著者
前田 君江
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.33-52, 2013-03-31 (Released:2016-04-26)

The purpose of this paper is to analyze the refrain patterns and their poetic functions in Ahmad Shāmlū’s (1925-2000) “In this Blind Alley” (1979) and his other poems.The refrain patterns found in poetry can be classified into five types: 1) perfect refrain, 2) incremental refrain, 3) mixed refrain, 4) refrain by another “voice,” and 5) double refrain. Incremental refrain involves the repetition of the same phrase, with one or a few words substituted, while mixed refrain is the repetition of perfect refrain along with a one-time repetition of its incremental version. The fourth type is not based on the repetition of a phrase, but rather on the inclusion of a voice that can be distinguished from the voice of main text of the poem. Finally, double refrain refers to the double use of perfect refrain and incremental refrain. This final type is the type found in “In this Blind Alley.”Arguably, three factors make it possible for the fear and warning that the poem expressed in the days of its creation to maintain a contemporary reading that addresses the situations we may be facing at any given moment.The first factor is its multiple levels of meaning. In his early works, we can see that Shāmlū’s refrain derives from his techniques of repetition. Each time the poetic phrase is repeated, it evokes deeper metaphors or makes another allusion.The second factor is ambiguity of the voice of the refrain. The refrain, with its high musicality and rhythm, is repeated in a symmetrical structure evocative of a chorus. This dissociates the voice of the refrain from the voice of narrator of the main text, who is often regarded as the poet himself.The third factor is the poetic function of the substitution of words in incremental refrains, and the interaction between these substitutions and the main text.
著者
岡 真理 宮下 遼 山本 薫 石川 清子 藤元 優子 福田 義昭 鵜戸 聡 田浪 亜央江 中村 菜穂 前田 君江 鈴木 珠里 石井 啓一郎 徳原 靖浩 細田 和江 磯部 加代子 岡崎 弘樹 鈴木 克己 栗原 俊秀 竹田 敏之
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

アラビア語、ペルシア語、トルコ語、ヘブライ語など中東の諸言語で、中東地域で生産される作品のみならず、中東に歴史的出自を持つ者によって、欧米など地理的中東世界を超えた地域で、英語、仏語、独語、伊語などの西洋の諸言語で生み出される作品をも対象に、文学や映画などさまざまなテクストに現れた「ワタン(祖国)」表象の超域的な分析を通して、「ワタン」を軸に、近現代中東世界の社会的・歴史的ありようとそのダイナミズムの一端と、国民国家や言語文化の境界を越えた共通性および各国・各地域の固有性を明らかにすると同時に、近現代中東の人々の経験を、人間にとって祖国とは何かという普遍的問いに対する一つの応答として提示した。
著者
前田 君江 (2002-2003) 尾沼 君江 (2001)
出版者
東京外国語大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2001

1.昨年度に引き続き、イランの現代詩人シャームルーAhmad Shamlu(1925-2000)に関する研究を行った。今年度は、シャームルーの政治的思想と作品との関わりから、さらに進んで、彼が1950-60年代におけるイラン詩の状況の中でうち立てた、独自のジャンルと詩論についての研究を行った。2.シャームルーは、イラン詩において初めて、she'r-e mansur「非韻律詩」のジャンルを確立した詩人である。本研究では、歴史的にshe'r-e mansur(「散文の詩」)と呼ばれてきた作品を分析することによって、ペルシア詩におけるshe'r-e mansur概念の再考を試みた。これによれば、ペルシア語のshe'r-e mansurは、従来、prose poetryと訳されてきたが、形態的には、文学研究一般で言われるところの「散文詩」ではなく、avant garde free verse(「完全自由詩」)と呼ばれるものに近い形であることが明らかになった。しかし、同時に、she'r-e mansurが、「詩」において必要不可欠であるとされてきた「韻律」を排除したために、「散文」であるとみなされ、かつ、she'r-e mansur自体もまた、韻律の存在に関わりなく、詩が「詩たらしめるもの」を追求するという点で、「散文詩」と同様の文学史的課題を背負ってきたことを明らかにした。3.韻律形式は、現代においてもなお、ペルシア文学において、絶対的な価値をもつものであり、これを侵すことの意味もまた重大であった。シャームルーが、詩から韻律を排除するに際して、うち立てた概念のひとつが、「純粋詩」である。本研究担当者は、シャームルーの「純粋詩」の思想を、ペルシア詩において、新しい「詩」概念の形成として捉え、これを分析した。これによれば、第一に、シャームルー詩作論においては、「それ自体の形態をもった詩が、おのずから生まれてくる」という、彼の個人的な感覚が、非韻律詩創出の契機となっていることが指摘できる。また、第二に、シャームルーの主張する無意識性が、たとえば、「自動記述」において見られるような、無意識の利用ではなく、外界における体験が詩人の感覚を支配する力の強さを確信している点で、特徴的であることが明らかになる。4,さらに、シャームルーが事実上、詩作のうえでの師として位置づけたニーマー・ユーシージNima Yushij(1897-1960)の詩論の分析を通し、両者の詩学上の対立点が、詩における韻律リズムの存在に関するものだけでなく、詩と詩のフォルムとの関係をめぐるものであった点を明らかにした。
著者
藤元 優子 藤井 守男 山岸 智子 ターヘリー ザフラー 佐々木 あや乃 竹原 新 アーベディーシャール カームヤール 佐々木 あや乃 鈴木 珠里 竹原 新 タンハー ザフラー ターヘリー 藤井 守男 前田 君江 山岸 智子 山中 由里子
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究はイランにおける多様な文学的言説を、ジェンダーを分析的に用いて総合的に検証することで、文化的周縁に置かれ、常に歪められてきたイラン女性の実像を明らかにし、ひいてはイスラーム世界に対する認識の刷新を図ろうとした。古典から現代までの文学作品のみならず、民間歌謡、民話、祭祀や宗教儀礼をも対象とした多様なテクストの分析を通して、複数の時代・階層・ジェンダーにまたがる女性の文学的言説の豊潤な蓄積を立証することができた。