著者
飯塚 正人
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.20-35, 1990 (Released:2010-03-12)

Muhammad 'Abduh (d. 1905), a famous religious reformer in the modern age, is known as one of the leading spirits of 'Urabi movement in his early days. But it was only after the resignation of the “reactionary” Cabinet of Riyad Pasha in September, 1881 that he participated in the movement. Until that time, as editor-in-chief of the Egyptian official gazette, al-Waqa'i' al-Misriyah, he thoroughly supported Riyad's Government and accused the movement of its. demand for radical reforms. Then, why did he change his attitude toward the movement immediately after its triumph over the “reactionary” regime?The previous studies have concluded that 'Abduh participated in the movement in order that he might keep it away from any radical reforms, because he believed that it was only through a gradual reform or national education that Egypt could develop. But, in fact, since his participation in the movement, he recognized such radical reforms as the convention of the representative parliament by the new regime. This fact apparently contradicts the conclusion of the previous studies.To understand his real intention behind his recognition of them, I have inquired into his articles written during this period, namely, “Ikhtilaf al-qawanin bi-ikhtilaf ahwal al-umam (Difference of the Laws according to Difference of the Circumstances of Communities)” and “Al-Shura wa'l-qanun (The Parliament and The Law)”, both contributed to al-Waqa'i' al-Misriyah. As a conclusion, I have pointed out that 'Abduh's idea of national education is closely connected with the application of the Shari'ah. And even after his recognition of the new regime, he never ceased to demand its application, while his request for national education was completely dropped. Actually, he believed that Egypt could not develop without its application and its respect by the whole nation.
著者
黒木 英充 飯塚 正人 臼杵 陽 佐原 徹哉 土佐 弘之 間 寧 栗田 禎子 佐藤 幸男
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

地域間交流の問題は昨今盛んに議論されているが、東地中海地域は世界最古の文明を発達させ、古来活発な地域間交流を実現してきた。それは地中海という海域とその周辺地域における人間の空間的移動が極めて円滑であったことに拠っている。また、同地域では言語的・宗教的・文化的に多様な複合的性格をもつ社会が形成されてきたが、人間が文化的共同体の間を移動したり、その複合性を都市空間や文化活動で重層化したりする営みも見られた。この「明」の側面と、近現代においてパレスチナ問題を初め、バルカンの民族紛争、レバノン内戦、キプロス分割など、民族・宗派的対立もまたこの地域で進行してきたという「暗」の側面が、これまで別個に論じられてきたばかりで、両面を統合的に把握する努力が顧みられなかった。この欠を埋めて、民族・宗派対立問題に関する新たな解釈を打ち出し、人間の移動性がますます高まりつつある世界における文明交流の枠組み作りに資する知見を得るため、4年間にわたり、海外調査や国内での研究会、国際ワークショップを重ねた結果、次の点が明らかになった。1) 移動する人間に対する「保護」の観念が、東地中海地域で歴史的に深く根付き、それが制度化されてきたが、19世紀半ば以降、これが換骨奪胎され、「保護」の主体が法的基盤を持たぬまま入れ替わったことにより、現代の対立状況が招来された。2) 新たな「保護」のシステムを支える普遍的価値の創出が望まれる。これは現代の東地中海地域における民族・宗派問題の解決可能性を考慮するならば、一元的尺度による統治の実現をめざすのではなく、当該地域の複合的性格を反映した他者を包摂する弾力性に富んだ多元的な統治システムをめざすべきである。今後は、1)をふまえたうえで2)の点について、多角的で学際的なアプローチを展開する必要があろう。本研究はその方向性を明確に指し示すことができた。
著者
飯塚 正人 黒木 英充 近藤 信彰 中田 考 山岸 智子
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

