著者
Murai Isamu
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.55-70, 1960-03-30
被引用文献数
1

北海道の中央部に位置する十勝岳火山は,大正15年(1926年)5月24日に爆発を起し,その際発生した泥流によつて非常に大きな災害を惹き起した.十勝岳は不完全な形の三重火山で,中央火口丘は盛んに噴気をあげていたが,烈しい噴火活動の記録はほとんどなかつた.大正13年より15年にかけて噴気が烈しくなり,特に15年5月に入つてからは鳴動や地震を伴い,5月24日遂に烈しい爆発が起つた.同日午後0時11分突然に最初の爆発が起り,泥流が発生して丸谷(美瑛)温泉を破壊し,更に流下して畠山温泉(現在の白金温泉の位置)に達した.爆発の起つた地点は中央火口丘の西方斜面上と推定された.更に午後4時18分第2回目の爆発が起つた.中央火口丘の西半分がこの爆発によつて破壊され,泥流が発生して非常な速度で西方斜面を流下していつた.その速度は平均50m/sec程度と計算された.山麓部の上富良野,美瑛および下富良野では,土砂や木材を混えた泥水が烈しい勢でおしよせ,土地および家屋に多くの被害を生じたばかりか,144名の犠牲者を出した.中央火口丘の破壊された部分の体位は2,000,000m3あるいは4,000,000m3程度と計算された.また提出された新火山弾は3,000m3と計算された.上記のような大きな災害を惹き起した爆発の原因および泥流の成因については,多くの学者により様々な解釈が行なわれた.しかしそれらの間に意見の完全な一致は見られず,特に泥流発生の機構について多くの疑問が残された.その最も有力な解釈は,中央火口丘の破懐によつて生じた高温の崩壊物によつて積雪が急に融され,大規模な泥流が発生したとするものであつた.山麓部を襲つた泥水は,明らかに積雪の融解によるものと見られるが,山腹の広大な面積をおおつて流れた泥流の主流部は,そのような解釈によつては説明し尽すことはできないように考えられる(第2図参照).筆者の調査によれば,泥流の主流部においては,堆積物は3層に分れており,下部の層は白色の粘土まじりの岩屑堆積物,中部の層は茶褐色の軽石をまじえた火山灰,上部の層は黒色の多孔質熔岩塊,岩滓および火山灰よりそれぞれ構成されている.中部層中には炭化木片が豊富に含まれており,また上部層,中部層とも部分的に不完全な熔結を示す場合が見られる.従つて中部層および上部層は堆積当時かなり高温であつたことは事実であり,その構成物質から見て,恐らく火山砕屑流の状態で流下し堆積したものと考えられる.中部層は軽石流,下部層は岩滓流の堆積物と呼んでよいであろう.一方,下部層の白色岩屑堆積物は,噴気作用を受けて変質した岩石破片および粘土よりなつており,明らかに爆発によつて中央火口丘が崩壊したために生じた岩屑の堆積したものであり,火山泥流と呼ぶべきものである.その主な分布の面積は約2.5km2であり,厚さを平均2mと見れば,体積は5,000,000m3となる.別に粘土で作つた1/5,000の模型から崩壊部の体積を計算したところ,同一の値が得られた.中部層および下部層の主な分布の面積は約7km2に達する.中部層の厚さは平均2.5m,上部層の厚さは平均0.5mと見られるから,それぞれの体積は17.500.00m3および3,500,000m3となる.下部層の泥流は余り高温であつたとは見られない.山麓部を襲つた泥水は,中部層および上部層の火砕流堆積物の熱によつて積雪が一時に融解したために生じたものと解釈される.5月24日の第2回目の爆発と同時に泥流が発生し,それに引きつづいて,軽石流と岩滓流が山腹上を流下し,その熱によつて生じた融雪水の洪水が山麓の谷と平野の上を襲つたのである.筆者は泥流,軽石流,岩滓流の堆積物の試料を数ケ所から採集して機械分析を行なつた.泥流堆積物は分級が非常に悪く,粒度分布の形は試料ごとに多少の変化が認められた.その中位粒径の値は火口からの距離に応じた規模的な変化をなんら示さないようであつた.軽石流堆積物および岩滓流堆積物は,火砕流堆積物に特徴的な粒度組成を示した.すなわち,分級は相当に悪く,粗粒部および細粒部に長く尾を引き,主モードの佐賀は変化がなく,粗粒部に副モードを持ち,採集地点の相異にかかわらず共通の粒度分布を示し,中位粒径の値も大きな変化を示さない,等の特徴を示した.上記の軽石流堆積物および岩滓流堆積物はいずれも含橄攪石複輝石安山岩で,同時に拠出された火山弾と全く同一であつた.一つの試料についてガラス質破片の屈折率を測定したところ,1.5195の値を得たが,これも火山弾のガラス質部分の屈折率と全く同一であつた.

