1 0 0 0 OA CTGの研究

著者
大泉 和文 Kazufumi OIZUMI
出版者
Chukyo University(中京大学)
巻号頁・発行日
2013-03-19

Doctoral Degree, Media Arts and Sciences
著者
辻 成史 Shigebumi TSUJI
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 = Otemae journal of humanities (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.A1-A24, 2004

第二次大戦後欧米の美術史研究は、長期に亘って E. Panofsky の主導の下に展開されたイメージ解釈学-イコノロジー-の強い影響の下にあった。1980年頃を境に、いわゆる New Art History を始めとしてイコノロジーに対する批判が顕在化してくるが、それとてもイメージを記号と看做すという点においては、本質的に前者と決定的に袂を別つに至らなかった。両者に通底していたのは、イメージと言語、あるいはイメージと超越的客観の間に暗黙のうちに前提されていた同一性/同時性であり、その記号論的根拠を脱構築することなくしては、イコノロジーのみならず、十九世紀以来続いてきた近代主義的美術史学の限界突破の難しいことが次第に明らかとなってきた。欧米の美術史学には、1990年頃を境にこの方向に沿っての展開が著しい。本論の著者はこの数年、美術史学の根本をなす可視性/不可視性の問題をさまざまな方角から取り上げてきたが、今回はプラトンから8世紀初頭のダマスコスのヨハネに至る古代-初期ビザンティン思想における「質料/物質」概念の変遷を通覧し、プラトン自身その晩年に示唆するに至った作品の存在論の反イデア的根源-「コーラ」-に注意を向けてみたい。
著者
粟倉 大輔
出版者
中央大学経済研究所
雑誌
中央大学経済研究所年報 (ISSN:02859718)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.843-878, 2012-09-28

本稿は、明治期日本において製茶再製に従事した女性労働者=「再製茶女工」について論じ、その再評価を試みるものである。この再製技術は中国から導入されたもので、製茶輸出時に施された「火入れ(=乾燥)」と「着色」のことをいう。再製は居留地外商が経営していた「お茶場」で行われ、その現場は中国人男性が監督していた。 本稿では、お茶場における労働内容や内部のヒエラルキー、労働環境、賃金を詳細に検討した。これらの他にも、「再製茶女工」となった女性本人についても論じている。さらに、当時の新聞・雑誌における彼女たちに関する報道の分析を通じて、そのイメージ形成についても検討を加えた。以上を通じて、「再製茶女工」に対する「女工哀史」的な見方を修正する必要があること、また明治期日本の産業発展に未婚・若年労働者だけではなく既婚女性も大きな役割を果たしていたことを明らかにした。
著者
四方 由美 Yumi SHIKATA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.61-69, 2004-03-20

現在、日本では男女共同参画をめぐってバックラッシュが起こっている。保守派の主張する争点は、①「らしさ」のしばりから自由を求める男女共同参画の動きは、あるべき「らしさ」を否定し、日本の文化や男女関係を破壊するのではないか、②「専業主婦」否定の動きではないか、③家族の絆を破壊するのではないかなどである。このようなバックラッシュが起こる背景には、フェミニズムに対するバックラッシュの高まりに加えて、男女共同参画の政策化にともなう反発があると考えられる。 また、バックラッシュは保守派によるものだけではない。男女共同参画を推進する立場にある立法・行政サイドにおいて、男女共同参画社会基本法に盛り込まれた「ジェンダー概念に基づく男女平等」の理念に対する理解が進まないため、この理念が運用面で排除される傾向がみられる。こうした動きは男女共同参画社会の推進を阻むだけでなく、新たな差別を生む事態に陥っている。男女共同参画についての政策そのものが矛盾を孕んでいることは、その大きな要因の一つである。 本稿では、このような観点から今日のバックラッシュ現象を考察することを通して、男女共同参画をめぐる議論を整理する。
著者
井川 充雄
雑誌
大衆文化 = Popular culture
巻号頁・発行日
vol.12, pp.21-33, 2015-03-25
著者
加藤 千幸 Kato Chisachi
出版者
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
雑誌
宇宙航空研究開発機構特別資料: 風洞技術の開発と応用シンポジウム講演集: 第1回-第4回 = JAXA Special Publication: Proceedings of the Symposium on Developments and Applications of Wind Tunnel Technologies: 1st meeting - 4th meeting (ISSN:1349113X)
巻号頁・発行日
vol.JAXA-SP-15-021, pp.59-64, 2016-03-01

第3回風洞技術の開発と応用シンポジウム: 風洞シンポジウム2014 (2014年10月24日. 日産自動車株式会社テクニカルセンター), 厚木市, 神奈川県
著者
軍司 裕吾
出版者
埼玉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
日本アジア研究 : 埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程 (学際系) 紀要 = Journal of Japanese & Asian studies (ISSN:13490028)
巻号頁・発行日
no.19, pp.55-81, 2022

本稿は、1970 年代の「アンノン族」とその旅の文化について論じたものである。アンノン族とは、1970 年に平凡出版社から創刊されたファッション雑誌『anan』と、次いで1971 年に集英社から創刊された『non-no』から生まれたおしゃれな服を着て旅をする若い女性たちのことである。この二誌では日本全国を旅する特集が組まれ、その特集された場所を一人ないしは数名で旅をしたのがアンノン族である。1970 年代、アンノン族は一つのユニークな旅文化をかたちづくり、観光産業や若い女性の旅のあり方に一定の影響を与えた。 本稿では若い女性の旅という主題が、一貫して両誌の誌面構成の主要要素のひとつであったことを示す。次に、具体的事例として『anan』が特集として取り扱った全国の観光地を整理して分析し、誌面の表象の中心に置かれていたのは、いわゆる観光地ではなく、東京を中心とした都会生活と都会性にあったことを指摘した。さらには、流行としてのアンノン族の盛衰をたどり、その背景には、高度経済成長から低成長への転換という1970 年代の時代の推移があることを指摘した。最後に、アンノン族が、日本における女性の旅のあり方にどのような影響を与えたと考えうるかについて述べた。 This paper discusses the ‘Annon-zoku’ and their travel culture in the 1970s. The ‘Annon-zoku’ is a name labelled at young Japanese women who travelled alone or with friends in fashionable clothes. Those trendy young women were created and fostered by two distinctive fashion magazines, An-an and Non-no, respectively published in 1970 and 1971. The ‘Annon-zoku’ promoted a fashionable travel culture for young women, encouraging them to enjoy their women only tourism. Tourist industry also began to pay attention to these young women customers who would constitute a larger asset in their trade. This article shows that young women's travel was one of the main features in the women’s magazines. Analyzing the Japanese tourist destination featured in An-an, the article points out that the focus of the magazine was not the distant tourist spots, but the urban life and its associated urbanity: Tokyo metropolitan area was the most featured tourist destination in the magazines. This article also charts the up and down of the ‘Annon-zoku’ in the 1970s, indicating that behind the scenes a downward change in Japanese economy existed. In the concluding comment, I also make a comment on the way the ‘Annon-zoku’ influenced women's travel culture in Japan.