著者
山川 充夫
出版者
The Japan Association of Economic Geography
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.130-140, 2016-06-30 (Released:2017-09-07)
参考文献数
26
被引用文献数
3

福島県商業まちづくり条例は,売場面積6,000 m2 以上をもつ大規模小売店舗を「特定」し,その新設立地に関しては郊外での抑制と中心市街地への誘導を行うという土地利用の視点からコンパクトなまちづくりを推進することを目的として,2006年に制定された.この条例は翌年の改正まちづくり三法の制定に大きな影響を与えただけでなく,地方の道県に対して同種の条例あるいはガイドラインの制定を促進した.そして福島県条例は,実際に郊外における特定大型店の新規立地を抑制し,消費者買物行動が郊外から中心商業地に転換する効果を発揮してきている.     2011年3月,東日本大震災と原子力災害が岩手県・宮城県・福島県の太平洋沿岸地域を襲った.被災地では被災者や避難者の日常生活を支えることを大義とし,商業拠点形成が居住地再編の要として位置付けられ,国の圧倒的な支援を受けて,復興が進められている.しかしそこではコンパクトなまちづくりが謳われているが,その実態は大型店を中核とする市街地整備が進められ,従前の商店街とは異なった商業集積が再生されつつある.特にいわき市小名浜地区では津波被害を契機とし,港湾地区の土地利用の変更をしてまで,巨大なショッピングセンターが誘致されることになっており,ショック・ドクトリンのもとで県条例は空洞化の危機に直面している.
著者
土谷 敏治
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.111-135, 2013-03-30 (Released:2017-05-19)

本稿では,地方鉄道が第三セクター化される際の課題や問題点について,ひたちなか海浜鉄道を事例として検討した.具体的には,利用者に対して,乗降駅と乗車券の種類を特定した旅客流動調査を実施するとともに,属性,利用目的・利用頻度などの特色,同鉄道に対する評価について,利用者アンケート調査を実施した.また,市民の認識・評価については,市域全体を対象に市民アンケート調査を実施した.その結果,同鉄道は,勝田・那珂湊間の利用者が全利用者の半数程度を占め,とくに勝田乗降客の半数以上はJR線乗り継ぎ利用者で,その最大の目的地が水戸であることから,JR線をはじめとする地域の交通機関の連携が必要である.とくに,施設などハード面だけでなく,運行ダイヤや運賃制度などソフト面も含めた連携が重要であり,ヨーロッパにみられる運輸連合の導入が将来的な課題である.利用の中心は,沿線居住者や沿線に立地する高校への通学者で,それら利用者の利便性向上が重要であるが,土・休日を中心に相当数の観光客の利用がみられ,地方鉄道にとっては観光利用促進も経営上の課題である.市民の評価では,沿線と沿線以外で地域差はあるものの,財政的支援,今後の存続ともに市民の支持がえられていることが明らかになった.その背景には,広報紙や一般紙を通じた市民に対する行政の積極的な広報活動があり,その継続が求められる.このようなひたちなか市の事例は,公共交通機関の存廃問題を抱える多くの地域で参考になるだろう.
著者
大貝 健二 水野谷 武志 浅妻 裕
出版者
The Japan Association of Economic Geography
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.29-44, 2019-03-30 (Released:2020-03-30)
参考文献数
7

北海学園大学経済学部では,2017年度から学生フィールドワーク科目として,「地域インターンシップ」を導入している.この科目は,比較的長期にわたって地域に入り込み,地域で生活する人たちとのコミュニケーションを通じて,地域の課題や可能性を見つけ出し,課題解決に向けて実践することを目的としている.このような科目を導入するに至った経緯は,地域経済の疲弊や縮小に対して,大学として特に人材育成の観点から地域経済社会に貢献することを企図したことがある.また,本科目の特徴としては,外部コーディネーターにも関わってもらい,全体の利害調整や情報発信のほか,学生へのアドバイスも行ってもらっている.     2018年度で,パイロット期間を含め3年が経過するが,受入団体との信頼関係を築きながら,当事者が頭を悩ませつつ手探りで実施していることが実情である.しかし,3年間継続する中で,当初の「地域の人たちのお手伝い」から,学生提案型のプロジェクト(『天売島生活史』の作成,空店舗活用による交流空間の創出)へと,参加学生の交替を伴いながら,現地で取り組む内容を発展的に変化させてきている.そうした変化とともに,学生と地域の人たちとの関係や,地域の人たちの意識の面においても徐々に変化が見られ始めている.
著者
松本 久美
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.133-147, 2008-06-30

