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投稿一覧(最新100件)

田代深子「観戦記者・倉島竹二郎」 将棋欄に「観戦取材」の描写、「文学」の要素取り入れ、連載読み物のフォーマットを確立させた倉島竹二郎。 小説家志望から観戦記執筆。戦争従軍、療養。 社会世相や将棋の取り巻く状況と交錯されてる、一個人史が簡要に解説されている。 https://t.co/2bSeRq09Rr
小笠原輝「織田作之助書簡における吉井栄治」 同人誌仲間でもあり、将棋を指す間柄。 のちに観戦記や新聞社記者の吉井栄治の人物像を詳しく知らなかったが、 書簡からうかがえる吉井栄治評。 作品には手厳しいが、編集の資質(ある意味プロデュース能力か)を評価。 https://t.co/vqardBhwh7
金井雅弥「坂口安吾「町内の二大天才」論」 流行した「豆天才」というトピックスの分析。から当時の世相を。 安吾が論及している「職業野球」と「将棋」を対比させ、 棋士のイメージから、芸術たりうる「職業人」のあり様。 戦後の安吾の価値観が解説されている。 https://t.co/09thTD7cFz
杉本佳奈「“読む将”のススメ展」開催報告 町田市民文学館ことばらんど での企画展。 坪内逍遥『小説真髄』からの将棋と小説・文学の交錯を縦軸に、現代カルチャーに拡がる将棋を横軸に。 解説文は概略をつかむのに最適。 展示リストが添付されてるので、深掘り用にも https://t.co/Q6Zolclf7k
将棋の興行としての成立。 新聞とかかわりで発展する将棋。 将棋連盟のコラムや、 「新聞将棋の始まりから発展へ」『将棋と文学スタデーズ』 https://t.co/T1r6SjuE30 も、あわせて読むと概略の理解がすすむ。 どこかの出版社で「新書」にまとめてほしいくらい。
RT @machida_kotoba: 展覧会を見逃した方も、どんな資料が出品されていたのか再確認したい方も、ぜひご覧ください。「明治大学学術成果リポジトリ」から全文無料でお読みいただけます。 https://t.co/rRLUQ5YejR #町田市民文学館 #ことばらんど
RT @kotani_eisuke: 小谷瑛輔「一人称リアルタイム語り小説の成立と展開――新井素子から綿矢りさへ」『層 映像と表現』2023年3月 https://t.co/aWMAc0wBHm
RT @rieko_w: 拙稿「観戦記者・倉島竹二郎」は以下よりお読みいただけます。 論文というより読み物ですが
RT @kotani_eisuke: 芥川龍之介や菊池寛を輩出したことで有名な『新思潮』派は、遊戯を排する文学グループとして登場し、他方では遊戯的文学観を提示したりと、内部対立も含めて揺れ動き続けました。その問題を論じた拙論が掲載された『将棋と文学スタディーズ2』が出ました。p…
RT @rieko_w: 前号『将棋と文学スタディーズ』はこちらから、全文無料でお読みいただけます。 将棋と文学スタディーズ - 富山大学学術情報リポジトリ https://t.co/78mpiXYD62
RT @apout1992: 縁台将棋で思い出したのだけど、この「将棋をする満州人」。『満洲写真大観』で確認したら、説明で >>將棋と言はんより寧ろ十六武蔵と稱するものに似たり とあって、キャプションに騙されるところだった。冷静に見ると、シャンチーにしては駒が足りない htt…

2 0 0 0 朝日年鑑

RT @apout1992: 『朝日年鑑. 1935年版』朝日新聞社,1934 坂田三吉が大朝を去るというビッグニュースと、十一日会誕生に記事を割いて経緯を説明している。「坂田名人の心境何の幻映によるか」という記述に困惑したものを感じる。 #まいにちNDLDC https://…
RT @rieko_w: 将棋と文学研究会 編『将棋と文学スタディーズ』 2019年1月、145ページ、PDFファイル (富山大学リポジトリ収録) https://t.co/90rwXI3mlq

3 0 0 0 経済ライフ

RT @apout1992: 「国鉄アイデア商法――「お座敷将棋列車」と「SLハンバーガー」 」『経済ライフ』1981年7月号 昭和56年夏の企画として、国鉄が「大山名人と行くお座敷列車の旅」を開催する記事。西浦温泉ということは銀波荘に泊まったのだろうか。詳細が知りたい。 #ま…

3 0 0 0 OA 法令全書

RT @apout1992: 『法令全書. 明治17年』内閣官報局,1887 明治17年に通達された海軍省の懲罰則の11条に、囲碁や将棋はその戯具を携帯しているだけで処罰されるとある。賭博と同一視されていたことがわかるが、いつから慰安として広く指されるようになったのだろうか…
RT @apout1992: 朝日新聞社が主催した、升田幸三とニューヨーク・タイムズ東京支局長のチェスと将棋の交換対局。『将棋とチェス』という雑誌名にふさわしいページである #まいにちNDLDC https://t.co/LC1Y2eB7d0

5 0 0 0 真相

RT @apout1992: 「朝日毎日〝名人將棋〟爭奪戰の眞相」『真相』1949年11月号 名人戦問題を赤裸々に綴っている。どこまで本当かは分からないが、序章として名人戦の棋譜が倉島竹二郎の解説付で掲載された「日光事件」があったというのは、毎日新聞社の体制も含めて興味深い。…
RT @apout1992: 田中博『京都財界半世紀 : 田中博翁夜話』田中翁夜話刊行会,1952 「趣味も嗜好も平凡至極」という項で、第9期名人戦第3局の対局場の話がさらっと触れられている。 対局場は「「田中博氏邸」であるが、本人は「ただ座敷を使つてもらつただけ」と回想してい…

3 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 長井勇「自棋追憶」『将棋月報』1927年8月号 ひとりのアマチュアが将棋と関わりを綴ったもの。社会人になって将棋の楽しみを覚え、軍隊での娯楽として将棋を親しんだことが書かれている。連隊対抗将棋戦が開かれるなど、旧軍では将棋が盛んだったようだ。 #…

2 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 「名家棋戦」『将棋月報』1927年6月号 大野源一初段(17歳)の月報初掲載局は、と村上真一五段の角落戦。 #まいにちNDLDC https://t.co/gGQUthMkJc

5 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 耕男愚人「名人經歷談」『将棋月報』1927年2月号 関東大震災で亡くなった小林孝三郎四段の追悼碑が谷中の本通寺の井戸の傍に立ったという話。現存しているのだろうか。確認してみたい。関東大震災では、本文の通り矢島五香七段も亡くなっている。 #まいにちN…

3 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 「大阪棋正會の成績」「東京聯盟會員成績」『将棋月報』1926年10月号 大阪と東京の棋士の成績一覧。勝抜戦全盛なので対局数が大きく違うのが面白い。点数制を採用した理由が分かる。また、勝越・負越の項目があるのが興味深い。 #まいにちNDLDC htt…

5 0 0 0 OA 藤枝町誌

RT @apout1992: 「藤枝町誌」静岡県志太郡藤枝町,1924 >>第七節室内娯樂 (中略) >>碁、將棋等は主として男子間に行はれ、女子の之を弄ぶは極めて稀れなり 98年前の記述。100年かけて少しずつ歩んできた将棋界は、これからも歩み続けていく #まいにちNDLD…

