著者
長谷 正人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.615-633, 2006-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
67
被引用文献数
1 1
著者
長谷 正人
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.124-138,150-51, 1994-11-25 (Released:2019-07-25)
参考文献数
17

In 1917 the Metropolitan Police Board enforced "Regulations of the Moving Picture Exhibitions" in Tokyo. But these regulations are very strange in our point of view. Because they didn't attach importance to the censorship which is usually a means of repression by the police. Why didn't they so?  First because the exhibition of moving pictures still retained the quality of a live preformance. For example, it was accompanied by a lecturer (benshi)'s performance and a live music performnce. This fact made it nonsense for the police to censor films. For a film changed its meaning at every projection. So the police disciplined lecturers and inhibited the chained play (which is a special form of exhibition combining play with movies) instead of censoring films.  Second because spectators in that era made an indecent atmosphere in a movie theater. So they didn't devote themselves to a film. They also entertained an indecent atomospher. This made it nonsence for the police to censor films, too. For spectators received an excessive meaning from this atomosphere.  So the censorship can have an effect only after modernizing the communication in movie theaters. This was impossible in that era.
著者
大谷 正人
出版者
三重大学教育学部
雑誌
三重大学教育学部研究紀要 人文・社会科学 (ISSN:03899233)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.1-10, 2004

ベートーヴェン、スメタナ、フォーレという3人の大作曲家(3人とも名演奏家でもあった)における聴覚障害の創造への影響を検討した。ベートーヴェンの場合、聴覚障害は名ピアニストとして社交界での寵児でもあった青年期に発症したこともあり、遺書を書くほどの衝撃をもたらしたが、その不屈の精神により、主題の徹底的展開によるソナタ形式の完成をもたらした。スメタナの場合、オペラの指揮者としても活躍していた最盛期に急激に発症し、わずか4ヶ月で完全に聴力を失ったこと、その後には器質性精神障害を伴ったことから、最も悲劇的な様相を呈したが、同時に「わが祖国」や「わが生涯より」のような自伝的な不滅の傑作をもたらした。フォーレの場合、初老期における発症で進行も徐々であったため、その影響は表面的にはまだ穏やかで、声部の中音域化やポリフォニー化などをもたらした。3人に共通しているのは、音楽の深化、凝集化、内省化であった。
著者
長谷 正人
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.124-138,150-51, 1994

<p>  In 1917 the Metropolitan Police Board enforced "Regulations of the Moving Picture Exhibitions" in Tokyo. But these regulations are very strange in our point of view. Because they didn't attach importance to the censorship which is usually a means of repression by the police. Why didn't they so?</p><p>  First because the exhibition of moving pictures still retained the quality of a live preformance. For example, it was accompanied by a lecturer (benshi)'s performance and a live music performnce. This fact made it nonsense for the police to censor films. For a film changed its meaning at every projection. So the police disciplined lecturers and inhibited the chained play (which is a special form of exhibition combining play with movies) instead of censoring films.</p><p>  Second because spectators in that era made an indecent atmosphere in a movie theater. So they didn't devote themselves to a film. They also entertained an indecent atomospher. This made it nonsence for the police to censor films, too. For spectators received an excessive meaning from this atomosphere.</p><p>  So the censorship can have an effect only after modernizing the communication in movie theaters. This was impossible in that era.</p>
著者
龍村 あや子 谷 正人 マーマット ウメル 小柴 はるみ 屋山 久美子
出版者
京都市立芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究は新疆ウイグル自治区のウイグル人作曲家、ウメル・マーマットを主たるインフォーマントとして、比較文化・文明の観点から中央・西アジア音楽研究に携わってきた研究代表者(龍村)が、トルコ(小柴はるみ)、イラン(谷正人)、アラブ(屋山久美子)の音楽研究者と共に、トルコ語系民族のウイグルと他の中央・西アジア地域の音楽との比較を行ったものである。今日の伝承におけるウイグルの「ムカーム」は、他の地域の伝統よりも固定性が強く、各ムカームが固有の旋法のみならず、固有のリズムと舞踊の様式を持っている。ムカームに基づく一人の奏者の即興演奏も見られるが、音楽・舞踊の一体化した全体が一つのムカームの表現なのである。
著者
長谷 正人
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.310-324, 1989-12-31 (Released:2010-05-07)
参考文献数
38
被引用文献数
1 1

ダブル・バインドは、日常的コミュニヶーションに現れる論理的パラドックスの問題として哲学的に考察されてきた、しかし、ダブル・バインドは同時に関係性とシステムについての問題でもある。このパースペクティヴからみたとき、ダプル・バインドは社会学的問題となる。システム論からみたダブル・バインド状況は次のようなものである。システムのあるレベルでポジティヴ・フィードバックが起こり、システムに変化の可能性が生じている。それにもかかわらず、もう一つ上のレベルでネガティヴ・フィードバックが起こり変化への動きを内に孕んだままシステムは安定してしまうのである。このようなダブル・バインド状況からの解放は、ポジティヴ・フィードバックに対する抑制を解き、システム全体にポジティヴ・フィードバックを引き起こすことになる。ダプル・バインドへのこのようなアプローチは、社会システムが硬直化した秩序状態にあるとき、これをどう変化させればよいか、という問題にも示唆を与えるだろう。
著者
長谷 正人
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

