tukinoojisan (@tukinoojisan)

投稿一覧(最新100件)

RT @zasetsushirazu: 知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史…

2 0 0 0 原六郎歌集

#自慢の坂本龍馬グッズ 445.坂本龍馬のテレホンカード 12 中岡慎太郎2枚 金箔 和歌繋がりで原六郎の『六郎歌集』に龍馬のこと詠んでいることを知る。 https://t.co/qxLfGRVx3c 10/19 1745年Jonathan Swift死去  ガリバー旅行記 昭和2年童門冬二生誕 1936魯迅死去 https://t.co/sG850Q0ZFR
@rekishi53 @hitomaroeiku 岡田鴨里(傐)関係文書が下記の論文末にありましたが、見当たりませんでした。 見落としかも。。 https://t.co/OfEfNHmvRw
RT @zasetsushirazu: 笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなか…
『日本紀』(いわゆる玉屋本)を写した秋元安民。写した仲間の小杉榲邨を調べてると、微妙に坂本龍馬に繋がった(笑)! 『皇后陛下の御聖徳』葉山の御霊夢 小杉榲邨著 明治40 下記で見られます。19コマ目です。 https://t.co/UHjwzUNilz 坂本數馬って(笑)

3 0 0 0 OA 漢訳伊蘇普譚

さらに、その頃のイソップ物語『漢訳伊蘇普譚』が国会図書館のデジタルコレクションで見れた! https://t.co/Ry1RvesBiZ その17コマ目、まさに「獵戸逐兎」! 漢文なので、意味難しいけど。。。 「斧頭求柄」27コマもあるし! 今回は #青天を衝け の一セリフからハマってしまったが楽しかった。感謝。
ライオンなら「獅子と兎」P160か!? でもしっくりせず。。。 で調べてると、先人の素晴らしい論文が見つかった! 安藤信廣「イソップ物語の受容の一側面」 https://t.co/oSdVA4Mo5C 直に「獵戸逐兎」は翻刻されていなかったが、その頃の背景がよくわかった。

3 0 0 0 OA 京洛史蹟歌

『京洛史蹟歌』は国立国会図書館デジタルコレクションでも見られます。81コマ82コマ。 https://t.co/Lqvl17YSVa
改元について一考。 明治から大正への改元以降とそれより前とでは詔勅が異なるのか。 ヘタ号のテレビ見ながら安政の大地震かではなく嘉永の大地震かと思って調べたら、下記の文献があった。 本邦における被害地震の日本暦の改元について https://t.co/Xj98oGnQVi
でネットで調べてたら、「秋元安民選『類題青藍集』姓名録」(板東 優実)という論文があることがわかった。すげ〜。読んでみたい。 https://t.co/YLAspUyP02
本を読んでいると、いろんなことが、わかってくる。平尾道雄先生が言われた「知る喜び」が満たさせる時、アドレナリンが大量に分泌される。 町田明広先生の論文 https://t.co/krRQobzDgH 「新説坂本龍馬」への素晴らしい書評 https://t.co/QJqsJ1Dke4 https://t.co/ISWKcWHxct

8 0 0 0 OA 史籍雑纂

RT @3103_ky: @3103_ky 史籍雑纂. 苐五 http://t.co/OmMTtTMFCB 噂の平井さんの日記「美少年出井栄太郎携入茶店」……まあ、土佐なので 板倉筑前介さんと一緒に出井民部という人が良く出てくるんですけど、親戚だったりするんだろうか……
RT @zasetsushirazu: 1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載さ…
RT @zasetsushirazu: 前田結城「明石市立文化博物館所蔵 黒田家文書「慶応四戊辰年日記」」(『リンク』9、2017年)は、明石藩の黒田久六による、元号が慶応から明治に変わる前後の日記を紹介。明治元年11月11日の部分には北越戦争関連の記述があり、例えば「越後表江…
RT @zasetsushirazu: 本庄栄治郎「幕末の上海貿易」(『經濟論叢』46-5、1938年)は、経済史研究の先駆者による戦前の論文。文久期に幕府が上海に派遣した千歳丸と健順丸による貿易について、幕府自らが出貿易を試みた事例として重要で、海外見聞や大洋航海の経験という…
RT @zasetsushirazu: 須賀博樹「因州鳥取藩と大坂両替商-文久三年~慶応元年の大名貸-」(『経済史研究』21、2018年)は、幕末の鳥取藩主・池田慶徳による国事周旋と京都警衛に関して、その財政状況を分析。鳥取藩が、慶徳の兄・徳川慶篤が藩主を務める水戸藩に、援助金…