2 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 「本社嘱託棋士樋口義雄君」『将棋月報』1926年9月号 後にプロ入りする樋口義雄が、月報の嘱託として活動することを紹介する記事。当時は専門棋士との境目は曖昧だったため、新聞将棋に載らなくても様々な活動をする棋士がいた #まいにちNDLDC ht…
古作登 「江戸時代の文芸・美術における将棋の影響 ― 川柳や浮世絵に描かれた将棋の意味とその役割 ―」 https://t.co/1BQXPkc6vu
清水康二 「本能寺の変と将棋 ─吉田兼見と村井貞勝の対局を通じて─」 https://t.co/iSa1OzF9xs

2 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 耕男愚人「關根名人經歷談」『近代将棋』1926年3月号 黎明期の新聞将棋の、関根名人の関わりを記したもの。夕刊新聞を大村忠雄が受持っているとされており、『東京夕刊新聞』と思われる。大村四段は将棋雑誌も発行していたが、どのような人物だったのだろうか…

3 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 浅川生「宇都宮より歸松迄」『将棋月報』1926年1月号 各地の棋客の紹介。千葉市の勝山庄太郎六段は汁粉店を経営していたり、盤駒製造の豊島太郎吉六段や二代目奥野一香を訪ねたりと、当時の棋士が副業をしながら生計を立てていたことがわかる #まいにちN…

5 0 0 0 富士

RT @apout1992: 「名好敵手朗らか訪問 木村義雄氏と大山康晴氏」『富士』1951年1月号 大衆雑誌のグラビアを飾った木村名人と大山九段であるが、なんと入浴写真である。当時からゴシップ需要があったということなのだろう #まいにちNDLDC https://t.co/v…
RT @apout1992: 「回覧板」『将棋月報』1943年8月号 幸田露伴のエピソードが掲載されている。木村名人と最初に指したのは1933年1月13日であることなど #まいにちNDLDC https://t.co/hS1oLJMgtu
RT @apout1992: 「間宮四段及同門下生棋戦」『将棋月報』1943年8月号 関口慎吾六段と間宮純一四段の香落対局が掲載されている、関口六段であるなら4月以降の将棋であると思うが、どういう形で指されたものなのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/m3…

2 0 0 0 近代将棋

RT @apout1992: 北楯修哉「思い出すまゝ」『近代将棋』1956年6月号 今回は復興期当時の理事の仕事の話。『将棋世界』復刊1号は1万部。発行所は渡辺東一名誉九段の自宅で、応接間が仕事場。棋士の手作りの雑誌として再出発した #まいにちNDLDC https://t.…

3 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 溝呂木光治「朝鮮より」『将棋月報』1924年8月号 7月号の続き。1926年に釜山日報主催の南鮮将棋大会が行われたとあるが、これは1926年2月27日付の『釜山日報』で社告が出ており、3月12日に行われたようだ #まいにちNDLDC https:…

3 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 「有段者(四) 」『将棋月報』1924年7月号 関根名人の免状授与名簿の4回目。 この時期は福岡から朝鮮満州へと旅にでかけていて、その時に免状を出したようだ。五級初段とちょっと変わった形で、朝鮮人で免状をもらっている人がいるのは特筆すべきところ…

2 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 「有段者(其一)」『将棋月報』1924年4月号 関根名人が1921年5月以降に免状を授与した人の一覧。 8月に菊池寛初段、12月に木村義雄五段らの名前が見える。 11月には当時釜山在住の池田卯八が五段となっていて、朝鮮にも普及していたことが分かる…

3 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 「諸事一束」『将棋月報』1940年11月号3 ハルビン日日新聞社勝継戦大成会出場三、四、五段メンバーとして、20名の棋士が挙げられている。 哈爾濱日日新聞は日本では現在紙面がほぼ確認できず、詳細が不明である。確認する術はないのだろうか #まいにち…

2 0 0 0 愛国主義

RT @apout1992: 「將棋同志會と聯絡」『愛国主義』4号 『愛国主義』という雑誌の4号より、井上義雄八段の将棊同志會による名家負退將棋の掲載が始まる。 雑誌の性格や掲載の経緯など研究が待たれるが、同年東京朝日や東京日日の将棋欄も始まっており、将棋の広がりを感じる #…

3 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 『哈爾賓日日新聞』が1940年に三段から五段の棋士を集めて勝抜戦を掲載していたらしいことが分かったのだが、紙面が読めない https://t.co/bf38cB4Oju
RT @apout1992: 山田和子「女性と将棋」『月刊世界政経』1976年10月号 アマ強豪であり、翌年女流アマ名人戦に優勝する筆者による女性と将棋論 >> 要するに、女性があまり強くないのは、あまりにも将棋に向いていすぎるために、棋力が気力に追いつかないだけなのである。…
RT @apout1992: 東海道中膝栗毛に将棋の箇所があると。 国立国会図書館デジタルコレクション「道中膝栗毛 8編続12編. [8]」より https://t.co/Co4uWraJmm https://t.co/BFyFPil8Qe

3 0 0 0 温泉

RT @apout1992: 菅谷北斗星「対局と温泉」『温泉』1961年4月号 古くからタイトル戦の対局場は温泉地が多いが、その理由を設営側から解説したもの。北斗星は棋士が対局でどれだけ消耗するかを色々と研究していて、体重計っている観戦記は面白かった #まいにしNDLDC ht…
RT @apout1992: 『私の三十五年』新潮社, 1939 戦前にまとめられた木村名人の自伝。『将棋一代』の底本にもなったが、細かな描写はこの本で確認できるものも多く、戦前の将棋史を調べるにあたっては目を通しておきたい #まいにちNDLDC https://t.co/wS…

3 0 0 0 近代将棋

RT @apout1992: 『近代将棋』1955年3月号 大山康晴八段対松田辰雄八段戦(1948年9月14日) 93手で松田勝ち。 『時事新報』・『大阪新聞』主催の棋界最高勝継戦の一局。新聞掲載譜と同じだが、大山全集ではまったく違う棋譜となっている。詳細不明 #まいにち大…

3 0 0 0 将棋評論

RT @apout1992: 『将棋評論』1949年1月号 「大山・松田(茂)戰」 夕刊四社連合の最強者選抜戦対局記事。 11月30日の松田茂戦第1局は161手で松田勝ちということだが、新聞観戦記では155手▲同とまで、大山全集では159手▲2五桂までとなっており、手数が異なる…

3 0 0 0 将棋評論

RT @apout1992: 『将棋評論』1950年2月号 坂口允彦八段対大山康晴八段戦(1949年11月20日、於将棋会館) 106手で坂口勝ち 『夕刊毎日』最初の棋戦である、坂口八段の復帰戦第2戦。なお、大山全集では対局日は11月19日だが、どちらが正しいか不明 #まいにち…

