著者
成瀬 厚
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1-19, 1997-02-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
56
被引用文献数
5 1

How can we recognize this world with finite extent as a globe? This question is the starting point of this study. This question leads us to another one: how do we represent the world? In this paper, I examined some cultural texts which seem to contribute to our view of the world. The texts which I chose here are exhibitions or collections which consist of several hundred photographs taken all around the world, specifically, from The Family of Man held at The Museum of Modern Art, New York in 1955, through photos with a similar theme, to Takeyoshi Tanuma's works produced with the theme‘children in the world’. In order to analyze such geographical representations, I adopted the method of literary criticism. Especially, I paid attention to the ‘order’of each text.The feature of texts which I analyze in this paper is that while each photograph recorded the local context in which it was taken, these works themselves represented the global world. The globalist intent of these photographs was to promote cosmopolitanism, universalism, or humanitarianism, but it is sentimental and not persuasive. For example, photographs taken in the USA were 45% of all photographs carried in The Family of Man, and photographs of the Third World were distributed into specific sub-themes: labor, death, and war. The insistence of universality was asserted under the biological commonality of Man. Man is born, works, gets together, takes pleasure, feels sad, consists of male and female, belongs to a family, eats, talks, plays, suffers, and dies. Such a life path became a commonality among photographs of people around the world. On the other hand, in one text produced in 1994 by Tanuma' who has created many works in a Japanese context, photographs were arranged in order by region. I found a significant structure in the arrangement of this text. Compassion of Japanese on Third World people, identification with two continents, Africa and South America, as others for Japanese, and uninterchangeablity between advanced countries and Third World were found in the structure of this text.From this analysis, I gained the insight that the World Order is a projection of‘a world’which is a logical unity consisting of whole objects and events in‘the world’ which is a concrete geographical space with finite extent. We can locate each event in a world informed by journalistic media about our world order as an idea which was formed by a world representation including the photographic texts selected here.
著者
成瀬 厚
出版者
The Japan Association of Economic Geography
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.3-28, 2020-03-30 (Released:2021-03-30)
参考文献数
135
被引用文献数
5

本稿は,英語圏におけるオリンピック研究を整理したものである.本稿で取り上げたオリンピック研究の多くは,上位分野であるメガ・イベント研究に位置づけることができ,学際的な観光研究から発したこの分野には都市社会学や地理学の貢献が大きかった.オリンピックという複雑で大規模なイベントの性質上,本稿では多様な研究分野を扱っているが,オリンピック研究における都市研究を含む広義の地理学的な主題を探求するのが本稿の目的である.     IIIでは初期のイベント研究における社会的インパクトの分類―経済,観光,物理的,社会・文化的,心理的,政治的―に従って,多様な分野におけるオリンピック研究を概観した.IVでは地理学的主題をもった研究に焦点を合わせ,オリンピック都市,グローバル都市間競争,都市(再)開発,レガシー・環境・持続可能性,市民権と住民参加という分類で整理した.     地理学者によるオリンピック研究は2000年前後から,過去の開催都市を概観する形で,それ以降盛り上がりをみせる地理的主題を持つオリンピック研究を牽引したといえる.当初から国際的なイベントであった近代オリンピック競技大会は,今日において大会招致がグローバル都市間競争の一端となり,大会関連開発は新自由主義的な都市政策の下で官民連携によって行われている.さまざまな問題を抱え,オリンピックはどこに向かうのだろうか.
著者
成瀬 厚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.8, pp.470-486, 2001-08-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
56