本研究の目的は,住民発意により地区計画が策定された事例として神奈川県大和市千本桜地区を取り上げ,策定を可能にした地域の条件を考察するために,その策定過程を明らかにすることである.同地区の事例では,策定当時の自治会長がリーダーシップを発揮して,周到な準備と行政との密接な連携をはたした.さらに,住民の属性がある程度均質であったため,目標を共有することが比較的容易であった.また,ほぼ同時期に入居してきた住民が多いため,退職者が一時期に増え,身の回りの住環境に関心を寄せる余裕ができた彼らがそれぞれの経験を生かしたサポートを行った.加えて以前に地区計画の制限項目と似た要綱が身近にあったことで,住民は新たなルールに対しても大きな抵抗感を抱くことはなかった.同地区において地区計画の策定が実現した最大のポイントはリーダーの存在であり,人材の育成こそが最大の課題であるということを示唆している.
著者
立川 和平
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.18-36, 1997-03-31

本研究は, 需要構造の変化や1985年以降の円高に伴う織物産地の変容を, 産地構造研究と産地支配研究の融合的視点から, 個別機屋の存立形態を分析することで明らかにすることを目的としている. 福井産地では, 原糸メーカー・商社が組織する系列生産が一般的で, 原糸メーカー=大規模機屋, 県外商社=中規模機屋, 産元商社=小規模機屋の3階層構造を形成してきた. 1970年代以降, 織物需要の高級化・多様化の結果, 原糸メーカー・商社は, 革新織機の導入による生産コストの削減と, 多品種少量, 高付加価値生産が可能な機屋の選別を進めている. これに対し, 大規模機屋は豊富な生産力と技術力を背景に, 原糸メーカー・県外商社と取引を継続している. 中規模機屋のうち, 多品種少量生産や差別化織物の生産を実現している機屋は, 県外商社と取引を継続しているが, 量産体制から脱却できていない機屋は, 県外商社系列から脱落し, 産元商社等の系列に編入されつつある. 小規模機屋は産元商社系列にあるが, その中で「すきま」的な分野に特化した機屋と, 量産・定番織物を生産する機屋とが存在している. つまり, 従来の県外商社階層が県外商社階層と産元商社階層に分解し, 4階層構造に変化している. 福井産地は, 定番織物機屋が消滅する一方, 技術集約的な差別化戦略の「先端型」大・中規模機屋と, 特定分野への専門化戦略の「すきま型」小規模機屋に収斂するという縮小再編成過程にある.
著者
半澤 誠司
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.56-70, 2001-12-31
被引用文献数
8

本稿の目的は, 日本のアニメーション産業の特性を把握し, その集積要因を検討することにある.アニメーション産業は, 知識集約的な特徴を持つ, いわゆるコンテンツ産業の一つとみなされることが多いが, 実際の制作工程をみるとむしろ労働集約的な製造業としての側面が強い.作品周期が短く市場予測が難しい上に, 短期間での制作が求められるテレビシリーズアニメーションの開始によって, 1960年代に制作会社の垂直分割が進展し, 各工程に特化した中小零細企業が多数乱立するようになった.この結果として, 各制作会社間の物流と情報交換の利便性を図るために, 産業集積が生まれた.受発注関係はほとんどが東京都内で完結し, その取引内容は工程間で特色の違いがみられる.すなわち, 上位工程に位置する制作会社はさまざまな工程を持ち, 多くの企業から受注を受け, 外注比率も高いのに対し, 下位工程に位置する制作会社は一部工程に専門化し, 受注先が少なく, 外注比率が低い.1990年代におけるグローバル化の進展とデジタル化によって, 分散傾向も一部ではみられるが, アニメーション産業では取引先の能力把握と信頼性の構築が重視され, 人的繋がりから仕事が生じている面が強いので, それを生み出す場としての東京の重要性は大きくは変わらないと考えられる.
著者
山本 健太
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.203-220, 2011-09-30