3 0 0 0 近代将棋

RT @apout1992: 『近代将棋』1950年10月号 大山康晴九段対二見敬三四段戦(1950年8月25日、於中山太一邸) 大山全集未収録局。130手で大山勝ち 五年以前に四枚落を指して以来とあるが、1948年5月3日に『大阪日日新聞』の将棋(飛落)を指している(これも全…
RT @apout1992: 菅谷北斗星『坂田将棋・近代将棋争覇録』千倉書房,1937 南禅寺・天龍寺の決戦の観戦記を単行本化したもの。特に南禅寺の決戦の書き出しは有名である。 南禅寺での対局者の昼食は観戦記中で言及されているが、記録係は朱塗りの重箱に入った弁当だったとのこと…
RT @apout1992: 倉島竹二郎 編『将棋名人戦観戦記』中央公論社,1957 名人戦の観戦記から、特に文学者が書いた観戦記をまとめたもの。将棋と文学の歴史の一端がここにある。たびたび将棋めしが出てきており、文学者の目線が盤側にも伸びていることがわかる。 #まいにちNDL…
RT @apout1992: 東京日日新聞社, 大阪毎日新聞社 編『本社独占名人決定大棋戦譜. 第一輯』東京日日新聞社,1936 第1期名人戦の観戦記の第一集。名人戦最初の将棋めしは、観戦記によって歴史に残っています。金子金五郎花田長太郎両八段は、いったい何を食べたでしょうか。…

2 0 0 0 將棋大觀

RT @apout1992: 木村義雄『將棋大觀』誠文堂,1928 説明不要の、駒落ち定跡のバイブル。いまだ通用する定跡もさることながら、若さと情熱とに満ち溢れていてる木村義雄の筆致は百年経っても色褪せない。名著とはまさにこの本のことを言うのだろう #まいにちNDLDC htt…

6 0 0 0 将棋百年

RT @apout1992: 山本武雄『将棋百年』時事通信社,1966 近代将棋の通史本。現在に繋がる将棋史を知りたいのであれば、まずはこの本を読むのがおすすめ。『将棋五十年』もデジタルコレクションで読めるが、補足、加筆であるこの本で補完できる。 #まいにちNDLDC http…

5 0 0 0 富士

RT @apout1992: 主な将棋雑誌 『将棋月報』 https://t.co/1KnfipMO4m 『王将』 https://t.co/G2Y4RJ70KT 『将棋とチェス』 https://t.co/BlHQXpHbKF 『近代将棋』 https://t.co/oqWR…

8 0 0 0 近代将棋

RT @apout1992: 主な将棋雑誌 『将棋月報』 https://t.co/1KnfipMO4m 『王将』 https://t.co/G2Y4RJ70KT 『将棋とチェス』 https://t.co/BlHQXpHbKF 『近代将棋』 https://t.co/oqWR…
RT @apout1992: 主な将棋雑誌 『将棋月報』 https://t.co/1KnfipMO4m 『王将』 https://t.co/G2Y4RJ70KT 『将棋とチェス』 https://t.co/BlHQXpHbKF 『近代将棋』 https://t.co/oqWR…

6 0 0 0 王将

RT @apout1992: 主な将棋雑誌 『将棋月報』 https://t.co/1KnfipMO4m 『王将』 https://t.co/G2Y4RJ70KT 『将棋とチェス』 https://t.co/BlHQXpHbKF 『近代将棋』 https://t.co/oqWR…

6 0 0 0 将棋月報

RT @apout1992: 主な将棋雑誌 『将棋月報』 https://t.co/1KnfipMO4m 『王将』 https://t.co/G2Y4RJ70KT 『将棋とチェス』 https://t.co/BlHQXpHbKF 『近代将棋』 https://t.co/oqWR…
RT @apout1992: 『将棋とチェス』はデジタル化されているのだけど、図書館送信資料だから5月19日からは自宅で読めるようになると思うぞ。みんなで読もう! https://t.co/BlHQXpHbKF
RT @rieko_w: 第1回資料紹介となる今回、矢口さんが紹介してくださる滝沢馬琴著「春之駒象棊行路」は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。 https://t.co/e0shotH4L3 江戸時代の風俗と市井の人々を将棋駒になぞらえています。これは面白そう〜
RT @rieko_w: 【将棋と文学研究会】 本研究会は、将棋と日本文学の関係について、幅広い観点から明らかにしていくことを目指しています。 https://t.co/CNYbwhHUd5 ・将棋と文学研究のための基本データ https://t.co/TUmvEnwFqd 『…
RT @kotani_eisuke: CiNii 論文 -  将棋の用語 : 気づかない位相語とその用法の成立 https://t.co/HcbwFuCQbv おっ、最近の将棋と文学研究会で話題になった「玉を寄る」問題についての日本語学の先行研究が。

6 0 0 0 OA 毎日年鑑

RT @apout1992: 1937年5月6日に開かれた大野六段昇段披露将棋大会の手合に加藤(治郎)五段と松田(辰雄)五段の対局がある。 神田の弟子だからと朝日年鑑しか読まなかったのだけど、木見系の記録は毎日新聞社になるのだから、手間を惜しまず丁寧に読み込まないといけなかった…

4 0 0 0 将棋世界

RT @apout1992: 市川一郎「追憶の将棋(佐々木茂索氏との角落戦)六段」『将棋世界』1959年7月号 https://t.co/fA0KlVVzT1
@heart_shogi @GuchanTag 将棋と文学研究会のHP https://t.co/U2a1rUYAwT 『将棋と文学スタディーズ』冊子のPDF https://t.co/C3SdU6hW5Y になります。参考までに。 例会には小谷瑛輔先生に連絡していただければ。参加資格ありませんので、興味があれば。
RT @mtmtlife: 教養がないので字が読めないのだけれど、「松本竹◯」は松本竹次郎のことだろうか。あと、「大谷氏」は大矢東吉と関係あるのだろうか。 名人伊藤看寿先生著『将棊図巧』文玉圃(国立国会図書館デジタルコレクション) https://t.co/Q6NtgVJdfC
どなたかご指摘があったけど、 導入部分のお話は、 『将棋と文学スタディーズ』の 瀬尾 祐一「「稽古事」から「興行」へ? ― 将棋と文学の出会わない雑誌としての『将棋新報』」 との関連性を連想された。 https://t.co/MuATv3RWLM
RT @vbear00: 【論文が出ました】杉山昂平, 森玲奈, 山内祐平 (2020)「アマチュア写真家の興味の深まりにおける実践ネットワークの関与」が『日本教育工学会論文誌』に採録されました.オンラインで早期公開されているのでぜひご覧下さい→ https://t.co/Sv…
Q. 明治期などは、 兼業、副業などで生計をたてていた棋士が多くいました。 山口恭徳『新聞将棋の始まりから発展へ』 によると、 豊島太郎吉六段、奥野一香四段に共通する副業は何でしょうか? https://t.co/bnYpmKIRHb #将棋文化検定 予想問題
参考として 「稽古事」から「興行」へ? ― 将棋と文学の出会わない雑誌としての『将棋新報』 瀬尾祐一 〉『将棋と文学スタディーズ』 https://t.co/UiFLNoFoYP
RT @ronbuntter: こんな論文どうですか? 戦後ハンセン病政策と家族の諸問題 : 家族訴訟を中心に(松本 聡子),2017 https://t.co/4HYPmbfJ71
昭和の日。 将棋の昭和史 を振り返って見ようかしら。 まずは、戦前の実力制名人の創設や坂田三吉の辺り。を読んでみようかな。 山口恭徳 さんの「新聞棋戦の始まりから発展へ」がまず参考になりそう。 https://t.co/0syZbcIHkX
RT @ronbuntter: こんな論文どうですか? 江戸川乱歩「心理試験」の心理学(塚本 真紀),2018 https://t.co/k3oKdUevmK
木村一基 九段 東洋大学でのシンポジウムでの講演録。 2018年。人工知能に関連したものですが、 示唆に富んだ内容も含んでるなと。 昨日の叡王戦の解説を見ながら思い出した。 ↓東洋大学学術情報リポジトリ https://t.co/Pejy9m66BW
「アプリ」が超重要ファクター。 ということを、 認識しながら、 『将棋と文学 スタディ』のレポートでフォローできなかったのは、 中の人の、 取材力の欠如だし、力量不足だし、 心残りだったこと。 https://t.co/PwGHdnEW0B
RT @Wang__Chang: 1年ほど前、東洋大学で木村九段が講演していたイベントの話。 PDFで文章にまとまってた! カモの話とか、困惑しつつ回答していたのを思い出した。 https://t.co/8CMbjHY4tV
RT @mtmtlife: 将棋明治名家手合(国立国会図書館デジタルライブラリー) https://t.co/HijL4YMaOu