特定の場所を表象する方法と動機を探求するために,写真家田沼武能の東京に関する作品を意味論的側面と制度的側面から分析した.作者の自己同一性と表象される場所との関係に故郷概念から接近した.意味論的分析から引き出された,田沼作品に通底するnature概念は,この関係を修辞的に結び付けている.戦後の東京下町で青年期を経験した田沼は,その変貌に戸惑いを感じ,処女作『武蔵野』 (1974年)で人間の外なる自然景観と過去の人々が残した建築物や遺物などの文化景観を記録した.この作品は土地そのものの不変の特質を強調したが,『東京の中の江戸』 (1982年)では,人々の表情や生活様式を画像化することを通じて,土地に根付いた人間の生活の不変性,すなわちある種の人間の本性を主張した.『東京の戦後』 (1993年)は撮り続けた写真を1990年代の彼の解釈によって編成したもので,一つの教科書的な歴史物語を呈している.こうした作品生産を通して,作者のアイデンティティは彼自身の自発的な力と出版界などの制度による諸力の中で相互作用的に形成された.
著者
成瀬 厚
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.19-19, 2011

1970年代の人文主義地理学によってキーワードとされた「場所place」は概念そのものの検討も含んでいたが,その没歴史的で,本質主義的な立場などが1980年代に各方面から批判された。1990年代にはplaceを書名に冠した著書や論文集が多数出版されたが,そこでは場所概念そのものの検討はさほどなされなかったといえる。本報告では議論を拡散させないためにも,検討するテクストをプラトンの『ティマイオス』および,そのなかのコーラ=場概念を検討したデリダの『コーラ』を,そしてアリストテレスの『自然学』および,そのなかのトポス=場所概念を検討したイリガライの「場,間隔」に限定する。プラトン『ティマイオス』におけるコーラとは,基本的な二元論に対するオルタナティヴな第三項だといえる。コーラは岩波書店全集では「場」と翻訳されるものの,地理的なものとして登場するわけではない。『ティマイオス』は対話篇であり,「ティマイオス」とは宇宙論を展開する登場人物の名前である。ティマイオスの話は宇宙創世から始まるが,基本的な種別として「存在」と「生成」とを挙げる。「存在」とは常に同一であるもので,理性(知性)や言論によって把握される。これは後に「形相」とも呼び変えられる。「生成」とは常に変化し,あるという状態のないものであり,思わくや感覚によって捉えられる。創世によって生成した万物は物体性を具えたもので,後者に属する。そのどちらでもない「第三の種族」として登場するのが「場=コーラ」である。コーラとは「およそ生成する限りのすべてのものにその座を提供し,しかし自分自身は,一種のまがいの推理とでもいうようなものによって,感覚には頼らずに捉えられるもの」とされる。その後の真実の把握を巡る議論は難解だが,ここにコーラ概念の含意が隠れているのかもしれない。いや,そう考えてしまう私たちの真理感覚を問い直してくれるのかもしれない。デリダはコーラ概念を,その捉えがたさが故に検討するのだ。「解釈学的諸類型がコーラに情報=形をもたらすことができるのは,つまり,形を与えることができるのは,ただ,接近不可能で,平然としており,「不定形」で,つねに手つかず=処女的,それも擬人論的に根源的に反抗するような諸女性をそなえているそれ[彼女=コーラ]が,それらの類型を受け取り,それらに場を与えるようにみえるかぎりにおいてのみである」。『ティマイオス』では,51項にも3つの種族に関する記述があり,それらは母と父と子になぞらえられる。そして,コーラにあたるものが母であり,受容者であり,それは次のイリガライのアリストテレス解釈にもつながる論点である。このコーラの女性的存在はデリダの論点でもあり,またこの捉えがたきものを「コーラ」と名付けたこの語自体の固有名詞性を論じていくことになる。アリストテレスのトポス概念は,『自然学』の第四巻の冒頭〔三 場所について〕で5章にわたって論じられる。トポスは,物体の運動についての重要概念として比較的理解しやすいものとして,岩波書店全集では「場所」と翻訳されて登場する。アリストテレスにおける運動とは物質の性質の変化も含むため,運動の一種としての移動は場所の変化ということになる。ティマイオスはコーラ概念を宙づりにしたまま,宇宙論をその後も続けたが,アリストテレスは「トポス=場所」を物体の主要な性質である形相でも質料でもないものとして,その捉えがたさを認めながらも論理的に確定しようとする。トポスには多くの場合「容器」という代替語で説明されるが,そこに包含される事物と不可分でありながらその事物の一部でも性質でもない。イリガライはこの容器としてのトポスの性質を,プラトンとも関連付けながら,女性としての容器,女性器と子宮になぞらえる。内に含まれる事物の伸縮に従って拡張する容器として,男性器の伸縮と往復運動,そして胎児の成長に伴う子宮の拡張,出産に伴う収縮。まさに,男性と女性の性関係と母と子の関係を論じる。この要旨では,デリダとイリガライの議論のさわりしか説明できていないし,これらの議論をいかに地理学的場所概念へと展開していくかについては,当日報告することとしたい。
著者
成瀬 厚
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.180-190, 2000-08-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
23
被引用文献数
1