本研究は,静岡のプラモデル製造企業を取り上げ,各社資料および聞き取り調査の結果から,技術獲得の経緯および協力企業との分業構造の特性を示すことで,静岡市を中心とする当該産業企業の集積メカニズムを明らかにしたものである.プラモデル製造企業は,設立年や進出時期,技術獲得の経緯の違いから,転換企業,進出企業,新興企業に分類できる.また,これら企業の分業構造は,センター型(転換企業,新興企業)とネットワーク型(進出企業)に分類できる.センター型の分業構造のもとでは,金型や品質の管理が容易である.ネットワーク型の分業構造のもとでは,短時間での多種多量の製品の製造が可能である.また,自社と取引先のみならず,取引先企業間の近接性も求められる.いずれの分業構造の企業であっても,物流を伴う取引の多さから,近接性が求められている.さらに,プラモデル製造企業は,地元の取引先の多くと,企業設立以前から顔馴染みであったり,設立時から取引を継続していたりする.プラモデル製造企業の分業構造を支えているものは,顔の見える相手との信頼関係である.このような静岡に埋め込まれた取引関係もまた,静岡におけるプラモデル製造企業の集積を促している.
著者
荒木 一視
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.265-278, 1999-12-31
被引用文献数
3 4

本研究の目的は, 日本経済再生の可能性, わけても農業を地域の産業構造の文脈から論じることである.その際の地域の産業構造の理解とは, 農業生産地域のみならず, 制さんから流通・消費に至る一連の体系から構成される地域間のシステムを念頭におくものである.すなわち, 少なくとも国家規模の分析スケールを想定するものである.このようなスケールの地域間のシステムから農業を検討するという立場は, これまで主流をなしていたわけではない.しかし, 国家的なスケールで農産物が流動する現代の農業を考える上では不可欠の立場と考える.その背景を研究対象の整理を通じて提示し, 1事例地域内の農業構造の分析, そこからえられる産地形成論, あるいは農業の再生論の限界に言及した.続いて, 地域間のシステムという見地からわが国の国家的スケールでの青果物流動の現状を示し, そこから農業再生の可能性についての展望を行った.農業の再生に関して, 農業地理学が貢献できるとすれば, ミクロスケールのみならずマクロスケールの農産物の地理学的検討も重要であることを喚起したい.あるいはそれが既存の農業地理学の枠外であるならば, この視点を「食料の地理学」として提起したい.
著者
青木 隆浩
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.83-99, 1997-05-31 (Released:2017-05-19)

本稿では, 埼玉県の酒造家を系譜の出身地別にまとめ, その経営方法の違いとそれに伴う盛衰の状況について比較考察した. その結果, 近江商人, 越後出身者, 地元出身者の家組織には大きな違いがあり, この組織力の差が, 明治以降のそれぞれの盛衰に関わっていることがわかった. 埼玉県に出店した近江商人は酒造家の約9割が日野屋と十一屋で占められている. 日野屋が本家中心の同族団を, 十一屋が同郷での人間関係によるグループを形成しており, 最も強い組織力をもち, 戦後まで安定経営を続けてきた. 越後出身者は, 分家別家を数多く独立させたが, 明治期に同族団が崩壊し, 1軒あたりの生産量が増えるにつれグループ内での競争が激化し, 多くの転廃業をだした. 中には, 大石屋のように商圏が重ならないように離れて立地したことにより安定した市場を確保し, 戦後まで繁栄した例もみられた. これらに対し, 地元埼玉出身者は分家別家, 親類の酒造家が少なく, 単独経営で家組織が脆弱だったため, 戦前までに多くが転廃業をすることとなった. また, 販売網と市場にも系譜の出身地別に大きな違いがあった. 近江商人は主要街道沿いでかつ江戸出荷に便利な河川沿いに支店網を築いた. しかし, 19世紀中頃から江戸市場における地廻り酒のシェアが低下すると, 近江商人は地方市場へ販売先を切り替えていった. これにより, 従来から地元販売を主としてきた地元出身の酒造家は競争に破れ, 衰退していった.
著者
片岡 博美
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.1-25, 2004-03-30 (Released:2017-05-19)
被引用文献数
6