6 0 0 0 OA 将棋新報

RT @ginnan81: 国立国会図書館デジタルコレクション - 将棋新報. 第1-5集 https://t.co/jvPxY1CUxr

お気に入り一覧(最新100件)

↑詩のなかにある短歌、検索したら以下の記事が出てきてちょっと絶句している。大正皇后がハンセン病隔離施設長に送った歌に明石海人はじめ患者達が"返歌"し、その後患者用の監房の壁に書かれたのが見つかるって…。 https://t.co/vtrMjjGv8G https://t.co/O2J1VNEONi https://t.co/jHrVA8r4bM
展覧会を見逃した方も、どんな資料が出品されていたのか再確認したい方も、ぜひご覧ください。「明治大学学術成果リポジトリ」から全文無料でお読みいただけます。 https://t.co/rRLUQ5YejR #町田市民文学館 #ことばらんど
拙稿「観戦記者・倉島竹二郎」は以下よりお読みいただけます。 論文というより読み物ですが
将棋に注目して芥川の生涯を追うと、芥川龍之介の晩年が全く違ったように見えてきます。芥川が生涯、文学をめぐってどのような軸で考えていたのかが分かってきます。 小谷瑛輔「文学は遊戯か――芥川龍之介と『新思潮』派の同人たち」『将棋と文学スタディーズ2』2023年3月 https://t.co/DYXEx8R4Tz
芥川龍之介や菊池寛を輩出したことで有名な『新思潮』派は、遊戯を排する文学グループとして登場し、他方では遊戯的文学観を提示したりと、内部対立も含めて揺れ動き続けました。その問題を論じた拙論が掲載された『将棋と文学スタディーズ2』が出ました。pdfで読めます。https://t.co/DYXEx8R4Tz
小谷瑛輔「一人称リアルタイム語り小説の成立と展開――新井素子から綿矢りさへ」『層 映像と表現』2023年3月 https://t.co/aWMAc0wBHm
綿矢りさなどの現代作家のリアルタイム語りっぽい文体がどのような特徴のものとして理解できるのか、どのように成立し、どのように定着したのか、といったことについて、漫画、アニメ、ゲーム等にも目を配りながら整理した論文を『層』に寄稿しました。pdfで読めます。 https://t.co/aWMAc0wBHm
阿部眞之助と小汀利得は、二七会という評論家や作家の集まりで会う機会があった。 二七会で将棋を指すのはこの二人と馬場恒吾、芦田均。 二七会とその人々 : 一九二八〜一九四四年 いつ会合をやったか、出席者が誰かまでわかる。阿部眞之助は千葉亀雄の死後に参加。 https://t.co/MYjKd2zdZ7

1 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1949年版』朝日新聞社,1948 塚田大山の名人戦を振り返っているが、専門家では塚田勝ち、一般ことに関西では大山勝ちを予想していたとある。第3期A級では升田木村丸田が期待されており、大山の評価は当時さほど高くなかったようだ #まいにちNDLDC https://t.co/CJqZ83c7re

4 0 0 0 近代将棋

>>プロの対局で、持ち時間が各4時間の将棋は、平成二年十月一日から夕食休みが廃止になった。午後六時ごろになると、一方の残り時間がほとんどなくなる場合が多く、休憩すると味が悪くなるからだ。 田辺忠幸「将棋界高みの見物」『近代将棋』1991年2月号 https://t.co/lsyxcj6JCV

2 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1935年版』朝日新聞社,1934 坂田三吉が大朝を去るというビッグニュースと、十一日会誕生に記事を割いて経緯を説明している。「坂田名人の心境何の幻映によるか」という記述に困惑したものを感じる。 #まいにちNDLDC https://t.co/SNdViMTAvF
>>戦時中、全国有数の軍需生産地帯となつた名古屋地方は(中略)中部日本新聞社は用紙の特別割当をうけ、十九年三月一日タブロイド四頁の『中部日本新聞戦時版』を発刊し、主として生産の面に働く人々を対象として諸者の要求に応えた。 『地方別日本新聞史』日本新聞協会,1956 https://t.co/QRBjXjA4gD

1 0 0 0 毎日年鑑

ちなみに戦時版とは、徴用などで働いている層向けに発行された新聞で、中部日本のほか五紙が発行していました >>▲勤労読者を対象として毎日、読賣、西日本、中部日本、大阪新聞五紙が十九年三月からタブロイド型の日刊戦時新聞を発行す 『毎日年鑑. 1945』 https://t.co/mnDb9cSKuA
将棋と文学研究会 編『将棋と文学スタディーズ』 2019年1月、145ページ、PDFファイル (富山大学リポジトリ収録) https://t.co/90rwXI3mlq

1 0 0 0 OA 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和8年』朝日新聞社,1932 「聯盟決議案」として6つのルールが掲載されているが、遅刻を消費時間に参入することが明記されている。午前十時開始で対局十分前参集ともある 保護期間満了のため、インターネット公開資料 #まいにちNDLDC https://t.co/jQwEtYnCf5

16 0 0 0 OA 雑芸叢書

象棋六種之図式 https://t.co/5Q7Z6iBdaY

3 0 0 0 経済ライフ

「国鉄アイデア商法――「お座敷将棋列車」と「SLハンバーガー」 」『経済ライフ』1981年7月号 昭和56年夏の企画として、国鉄が「大山名人と行くお座敷列車の旅」を開催する記事。西浦温泉ということは銀波荘に泊まったのだろうか。詳細が知りたい。 #まいにちNDLDC https://t.co/DrM3brZXk2

3 0 0 0 OA 法令全書

『法令全書. 明治17年』内閣官報局,1887 明治17年に通達された海軍省の懲罰則の11条に、囲碁や将棋はその戯具を携帯しているだけで処罰されるとある。賭博と同一視されていたことがわかるが、いつから慰安として広く指されるようになったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/v5O2a11fEk