お気に入り一覧(最新100件)

知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史談』274)などがある。 https://t.co/zfid4b1L5f

2 0 0 0 土佐史談

https://t.co/Z2siElvzZg 今年読んだ中で面白いな~と思った近江屋、 とさ史談「坂本龍馬先生事蹟余聞」の 「高知県人で土佐史談会員の市村梅太郎君が、少壮の時この今井信郎氏に面会し、親しく暗殺当時の物語を聞いたことがあった」の談話で 藤吉と龍馬が刺客に抗戦してるところ
嘉永6年9月15日(1853年10月17日)、幕府は大船建造の禁止令を解禁した。下記リンクは、幕末の仙台藩が建造した洋式帆船に関する論考や史料を収録した、佐藤大介・黒須潔・井上拓巳編著『仙台藩の洋式帆船開成丸の航跡』(東北大学災害科学国際研究所、2022年)のPDF。 https://t.co/knAGWs8yah

4 0 0 0 OA 鉛筆だより

明治42年に徳川慶喜に拝謁した時のことを書いた横山健堂のエッセイがあった。健堂の老母は田舎侍の子が前将軍にお目にかかったということで帰りを待ち侘びて非常に喜んだ、と。横山健堂は山口県出身で、父は吉田松陰に学んで維新後は郡長になった横山幾太。 https://t.co/DDDgYY31mC
高橋秀慧「幕末京都の政治都市化と寺院の生存戦略―宗派横断的な視点から」(『宗教研究』95巻1輯、2021年)を読んでたら、拙稿「幕末期政治的主要人物の京都居所考」(御厨貴・井上章一編『建築と権力のダイナミズム』、岩波書店、2015年)が典拠(注23、25、38)に挙がってた。https://t.co/8TjSU9rfVO