近年の国際労働力移動を取り巻く変化の中,外国人労働者と彼らのエスニック・コミュニティ,エスニック・ビジネスは,積極的に評価される傾向にある.本研究では,受入先の地域社会におけるエスニック集団の主体的活動であるエスニック・ビジネスに注目し,静岡県浜松市のブラジル人を対象としたエスニック・ビジネス事業所でのアンケート調査及び聞き取り調査をもとに,その現況,地域的展開を分析し,それらビジネスがブラジル人や受入先の地域社会に対して果たす役割や意義を検討した.1990年の入管法改正以降の浜松市及び浜松都市圏内におけるブラジル人の増加に伴い,浜松市のエスニック・ビジネス事業所の多くはその商圏を拡大させ,近隣居住のブラジル人を対象とした小規模な「狭域エスニック型」とともに,市外の広域な地方のブラジル人を対象とした「広域エスニック型」,ブラジル人以外をも対象とした「外部市場進出型」事業所が増加した.2000年以降,ブラジル人を対象とした市場が飽和状態となり淘汰・転換期を迎えた浜松市のエスニック・ビジネスであるが,広域な地方をターゲットにした事業展開や外部市場への進出に活路を見出す事業所は依然増加傾向にあり,今後も継続的発展が予測される.浜松市におけるエスニック・ビジネスは,ブラジル人コミュニティの中心やブラジル人援助の中心,そして受入社会との接点としての役割も果たしており,「民族/生活様式」専門化地域として,交流・接触の場として,トランス・ナショナルな文化空間として,自助組織結成の布石として,地元の地域社会に貢献し得る可能性を持つ.
著者
中西 典子
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.183-201, 1994-09-30 (Released:2017-05-19)

現代における運輸・交通の発達や情報化の進展は, 中枢管理機能としての東京一極集中と, それにもとづく産業部門の再配置および人口の移動をたえず促している. この過程で導かれる地域社会の再編成は, かつての都市・農村という空間的枠組み自体を暖昧なものにするとともに, 様々な形での地域格差を新たに生み出してきている. ところで, 従来の地域論においては, 多くの場合, あらかじめ社会的まとまりをもった空間的枠組みとして「地域」が設定されていた. しかし, 筆者は, このような「地域」概念では現代的地域格差の実相を論理的に解明することが困難である, と考える. こうした考えから本稿では, まず, 地域格差論の基底にある従来の都市・農村論をいま一度批判的に検討するなかで, 現代に通じる射程を見出すという作業を行った. そこから得られたものは, 都市・農村論が, 単なる空間類型論ではなく, 原理的には, 生産力の発展に伴う社会的分業と私的所有を基軸とした, 地域格差創出過程の問題に言及するものであったという点である. かかる点を摂取した上でさらに, 空間を, 地域現象を分析する際の外在的な枠組みとしてではなく, それ自体, 社会関係に内在化されたものとして把握することを試みた. そのためには, 「空間」というものを物理的イメージで捉えるよりもむしろ, 関係概念として捉える必要がある. よって, 社会の「空間的属性」という視角から, その指標, すなわち「場所性」, 「領域性」, 「境界性」を導入することによって, 社会的諸活動におけるそれら相互の連関から, 「問題の地域性」をあぶりだしていくという方法を提起した. 以上の方法からすると, 現代的地域格差が生み出される過程は, 次のように言うことができる. すなわち, より高度な資本蓄積の段階において, 民間資本の活動「領域」が, 私的所有にもとづき, 自然的・人的・物的資源を最大限に活用する戦略として, 時間距離を短縮しつつ各「揚所」を機能に応じて利用すること. それは必然的に, 行政区域の「境界」を媒介することによって, 住民の生活「領域」をも様々な形で「境界」づけ, 結局, 「場所」的な格差構造を表出させていくことになるという点である.
著者
渡部 正浩
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.193-204, 2006-09-30 (Released:2017-05-19)
被引用文献数
2

本稿では,非医療分野の精神衛生施設の経営や立地展開の事例として,東京都における臨床心理士オフィスの経営実態と立地パターン,および立地要因を明らかにした.わが国では,臨床心理士に関して国家的な制度がなく,身分や収入が不安定になりがちである.とりわけ,収入の安定化は臨床心理士オフィスの経営にとって大きな課題となるが,多くのオフィスはカウンセリングに向けて高く動機付けられ,長期継続が見込めそうなクライエントを獲得するために,医師や同業者からの紹介に頼る傾向がある.立地パターンについては,次のことが明らかになった.まず,神経症・心理的問題を臨床領域とするオフィスは,ターミナル駅付近と港区西部および渋谷区東部に立地が集中していた.前者は交通利便性を,後者はクライエントの多くは高所得者であると想定し,彼らが選好しそうな街を意識したためである.また,児童の問題を専門とするオフィスは,医療・福祉機関との近接性を意識して開業地を選定していた.児童の精神問題は,しばしば器質性を帯び,そして,児童のための福祉機関が利用者の需要に追いつけないという事情から,三者の連携が不可欠なのである.以上のように,経営面において主に医療機関への依存度が高い臨床心理士オフィスであるが,医師への従属度がより高いとされる「医療心理師」の新設を見据え,それらとの競合を避けるための新たな経営・立地戦略の模索も必要となろう.
著者
芳賀 博文
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.116-134, 1998-05-31 (Released:2017-05-19)