2 0 0 0 和歌山県史

『和歌山県史. 近世』和歌山県,1990 、江戸時代の民衆が親しむ娯楽に触れた項目で、 「就中将棊は農村の細民も之を弄り」 と『日高郡誌』に書かれていると紹介している。 将棋が民衆に広く親しまれていた娯楽だからこそ、代表例として挙げられたのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/dPoyG3vwZF
『現代日本の人物事典 : 政治家から落語家まで 1951年度編集』自由国民社,1951 将棋に松田辰雄がいる。「関西流の強気一徹の棋風に特徴がある」と紹介されている #まいにちNDLDC https://t.co/tNMPCRbkE1

2 0 0 0 朝鮮研究

林鳳「朝鮮の夜明け--体験的朝鮮現代史」『将棋評論』1950年7月号 戦後朝鮮で政治浪人たちが「政治福徳房」に集まっていた。「福徳房」は、将棋を指したりする所らしい 三・一運動でも「将棋を指していた」という話があり、チャンギと政治の関わりが気になる #まいにちNDLDC https://t.co/2cH5hTH1Vy
朝日新聞社が主催した、升田幸三とニューヨーク・タイムズ東京支局長のチェスと将棋の交換対局。『将棋とチェス』という雑誌名にふさわしいページである #まいにちNDLDC https://t.co/LC1Y2eB7d0
中島富治「將棋夜話(其ノ八)」『将棋とチェス』1950年1月号 第3回アマ名人である嶋田永信は戦前山内姓で奨励会員だったのだが、その辺りの事情に触れられている。戦争がなかったのどういう人生を送れたのだろうかつくづく考えてしまう。 #まいにちNDLDC https://t.co/0hWsm0Hntd

5 0 0 0 真相

「朝日毎日〝名人將棋〟爭奪戰の眞相」『真相』1949年11月号 名人戦問題を赤裸々に綴っている。どこまで本当かは分からないが、序章として名人戦の棋譜が倉島竹二郎の解説付で掲載された「日光事件」があったというのは、毎日新聞社の体制も含めて興味深い。 #まいにちNDLDC https://t.co/2ey2aw9HAL
松下力「二十三年度順位決勝戰を顧みて」『将棋とチェス』1949年10月号 1948年10月11日若松寺で行われた順位戦松下五十嵐戦の自戦記。高島原田小泉高柳の顔も見える。こうして発表してもらえると、対局日と棋譜を後世に残すことができる。本当にありがたい。 #まいにちNDLDC https://t.co/yWTqxinZMw
原田泰夫「位と捌きの一戰」『将棋とチェス』1949年7月号 青棋会席上対局と紹介されているこの五十嵐八段との一戦は、112手△6七銀迄の棋譜で『東京タイムズ』を始めとした各種新聞に「A級入り記念対局」といった形で観戦記が掲載されている。 #まいにちNDLDC https://t.co/QtnCabnLXn
田中博『京都財界半世紀 : 田中博翁夜話』田中翁夜話刊行会,1952 「趣味も嗜好も平凡至極」という項で、第9期名人戦第3局の対局場の話がさらっと触れられている。 対局場は「「田中博氏邸」であるが、本人は「ただ座敷を使つてもらつただけ」と回想している。 #まいにちNDLDC https://t.co/K9ztAELXLS

1 0 0 0 近代将棋

「東京と大阪」『近代将棋』1955年2月号 東西の違いを並べる際、大阪方が上京する時一番苦手なのは外米、東京方が西下する時に一番苦手なのは味噌汁だという話題がある 1954年は過去最高の143万トンの米を輸入しているが、関西では影響が少なかったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/V93dFwRVo7

3 0 0 0 将棋月報

長井勇「自棋追憶」『将棋月報』1927年8月号 ひとりのアマチュアが将棋と関わりを綴ったもの。社会人になって将棋の楽しみを覚え、軍隊での娯楽として将棋を親しんだことが書かれている。連隊対抗将棋戦が開かれるなど、旧軍では将棋が盛んだったようだ。 #まいにちNDLDC https://t.co/vJBL7sun2W

2 0 0 0 将棋月報

「名家棋戦」『将棋月報』1927年6月号 大野源一初段(17歳)の月報初掲載局は、と村上真一五段の角落戦。 #まいにちNDLDC https://t.co/gGQUthMkJc

1 0 0 0 新聞太平記

御手洗辰雄 『新聞太平記』鱒書房,1952 将棋界においては『國民新聞』の編集局長として倉島竹二郎を採用したことで名を残している御手洗辰雄による新聞業界の裏面(側面)史 「囲碁将棋欄の舞台裏」という項で、戦後の新聞争議として名人戦問題を取り上げている #まいにちNDLDC https://t.co/2u1P0MgSJJ

3 0 0 0 将棋月報

「宮田青年二段に昇格」『将棋月報』1926年10月号 木見八段の内弟子とあり、当時は木見門下だった宮田巳之助が二段に昇段した記事。大野少年の名前もあるが、これは大野源一のことであろう #まいにちNDLDC https://t.co/oFBBl9uCQe

5 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「名人經歷談」『将棋月報』1927年2月号 関東大震災で亡くなった小林孝三郎四段の追悼碑が谷中の本通寺の井戸の傍に立ったという話。現存しているのだろうか。確認してみたい。関東大震災では、本文の通り矢島五香七段も亡くなっている。 #まいにちNDLDC https://t.co/cYkKvXG3Pb

1 0 0 0 近代将棋

中島富治「棋士と私」『近代将棋』1955年5月号 夭折した棋士として、石川四郎・中村貴男・関口慎吾・細田清英・林勝三郎を紹介している。 細田清英では「本人よりは父親の方がのぼせてしまって」とあり、以下父親の言動などに触れている。 #まいにちNDLDC https://t.co/vhDNwFVhTc

1 0 0 0 将棋月報

「懸賞詰將棋」『将棋月報』1926年12月号 発行遅延のため大正15年12月号は詰将棋のみの発行だったが、この号で塚田銀波が詰将棋を発表する。後の名人の第一歩である。 #まいにちNDLDC https://t.co/6c3vhGaC2L

3 0 0 0 将棋新戦法

観戦記者のPNが新聞社のものだった問題については、この本での説明がわかりやすいかな。加藤治郎は各社でペンネームを使い分けている上に、日経で書く時は飛将軍(大和久彪)の名前を借りていた。個人のPNになっていくのは1960年代から リンクを張り間違えていたので訂正 https://t.co/i6OOPGAyCI https://t.co/NXPl8rUEmr

1 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「名人經歷談」『将棋月報』1927年1月号 前年10月に入門した細田清英の写真がある。こんな小さい子供が毎週山梨から列車で通っていたとは、相当熱心な親だったことが想像できる。 #まいにちNDLDC https://t.co/akQ0yQGr4I

2 0 0 0 将棋月報

「名人方に弟子入りした五才五ヶ月の新弟子談」『将棋月報』1926年11月号 10月17日に山梨の細田氏が名人を訪ねて、子供を弟子入りさせた記事。細田清英は後に大山康晴少年とラジオ対局を指したことがあり、将来を嘱望されていたが、若くして亡くなっている。 #まいにちNDLDC https://t.co/rr3vbOUkva