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
明治36年4月20日、荘村省三(荘村助右衛門)が死去。肥後熊本藩出身で、横井小楠の弟子。坂本龍馬と交流があった。明治期には政府の密偵を務めた。中島一仁「日本における聖公会初の受洗者・荘村助右衛門」(『立教学院史研究』16、2019年)は、幕末のキリスト教入信を分析。 https://t.co/hK6ac31yUs
町田明広「慶応二年政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』13、2021年)曰く、薩摩藩は抗幕姿勢を貫くためにパートナーとしての英国との関係を重視していて、一旦ぎくしゃくした両者の関係を改善するためにも、英国公使パークスの鹿児島訪問を推進した。 https://t.co/wLdjTW1HSq
明治17年4月12日、関口開が死去。幕末の加賀藩出身で、洋書を翻訳改訂して出版した『新撰数学』は、22万部のベストセラー。板垣英治「加賀藩の藩校・明倫堂と経武館の歴史と明治以後の高等教育の発展」(『北陸医史』40)は、石川県中学師範学校の特に注目される教官と指摘。 https://t.co/3sz4YrtrnP
明治39年4月8日、長岡護美(長岡雲海、長岡良之助)が死去。肥後熊本藩主・細川斉護の子で、熊本藩を代表する人物。明治期、オランダ公使などを歴任。呉永台「幕末期肥後藩の中央政治参加への試み」(『年報地域文化研究』18)は、文久2年までの長岡を幕末政治史の中で分析。 https://t.co/0c8kMnH8KD
平成6年(1994年)4月4日、歴史家の佐藤誠朗が死去。下記リンクで、著書『近江商人幕末・維新見聞録』(三省堂)について高部淑子氏の書評(『史学雑誌』100-3)を読める。ほかの著書に、『幕末維新の民衆世界』(岩波新書)、『近代天皇制形成期の研究』(三一書房)など。 https://t.co/ip1YlhVJrk
平成5年(1993年)3月19日、歴史家の吉田常吉が死去。著書に『安政の大獄』(吉川弘文館)や『井伊直弼』(吉川弘文館)などがある。死後に刊行された『幕末乱世の群像』(吉川弘文館)は既発表の論考の再録で、小泉雅弘氏の書評(『駒沢史学』49)をネット上で読める。 https://t.co/lVaSxQmADH
明治44年3月13日、栗原亮一が死去。政党政治家で、明治15年には板垣退助の外遊に同行した。田中由貴乃「板垣洋行問題と新聞論争」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』40)曰く、「中村敬宇に啓蒙思想や英学を学び、愛国社再興から自由党結成に関与した板垣の腹心」。 https://t.co/VIbW5W4k0S
明治38年3月12日、針尾九左衛門が死去。幕末の肥前大村藩出身で、渡辺清・渡辺昇の兄弟や楠本正隆らと共に「三十七士」と呼ばれる。長野暹「明治初期の大村藩の藩制改革」(『熊本学園大学経済論集』22-3・4)曰く、「大村藩の尊攘派であり、文久4年(1864)には家老職」。 https://t.co/xWVhTbWSs2
明治23年3月9日、尾崎忠征(尾崎八右衛門)が死去。幕末の尾張藩出身で、徳川慶勝に重用された。佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205)は、尾崎が近衛忠煕と緊密に連携し、「尾張藩と朝廷をつなぐ役割」を果たしたことなどに言及。 https://t.co/pAJttOBudV
原科颯「明治皇室典範の制定と元老院議官」(『史学雑誌』129-4)曰く、明治22年の皇室典範の制定課程で、「近世朝廷関係者」かつ三条実美を「人脈的結節点」とする柳原前光や尾崎三良ら元老院議官が、伊藤博文や井上毅との議論を経て「看過しえない貢献をなした」。 https://t.co/YrwxkYBXbI
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去。何者かに暗殺されたが、真犯人は不明。当時、明治政府の参議を務めていた長州藩出身者は、広沢と木戸孝允だけだった。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、事件捜査に関する通説を再検証。 https://t.co/XCToPjhXws