本稿の目的は, 第二次世界大戦後における邦銀の国際展開の空間的な側面を明らかにすることにある. 1960年代までは, 都市銀行, 特に外国為替専門銀行である東京銀行主体の海外展開がなされ, ニューヨークとロンドンの2大国際金融センターを主要な進出先としていた. 1970年代に入って邦銀の国際業務が拡大するとともに, 進出先は2大国際金融センター以外の都市へも広がっていく. 同時に, ニューヨークとロンドンに香港を加えた3大センターを軸とする, 世界三極体制がこの時期確立される. 1980年代は円高と好景気により, 地方銀行やその他の金融機関も加わって邦銀の海外進出が加速する. 地域的には, 北米や欧州といった先進国の都市やオフショアセンターへの進出が活発化する. そしてバブル経済後の1991年以降には, 店舗配置のリストラが起こるとともに, アジア諸国での急速な経済発展と当地域での規制緩和を受けて, 邦銀の国際展開はアジア指向が強くなった. こうした世界的な三極構造を基底とする邦銀の海外展開は, ニューヨーク・ロンドン・香港の3大国際金融センターをユーロ取引による外貨資金調達の主要な窓口とし, 取り入れた資金を主に日系企業の海外進出に伴う現地貸付として運用することで, それぞれの後背地域の都市間において比較的安定した階層的な関係を有しながら進出がなされて, 店舗ネットワークが形成されてきたと考えられる.
著者
宮川 泰夫
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.51-66, 1992
被引用文献数
1

東アジアは, 国際政治経済構造の変革が, その国際工業配置体系の変容に如実に示されている地域である. とくに, 自動車産業の展開は, 戦前の日本フォード, 日本GMの生産停止と日本の国産車育成に始まり, 満州・中国への展開と, 国防経済体制の構築と密接に関連して始まった. 第二次大戦後の中国での自動車産業配置も, こうした国防経済体制配置と無縁ではなく, またその配置には, 長春第一汽車製造廠の配置にみられるように直接的には中ソの政治経済構造が, 間接的には戦前の日本の自動車工業配置が生かされている. 日華平和条約, 日韓基本条約の締結による国際工業配置体系の変容は, それぞれの国内の産業育成政策, 国防政策と関連して生じ, 内外の産業構造の変動と都市集積に左右された. 自動車工業の配置変動, 提携関係の変化は, こうした点を良く示している. この提携関係の変化は, 1972年の日中国交回復によって如実に示されはしたが, むしろ石油危機と変動相場制移行を契機とした自動車工業の内に典型的に示された日本工業の国際競争力強化や海外展開と深く関連して基本的には生じてきた. そして, 日米間の政治・経済構造の変革がその大枠を規定したが, 1975年の十堰の第二汽車製造廠設立に示される中ソの政治経済構造の変質もその国際工業配置体系には微妙に影響している. 1978年の中国経済開放政策は, 日本・香港・台湾を含む東アジアの工業配置を変質させ, 1985年からの台湾, 旧ソ連の変革, 88年のオリンピックを契機とした韓国の変質とあいまって, 自動車工業に典型的に表われているように東アジアに新たな錯綜した国際工業配置体系を欧・米をも巻きこんで形成しつつある.
著者
山川 充夫
出版者
The Japan Association of Economic Geography
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.129-137, 2018-06-30 (Released:2019-06-30)
参考文献数
47
被引用文献数
1

本稿では東日本大震災,とりわけ東京電力福島第一原子力発電所事故の被害が今なお残る福島県の復興過程における諸問題を振り返ることで,熊本震災復興への示唆を考える.熊本震災の復興のあり方をめぐって,東日本大震災から学ぶべき教訓は「ふるさとの価値」再生を保障する視点を震災復興政策にきちんと位置付けなければ,少子高齢社会においては被災者の生活再建や被災地の復興が費用対効果の低いものにとどまらざるを得ないということにある.東日本大震災後に実施された創造的復興政策は,財政投資が被災地域へのインフラ整備に過度に偏ったものとなったため,被災者の生活再建への保障が十分ではなかった.そのような政策は,熊本震災復興でもかえって人口の域外流出を高めてしまう恐れを含んでいる.
著者
中澤 高志
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.285-305, 2016