1998年2月に「ユダヤ人と十字軍に対するジハードのための国際イスラーム戦線」が結成されて以来、いわゆる「イスラム原理主義過激派」のジハード(聖戦)は新たな段階に入った。そこでは、これまでイスラーム諸国の政府を最大の敵と見て、これに対する武装闘争を展開してきたこれら過激派が、反政府武装闘争を否定するウサーマ・ビンラーディンのもとに結集し、彼の指揮するアルカーイダとともに、反イスラエル・反米武装闘争を優先する組織へと移行する現象が見られたのである。本研究の主な目的は、結果として「9,11」米国同時多発テロを引き起こすことになるこうした変化がなぜ起こったのか、また対外武装闘争を実践しようとする諸組織の実態はいかなるものか、を地域横断的に分析することにあった。このため、各年度の重点地域を中央アジア、中東、東南アジア、南アジアに設定し、それぞれの地域におけるジハード理論の変容と実践を現地調査するとともに、必要に応じて毎年各地で継続的な定点観測も行っている。その結果、当初設定した課題には、(1)諸国政府による苛酷な弾圧の結果、「イスラム原理主義過激派」にとって反政府武装闘争の継続が著しく困難になったこと、(2)パレスチナやイラクに代表されるムスリム同胞へのイスラエルや米国の攻撃・殺戮が看過できないレベルに達したと判断されたこと、という回答が得られた。またこの調査では、特に「9.11」以降欧米や中東のムスリムの間で論じられ、強く意識もされてきた"ISLAMOPHOBIA"(地球規模でのムスリムに対する差別・迫害)現象がアフガニスタン戦争、イラク戦争を経て東南アジアや南アジアのムスリムにもまた深刻な問題として意識されるようになっており、こうした差別・迫害に対する抵抗手段として、ウサーマ・ビンラーディン型のジハードを支持、参入する傾向がますます強くなりつつある事実も明らかになっている。
著者
黒木 英充 鈴木 茂 眞島 一郎 飯塚 正人 飯島 みどり 鵜戸 聡 池田 昭光 大場 樹精 山本 薫
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

1世紀以上に及ぶレバノン・シリア移民の顕著な世界的活躍を支えるのは、異文化の社会に対する適応力とネットワーク形成力・拡張力の高さである。移動する自己と親族・友人等との間で、常に複数の社会における財の価値の違い等に関する情報が交換され、様々なビジネスが展開し、時には出身国と現住国の政治にすら大きな影響を及ぼす。そこでは自己の構成要素の複数性(たとえば言語など)、他者との関係構築ツール(帰属する宗教組織のネットワークから信用再強化のためのカネの貸借といった財の交換関係にいたるまで)が意識的に維持・展開される。その歴史的起源はレバノン・シリア地域の非ムスリム商人や通訳といった類型に求められる。
著者
中村 廣治郎 東長 靖 飯塚 正人 鎌田 繁
出版者
東京大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

1.補助金交付の連絡を受けて6月に研究方針を話し合う会合を持ち、これまで主として国家論的見地からイスラム共同体思想を研究してきた飯塚が基調報告を行った。その上で、秋まで各自が個別研究を行い、10月以降報告と共同討議を行うこととした。2.6月の基調報告を受けて、10月からは以下のような研究発表が順次行われた。まず中村は、政府要人をイスラム共同体の外にある「不信仰者」と見なすことでテロをイスラム的に正当化しようとする現代のイスラム過激派運動に言及しつつ、「信仰者」とは誰かをめぐる神学論争史の検討を行った。ついで鎌田は、スンナ派とシーア派の権威のあり方の違い、とりわけシーア派の共同体論に特長的な隠れイマーム思想の意義を論じ、イラン革命に至る歴史の流れの中に位置づけた。東長は神秘主義者による教団設立を共同体思想のひとつの発露と見る立場から、特に18世紀以降大改革運動を繰り広げたネオ・スーフィズム教団の発生について分析した。また飯塚は現代イスラム国家論の系譜が大きくふたつの潮流に分類されることを示し、その根幹にはイスラム法の定義をめぐる中世以来の思想対立が存在することを指摘した。3.以上のように多様な観点から共同体思想が論じられたが、そこで常に意識されていたのは現代イスラムの動向を思想史的発展の中でとらえようとする共通の立場であった。イスラムが政治化する原因は何よりもその共同体思想にある。本研究を通じて、その個別局面の理解はかなり深まり、比較の作業も相当進んだと言えよう。しかし、一年間ではそれぞれの思想の相互連関および相互影響の理解が不十分でもあり、今後は私的研究会により研究を続けたい。その成果は2〜3年後をめどに公表するつもりである。
著者
長澤 榮治 鈴木 恵美 松本 弘 岩崎 えり奈 臼杵 陽 飯塚 正人 泉 淳 辻上 奈美江 ダルウィッシュ ホサム 錦田 愛子 横田 貴之 石黒 大岳
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-04-01