3 0 0 0 将棋月報

「ハイ今日は」『将棋月報』1926年10月号 朝鮮満州に井上七段と称する偽物棋士がいることを指摘する讀者投稿。その前の投稿も高段を自称する怪しい棋士を紹介しており、この号に掲載された土居八段の偽物も含め、当時は不埒な輩が多かったことがわかる #まいにちNDLDC https://t.co/9DVlfcoEOI

3 0 0 0 将棋月報

「大阪棋正會の成績」「東京聯盟會員成績」『将棋月報』1926年10月号 大阪と東京の棋士の成績一覧。勝抜戦全盛なので対局数が大きく違うのが面白い。点数制を採用した理由が分かる。また、勝越・負越の項目があるのが興味深い。 #まいにちNDLDC https://t.co/cLeiTLgSQN

5 0 0 0 OA 藤枝町誌

「藤枝町誌」静岡県志太郡藤枝町,1924 >>第七節室内娯樂 (中略) >>碁、將棋等は主として男子間に行はれ、女子の之を弄ぶは極めて稀れなり 98年前の記述。100年かけて少しずつ歩んできた将棋界は、これからも歩み続けていく #まいにちNDLDC https://t.co/sxPGv7Z5cZ

2 0 0 0 将棋月報

「本社嘱託棋士樋口義雄君」『将棋月報』1926年9月号 後にプロ入りする樋口義雄が、月報の嘱託として活動することを紹介する記事。当時は専門棋士との境目は曖昧だったため、新聞将棋に載らなくても様々な活動をする棋士がいた #まいにちNDLDC https://t.co/KZXxETAJsk

2 0 0 0 将棋月報

「讀者の聲」『近代将棋月報』1926年5月号 桜井三桂が「塚田銀波君」と題する投稿をしている。詰将棋の回答で優秀な成績を残している塚田正夫少年に自宅に来るように勧める内容で、入門以前から塚田の才能が評価されていたことが分かる #まいにちNDLDC https://t.co/Agl2Qvmnmi

140 0 0 0 OA 往昔抄

往昔抄 https://t.co/0hLlwxlEx2 これしかないのでこれを読めと言われた本、その2。 古刀で資料にしていいのはこれと観智院本と、あともう一つくらい。 こちらも、全ページがオンライン公開されてます。

1 0 0 0 将棋評論

「天才豆初段」『将棋評論』1949年10月号 松田辰雄八段の弟子として上田友彦少年が紹介されている。「将来は松田八段の秘蔵弟子として大成が楽しまれる」と紹介されているが、その後、松田八段と上田さんは時代の波に呑まれることになる #まいにちNDLDC https://t.co/F2nvRzfHOO

5 0 0 0 将棋月報

「人氣投票 結果」『将棋月報』1927年2月号 約一年に渡って募集した、素人棋客人気投票の結果。一位の前田三桂を始め、常連投稿者が上位のなか251票を取り8位となった菊池寛が目立つ。将棋ファンにとっても憧れの存在であったのだろう #まいにちNDLDC https://t.co/WNrgeHtiv3

1 0 0 0 将棋月報

「優秀素人棋友人氣投票」『将棋月報』1926年4月号 棋士の人気投票をしようという投稿から誕生した、アマチュア棋客の人気投票。専門棋士だけでなく、アマチュアからの投稿記事で成り立っていた『将棋月報』ならではの企画 #まいにちNDLDC https://t.co/HoPhHZLWbm

1 0 0 0 近代将棋

「山田,棋聖位を守る」『近代将棋』1968年3月号 防衛した笑顔の山田棋聖(和服)と、3連敗で肩を落とす中原五段(スーツ)のグラビア写真 https://t.co/xfes5OGIjb

2 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「關根名人經歷談」『近代将棋』1926年3月号 黎明期の新聞将棋の、関根名人の関わりを記したもの。夕刊新聞を大村忠雄が受持っているとされており、『東京夕刊新聞』と思われる。大村四段は将棋雑誌も発行していたが、どのような人物だったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/fyHS9jPGTV

3 0 0 0 将棋月報

浅川生「宇都宮より歸松迄」『将棋月報』1926年1月号 各地の棋客の紹介。千葉市の勝山庄太郎六段は汁粉店を経営していたり、盤駒製造の豊島太郎吉六段や二代目奥野一香を訪ねたりと、当時の棋士が副業をしながら生計を立てていたことがわかる #まいにちNDLDC https://t.co/QtAxvbJgEn

5 0 0 0 富士

「名好敵手朗らか訪問 木村義雄氏と大山康晴氏」『富士』1951年1月号 大衆雑誌のグラビアを飾った木村名人と大山九段であるが、なんと入浴写真である。当時からゴシップ需要があったということなのだろう #まいにちNDLDC https://t.co/vdO3gxGTnf

4 0 0 0 富士

「升田幸三 勝負放談」『富士』1950年1月号 升田をメインにした座談会。坂口安吾について升田が、「坂口さん大好きなんですよ。どこか淡白で、そして臆病で、神経質で、文士は大体神経質ですが、そういう所が実に好きなんです」と触れている #まいにちNDLDC https://t.co/PNGxG41mVN
『満洲写真大観』には、鴨緑江の写真も数枚ある。松田辰雄も、この鉄橋を眺めながら毎日を過ごしたのだろうか https://t.co/giytfGevLv
縁台将棋で思い出したのだけど、この「将棋をする満州人」。『満洲写真大観』で確認したら、説明で >>將棋と言はんより寧ろ十六武蔵と稱するものに似たり とあって、キャプションに騙されるところだった。冷静に見ると、シャンチーにしては駒が足りない https://t.co/rRmP1l9W7Z https://t.co/EV2zr2uXK6
「回覧板」『将棋月報』1943年8月号 幸田露伴のエピソードが掲載されている。木村名人と最初に指したのは1933年1月13日であることなど #まいにちNDLDC https://t.co/hS1oLJMgtu
「間宮四段及同門下生棋戦」『将棋月報』1943年8月号 関口慎吾六段と間宮純一四段の香落対局が掲載されている、関口六段であるなら4月以降の将棋であると思うが、どういう形で指されたものなのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/m3opTnWQ2G

1 0 0 0 将棋月報

東京太郞「盤側閑談」『将棋月報』1943年4月号 1943/2/12付の『滿洲日日新聞』において、財団法人滿洲将棋大成会結成の記事があることに触れられている。かなり大々的に、普及をしようとしていたようである #まいにちNDLDC https://t.co/KsGgoCSXnS

2 0 0 0 近代将棋

北楯修哉「思い出すまゝ」『近代将棋』1956年6月号 今回は復興期当時の理事の仕事の話。『将棋世界』復刊1号は1万部。発行所は渡辺東一名誉九段の自宅で、応接間が仕事場。棋士の手作りの雑誌として再出発した #まいにちNDLDC https://t.co/lBHwn0xa9d

2 0 0 0 近代将棋

北楯修哉「思い出すまゝ」『近代将棋』1956年4月号 北楯修哉九段が戦後復興期の将棋界を振り返った3回目。今回は『将棋世界』の復刊の話がある。会から3万円を借り将来は雑誌だけで独立するという約束で始まったが、出版の苦労がここから始まる #まいにちNDLDC https://t.co/c0hFMwoG1y

