著者
佐久間 修
出版者
成文堂
雑誌
刑事法ジャーナル
巻号頁・発行日
vol.68, pp.128-131, 2021
著者
鈴木 晃志郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

1990年代に飛躍的な進歩を遂げたICT(情報通信技術)は、誰もがウェブ上で情報交換できる時代をもたらした。いまや紙地図は急速にウェブや携帯端末上で閲覧できる電子地図へと主役の座を明け渡しつつある。二者の決定的な違いは、地理情報を介した情報伝達が双方向性をもつことである。Google Mapなどの電子地図とLINEやFacebookなどのコミュニケーションツールの連携で、利用者はタグや文章、写真を貼り付けてオリジナルの主題図を作成でき、不特定多数に公開できるようになった。また、OpenStreetmapなどに代表される参加型GISの領域では、官公庁や製図家に限られていた地理情報基盤整備の局面における、一般人の参画を可能にしつつある。<br> しかし、こうしためざましい技術革新に比して、利用者側に要求されるモラルや責任、リテラシーについての議論は大きく立ち後れている。阪神大震災の教訓を踏まえ、電子地理情報の基盤整備に尽力してきた地理学者たちは、2007年に制定された「地理空間情報活用推進基本法」に貢献を果たすなど、電子国土の実現に深くコミットしてきた。電子地理情報の利活用におけるユビキタス化は、その直接・間接的な帰結でもある。ゆえに、ユビキタス・マッピング社会の実現は、地理学者により厳しくその利活用をめぐるリスクや課題も含めて省察することを求めているといっても過言ではない。本発表はこうした現状認識の下、地理学者がこの問題に関わっていく必要性を大きく以下の3点から検討したい。<br><br>(1)地図の電子化とICTの革新がもたらした地理情報利用上の課題を、地理学者たちはどう議論し、そこからどのような論点が示されてきたのかを概観する。この問題を論じてきた地理学者は、そのほとんどが地図の電子化がもたらす問題を「プライバシーの漏洩」と「サーベイランス社会の強化」に見ており、監視・漏洩する主体を、地理情報へのアクセス権をコントロールすることのできる政府や企業などの一握りの権力者に想定している。本発表ではまず、その概念整理を行う。<br><br>(2)地理学における既往の研究では、地理情報へのアクセスや掲載/不掲載の選択権を、一握りの権力(企業や行政、専門家)が独占的にコントロールできることを主に問題としてきた。しかし、逆にいえば、権力構造が集約的であるがゆえに、それら主体の発信した情報に対する社会的・道義的責任の所在も比較的はっきりしており、そのことが管理主体のリテラシーを高める動機ともなり得た。これに対し、ユビキタス・マッピング社会の到来は (A)個人情報保護に関する利用者の知識や関心が一様ではない、(B)匿名かつ不特定多数の、(C)ごく普通の一般人が情報を公開する権力を持つことを意味する。それでいて、情報開示に至るプロセスには、情報提供を求めてプラットフォームを提供する人間と、求めに応じて情報提供する人間が介在し、一個人による誹謗中傷とも趣を異にした水平的な組織性も併せ持っている。ユビキタス・マッピング社会は、そんな彼らによって生み出される時にデマや風聞、悪意を含んだ情報を、インターネットを介してカジュアルに、広く拡散する権力をも「いつでも・どこでも・だれでも」持てるものへと変えてはいないだろうか。本発表では、ある不動産業者が同業他社あるいは個人の事故物件情報を開示しているサイトと、八王子に住む中学生によってアップロードされた動画に反感を抱いた視聴者たちが、アップロード主の個人情報を暴くべく開設した情報共有サイトの例を紹介して、さらに踏み込んだ検討の必要性を示す。<br><br>(3)地理情報をめぐるモラルや責任の問題は、端的には情報倫理の問題である。本発表で示した問題意識のうち、特にプライバシーをめぐる問題は、コンピュータの性能が飛躍的に向上した1980年代以降に出現した情報倫理(Information ethics)の領域で多く議論されてきた。本発表では、これら情報倫理の知見からいくつかを参照しながら(2)で示された論点を整理し、特に地理教育的な側面から、学際的な連携と地理学からの貢献可能性を探ることを試みる。<br>
著者
村崎 恭子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.657-661, 1963
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.19, pp.27-44, 2019-03-11

