようが, 私にはやや奇妙に思えるところがある。知覚の因果説は基本的に知覚の概念に関するものであるが, 事実として知覚が生起するための因果的機構が科学的にある程度説明され, かつ反因果論者たちもその種の因果的機構の存在を否定するわけではなく, さらに一般常識も知覚の因果説的な捉え方を抵抗なく受け容れることができる (あるいは現に受け容れている) ように見えるのに, なぜ反因果論者たちは, 知覚の概念そのものは因果説的ではない (あるいは因果説的に捉えるべきではない) と敢えて主張する必要があるのか。実際, 私にはその理由が見当たらない。むしろ, 知覚の概念は因果説的であると考える方が理に適っているように思われる。そのことを論ずるのが本稿の目的であるが, 以下の議論は専ら視覚を問題にしている。反因果論者たちはすべての感覚様相について因果説を批判しているわけではなく (cf. [9] p.295), 批判の対象になるのは基本的に視覚か聴覚であり, 私が視覚の因果説を擁護するために持ち出す論点が視覚以外にも当てはまるわけではないからである。いずれにせよ, 私がここで論じたいことは, 敢えて控えめに言えぼ, 少なくとも視覚に関して因果説を拒否すべき理由は見当たらないということである.
著者
本橋 信義
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.111-115, 2002-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
2

1 0 0 0 OA 書評

著者
竹尾 治一郎
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.117-119, 2002-03-25 (Released:2010-05-26)
著者
三浦 謙
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.97-102, 2002-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
19
著者
中山 康雄
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.61-67, 2002-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
24

Quine (1951) の後半部は, 経験主義的全体論の構想を描いている.クワインの描いた描像は全体論の一つの形を示している.デイヴィドソンは, 概念枠と内容の二元論を否定し経験主義的でない全体論の道を取ろうとしたが (Davidson (1974) 参照), 科学活動の発展に注目する時, それがクワインの描いた全体論を超えるものとは必ずしも言えない.それは, デイヴィドソンの全体論には, 発展し変貌していく信念のダイナミズムが欠けているからであり, この点に関してはクワインの全体論の方が優れているからである.しかし, クワインの経験主義的全体論は, この立場が取りうる一つの形態にすぎない.それは, 信念変更に関する保守主義を含んだ経験主義的全体論である.本稿では, 'ローダン (Larry Laudan) が唱える進歩主義を経験主義的全体論に取り入れることができることを示し, これにより経験主義的全体論者が複数の戦略を取りうることを示したい.
著者
福井 謙一
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.27-33, 2001-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
5

信念や知識といった命題態度を表現する文の意味論は, 言語哲学の中心的問題のひとつである.この問題をめぐっては, 命題態度の対象を, 何らかの抽象的対象 (とりわけ命題) と見なす立場と, それを文や発話といった何らかの言語的対象であると考える立場が存在するが, 『意味と必然性』におけるカルナップの信念文の分析は, 後者の系統に属する先駆的な業績である.本稿は, この分析に内在する, ある論理的・意味論的な問題点を明らかにし, それを解決することを試みる.カルナップの分析は, 信念文に限定され, 他の命題態度は扱われていないため, 本稿でも信念文に議論を限定するが, 以下で指摘される問題点は, カルナップの信念文の分析と同様の観点からの, 他の命題態度の分析にもあてはまる.