2011年1月に始まるアラブ革命の各国ごとの多様な展開を、憲法改正などの政治改革に成功した事例から、軍事クーデターや運動弾圧による内戦の勃発とその長期化による大量の難民発生の事例まで、実証的に検討し、その背景となるイスラーム運動など地域の基軸的な諸問題との関係を考察した。また、パレスチナ問題の展開や域内の非アラブ国や域外大国の介入など中東域内政治の構造変容についても分析を進めた。以上の研究の成果を社会に向けて公開・発信した。今後の研究発展の基盤整備のために、アラビア語など関連文献資料の収集を行い、政治動向の情報の系統的な収集・蓄積とアーカイブ化に向けた試作的なデータベースの作成も行った。
著者
山岸 智子 鎌田 繁 酒井 啓子 富田 健次 保坂 修司 飯塚 正人
出版者
明治大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、これまでのステレオタイプ的なシーア派観はもとより、シーア派が「問題化」する構造を解明するために、構築主義的な観点を導入し、シーア派の哲学思想・宗教実践・社会集団化のコンテクストを分析することを課題とした。研究分担者・研究協力者が会合を持って、これまでの研究を振り返り、自らの研究の取り組みについて議論したのみならず、英国・イラン・アメリカ・アラブ首長国連邦・レバノンから一線級の研究者を招聘して意見交換をし、交流の道を開き、こちらからも10カ国以上に赴いて資料収集・現地調査・研究発表などを行った。こうして得た成果は多岐にわたるが、以下のようにまとめられるだろう。1.多様性:さまざまな例が示され、シーア派とはいっても、その集団としてのありようや位置づけが多様であることが、明らかになった。それは、立場の違い(サラフィーヤ主義者とシーア派信徒)や国・地域の違いのみならず、一つの地域・家族でも状況の変化によるシーア派アイデンティティに変化があることが分かった。2.新しい学問的アプローチ:思想研究に歴史的観点を導入する、「人」という観点から思想の展開や指導者の条件を見直す、思想の中のモチーフの見直し、などアプローチや観点を変えることで、新たな知見を得た。3.ローカルとグローバルのインターフェース:宗派として国民国家のなかに位置づけられる際にも、国際的な力学や国家を越えるネットワークが関連すること、宗派の絆のグローバルな経済活動への活用、信徒や学者の国を越えた移動の実際、などが明らかとなった。4.これまでの研究の空白を埋める:そしてシーア派としての制度・知の再生産にかかわるイスラーム法学者のありさまや教育の実態、宗教的慣行など、十分に解明されてこなかったピックも本研究で考察の対象となり、さまざまな発見があった。
著者
家島 彦一 黒木 英充 羽田 亨一 上岡 弘二 川床 睦夫 飯塚 正人 山内 和也
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1998