大正6年2月24日、伊藤謙吉(伊藤三弥)が死去。幕末の刈谷藩出身で、同郷の松本奎堂と共に天誅組に参加した。明治期には政治家・実業家。村瀬典章「伊藤三弥(謙吉)に関する一考察」(『愛知大学綜合郷土研究所紀要』66、2021年)は、岩倉具視との接触の経緯などを分析。 https://t.co/1QN99OoSRi
明治29年2月14日、林正十郎(林欽次)が死去。幕末期に幕府の蕃書調所や開成所に出仕。フランス軍事顧問団が来日した際には、通訳として横浜に派遣された。大久保英哲「近代日本体育史における林正十郎「木馬之書」(推定1867年)の意義」(『体育学研究』38-3)などを参照。 https://t.co/gHENzRZRNx
https://t.co/OqE2018bbh 高知空襲で焼失した「土佐史料」の全索引がないかと去年いろいろ探してたんですが、国会デジタルで見れたんですね。今は読めない史料がたくさんある…
文久2年12月22日(1863年2月10日)、国学者・塙忠宝(塙次郎)が死去。塙保己一の長男で、『続群書類従』などを編纂した。久田信行「盲唖学校の成立と山尾庸三(補遺)」(『群馬大学教育実践研究』31)は、伊藤博文と山尾庸三が塙を暗殺したことは「ほぼ確実」とする。 https://t.co/WwIBcyl1u9
大正9年2月4日、尾高次郎が死去。富岡製糸場の初代場長・尾高惇忠の子で、渋沢栄一の娘婿。東洋生命社長や武州銀行(現・埼玉りそな銀行)初代頭取などを歴任。秋谷紀男「埼玉県銀行合同史料(1)-武州銀行の創設過程-」(『明治大学大学院紀要 政治経済学篇』24)など参照。 https://t.co/IDRxmnzYai
明治29年2月2日、川田甕江が死去。幕末期に板倉勝静(幕府の老中を務めた)に仕えた漢学者で、明治期に修史局などに出仕し、東京大学教授にも就任。古賀勝次郎「安井息軒の門生たち(2)」(『早稲田社会科学総合研究』10-3)は、近代史学の形成に功績のあった1人として分析。 https://t.co/7aqj1e3WFb
昭和7年1月31日、穂積歌子が死去。渋沢栄一の長女で、法学者の穂積陳重と結婚。穂積重行編『穂積歌子日記』(みすず書房)がある。同書に関する書評(『史学雑誌』101-4)の中で佐々木隆氏は、歌子が政治に対する豊富な知識と理解力を有していたであろうことを指摘。 https://t.co/1eR6Jeor6h
明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に加盟(大隈重信、江藤新平らも一緒)。大隈と共に原市之進への大政奉還提案を試みたことがある。後藤新「台湾出兵の一考察」(『武蔵野法学』12)は、外務卿時代の副島の動向を分析。 https://t.co/6i9x1aTzGL
明治6年1月29日、小幡甚三郎が死去。幕末の中津藩出身で、明治4年に旧中津藩主の奥平昌邁が米国留学するにあたって、その随行者として福沢諭吉に推挙された。だが、米国留学中に26歳で客死。文献に、西澤直子「小幡甚三郎のアメリカ留学」(『近代日本研究』14)など。 https://t.co/NvcIK7Vfrn
昭和6年1月28日、今泉雄作が死去。幕末の江戸で町奉行所の同心の子として生まれた。明治期に岡倉天心らと共に東京美術学校(東京芸術大学の前身)創立に尽力。吉田千鶴子「今泉雄作伝」(『五浦論叢』6)曰く、「わが国の近代美術発展史上見落とすことのできない存在」。 https://t.co/HZphr3Rs4x
明治34年1月20日、伊藤圭介が死去。1803年〜1901年まで生きた日本初の理学博士。遠藤正治ほか「神田外語大学附属図書館所蔵シーボルト編/伊藤圭介・賀来佐之録「日本植物目録」について」(『神田外語大学日本研究所紀要』8)は、植物学を学んだシーボルト関連の史料を紹介。 https://t.co/ewXW3JBGFf
1937年1月15日、ジョルジュ・ブスケが死去。明治初期のお雇い外国人で、司法省で働いた。山中仁吉「明治初期民法会議における夫婦と相続-司法卿期江藤新平を中心に-」(『北大法政ジャーナル』26)が、名前が紛らわしいジュ・ブスケ(軍人、外交官)と共に分析している。 https://t.co/8EpepTRx9m
昭和8年1月14日、高木貞作(高木剛次郎)が死去。幕末の桑名藩出身で、戊辰戦争で恭順論を唱えた家老・吉村権左衛門を暗殺。箱館戦争では新選組に加入した。その後、渡米を経て、商法講習所(一橋大学の前身)創立に関わり、簿記の講義を担当した。『銀行簿記教授本』を編纂。https://t.co/4R3RxZINJy