本稿は, 主に単身女性を読者として想定した雑誌における賃貸住宅情報を検討することを通じて, 雑誌記事の表象に潜む様々な問題を探求するものである。『Hanako』は首都圏限定発売の女性週刊誌で, ここで分析の対象とした賃貸住宅の記事は, 創刊当時の1988年から1990年にかけての5回の特集である。『Hanako』の創刊当時の編集方針は仕事だけでも結婚だけでもない女性のライフスタイルの提案であり, 創刊当時の賃貸住宅の特集はそれを特徴づけている。一般的な住宅情報誌と異なり,『Hanako』は様々なタイプの部屋での住み方を, 美的価値に従って提案していると同時に, 賃貸住宅を通じてある種の「東京」地誌を描いている。そのことを通じて, 読者は嗜好の差異を認識するのみならず,「階級」を意識させられる。また, 紙面の性差表現は他の女性誌が描き出すような男性との関係性ではないが, この雑誌は女性の生活様式をある方向に規定することによって女性性を維持しているとも解釈できる。
著者
成瀬 厚
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.81-98, 1999-04-28 (Released:2017-04-20)
参考文献数
51

本稿は,小説を研究対象として地理的記述の方法を探求したものである。具体的には,ミラン・クンデラの処女長編小説『冗談』をテクストとし,主にその形式的側面と記述内容に着目した。4人の作中人物が語り手となっているこの作品においては,同一の人物や想定されている時空間上同一の出来事が語り手によって多様に語られる。この特徴を汲み取るために,語り手を中心とした読者の描く観念的な拡がりを「人物空間」とし,全体のテクスト空間,そして舞台であるチェコという地理空間との関係,また一方で物語の特徴である事件進行の時間と物語展開の時間という時間の二重性として考察した。次に,個々の人物や出来事,感情に関する描写がどのように地域や場所を構成するかという観点から,小説のなかの地理的な要素-点,文脈,場所感覚,景観描写-を分析した。その結果,地理的記述がその対象としての時空間とテクストの形式的側面としての時空間を利用し,ローカルな記述をリージョナルな全体的内容へと変換する物語構造の性格を明らかにした。
著者
成瀬 厚
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.1-23, 2012-01-28 (Released:2017-04-07)
参考文献数
39

In this paper, I focused on a town, Shimokitazawa. By examining the activities of musicians there, I considered the relationship between the urban user and the place. A pop musician's occupation is singing her/his songs repeatedly. As the facilities where they play their music are scattered around the city, they move around as mobile laborers in a similar manner like nomads. Therefore, the audiences who appreciate the performance of the musicians are called mobile consumers. To understand some of these actual situations, I investigated the facilities that hold such music performances in Shimokitazawa and the behaviors of three musicians who give these performances around the town and an audience. I considered the relationship between the musicians and Shimokitazawa by focusing on the former's practices in their music performances, especially in 2005 and the musical landscape depicted in their songs. The upsurge of the redevelopment problem was observed in Shimokitazawa around 2005. As a result, it can be said that music played the significant role in the development of people's connections with the musicians, and of positive associations of the musicians with the town.