著者
家島 彦一 PETROV Petar GUVENC Bozku 鈴木 均 寺島 憲治 佐原 徹哉 飯塚 正人 新免 康 黒木 英充 西尾 哲夫 林 徹 羽田 亨一 永田 雄三 中野 暁雄 上岡 弘二 CUVENC Bozku
出版者
東京外国語大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

本プロジェクトは、広域的観点から、西は東欧・トルコから東は中国沿岸部までを調査対象とし、様々な特徴をもつ諸集団が移動・共存するイスラム圏の多元的社会において、共生システムがどのように機能しているかを、とくに聖者廟に焦点を当てて調査研究した。平成6年度はブルガリア・トルコの東地中海・黒海地域を重点地域とし、共生システムの実態について調査した。平成7年度は、ペルシア湾岸地域(イラン・パキスタン)を重点地域とし、主にヒズル廟に関する現地調査を実施した。平成8年度は、さらに東方に対象地域を広げ、中国沿岸部と中央アジア(新疆・ウズベキスタン)を中心に聖者廟などの調査を実施し、あわせてトルコとイランでヒズル信仰に関する補充調査を行なった。共生システムの様相の解明を目指す本研究で中心的に調査したのは、伝統的共生システムとして位置づけられる聖者廟信仰・巡礼の実態である。とくにヒズル廟に着目し、地域社会の共生システムとしていかに機能しているか、どのように変化しつつあるかについて情報を収集した。その結果、ヒズル信仰がきわめて広域的な現象であり、多様な諸集団の共存に重要な役割を果たしていることが明らかになった。まず、トルコでの調査では、ヒズル信仰が広範に見られること、それが様々な土着的ヴァリエイションをもっていることが判明した。ペルシア湾岸地域では、ヒズル廟の分布と海民たちのヒズル廟をめぐる儀礼の実態調査を行った結果、ペルシア湾岸やインダス河流域の各地にヒズル廟が広範に分布し、信仰対象として重要な役割を担っていることが明らかになった。ヒズル廟の分布および廟の建築上の構造・内部状況を相互比較し、ヒズル廟相互のネットワークについてもデータを収集した。興味深いのは、元来海民の信仰であったヒズル廟が現在ではむしろ安産・子育てなどの信仰となり、広域地域間の人の移動を支える機能を示している点である。さらに中国では、広州・泉州などでの海上信仰の検討を通じて、イスラムのヒズル信仰が南宋時代に中国に伝わり、媽祖信仰に影響を与えたという推論を得た。また、中央アジアの中国・新疆にも広範にイスラム聖者廟が分布しているが、墓守や巡礼者に対する聞き取り調査を行った結果、ヒズル廟などと同様、聖者廟巡礼が多民族居住地域における広域的な社会統合の上で占める重要性が明らかになった。聖者廟の調査と並行して、多角的な視点から共生システムの様相を調査研究した。一つは、定期市の調査である。イラン北部のウルミエ湖周辺における調査では、いくつかの定期市サークルが形作られていることが判明した。また、パキスタンではイスラマバ-ド周辺の定期市、新疆ではカシュガルの都市および農村のバザ-ルで聞き取り調査を実施し、地域的なネットワークの実態を把握した。他方、ブルガリアでは、聞き取り調査により伝統的な共生システムがいかに機能しているかについて情報収集を行い、宗教的ネットワークを中心として伝統的システムとともに、現在の共生システムがどのような状況にあるかについて興味深い知見を得た。キプロス・レバノン・シリアでは現在、宗教・民族対立をヨーロッパによる植民地支配の遺産ととらえ、かっての共生システムの回復を試みている様子を調査した。いま一つは、言語学的観点から共生システムをとらえるための調査で、多様な民族・宗教集団が共存するイスラエル・オマーン・ウズベキスタンで実施した。イスラエルでは、ユダヤ・イスラム・キリスト3教徒の共存に関する言語学的・民俗学的データを収集した。また、ウズベキスタンでは多言語使用状況の調査を行い、共和国独立後、ウズベク語公用語化・ラテン文字表記への転換といった政策にもかかわらず、上からの「脱ロシア化」が定着とはほど遠い実態が明らかになった。以上のように、イスラム圏の異民族多重社会においては、多様な諸集団の共存を存立させる様々なレベルにおける共生システムが広域的な規模で機能している。とくに、代表的なものとして、聖者廟信仰・巡礼の実態が体系的かつ具体的に明らかになった。
著者
清水 善和 矢原 徹一 杉村 乾
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.31-56, 1988-03
被引用文献数
2

