- 著者
-
野村 亮太郎
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
- 巻号頁・発行日
- vol.57, no.8, pp.537-548, 1984-08-01 (Released:2008-12-25)
- 参考文献数
- 13
篠山川は,兵庫県東部に位置し,篠山盆地を貫流して,西方に流れ,加古川と合流する.その途次,盆地内で3段,盆地西方で1段の河岸段丘を形成する.盆地内の段丘を上位から,川代面,大山面,宮田面とし,盆地西方の段丘を阿草面とした.このうち,川代面と大山面の一部区間は,盆地中央に向かって高度を下げ,現在の篠山川の流下方向に対して逆傾斜している.また,盆地北部に広く分布するチャートが盆地西端の川代礫層に含まれず,さらに,川代礫層のインプリケーションは現在の篠山川と異なった方向を示し,大山礫層の礫径も東部に向かって小さくなる傾向がある.これらのことから,川代礫層,大山礫層を堆積したころ,篠山盆地の排水は現在の篠山川を通じては行なわれず,武庫川によって行なわれていたと考えられる.この排水路が河川争奪によって変更され,篠山川は加古川へ流出することとなった. 河川争奪の原因は,盆地南部の流紋岩よりなる山地の山麓部に広がる麓屑面堆積物の一部が盆地出口の河床に押し出した結果,河床が上昇したことによると推定される.このため,盆地内は湛水し,西方にあった分水界の低位置から浴流し,新しい排水路ができ,それが恒常化して,現在の篠山川が生れたと考えられる.河川争奪がおきたのは,大山礫層中にみられる姶良Tn火山灰および14C年代からみて,約2万年前以降と考えられる.