16 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

明治24年1月12日、妻木頼矩(妻木多宮、妻木田宮、妻木棲碧)が死去。幕末の幕臣で、鳥羽・伏見の戦いの後、大坂城を新政府に引き渡す役目を担った。大塚武松編『維新日乗纂輯』第3巻(日本史籍協会)に、「妻木頼矩手記 戊辰正月大坂城引渡始末」が収録されている。 https://t.co/4HgLjditE1
大正12年12月30日、神田乃武が死去。東京外国語学校 (東京外国語大学の前身)初代校長で、英語教育の発展に貢献。ワシントン軍縮会議で、全権・徳川家達の顧問。民間外交のため渡米する渋沢栄一に随行したこともある。小田三千子「『太陽』英文欄」(『日本研究』17)参照。 https://t.co/9KMsjEZomv
明治7年12月16日、蘭学者の佐々木元俊が死去。幕末の弘前藩出身で、何度か幕府から蕃書調所への出仕を打診された。福井敏隆「幕末期弘前藩における種痘の受容と医学館の創立」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)曰く、江戸で神田孝平や柳河春三らと交流があった。 https://t.co/sHinbh23Ej
明治5年11月16日(1872年12月16日)、岩倉使節団がパリに到着。福井憲彦「岩倉使節団の見たパリ」(『学習院史学』34)は、使節の一員だった久米邦武の『米欧回覧実記』にパリがどのように描かれているか、また当時のパリがどんな状態だったのか概要を紹介した講演録。 https://t.co/1ng2fC5AfY
明治25年12月14日、黒田麹廬が死去。幕末の膳所藩出身で、『ロビンソン・クルーソー』を初めて邦訳した。堀井健司「幕末維新期における版権についての一考察」(『出版研究』40)は、福沢諭吉の『西洋事情』を黒田が勝手に改訂したという『増補和解 西洋事情』を分析。 https://t.co/cwBDjPLQZe
大正9年12月9日、岡谷繁実が死去。幕末の館林藩士で、幕府による長州征伐の回避に向けて活動した時期がある。著書『名将言行録』は、井上泰至「近世軍書の研究に対するアメリカ日本研究の有効性」(『国際日本文学研究集会会議録』29)曰く、「近世軍書の集大成的作品」。 https://t.co/TqUB10gYG8
安政6年11月14日(1859年12月7日)、浮田一蕙が死去。ペリー来航の際に「神風夷艦を覆するの図」を描いた絵師。安政の大獄で投獄された。中谷伸生「浮田一蕙「長篠合戦図」」(『関西大学博物館紀要』9、2003年)は、従来の研究では「勤皇」の面が強調され過ぎると言う。 https://t.co/LhDT6yc8AG
昭和21年(1946年)12月5日、歴史家の大塚武松が死去。遺稿集『幕末外交史の研究』(宝文館)がある。時野谷勝が同書の書評(『史林』35-4)で「殆ど全生涯を地味な史料編纂事業に打込み」云々と評したように、日本史籍協会の『渋沢栄一滞仏日記』など多くの史料集を編纂。 https://t.co/XB4ZNnAI0h
明治13年12月4日、鮫島尚信が死去。幕末の薩摩藩英国留学生の1人で、外交官として活躍。下記リンクでPDFを閲覧できる御幡真人「洋書を追いかけて(後編)サムライ・帝国図書館・神秘主義」(『国立国会図書館月報』727、2021年)は、図書館のため寄贈された鮫島の蔵書を紹介。https://t.co/bX9Yjdcjs3
明治35年12月3日、根岸武香が死去。吉見百穴の調査・保存に尽力。父は幕末の浪士組参加者で、近藤勇や土方歳三らと共に京都に残留した豪農・根岸友山。下記リンクで、大沼宜規「ある好古家のコレクション 根岸武香と冑山文庫」(『国立国会図書館月報』620)をPDFで閲覧可能。 https://t.co/g6nkXluJzQ