本稿では、先稿に引き続き、中央ユーラシアのテュルク系諸民族に伝わる英雄叙事詩とシャマニズムとのつながりについて論じる。英雄叙事詩に登場する主人公の勇士が、聖鳥に乗って上昇飛翔したり、ジン(精霊)や肩甲骨を使って卜占を行ったりする様は、シャマンの職能行為と酷似する。イスラーム化が進行した地域においても、シャマニズムはイスラームと習合しながら、大きな役割を果たし続けてきた。英雄叙事詩は、「最初のシャマン」とされる人物コルクトが創出したとされる弦楽器コブズの伴奏をしばしば伴うが、コブズをもちいたシャマンの巫術は20世紀末までも行われていた。英雄叙事詩には、シャマンの「祝詞」の一節と酷似するフレーズが歌われることさえある。また、叙事詩の語り手やシャマンになるうえで、夢が大きな意味をもつといった共通点もある。叙事詩の語り手が、叙事詩をもちいながら治療を行うという実例も報告されている。このように、叙事詩語りとシャマンが重なる点は多い。
著者
濱 夏
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

発表者は、レヴィ=ストロースによる神話研究を手がかりにしながら、現代日本でサブカルチャーとして消費される漫画などのコンテンツを、神話として研究する「立体としての神話」研究の枠組みを模索している。本発表では特にクルアーンと古事記についての先行研究を継承し発展させながら、CLAMPの漫画を取り上げて図像(モチーフ)と音(セリフなどの反復やリズム)の観点から事例分析を試みる。
著者
鈴木 昌子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.39-51, 1998-03-25

江戸時代(1603〜1868)は日本文化が中国大陸からつぎつぎともたらされる文物の刺激を受け,豊かに発展した時代である。それは平和な鎖国的環境のもとで成熟期を迎えるとともに,新たに明・清あるいは西洋からの影響も加わって,いろいろな風俗習慣が生まれたのである。日本人は外国からの異文化を和風文化として育てあげ,次に来る文化もまた異文化を捉えて,再度それを和風文化として取り入れてしまう国民なのである。その結果江戸時代は,欧米の文化と東アジア文化が複雑に入りまじった,日本文化の基礎を作ることになったのである。従って大陸での髪型も,江戸時代を通して日本に取り入れられて,日本髪を誕生させる結果となったのである。流蘇髻(図(1)参照)(りゅうそけい)は懐月堂安度とその一門が活躍した時代,また鬆鬢扁髻(しょうびんへんけい)(図(5)参照)は喜多川歌麿の理想の美人の髪を飾った燈籠鬢(とうろうびん)(図(4)参照)であるが,結局日本髪の誕生は中国文化受容の結果であったといえる。
著者
西本 豊弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.73-86, 1995-01
被引用文献数
1

