著者
上野 加代子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.70-86, 2018-06-30

<p>福祉の領域における社会構築主義の研究は多様であるが, この領域に特有の姿勢を見て取ることができる. それは, 自分たちがクライエントを抑圧してきたという「自身の加害性の認識」と, 「研究結果の実践への反映」である. 本稿では, 福祉の領域に特有のこれらの姿勢に着目し, それに関連する文献を中心にレビューする. 具体的に, ひとつはソーシャルワーカーとクライエントを拘束しているドミナント・ストーリーをクライエントと共同で脱構築しようとするナラティヴ・アプローチの研究の流れである. 本稿で取り上げるもうひとつの構築主義的研究の流れは, ソーシャルワークが専門職として確立, 再確立される過程で, 「トラブルをもつ個人」がどのように創りあげられてきたのかを, 外在的に分析するものである. なお, 「自身の加害性の認識」という点は, 英語圏の文献には顕著であるが, 日本語の文献では弱い. そこで, 英語圏の文献をレビューした後, 日本における構築主義研究ではどうして「自身の加害性の認識」という観点が乏しいのかについて考察する. そして最後には, 近年の英語圏の文献では自身の加害性のみならず, 「被害者性」についても議論されていることを踏まえ, 自分自身の知識や実践に対する構築主義研究が, 「自分は加害者たることを強制された被害者だ」という自己弁護に陥る危険をはらみつつも, 社会制度変革へのコミットにつながることに触れておきたい.</p>
著者
文屋 俊子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.4, pp.443-460,502, 1987-03-31
被引用文献数
1

地域を単位とする近隣関係については、先行研究が乏しく、ある程度探索的なものとならざるを得ない。本稿で取扱った大都市周辺地域は、都市の膨張過程において都市人口の流入をうけ、都市化が進行した地域である.こうした地域では、地付住民と来住民との混住が地域社会レベルでのさまざまの問題を起こしていることが多く、近隣関係を取扱う上で地付-来住間の関係に注目しないわけにはいかない。このため地域社会の統合、いいかえれば地付住民と来住民の融和が問題とされるのであり、どういった場合に統合促進され、また阻害されるのか、これをふたつの集団の人口流入による規模の変化との関係でとらえようとするのがここでの目的である。<BR>調査は、東京五〇キロ圏に位置する千葉県市原市の一町会の範域において実施した。まず、この地域における社会過程としての都市化の特徴をとらえるために、旧村の部落会を中心とする相互扶助システムの変貌過程についてコミュニティ史的観点からの事例研究をおこなった。近隣関係の標準化調査は、調査規模の関係で、この町会の中心部を占める二町内の一二四世帯を対象におこなった。<BR>本論にはいるまえに、都市化をめぐる概念について検討する。
著者
妻木 進吾
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.489-503, 2012
被引用文献数
4

本稿の目的は, 大阪市の被差別部落A地区で実施した調査に基づき, この地域の再不安定化プロセスとその要因について検討することを通して, 貧困や社会的排除現象の解明と対応策の構想に, 地域という変数が欠かせないことを示すことである.<br>貧困と社会的排除が極端に集中していたA地区の状況は, 長期にわたる公的な社会的包摂事業によって大きく改善した. しかし, 事業終結後, アファーマティブ・アクションとしての公務員就労ルートが廃止され, その時期が日本社会の雇用不安定化の時期と重なっていたこともあり, 若者の就業状態はふたたび不安定化した. 安定層の地区外流出と不安定層の流入という貧困のポンプ現象がこうした傾向に拍車をかけた.<br>貧困層の集積は, それ自体がさらなる機会の制約となる. 被差別部落では, かねてから貧困が地域的に集積していたことによる履歴効果, そして当事者運動が引き出した公的事業の意図せざる帰結として, 個的な生活向上・維持戦略の定着を阻む生活文化が存在し, 達成モデルも限定されてきた. 地区内の「なんとかやり過ごす」ネットワークは事業終結と担い手の流出によりその機能を弱体化させている. 貧困・社会的排除は地域的に集積し, 地域的に集積したそれらはマクロな社会変動や政策, さらには階層・階級文化などには回収されない固有の機制として, 貧困のさらなる集積や深化をもたらしていく.
著者
塩原 勉
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.25, no.4, pp.17-36, 1975-03-31 (Released:2009-11-11)
参考文献数
29
被引用文献数
1 1