本調査の主たる目的は、イスラム圏における統合と多様性のメカニズムを理解する-助として、当地における交通システムの歴史的変容を解明することであった。この目的を達成すべく、1988年度から2000年度にかけて-連の現地調査と文献調査を実施した結果、以下のような重要な研究成果を得ることができた。1.1988年度から2000年度にかけて行った南イラン・ザグロス山脈越えの古いキャラバン道調査では、バーチューン、アーザーディガーン、ローハーニーなどの地で、これまで記録のなかったキャラバンサライ(隊商宿)、水場、拝火神殿、石碑、城塞等の新たな歴史的遺跡群を発見した。この調査によって初めて、シーラーズ・シーラーフ間の正確なルートが明らかになった。2.2000年初頭に行ったエジプト南部のクース/エドフー(ナイル渓谷)〜アイザーブ(紅海岸)を結ぶキャラバン道調査では、イブン・ジュバイル、アブー・カースィム・アル=トゥジービー、イブン・バットゥータといったアラビア語メッカ巡礼書に登場する地名の同定に成功するとともに、新たな歴史遺跡数か所を発見。時代と場所を確定し、GPSを用いて図面に記録した。また、アバーブダー部族のベドウィンから当地の聖者廟に関する情報を得た。3.2001年初めに行ったホルムズ海峡からオマーンにかけての現地調査では、カルハート、ミルバート、スハールなどの港市遺跡を訪れるとともに、外国人労働者ネットワークの最近の動向について調査を行った。その結果、港湾における諸活動や人間移動の構造と機能は過去も現在もそう変わっていないことが明らかになった。この地域ではまた、最近のダウ船による貿易とダウ造船業の現況に関する調査も実施した。以上の成果を総合した結果、イスラム圏における共生と接触のダイナミズムをより深く理解するためには、交通システムに関する調査が今後も必要不可欠であることが確認された。
著者
酒井 啓子 飯塚 正人 保坂 修司 松本 弘 井上 あえか 河野 毅 末近 浩太 廣瀬 陽子 横田 貴之 松永 泰行 青山 弘之 落合 雄彦 廣瀬 陽子 横田 貴之
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

9-11事件以降、(1) 米国の中東支配に対する反米意識の高まり、(2) イスラエルのパレスチナ攻撃に対するアラブ、イスラーム社会での連帯意識、(3) 国家機能の破綻に伴う代替的社会サービス提供母体の必要性、を背景として、トランスナショナルなイスラーム運動が出現した。それはインターネット、衛星放送の大衆的普及によりヴァーチャルな領域意識を生んだ。また国家と社会運動の相互暴力化の結果、運動が地場社会から遊離し、トランスナショナルな暴力的運動に化す場合がある。
著者
飯塚 正人 大塚 和夫 黒木 英充 酒井 啓子 近藤 信彰 床呂 郁哉 中田 考 新井 和広 山岸 智子
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

ムスリム(イスラーム教徒)を反米武装闘争(「テロ」)に駆り立ててきた/いる,ほとんど唯一の要因と思われる「イスラームフォビア(ムスリムへの迫害・攻撃)」意識の広範な浸透の実態とその要因,また「イスラームフォビア」として認識される具体的な事例は何かを地域毎に現地調査した。その結果,パレスチナ問題をはじめとする中東での紛争・戦争が世界中のムスリムに共通の被害者意識を与えていること,それゆえに反米武装闘争を自衛の戦いとして支持する者が多く,反イスラエル武装闘争を支持する者に至っては依然増加を続ける気配であることが明らかになった。
著者
家島 彦一 PETROV Petar GUVENC Bozku 鈴木 均 寺島 憲治 佐原 徹哉 飯塚 正人 新免 康 黒木 英充 西尾 哲夫 林 徹 羽田 亨一 永田 雄三 中野 暁雄 上岡 弘二 CUVENC Bozku
出版者
東京外国語大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

