著者
青山 英幸
出版者
日本アーカイブズ学会
雑誌
アーカイブズ学研究 (ISSN:1349578X)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.46-83, 2016

<p>この点描は、2014年11月『アーカイブズ学研究』編集部からの問いあわせがきっかけで、数回の打ち合わせののち、1980年代以降のヨーロッパ文化圏のアーカイブズ・コミュニティにおける国際協力の動向を、アジアのもっとも北東にいるわれわれの同業者たちに紹介することとした。それは、ふたつの分離したプロフェッション・コミュニティ――ひとつはアーキビストでローマ文明にルーツがあり、もうひとつはアーキビストからの分派、レコードマネジャーで、1950年代半ばに合衆国で発生し新大陸に普及――、これらの統合について議論がなされてきたこと。そして、電子環境下の1990年代から2000年代にかけて、DNAとして埋め込まれたライフ・ヒストリーのメタデータによってコントロールされる情報/オブジェクト――ドキュメント――レコード――アーカイブズの連環実体に関するアーカイブズ・レコード・マネジメント:ARMについての国際標準が、ICAやISOによって公表され、理論と方法論および実務フレームワークにおけるアーカイブズ科学とアーカイブズ学教育が確立してきたことである。このような動向がこの時点でなぜ、どのようにして起こったのか、という疑問が生じるとすれば、どんな答えをわれわれは用意することができるのであろうか。たとえば、カナダのアーキビストTerry Cookによる1990年代半ばの論文――現代アーカイブズの古典<i>Dutch Manual</i>の再評価――は、答えを明確にあるいは暗に示唆するであろうか。おそらく、これらのプロフェッションの統合についてのひとつの道筋を語るであろう。オランダ・アーキビストP. J. Horsman、F. C. J. Ketelaar、T. H. P. M. Thomassenたちによる「<i>ダッチ・マニュアル</i>入門」によると、アーカイブズの科学と方法論の諸原則は、オランダにおけるアーカイブズ・コミュニティの固有な歴史背景にもとづいて発生し、定式化したことを明示しており、また同時に、それら諸原則は、共通した歴史背景――ポスト・ナポレオンのヨーロッパにおける学問という知性の揺りかご全体がもたらした、と指摘している。それで、この点描では、イタリアとカナダのアーキビストLuciana Durantiの1980年代末から1990年代後半にいたる一連の諸論文と、ほかのアーキビストや歴史家の論文などによって(ただし英語論文を主とする)、ヨーロッパ文化圏におけるアーカイブズとその科学の歩みを読むことにしよう。これは、先の答えを与えるだけでなく、アーカイブズ世界のより一層豊かな理解をもたらすであろう。しかし、筆者はチャートもコンパスもない素人。この航海が無事であるのを祈りつつ、筆を下ろそう。</p>
著者
安江 明夫
出版者
日本アーカイブズ学会
雑誌
アーカイブズ学研究 (ISSN:1349578X)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.30-43, 2016

<p>蘭書は江戸時代、西洋文明の受容において格別の役割を果たした。しかし明治維新以降、蘭書は英書等にとって替わられ、かつての蘭書蔵書は軽視されるようになった。浅草文庫所蔵蘭書もその1つである。</p><p>日本最初の官立公共図書館である書籍館を引き継いだ浅草文庫は、9,000冊余の江戸幕府旧蔵蘭書を所蔵していた。浅草文庫停止により同文庫蔵書は博物館に継承されたが、内閣文庫設立(明治17年)に伴う政府機関所蔵図書の移管事務のなかで、浅草文庫旧蔵蘭書の殆どが行方不明となった。</p><p>歴史的に重要な浅草文庫旧蔵蘭書の行方を、東京国立博物館(博物館の後継)及び国立公文書館(内閣文庫蔵書を所管)に現存の蘭書並びに明治期の記録・文書等の調査により、探索した。その経過と結果を報告する。</p>
著者
齋藤 歩
出版者
日本アーカイブズ学会
雑誌
アーカイブズ学研究 (ISSN:1349578X)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.4-28, 2016