明治31年11月30日、田中千弥が死去。ペリー来航3年前(嘉永3年)〜明治31年まで、約50年間の日記を書き残した。特に、秩父事件を詳細に記録した史料として知られる。青木亮人「「祖翁」を称えよ、教導職」(『同志社国文学』71)は、その日記から「明治俳諧の一側面を考察」。 https://t.co/c7prN9iFiA
明治11年11月29日、柏木忠俊が死去。幕末期は江川英龍に仕え、新政府が江川英武(英龍の息子)を韮山県知事に任じた際には、「実際に県治を遂行した」のは韮山県大参事の柏木だった(樋口雄彦「韮山県から慶應義塾への派遣学生」『近代日本研究』34、2017年)。後に足柄県令。 https://t.co/7trm2zex3O
元治元年10月17日(1864年11月16日)、真田範之助が死去。北辰一刀流の剣客で、渋沢栄一と交流があった。天狗党に参加して戦死。『武術英名録』の編者。死去日は前村晃「豊田芙雄と草創期の幼稚園教育に関する研究(8)」(『佐賀大学文化教育学部研究論文集』15-2)に依拠。 https://t.co/k7fKxYhrau
明治16年11月15日、岸良兼養が死去。幕末の薩摩藩出身で、矢野祐子「ボアソナードと、その法思想」(『早稲田法学会誌』47)曰く、明治5年に司法制度視察のため欧州に派遣されたエリートの1人(ほかは井上毅など)。帰国後、佐賀の乱や西南戦争の裁判で検察を指揮した。 https://t.co/n6o8xvsjcb
宮澤歩美「維新期江戸における譜代藩の「大勢挽回」運動」(『國學院大學大学院紀要 文学研究科』52、2021年)は、大政奉還後の譜代諸藩の江戸における上洛命令拒否・徳川慶喜助命嘆願運動を、先行研究(鈴木壽子『幕末譜代藩の政治動向』同成社など)とは異なる視点で分析。 https://t.co/rPvepmHFXv
昭和56年(1981年)11月3日、経済史研究者の堀江英一が死去。主な著書の1つに『明治維新の社会構造』(有斐閣、1954年)があり、『堀江英一著作集』全4巻(青木書店)の第1巻に所収。朝尾直弘氏の書評(『史林』38-2)があり、『朝尾直弘著作集』第2巻(岩波書店)に再録。 https://t.co/aqvDT7NkrQ
明治31年10月29日、小野友五郎が死去。万延元年、太平洋を横断した咸臨丸に乗船。文久期の小笠原諸島の調査に咸臨丸の艦長として参加。平山洋「福沢諭吉は公金一万五千ドルを横領したか?」(『国際関係・比較文化研究』8-2)は、慶応3年の福沢との対立にまつわる疑惑の研究。 https://t.co/TirYg23gSe
重田麻紀「毛利家家臣による知行地支配の基礎的考察」(『駿台史学』171、2021年)は、元治甲子戦争(禁門の変)の責任者として切腹した幕末期の当主・益田親施(益田右衛門介)が有名な、長州藩の永代家老・益田家について、家臣団や知行地をめぐる基礎的事項を分析。 https://t.co/YNYZJxD74Y
笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなかで不平等条約化」した。 https://t.co/Q4um91vNEU
明治10年10月22日、佐野鼎が死去。万延元年の遣米使節団と文久の遣欧使節団に参加した砲術家。共立学校(開成学園の前身)の創設者でもあり、今井一良「佐野鼎の英学とTommy・立石斧次郎のこと」(『英学史研究』15)曰く、「英学史上にその名を逸することのできない」人物。 https://t.co/mIYzKy0R2z