本プロジェクトは、広域的観点から、西は東欧・トルコから東は中国沿岸部までを調査対象とし、様々な特徴をもつ諸集団が移動・共存するイスラム圏の多元的社会において、共生システムがどのように機能しているかを、とくに聖者廟に焦点を当てて調査研究した。平成6年度はブルガリア・トルコの東地中海・黒海地域を重点地域とし、共生システムの実態について調査した。平成7年度は、ペルシア湾岸地域(イラン・パキスタン)を重点地域とし、主にヒズル廟に関する現地調査を実施した。平成8年度は、さらに東方に対象地域を広げ、中国沿岸部と中央アジア(新疆・ウズベキスタン)を中心に聖者廟などの調査を実施し、あわせてトルコとイランでヒズル信仰に関する補充調査を行なった。共生システムの様相の解明を目指す本研究で中心的に調査したのは、伝統的共生システムとして位置づけられる聖者廟信仰・巡礼の実態である。とくにヒズル廟に着目し、地域社会の共生システムとしていかに機能しているか、どのように変化しつつあるかについて情報を収集した。その結果、ヒズル信仰がきわめて広域的な現象であり、多様な諸集団の共存に重要な役割を果たしていることが明らかになった。まず、トルコでの調査では、ヒズル信仰が広範に見られること、それが様々な土着的ヴァリエイションをもっていることが判明した。ペルシア湾岸地域では、ヒズル廟の分布と海民たちのヒズル廟をめぐる儀礼の実態調査を行った結果、ペルシア湾岸やインダス河流域の各地にヒズル廟が広範に分布し、信仰対象として重要な役割を担っていることが明らかになった。ヒズル廟の分布および廟の建築上の構造・内部状況を相互比較し、ヒズル廟相互のネットワークについてもデータを収集した。興味深いのは、元来海民の信仰であったヒズル廟が現在ではむしろ安産・子育てなどの信仰となり、広域地域間の人の移動を支える機能を示している点である。さらに中国では、広州・泉州などでの海上信仰の検討を通じて、イスラムのヒズル信仰が南宋時代に中国に伝わり、媽祖信仰に影響を与えたという推論を得た。また、中央アジアの中国・新疆にも広範にイスラム聖者廟が分布しているが、墓守や巡礼者に対する聞き取り調査を行った結果、ヒズル廟などと同様、聖者廟巡礼が多民族居住地域における広域的な社会統合の上で占める重要性が明らかになった。聖者廟の調査と並行して、多角的な視点から共生システムの様相を調査研究した。一つは、定期市の調査である。イラン北部のウルミエ湖周辺における調査では、いくつかの定期市サークルが形作られていることが判明した。また、パキスタンではイスラマバ-ド周辺の定期市、新疆ではカシュガルの都市および農村のバザ-ルで聞き取り調査を実施し、地域的なネットワークの実態を把握した。他方、ブルガリアでは、聞き取り調査により伝統的な共生システムがいかに機能しているかについて情報収集を行い、宗教的ネットワークを中心として伝統的システムとともに、現在の共生システムがどのような状況にあるかについて興味深い知見を得た。キプロス・レバノン・シリアでは現在、宗教・民族対立をヨーロッパによる植民地支配の遺産ととらえ、かっての共生システムの回復を試みている様子を調査した。いま一つは、言語学的観点から共生システムをとらえるための調査で、多様な民族・宗教集団が共存するイスラエル・オマーン・ウズベキスタンで実施した。イスラエルでは、ユダヤ・イスラム・キリスト3教徒の共存に関する言語学的・民俗学的データを収集した。また、ウズベキスタンでは多言語使用状況の調査を行い、共和国独立後、ウズベク語公用語化・ラテン文字表記への転換といった政策にもかかわらず、上からの「脱ロシア化」が定着とはほど遠い実態が明らかになった。以上のように、イスラム圏の異民族多重社会においては、多様な諸集団の共存を存立させる様々なレベルにおける共生システムが広域的な規模で機能している。とくに、代表的なものとして、聖者廟信仰・巡礼の実態が体系的かつ具体的に明らかになった。