縄文時代は狩猟・漁撈・採集活動を生業とし,弥生時代は狩猟・漁撈・採集活動も行うが,稲作農耕が生業活動のかなり大きな割合を占めていた。その生業活動の違いを反映して,それぞれの時代の人々の動物に対する価値観も異なっていたはずである。その違いについて,動物骨の研究を通して考えた。まず第1に,縄文時代の家畜はイヌだけであり,そのイヌは狩猟用であった。弥生時代では,イヌの他にブタとニワトリを飼育していた。イヌは,狩猟用だけではなく,食用にされた。そのため,縄文時代のイヌは埋葬されたが,弥生時代のイヌは埋葬されなかった。第2に,動物儀礼に関しては,縄文時代では動物を儀礼的に取り扱った例が少ないことである。それに対して弥生時代は,農耕儀礼の一部にブタを用いており,ブタを食べるだけではなく,犠牲獣として利用したことである。ブタは,すべて儀礼的に取り扱われたわけではないが,下顎骨の枝部に穴を開けられたものが多く出土しており,その穴に木の棒が通された状態で出土した例もある。縄文時代のイノシシでは,下顎骨に穴を開けられたものは全くなく,この骨の取り扱い方法は弥生時代に新たに始まったものである。第3に,縄文時代では,イノシシの土偶が数十例出土しているのに対して,シカの土偶はない。シカとイノシシは,縄文時代の主要な狩猟獣であり,ほぼ同程度に捕獲されている。それにも関わらず,土偶の出土状況には大きな差異が見られる。弥生時代になると,土偶そのものもなくなるためかもしれないが,イノシシ土偶はなくなる。土器や銅鐸に描かれる図では,シカが多くなりイノシシは少ない。このように,造形品や図柄に関しても,縄文時代と弥生時代はかなり異なっている。以上,3つの点で縄文時代と弥生時代の動物に対する扱い方の違いを見てきた。これらの違いを見ると,縄文時代と弥生時代は動物観だけではなく,考え方全体の価値観が違うのではないかと推測される。これは,狩猟・漁撈・採集から農耕へという変化だけではなく,社会全体の大きな変化を示していると言える。弥生時代は,縄文時代とは全く異なった価値観をもった農耕民が,朝鮮半島から多量に渡来した結果成立した社会であったと言える。In the Jōmon Period, people subsisted on hunting, fishing and gathering activities; and in the Yayoi Period, also they practiced hunting, fishing and gathering. However, rice-crop agriculture occupied large share of all their subsistence. Their sense of the value of animals must have been different in each period, reflecting the difference in their subsistence. I will consider these differences by the study of animal bones.At first, they had only dogs as domestic animals in the Jōmon Period, and these dogs were for hunting purpose. In the Yayoi Period, they kept pigs and fowls as well as dogs. In this period, dogs were not only for hunting, but also used for food. Because of this, the dogs in the Jōmon Period were buried, but they were scarcely buried in the Yayoi Period.Secondly, regarding the ceremonial use of animals, there is little evidence left that they used animals in such ceremonial events in the Jōmon Period. On the other hand, in the Yayoi Period, they used pigs in some of the agricultural ceremonies. They used pigs not only for food, but also for animal sacrifice. Although the pigs were not always handled in ceremonial ways, a lot of mandibles drilled with a hole in the ramus have been excavated, and there were some instances where they were excavated in such condition that a wooden rod was sticking in the hole. Regarding the boars in the Jōmon Period, there is no instance where their mandibles had a hole. This way of treating the bones started in the Yayoi Period.Thirdly, some dozen instances of wild boar-shaped clay figurines of the Jōmon Period have been excavated, but there were no deer-shaped clay figurines. Deer and wild boars were mainly hunted in the Jōmon Period and almost the same number of them were captured. However, the condition of excavated clay figurines shows a great difference. In the Yayoi Period, there are no wild boar-shaped clay figurines left, perhaps because the tradition of clay figurines itself disappeared. However, regarding the drawings on the pottery and Doutaku (big ceremonial bronze bell), deer are more usual than wild boars. In such ways, the craft works and design in the Jōmon Period and the Yayoi Period are very different.Above all, I considered the differences in handling animals at three aspects between the Jōmon Period and Yayoi Period. When I note these differences, I conclude that not only the concept of an animal but also the value-judgment about how to deal with animals were different in the Jōmon Period from what they were in the Yayoi Period. It is reasonable to say that these differences show not only a change of subsistence from hunting, fishing and gathering to that of agriculture, but also great changes in the whole society. It is not too much to say that the Yayoi society was the result of many agricultural people with totally different senses of value coming over to Japan from the Korean peninsula.
著者
久田 行雄
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.101-86, 2019

<p>現在、日本語の表記で使用される楷書体漢字平仮名交じり文という書記体は、近代以前においては一般的ではなく、活版印刷の導入を機に使用されるようになったと指摘されてきた。しかし、本稿の調査により、一八世紀初期に出版された医書に楷書体漢字平仮名交じり文の使用例が確認されること、この書記体は一八世紀中期には仏書へと広がり、一八世紀後期以降にさらに使用範囲が広がっていくことを明らかにした。楷書体漢字と平仮名が併用されるようになったのは、楷書体漢字との併用を許容する程に平仮名の役割が徐々に変化してきたからであろうと指摘した。このような表記意識の変化が、一八世紀を通して社会に広がっていったことを明らかにした。</p>