- 著者
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成瀬 厚
- 出版者
- 人文地理学会
- 雑誌
- 人文地理学会大会 研究発表要旨 2011年 人文地理学会大会
- 巻号頁・発行日
- pp.19, 2011 (Released:2012-03-23)
1970年代の人文主義地理学によってキーワードとされた「場所place」は概念そのものの検討も含んでいたが,その没歴史的で,本質主義的な立場などが1980年代に各方面から批判された。1990年代にはplaceを書名に冠した著書や論文集が多数出版されたが,そこでは場所概念そのものの検討はさほどなされなかったといえる。
本報告では議論を拡散させないためにも,検討するテクストをプラトンの『ティマイオス』および,そのなかのコーラ=場概念を検討したデリダの『コーラ』を,そしてアリストテレスの『自然学』および,そのなかのトポス=場所概念を検討したイリガライの「場,間隔」に限定する。
プラトン『ティマイオス』におけるコーラとは,基本的な二元論に対するオルタナティヴな第三項だといえる。コーラは岩波書店全集では「場」と翻訳されるものの,地理的なものとして登場するわけではない。『ティマイオス』は対話篇であり,「ティマイオス」とは宇宙論を展開する登場人物の名前である。ティマイオスの話は宇宙創世から始まるが,基本的な種別として「存在」と「生成」とを挙げる。「存在」とは常に同一であるもので,理性(知性)や言論によって把握される。これは後に「形相」とも呼び変えられる。「生成」とは常に変化し,あるという状態のないものであり,思わくや感覚によって捉えられる。創世によって生成した万物は物体性を具えたもので,後者に属する。そのどちらでもない「第三の種族」として登場するのが「場=コーラ」である。コーラとは「およそ生成する限りのすべてのものにその座を提供し,しかし自分自身は,一種のまがいの推理とでもいうようなものによって,感覚には頼らずに捉えられるもの」とされる。その後の真実の把握を巡る議論は難解だが,ここにコーラ概念の含意が隠れているのかもしれない。いや,そう考えてしまう私たちの真理感覚を問い直してくれるのかもしれない。
デリダはコーラ概念を,その捉えがたさが故に検討するのだ。「解釈学的諸類型がコーラに情報=形をもたらすことができるのは,つまり,形を与えることができるのは,ただ,接近不可能で,平然としており,「不定形」で,つねに手つかず=処女的,それも擬人論的に根源的に反抗するような諸女性をそなえているそれ[彼女=コーラ]が,それらの類型を受け取り,それらに場を与えるようにみえるかぎりにおいてのみである」。
『ティマイオス』では,51項にも3つの種族に関する記述があり,それらは母と父と子になぞらえられる。そして,コーラにあたるものが母であり,受容者であり,それは次のイリガライのアリストテレス解釈にもつながる論点である。このコーラの女性的存在はデリダの論点でもあり,またこの捉えがたきものを「コーラ」と名付けたこの語自体の固有名詞性を論じていくことになる。
アリストテレスのトポス概念は,『自然学』の第四巻の冒頭〔三 場所について〕で5章にわたって論じられる。トポスは,物体の運動についての重要概念として比較的理解しやすいものとして,岩波書店全集では「場所」と翻訳されて登場する。アリストテレスにおける運動とは物質の性質の変化も含むため,運動の一種としての移動は場所の変化ということになる。
ティマイオスはコーラ概念を宙づりにしたまま,宇宙論をその後も続けたが,アリストテレスは「トポス=場所」を物体の主要な性質である形相でも質料でもないものとして,その捉えがたさを認めながらも論理的に確定しようとする。トポスには多くの場合「容器」という代替語で説明されるが,そこに包含される事物と不可分でありながらその事物の一部でも性質でもない。
イリガライはこの容器としてのトポスの性質を,プラトンとも関連付けながら,女性としての容器,女性器と子宮になぞらえる。内に含まれる事物の伸縮に従って拡張する容器として,男性器の伸縮と往復運動,そして胎児の成長に伴う子宮の拡張,出産に伴う収縮。まさに,男性と女性の性関係と母と子の関係を論じる。
この要旨では,デリダとイリガライの議論のさわりしか説明できていないし,これらの議論をいかに地理学的場所概念へと展開していくかについては,当日報告することとしたい。