1 0 0 0 将棋月報

「文壇の重鎮菊池寛氏歓迎將棋會於名古屋市 」『将棋月報』1925年2月号 菊池寛が講演のために名古屋に訪れた際に行われた将棋会の記事。1924年12月26日に時田六段らと指しているが、手合は関根名人から貰った初段を基準としている。関根段の初段だったのだろう #まいにちNDLDC https://t.co/0VfLgibhTz

3 0 0 0 将棋月報

溝呂木光治「朝鮮より」『将棋月報』1924年8月号 7月号の続き。1926年に釜山日報主催の南鮮将棋大会が行われたとあるが、これは1926年2月27日付の『釜山日報』で社告が出ており、3月12日に行われたようだ #まいにちNDLDC https://t.co/nfdBYlceiB

1 0 0 0 将棋月報

「有段者(五)」『将棋月報』1924年8月号 関根名人の免状授与名簿の5回目。 1923年12月の福井資明五段はここでも旭川市。1924年1月に木村義雄六段・渡辺東一四段の名前が見える #まいにちNDLDC https://t.co/u0bT3OH8WG

6 0 0 0 棋道半世紀

この時の様子は、『棋道半世紀』の「朝鮮・滿洲」で確認できる。『京城日報』と『朝鮮新聞』がバチバチやりあっていたようで、同じ日に将棋大会を開催するという事態となった。片方だけに出るわけにもいかず、困った関根名人は両方とも断ることで折り合いをつけたようだ https://t.co/lDu9e4mdlu

3 0 0 0 将棋月報

溝呂木光治「朝鮮より」『将棋月報』1924年7月号 東京に戻っていた溝呂木が、朝鮮に外遊した際の動向を記述したもの。当時旅にどれくらい時間がかかったかということも分かり良い資料である #まいにちNDLDC https://t.co/nfdBYlceiB
https://t.co/IVrRhwRmMr なつかしい顔 小島政二郎 著 鶴書房 1967 「倉島竹二郎」 師匠が語る弟子の姿。清水崑の絵も掲載。

3 0 0 0 将棋月報

「有段者(四) 」『将棋月報』1924年7月号 関根名人の免状授与名簿の4回目。 この時期は福岡から朝鮮満州へと旅にでかけていて、その時に免状を出したようだ。五級初段とちょっと変わった形で、朝鮮人で免状をもらっている人がいるのは特筆すべきところ #まいにちNDLDC https://t.co/LW8m3rdW23

1 0 0 0 将棋月報

「有段者(其三)」『将棋月報』1924年6月号 関根名人の免状授与名簿の3回目。 1922年9月の福井資明四段は旭川市となっている。翌23年2月に溝呂木光治が七段となっているが、溝呂木は『京城日報』では21年1月に七段となっている。当時は小野段だったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/NgqsOnqIyY

1 0 0 0 将棋月報

「有段者(其二)」『将棋月報』1924年5月号 関根名人の免状授与名簿の2回目。 1922年に3月に豊島太郎吉六段(龍山)、5月に加藤博二九段の父である加藤竹次郎五段などの名前が見える。 #まいにちNDLDC https://t.co/APGW5eVsoE

2 0 0 0 将棋月報

「有段者(其一)」『将棋月報』1924年4月号 関根名人が1921年5月以降に免状を授与した人の一覧。 8月に菊池寛初段、12月に木村義雄五段らの名前が見える。 11月には当時釜山在住の池田卯八が五段となっていて、朝鮮にも普及していたことが分かる #まいにちNDLDC https://t.co/KahE0WJ511
溝呂木光治, 石山賢吉『将棋此の一手』千倉書房,1935 『時事新報』に掲載されたものをまとめた書籍。富沢 幹雄八段は『時事新報』に掲載された高段棋士の自叙伝を読んで棋士になろうと決心したそうだが、それはこの本に収められている「将棋修行」と思われる #まいにちNDLDC https://t.co/UNqO07i2tV
秋田工業高等専門学校学術情報リポジトリ 将棋プロ棋士の棋風考察 https://t.co/gUsrNVvf2y
塚田正夫, 花田長太郎『平手将棋の新しい指し方』,金園社,1954 元は1948年に出版された『平手の新しい戦法 順位決定戦快心譜』で、版元を変えて数冊出ている。順位戦の実戦譜を定跡として紹介したもので、当時の記録を考える上で貴重な資料である #まいにちNDLDC https://t.co/36vNulYcpM
『名人八段指将棋全集. 第9巻』大森書房,1929 名人八段指将棋全集の第9巻。小野五平と大矢東吉の棋譜集となっている。溝呂木光治が解説を担当しているが、小野門下として齊藤雅雄・矢島五香・岡村豊太郎・森永龍・と豊島太郎吉・勝山庄次郎が紹介されている #まいにちNDLDC https://t.co/GgF0hmqVBZ
『名人八段指将棋全集. 第1巻 (関根金次郎集)』大森書房,1928 名人八段指将棋全集の第1巻。この全集は、各棋士の対局がまとまっているのはもちろん、対局相手の短評が資料として価値が高い。出身や没年などの情報があるのはありがたい #まいにちNDLDC https://t.co/F2PKhnTPgs

3 0 0 0 将棋月報

「諸事一束」『将棋月報』1940年11月号3 ハルビン日日新聞社勝継戦大成会出場三、四、五段メンバーとして、20名の棋士が挙げられている。 哈爾濱日日新聞は日本では現在紙面がほぼ確認できず、詳細が不明である。確認する術はないのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/bf38cB4Oju

1 0 0 0 OA 財界人を語る

阿部真之助は1966年(亡くなった2年後)に表彰されている。 近代将棋1966年12月号読めてよかった。ありがとうございます。 石山賢吉というと、実業家同士でわいわい将棋やってる『財界人を語る』の「名士と将棋」「上らず会」が良い https://t.co/h9oHERAw2V https://t.co/YkSO42MErd

1 0 0 0 将棋月報

「敦賀將棋聯盟名譽總裁木見八段來敦記念大衆將棋大會の状況」『將棋月報』1936年5月号 木見八段が敦賀に訪問して指導した時の記事。同伴者は夫人と大山少年で、敦賀棋界の顔役であった上田庄平氏との平手対局の棋譜が掲載されている #まいにちNDLDC https://t.co/cnerIPRU43

2 0 0 0 愛国主義

「將棋同志會と聯絡」『愛国主義』4号 『愛国主義』という雑誌の4号より、井上義雄八段の将棊同志會による名家負退將棋の掲載が始まる。 雑誌の性格や掲載の経緯など研究が待たれるが、同年東京朝日や東京日日の将棋欄も始まっており、将棋の広がりを感じる #まいにちNDLDC https://t.co/O2qj25NyMQ

1 0 0 0 呑気な話

井上甚之助『呑気な話』石田大成社出版部,1940 倉島竹二郎と慶應で同期だった演劇評論家の随筆。倉島・南部修太郎・佐佐木茂索といった文壇関係者との将棋話がある。倉島は調子の人だから負けると腐ってすぐ嫌になる、という本人は書かないような話が面白い #まいにちNDLDC https://t.co/kWFyr6Z6df