奄美大島の中央部に位置する金作原国有林とその周辺地域で,スダジイを中心とした照葉樹林の伐採後の植物相の変化と森林の回復過程を解析した。標高260〜280mの尾根に近い南西斜面という共通条件のもとで,以下のように調査方形区を設け,樹高50cm以上のすべての木本個体について毎木調査を行った。Q1:天然林;植生遷移上の極相段階にあると考えられるもの。Q2:壮齢二次林;択伐後49年の林分。Q3:若齢二次林;皆伐後29年の林分。Q4:伐採跡ブッシュ;皆伐後8年の,木本の萌芽と草本の混生したブッシュ。(方形区の大きさはQ1〜3が20×20m,Q4が10×20m)伐採後の森林の回復過程として,次のような結果が得られた。(1)方形区に出現した全82種の木本のうち32種は伐採直後から天然林にまで連続して存在しており,森林の回復は切株からの萌芽個体を中心に行われる。(2)なかでも,スダジイの萌芽再生能力とその後の伸長成長は著しいので,伐採直後を除いてスダジイはどの発達段階においても常に材冠の優占種となり,初めからシイ林として回復するよう方向づけられている。(3)伐採直後には種子由来のアオモジ,ノボタン,ゴンズイ,リュウキュウイチゴなどの陽樹が現れるが,自己間引き現象の著しい若齢二次林では消滅する。一方,天然林を中心に出現する種としてイヌマキが特徴的である。(4)草本は木本に比べて,森林の発達段階ごとの種の置き替わりの傾向が顕著である。(5)伐採後3,4年でススキとコシダの群落が地表面を覆うため,皆伐後の大規模な表土流出と森林の後退から免れていると考えられる。(6)胸高断面積の値では皆伐後30年で天然林の80%にまで回復しており,総植物体量の回復は比較的速やかに行われるが,大径木資源の回復にはかなり時間がかかると考えられる。Q1を択伐してQ3の状態になるという仮定をおいて計算すると,調査地のシイ林は皆伐後約110年,択伐後約80年でほぼ元の天然林に近い状態まで回復すると推定される。以上のような奄美大島でみられるシイ林の伐採後の回復過程は,四手井(1977)のいう照葉樹林の萌芽再生による森林の回復の典型的なケースであり,温暖多雨な暖温帯から亜熱帯の照葉樹林を伐採後放置した場合にみられる一般的な現象であると結論づけられる。調査対象のスダジイの天然林はかつて島の全面積の85%を覆っていたとされるが,近年の伐採でわずか1,2%にまで激減し,アマミノクロウサギをはじめ,この森林を生息地とする多くの動植物の存続が危ぶまれる状態となっている。そこで,これ以上の天然林の伐採は即刻中止し,早急に基礎的かつ総合的な調査を行ったうえで積極的にこれを保護していくべきであると考える。
著者
木村 雅彦 桑原 徹 平位 隆史 黒田 伸一 竹中 俊夫 佐伯 和俊
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会総合大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.1995, no.2, 1995-03-27
被引用文献数
1

近年、発電プラントでは遠隔監視システムを導入し、従来の巡回点検による作業員の負荷低減を図っているが、更なる省力化を目指し、監視カメラの映像を画像処理することにより自動監視装置の導入が検討されている。しかし、監視対象が微小な油滴であったりコントラストの低い発煙であるがゆえ、プラント内の複雑背景下では実用的なアルゴリズムの構築は困難な問題であった。本稿では油滴、発煙の検出をターゲットに、異常事象検出能力を上げるとともに外乱除去能力を付加した信頼性の高いシステムを開発したので報告する。
著者
徳橋 秀一 檀原 徹 岩野 英樹
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.106, no.8, pp.560-573, 2000-08-15
被引用文献数
8 19

房総半島中部に分布する安房層群上部の3累層(下位より, 天津層, 清澄層, 安野層)から, 8つの凝灰岩を選んでFT年代測定を行った.1)その結果, Am19 : 11.7±0.3Ma, Am40 : 8.5±0.5Ma, Am61 : 6.3±0.5Ma, Am78 (Oktuff) : 5.7±0.4Ma, Am94 : 5.2±0.3Ma(以上, 天津層), Ky21 (Hk tuff) : 4.5±0.2Ma(清澄層), An49 : 3.9±0.4Ma, An73 : 3.7±0.2Ma(以上, 安野層)の値を得た.これらの値は, 1990年に出されたIUGSサブコミッションの勧告に従った, 安房層群上部に属する凝灰岩についての初めての年代値である.2)今回得られた年代値とこれまでの放射年代値とを比較した場合, 従来のFT年代値よりはやや若い値を示すが, 極く最近報告されたK-Ar年代値とはよい一致を示す.3)浮遊性微化石の生層序年代値と比較した場合, 天津層中・下部と安野層の場合は比較的よい一致がみられるが, 天津層上部および清澄層の凝灰岩の場合には, FT年代値の方が有意に若い年代を示す.不一致の原因は今後の課題である.
著者
井坂 茂夫 岡野 達弥 島崎 淳 村上 信之 原 徹 片海 七郎 吉田 豊彦 長山 忠男 和田 隆弘 北村 温 香村 衡一 石川 堯夫 外間 孝夫 座間 秀一 佐藤 信夫 小寺 重行 川地 義雄 並木 徳重郎 梶本 伸一 伊藤 晴夫 皆川 秀夫 高岸 秀俊 村山 直人 真鍋 溥
出版者
社団法人日本泌尿器科学会
雑誌
日本泌尿器科學會雜誌 (ISSN:00215287)
巻号頁・発行日
vol.83, no.10, pp.1662-1667, 1992-10-20
被引用文献数
4

日本において近年腎細胞癌患者数が増加してきていることが言われているが,人口動態の変化をもとにした発症率に関して最近の実情を報告したものはほとんどない.人口約500万人,手術設備のある25の泌尿器科を有する千葉県において,過去10年間の腎細胞癌患者の実態を調査した.郵送アンケート方式にて組織学的に確認された症例について検討した.調査項目は,性別,年齢,住所,職業,症状,発見のきっかけとなった検査法,手術日,腫瘍径,臨床病期などであった.22の施設から回答が得られ,1980年から1989年までの間に千葉県在住で560例が報告された.年間10万人当たりの発症率は10年間で0.32から2.07へと増加した.小さくて無症状かつlow stageの癌が急激に増加しつつあることが判明したが,転移病期のものの減少は認められなかった.腎細胞癌増加の主体は診断方法の発達による早期診断症例の増加であると考えられたが,なんらかの発癌因子が関与している可能性も否定できなかった.