近年流行のドキュメンタリーバラエティ番組(アメリカでいうリアリティTV)は、「出演者」という問題を前景化したテレビ番組である。これが本研究のとりあえずの結論である。70年代までのテレビ番組は、「製作者」のものであった。いかに優れた番組が作られるかが人々にとって論じるべきことであり、出演者や視聴者は二次的な問題にすぎなかった。それに対して80年代に前景化されたのが「視聴者」の問題だった。「スチュワーデス物語」に代表されるように、製作者の意図とは距離を置いたところで、「視聴者」が解釈することによって番組のありようが決定される。そのような製作者と視聴者の微妙なずれでゲームが行われたのが80年代のテレビバラエティだった。これらに対して、『未来日記』や『あいのり』に代表される近年のドキュメンタリーバラエティ番組は、製作者の意図とも、視聴者の解釈とも違うところで、出演者がどのような役割を果たしているかが実験的に探求されたのである。メッセージの透明な伝達者ではなく、製作者の意図とも視聴者の欲望ともずれた不透明な身体を持った出演者。それはスターともアイドルともまったくちがう様態で私たちの社会に現れただろう。たとえば80年代のアイドルから90年代以降の女子アナへとテレビの主役が変わったことは、その典型的な徴候である。その出演者の不透明な身体からメディア社会の自閉性の向こう側を見通そうとしたのが、これらの番組だろう。しかしその自閉性は崩されないまま、テレビのシステムが出演者さえも飲み込んでしまったのが現代の状況である。
著者
大谷 正人 OTANI Masato
出版者
三重大学教育学部
雑誌
三重大学教育学部研究紀要, 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学 (ISSN:18802419)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.13-20, 2015-03-31

自殺予防の精神療法を行う際には、自殺者の9割以上に存在する精神疾患の治療、十分な時間をかけた傾聴、希死念慮の一時性の確認、周囲の人々との絆の回復への支援などが臨床上主要な課題となる。自殺予防の根拠となり得るセラピーの一つとして、フランクルのロゴセラピーがある。フランクルのロゴセラピーは、人々が人生の意味を見出すことを援助することがその本質であるが、自殺防止に役立つ様々な視点も存在している。それは、創造価値、体験価値、態度価値という生きる意味を確認すること、未来への視点をどのような時でも持ち続けること、「生きることから何かを期待できるか」ではなく、「生きることが私たちから何を期待しているか」という自己中心的世界観から世界中心的世界観への変換の必要性、苦悩のもつ意義の確認、愛する者への思いにより救済され得ること、そして自己超越による永遠性という視点である。自殺予防に関わる者にとって、フランクルのロゴセラピーは大きな示唆を与え続けている。
著者
多木 浩二 田中 日佐夫 川端 香男里 長谷 正人 佐藤 和夫 若桑 みどり 大室 幹雄
出版者
千葉大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1992

20世紀の政治的歴史のなかで最も特筆すべき経験は、それが人類にもたらしたはかり知れない災いから言っても、「全体主義」であると言えよう。全体主義は、近代化の進展による共同体的統合の喪失のなかでクリティカルな問題として現れた、政治的形態(国家)と社会形態(大衆の生活意識)の不一致を解決しようとする企てであった。つまり全体主義は「国家と社会の完全な同一性」と定義される。われわれは、この全体主義をこれまでの研究のように政治体制として扱うのではなく、政治文化として扱うことを試みた。言わばそれは、全体主義を支配体制(国家)の側からではなく、その支配体制に組み込まれた大衆の意識、無意識の側から究明することである。われわれはそれを、思弁的に探究するというより、個々の状況(ナチズム、ファシズム、スターリニズム、天皇制)における個々の芸術やイメージ文化(建築、大衆雑誌、映画等)の分析を通じて検討する方法を選んだ。つまり全体主義のなかで、いかなる芸術形式が可能であったか、いかなる排除や、強制、いかなる迎合や利用が行われたかを細部に渡って眺めてみたのである。その結果は、個々に多様であるので、全体としての結論をここに書くことはできないが、しかし次のような共通の認識を得ることができた。つまり、全体主義文化の問題は、両大戦間期に発生したいくつかの政治体制にのみ当てはまる問題ではなく、近代の政治体制と文化との間につねに横たわっている問題だということである。例えば、ニューディール体制下の芸術家救済政策(WPA/FAP)を見ればわかるように、民主主義国家においてもある状況のなかでは芸術に社会性が要求され、おのずとイデオロギーを共有することが起きたのである。こうしてわれわれの研究は、近代社会の歴史をイメージ文化の側から探究するような、裾野の広い政治文化史の問題へと展開していくことを予感させることになった。