13 0 0 0 OA 漂民御覧之記

寛政5年9月18日(1793年10月22日)、漂流した末にロシアで数年を過ごして帰国した大黒屋光太夫が、将軍・徳川家斉や松平定信に謁見。光太夫は、ロシアで知られている日本人として、桂川甫周(その場にいた)と中川淳庵の名前を挙げた。桂川甫周『漂民御覧之記』より。 https://t.co/FzclTjTDlL
明治4年9月3日(1871年10月16日)、フランス人宣教師のムニクーが死去。ムニクウ、ムニクとも表記される。幕末維新期の箱館、横浜、神戸などで活動。Le ROUX Brendan「幕末期に来日した二人の仏人宣教師の日本語ローマ字表記について」(『学校教育学研究論集』21)が言及。 https://t.co/Q2Lwjix74T
文久3年9月2日(1863年10月14日)、フランス陸軍軍人カミュが、横浜で殺害された(井土ヶ谷事件)。沢護「井土ヶ谷事件と遺仏使節池田筑後守」(『千葉敬愛経済大学研究論集』29)曰く、事件はフランスに対して、横浜居留地防衛のための軍隊を常時駐屯させる口実を与えた。 https://t.co/c1B7vDDuHO
文久2年閏8月20日(1862年10月13日)、本間精一郎が死去。安政期に、幕臣の川路聖謨に仕えたことがある。笹部昌利「「人斬り」と幕末政治」(『鷹陵史学』31)曰く、「越後出身の浪人で、義挙を企て、土佐の吉村寅太郎とも親交」があった。岡田以蔵らに暗殺されたと言われる。 https://t.co/irwGXHBXPI
明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、聖謨が自殺した後、川路家当主になる孫の川路太郎が海外留学から戻るまで、家を守らなければならなかった。井上勲「史料紹介 川路高子『上総日記』解題」(『学習院大学史料館紀要』13、2005年)参照。 https://t.co/iH4qcbN7sQ
大正5年9月20日、志賀親朋が死去。日本初のロシア語通訳で、明治天皇の通訳も担当。幕末〜明治初期にロシアを訪問し、日露国境画定交渉にも関与。沢田和彦・畠山雄三郎「志賀親朋書翰集翻刻(1)」(『埼玉大学紀要 教養学部』56-2、2021年)は、文久元年の書簡11通を紹介。 https://t.co/svuQYeROYi
明治17年9月15日、安達清風が死去。幕末の鳥取藩出身で、磯田道史「幕末維新期の藩校教育と人材登用」(『史学』71-2・3)によれば、「藩内きっての俊英」であり、藤田東湖の影響を受けて能力主義による人材登用の必要性を主張した。徳川慶喜の側近・原市之進とも交流。 https://t.co/peOSHPCOtg
明治35年9月8日、長与専斎が死去。幕末期に大坂の適塾で塾頭を務めた医師。小島和貴「近代日本「健康保護」事業のための仕組みづくり」(『桃山法学』29、2018年)曰く、文部省医務局長として制定を実現させた「医制」は、政府が「衛生行政権」を掌握する仕組みを用意した。 https://t.co/FQr9jSwY8e
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)が詳しい。 https://t.co/TZY3B5mDna
昭和54年(1979年)5月17日、平尾道雄が死去。幕末維新の土佐藩や坂本龍馬などの研究で知られ、その一連の研究は良くも悪くも、「今日まで土佐藩研究の礎と評される」(笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)。 https://t.co/WvTSa3GYHr
出典はこちら、同志細木元太郎の書簡です。原六郎のものも載ってます。 https://t.co/4Dz0CM1zr9
@muta_torara 牟田さん『名流百家』(https://t.co/SKa7mNj4oa)の原六郎氏の家庭はもう多分お読みですよね……? ネットで見られる系はほぼご存じかな。
1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載された、井上勝生氏による新刊紹介。 https://t.co/dm8YOEH6Lf
安政7年3月3日(1860年3月24日)、井伊直弼が桜田門外の変で死去。幕末の彦根藩主で、安政の大獄を断行した幕府の大老。廣木尚「大隈重信にとっての歴史認識」(『早稲田大学史記要』50)は、井伊直弼の銅像除幕式に維新の元勲クラスで大隈重信だけが出席したことなどを紹介。 https://t.co/jCZydfWO0Q
前田結城「明石市立文化博物館所蔵 黒田家文書「慶応四戊辰年日記」」(『リンク』9、2017年)は、明石藩の黒田久六による、元号が慶応から明治に変わる前後の日記を紹介。明治元年11月11日の部分には北越戦争関連の記述があり、例えば「越後表江出兵之御人数凱陣」とある。 https://t.co/SpzCje2xsc

8 0 0 0 OA 史籍雑纂

@3103_ky 史籍雑纂. 苐五 http://t.co/OmMTtTMFCB 噂の平井さんの日記「美少年出井栄太郎携入茶店」……まあ、土佐なので 板倉筑前介さんと一緒に出井民部という人が良く出てくるんですけど、親戚だったりするんだろうか……

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