3 0 0 0 将棋月報

『哈爾賓日日新聞』が1940年に三段から五段の棋士を集めて勝抜戦を掲載していたらしいことが分かったのだが、紙面が読めない https://t.co/bf38cB4Oju

2 0 0 0 将棋月報

「藤井朗氏逝く」『将棋月報』1943年5月号 ハングル新聞『每日新報』で紹介された"将棋の天才児"の訃報記事 >>非凡なる詰棋力を有した同氏が、これからと云ふ時になくなつた事は實に残念であり悲しい とあるように、将棋界には詰将棋作家として名を残している #まいにちNDLDC https://t.co/XcwyuDCGAK
山田和子「女性と将棋」『月刊世界政経』1976年10月号 アマ強豪であり、翌年女流アマ名人戦に優勝する筆者による女性と将棋論 >> 要するに、女性があまり強くないのは、あまりにも将棋に向いていすぎるために、棋力が気力に追いつかないだけなのである。 #まいにちNDLDC https://t.co/XwXQi54eiF

2 0 0 0 将棋評論

>>私のこゝに書き度いのは、彼氏のことよりも、これも「消えた天才」の一人であるT君のことである。 (中略) >>夢、夢、夢、みんな夢の彼方に消えてゆく。 菅谷北斗星「消えた天才消えない天才」『将棋評論』1950年1月号 北斗星が惜しんだ少年の名前をハングルの新聞で知るなど https://t.co/svQpF8HrDw
「漫画東海道中膝栗毛」が、省略している箇所が多いものの、原文に忠実に翻刻している 国立国会図書館デジタルコレクション「漫画東海道中膝栗毛」磯部甲陽堂,1923より https://t.co/35KhaiakO1 https://t.co/BSuFPI0pEJ
東海道中膝栗毛に将棋の箇所があると。 国立国会図書館デジタルコレクション「道中膝栗毛 8編続12編. [8]」より https://t.co/Co4uWraJmm https://t.co/BFyFPil8Qe

4 0 0 0 将棋評論

山口富子「主婦と將棋」『将棋評論』1950年8月号 夫の将棋雑誌を拾い読みしているうちに将棋に興味を覚え、13手詰の懸賞詰将棋に当選したことから夫にバレて指すようになった女性の話。当時は、女性が将棋を指せるとは言いづらそうな雰囲気なのが伝わってくる #まいにちNDLDC https://t.co/2rWu2Vz1y5
東京日日新聞社, 大阪毎日新聞社 編『本社独占名人決定大棋戦譜. 第三輯』東京日日新聞社,1937 >>名人決定戰は、他の將棋と違つて、なか/\精力の消耗するものと見え、食ひものゝ選擇が作戰の一つになつてゐる。 倉島が書いた第11局の末尾は、将棋めしの記事 #まいにちNDLDC https://t.co/4O7dpwfl1i
倉島竹二郎「八段大崎熊雄」『近世名匠伝 : 棋界の礎石となった人々』四季社,1956 https://t.co/tYfTPjLa9f

3 0 0 0 温泉

菅谷北斗星「対局と温泉」『温泉』1961年4月号 古くからタイトル戦の対局場は温泉地が多いが、その理由を設営側から解説したもの。北斗星は棋士が対局でどれだけ消耗するかを色々と研究していて、体重計っている観戦記は面白かった #まいにしNDLDC https://t.co/GqMqw91N56 https://t.co/VcYaPijwAj
菅谷北斗星「將棋の記事に就いて」『綜合ヂャーナリズム講座. V』,内外社,1931 観戦記者の草分けである北斗星による、観戦記・将棋記事論。野球ファン・競馬ファン・文学青年がそうであるように、将棋ファンが求めているのもゴシップであるとしている #まいにちNDLDC https://t.co/xCNMafNWI0

2 0 0 0 近代将棋

町田進「将棋万華鏡(9)越智信義氏の巻」『近代将棋』1976年9月号 プロ野球の記録の神様が宇佐美徹也なら、将棋界の記録の神様は越智信義である 「対局中に後架に立った回数」から始まり、とんでないものまで記録したいという越智さんの情熱、ある種見習いたい #まいにちNDLDC https://t.co/eY7WBMKm3i

1 0 0 0 近代将棋

『近代将棋』1960年6月号 名人挑戦者となった加藤一二三八段が表紙を飾った号。この号以外はイラストの表紙であり、当時どれだけ注目を集めていたかが表紙からよく分かる #まいにちNDLDC https://t.co/64HI9uwxGI

1 0 0 0 富士

「新人王決定富士杯爭奪棋戦」『富士』1952年12月号 花村元司八段対二上達也五段戦 『富士』が主催した新人王戦の決勝戦。二上達也五段が優勝し、現在でも棋戦優勝のひとつとして数えられている。20歳の若武者の貴重な和服写真も見処。 #まいにちNDLDC https://t.co/Se3pRfIKdT

2 0 0 0 富士

木村義雄「実力名人二十年 苦闘の跡」『富士』1952年8月号 冒頭で、全集出版のために準備していた原稿・棋譜・資料・文献が空襲のために失われたことが書かれている。将棋史において、関根名人の手帳がすられたことと並んで「この上もない恨事」である #まいにちNDLDC https://t.co/4hoNsAgVwB
『私の三十五年』新潮社, 1939 戦前にまとめられた木村名人の自伝。『将棋一代』の底本にもなったが、細かな描写はこの本で確認できるものも多く、戦前の将棋史を調べるにあたっては目を通しておきたい #まいにちNDLDC https://t.co/wSffd5cmkW
>福島万兵衛は享保年間に於ける大阪の棋師にして民間屈指の強者たり。特に定跡の研究に努力し其遺著に珍手選(ちんてせん)あり。容易に手に入ること難かりしを此にその一本を得て掲出す。 https://t.co/13Y9V6Tquu

2 0 0 0 近代将棋

天狗太郎「勝負師一代(木村義雄)(1)」『近代将棋』1975年2月号 >>子供が貴重な<労働力>とされていたそのころは、出生届を一年遅らせれば、その一年だけ長く家業に励むことができて、わざと出生届を遅らせる例も多かったという。 生年の謎は、これが理由か #まいにちNDLDC https://t.co/HORjMNwQlz
木村義雄『木村義雄全集. 修業篇 第3巻』博文館,1944 戦時中に企画された木村義雄全集の第3巻。四段時代前期の将棋が掲載されている 79~81局の國民新聞の将棋を大正9年9,10月としているが、大正10年11,12月の誤り。何故誤ってしまったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/fiSIL7ww4A
小川菊松 『日本出版界のあゆみ』誠文堂新光社, 1962 ・二 博文館時代 https://t.co/EWN3DIOv4Z
木村義雄『木村義雄全集. 修業篇 第1巻』博文館,1943 戦時中に企画された木村義雄全集の第1巻。主に二段時代の将棋が掲載されている 戦況の悪化によって三巻で終わったのはもちろん、全集用に図書館などに通って集めた棋譜が戦災で失われたのは非常に悲しい #まいにちNDLDC https://t.co/ISdcs6uzZ6

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