<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;「地方創生」論の特徴は,人口減少による「地方消滅」と東京の「極点社会」化という終局を回避する手段として,大都市圏から地方圏への人口の再配置による出生率向上を重視している点にある.とりわけ東京は,世界都市にふさわしい競争力を保持すべきとされ,その足かせになりかねない高齢者もまた,地方圏への移住が推奨される.そこには,東京を国民経済推進のエンジンとして,地方圏を子育てと高齢者医療・介護というケアの空間として,それぞれ純化させる論理が潜んでいる.「地方創生」論において,地域は国民経済や人口を量的に維持・拡大するための装置とみなされ,地域間格差の是正という社会的公正に対する意識は欠落している.<BR>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 「地方創生」論の批判的検討を踏まえ,本稿では,ライフコースを通じた自己実現の過程における制約と機会という観点から地域間格差をとらえ直す.自己実現のための諸機会の多くは土地固着的であるため,いかなる地域政策をもってしても完全な地域間の均衡化は達成できない.したがって,住み続ける自由に加えて,移動の自由をも含めた地理的制約からの自由の拡大を目指すべきである.本稿では,カール・ポランニーの議論を敷衍し,資本主義社会に生きる者にとって不可避な「権力と市場」の空間的形態として,地域構造を認識する.そして,社会的自由の拡大という基準に照らしてより望ましい地域構造を構想することが,地域政策論の目的となり,理念となると論じる.</p>
著者
島津 俊之
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.20-36, 1995-03-31 (Released:2017-05-19)

本稿は, デュルケムの社会空間論を発掘し, その意義と限界を明らかにすることを通じて, <社会-空間理論>構築への足がかりを得ようとするものである. これは, 彼の地理学的想像力を再評価する試みでもある. デュルケムにおける社会空間論の起点は, 1893年刊行の『社会分業論』の時点で形成されていた. 彼のいう社会空間は, 一貫して<社会が占める地理空間〉>を意味する概念であり, ラッツェルの刺激によって考案されたとも考えられる. デュルケムの社会存在論のなかで, 社会空間は社会集団とともに<基体=社会の身体>と位置づけられ, <社会の精神>たる社会生命に対峙することになる. 社会空間は, 社会生命が空間に下ろした<足場>ともなる. 一方で, 未開社会を対象に<知識社会学>を展開したデュルケムは, 社会空間が分類体系や空間カテゴリーのモデルになったと推論する. 社会空間は, ある種の社会生命の生成に際して, それに<かたち>を与える媒介変数の地位を与えられたのである. デュルケムの社会空間論は, 様々の限界や矛盾を孕む一方で, 豊かな地理学的想像力の見木を提供するものでもある. それは, 社会空間を社会の不可欠な要素と認識し, その役割を積極的に評価しようとするものであった.
著者
岡田 功
出版者
The Japan Association of Economic Geography
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.73-89, 2020-03-30 (Released:2021-03-30)
参考文献数
26

近年,オリンピックの開催費用は増大する一方である.華々しい2週間余の祭典が幕を閉じると,今度は五輪施設の維持・運営費が開催都市にどこまでも付いて回る.とりわけ頭が痛いのは収容人数が通常7万人を超す夏季五輪スタジアムである.巨大な観客席を埋めるイベントの需要が限られるうえに,維持管理・修繕費が莫大な額にのぼるからである.しかし近年,「ホワイト・エレファント(無用の長物) 」として批判を浴びがちな五輪スタジアムに再投資することで地域活性化の呼び水にしようとする動きが一部でみられる.1976年夏季大会と2000年夏季大会の開催地モントリオールとシドニーである.モントリオールの五輪スタジアムの屋根を支える展望塔には2018年,大手金融機関の本部が入居し,1,000人以上が働くオフィスに様変わりした.シドニーでは2016年7月,ニュー・サウス・ウェールズ州政府が五輪スタジアムを所有・運営する民間企業から所有権を買い戻した.近代的なスタジアムに大改修するほか,2本の鉄道新線を建設し,接続させる.両都市が五輪レガシーの再生に踏み切った経緯や狙いを分析すると,ある共通点が浮かび上がった.それは五輪スタジアムが①都心部に近く交通アクセスに優れたオリンピック公園に立地する②所有者が従来から設備投資を怠らなかった③競合スタジアムが事実上存在しない④恒常的な赤字体質か,近い将来じり貧に陥ることが確実視されていた―ことである.