<p>本論の目的は、建築レコードのアプレイザル・ガイドラインに対して、一元的な尺度を用いた評価を実施することである。フランク・ボールズは、それまでのアプレイザル理論には実証性が欠けているとして、「ミクロアプレイザル」の必要性を主張した。本論ではボールズが整理したその判断基準を参照して、建築レコードに関するアプレイザルの判断基準を分析する方法を採った。対象を1970年代以降の北米における六種類のガイドライン等とし、ボールズが1991年にまとめた判断基準と照合した。結果として「記録本来の目的」「トピックの重要性」の重視、「利用の制約」「保持のコスト」「選択の影響」への考慮の不足、以上の二点を明らかにした。</p>
著者
西村 稔
出版者
岡山大学法学会
雑誌
岡山大学法学会雑誌 (ISSN:03863050)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.1-88, 2016-08
著者
米田 重玄 上木 泰男
出版者
Yamashina Institute for Ornitology
雑誌
山階鳥類研究所研究報告 (ISSN:00440183)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.96-111, 2002
被引用文献数
1

福井県丹生郡織田町笈松にある環境庁織田山1級鳥類観測ステーションでは,山地性の小鳥類の渡り状況を把握するために標識調査を1973年から,毎年10月中旬から11月上旬までの期間に継続的な調査を行なってきた。調査は,毎年ほぼ一定の枚数のカスミ網を場所を定めて設置し,状況に応じて最大の捕獲効果が得られるように,テープレコーダーで鳥を誘引し,捕獲される鳥の捕獲数•捕獲時期や種構成の年毎の変化を調査してきた。1973年から1996年までの24年間の秋の標識調査では,総放鳥数は合計75種71,416羽であった。もっとも多いのはカシラダカとアオジの2種で総放鳥数の約53%になった。上位10種は,上記の種の他,メジロ,シロハラ,メボソムシクイ,マミチャジナイ,ウグイス,シジュウカラ,ツグミ,アトリであり,合計放鳥数は総放鳥数の90%を占めた。75種のうち毎年放鳥記録があったのは,16種あった。年毎の標識放鳥種数は,21~54種で平均40.0種であった。各年の調査期間が異なるため,ほぼ毎年調査を行なった17日間について,1日の平均捕獲数を年毎に比較した。この期間の放鳥数の多かった上位25種について,種ごとに1日の平均捕獲数を年度別に増減を見て,1970年代から1980年までと,伐採によって環境の変わった後の1983年から1996年との間で比較した。その結果,種による個体数の増減は,(1)有意に減少傾向が見られる種(カシラダカ,メジロ,アトリ等9種),(2)有意に増加傾向が見られる種(アオジ,クロツグミ),(3)放鳥数に有意差がない種(メボソムシクイ,エナガ,ムギマキ等14種),(4)(3)の種のうち年変動が激しい種(ウソ,ルリビタキ,キビタキ等4種),に分けられた。増減の変化が特に大きかったカシラダカとアオジの放鳥数の変動は,他の調査地との比較によって,大規模伐採の影響が示唆された。1970年代と1990年代とを比較すると,1970年代に比べて1990年代では種数で9種減少し,放鳥数では約半分となった。特に,カシラダカ,アトリ,ツグミについては,1990年代には1970年代に比べて100分の1から10分の1の放鳥数であった。いっぽう,アオジ,シロハラについては1970年代よりも1990年代の方が多かった。1970年代に織田山1級観測ステーション周辺で行われた大規模な伐採が,環境を大きく変化させ,標識鳥の種構成や,個体数を変化させたと考えられるが,鳥種によって変化の仕方が様々であった。しかし,全体的に言って種の多様性が少なくなったと考えられた。
著者
浦山 佳恵
出版者
長野県自然保護研究所
雑誌
長野県自然保護研究所紀要 (ISSN:13440780)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.263-270, 2001

戸隠村のツキノワグマの分布変動とその要因、分布変動に伴う住民への被害・被害防除・狩猟と活用を検討することで、北信の地域構造の一端を明らかにした。戸隠村における1967年以降のツキノワグマの里への分布拡大と農業・人身・観光業への被害発生は、村の2つの流れと関連していることが分かった。一つは、1200m以上の山林が近世戸隠神社の神領で利用が制限されていたが、明治期以降国有林になり戦後営林署が大規模伐採、高度経済成長期は営林署・村がスキー場開発をする流れ、もう一つは戦後炭焼きと麻の栽培による住民の生業形態が戦後崩れ、新たな商品作物を模索するなか高度経済成長期以降観光業に活路を見出すという流れである。被害に対し、農家・観光業者は駆除や自己防除を行ってきたが、農業従事者の高齢化・観光業への影響を押さえる意図・戦後クマが生息するようになった地域で一般的に指摘される住民のクマへの過剰反応から、駆除に依存する傾向があった。一方クマ猟は狩猟技術の未熟さから狩期の捕獲数は少なく、商品化は未発達であった。こうした住民の対応は、観光業という要素を除けば、戦後新たにクマが出没する全地域にある程度共通するものと考えられた。