1) On Methodology. We have many differentiated sociological perspectives in the conflicting directions. In order to innovate the functionalist paradigm characterized as a normal science, we propose to combine dual counteracting perspectives : functionalism and interactionism.2) On Structure. A social system can be defined as a living system of resource-processing controlled through information-processing. Its structure is consisted of several structural components : values, norms, decision-making structure, operation structure, and resources, which are not only hierarchically arranged, but also cybernetically controlled to satisfy requisites of the system. The requisites can be classified into three layers : basic, mediating, and specific requisites. But there are inherently structural strains both within and among those components. 3) On Social Change. Three major variables (strains, external requests, and system's ability to satisfy its requisites) will determine the changes in system structure. And the changes will be facilitated by the means of multiplytyped innovations against the structural components under strains. An effort to remodel Smelser's “logic of value-added process” has lead us to a more comprehensive analytical-scheme, which can described as “a total movement process” with a series of seven phases.
著者
元森 絵里子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.124-135, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
11

本稿は, 教育制度内部の教育史記述の古典である『明治以降教育制度発達史』を読み直し, 「子ども」が実体であるのか構築であるのかというアリエスインパクト以降繰り返される問題を考えるものである.「子ども」という観念の歴史的構築性を示した研究に対し, しばしば, 直観的に, 目の前の発達途上の身体や生理学的に捉えられる身体という「実体」があるという批判・反証がされる. 史料から見えてきたのは, 「発達する身体」をもち将来的には「国民」や「労働者」になる「児童」が発見され, 教育的論理と教育制度が定着する際に, それに包摂されない実態との折り合いが模索されたということであり, 身体測定や統計が「実体的根拠」として要請されたということである. したがって, よくある批判が根拠とする「実体としての子ども」なるものも, 多くは年少者を教育の対象として見出すまなざしが全域化していったことの効果として立ち現れている観念であると言える.と同時に, その論理の外部に年少者・小さい人が事実として存在し, それを「児童」や「子ども」と見なさない世界があることが, 教育的論理では扱いにくいものとして, まさにその論理の中に書き込まれていることにも目を向ける必要がある. 子どもと教育の社会学は, その構築性についてより深く考察すると同時に, 自身の言葉の外にあった (ある) かもしれない世界の存在に自覚的であり続けていく必要があろう.
著者
田中 重人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.130-142, 1997-09-30
被引用文献数
1

女性のフルタイム継続就業に対して学校教育が持つ影響力について論じる。近代型の性別分業に関心を限定するため, 家族経営型の自営業に属する女性はのぞいて分析する。まず戦後日本社会における急激な高学歴化にもかかわらずフルタイム女性の比率が一定水準を保ってきた事実を, 1955-95年のセンサス・データから確認する。ついで1985年, 95年の全国調査による女性個人経歴データを分析する。<BR>大卒女性は一見フルタイム継続率が高いようにみえるが, 教員をのぞいた分析ではこの関連は消える。上の関連は, 教員というフルタイム継続しやすい特別な職業と大卒学歴とがむすびついているための擬似的なものにすぎない。大卒者数と教員数が独立だということから考えて, 高学歴化と女性フルタイム継続率の変化とは無関係と結論できる。女性本人の職業的地位と結婚相手の職業的地位を統制したロジスティック回帰分析でも, 学歴の効果はみられない。<BR>分析結果から, 学校教育はフルタイム継続就業に影響しないといえる。