1 0 0 0 OA 脈動に就いて

著者
和達 清夫
出版者
東京帝国大学地震研究所
雑誌
東京帝国大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.55-58, 1926-10-15

The pulsatory oscillations were observed at the seismologica observatory at Hommaru, Tokyo from Dec. 1st. 1925 to Jan. 21st. 1926. The Galitzin seismograph with photographic registration was used for the purpose. The pulsations observed at Tokyo may be classified into three sorts according to their periods: (A) those with a period shorter than 3 sec. (B) regular type with a period of 4-8 sec. and (C) irregular type with a period of more than 30 sec.
著者
萩原 幸男 村田 一郎 田島 広一 長沢 工 井筒屋 貞勝 大久保 修平
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.563-586, 1987-03-31

埼玉県北西部の関東山地北東縁部には,深谷断層,櫛挽断層,江南断層,今市-菅谷断層等の活断層が密集している.この地帯に7回にわたって合計約630点の重力測定を実施した.得られたブーゲー異常から,地質地形調査ではかつて指摘されたことのない断層を児玉町に発見した.また櫛挽断層は従来考えられていた規模より遙かに大きく,北西にはこの児玉町の断層に,南東には荒川を越えて今市-菅谷断層に連続していることが判明した.1931年西埼玉地震(M7.0)の震源断層は恐らくこの一連の断層と関連があるものと思われる.
著者
Kawasumi Hirosi
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3/4, pp.355-367, 1951-03-25

昭和24年12月26日朝8h 16m及8h 25mに栃木縣上都賀郡今市町附近を中心とする小區城破壊的地震が起り,死者8,行方不明2,全潰住家299戸半潰住家618戸の被害を生じた.此の地震の震央附近の震度は極めて強かつたようであるが,振動週期極めて小なりし爲か石藏家屋の外は全潰(現建築費50%以上の損害)とは云へ倒潰と云ふやうなものは少かつた.從つて火事の發生を見なかったのは幸であつた.然し山崩,地辷りは極めて著しく,山地田畑の荒廢著しく,人命の損失の大部分もこれによるものであつた.余震の頻發した事,及び初動の圓錐型分布,及び所謂地震斷層と思はれる如きものの見へなかつた事も本地震の特徴と云ふべく,今市町全體に互る地震後井戸壁の變形から約6mの厚さの地層が東方に約6cm移動した事が判明したが,之は測地學上重要問題を指唆するものである.尚水準測量の結果は今市町近傍數粁の間だけ約30~40cmの隆起があつた由である.震後の火山活動との關係も興味ある問題であらう.
著者
Yokoyama Izumi Tajima Hirokazu
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.23-33, 1957-07-20
被引用文献数
26

伊豆大島三原火山の構造を解明する手掛りを得る目的で,ウォルドン電力計による重力測量を行つた.大島全休に普遍的に測点を設けるように努め,高さの決定には一対のアスカニヤ徴気圧計を用いてその精度を最悪3m以内に止めた.地形補正は33kmの範囲まで計算した,山脈の密度を二様に仮定して,それぞれに対するブーゲー異常を求めた,その結果は現在までの地質調査の結果を裏付けするものであり,又磁気測量の結果ともよく調和するものである.
著者
Abe Katsuyuki Kanamori Hiroo
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.48, no.6, pp.1011-1021, 1971-01-30

Group velocities of long-period Rayleigh and Love waves are measured, by band-pass filtering and group-delay time methods, to study regional differences in a deep island arc structure. The measurements are made, over a period range 20 to 80 sec, for propagation paths across the Japan Sea. At longer periods, the observed group velocities of Rayleigh and Love waves are lower by as much as 0.1 km/sec than those for normal oceanic paths. It is found that the ARC-1 model, which was previously introduced to explain the low group velocities of long-period surface waves travelling across the Philippine Sea, can also explain these low group velocities. The major feature of this model is a reduction of mantle shear-velocity by 0.3 to 0.4 km/sec, or 8%, over a depth range 30 to 60 km as compared with that for normal oceanic models. This low mantle velocity and the high heat flow which was previously reported for this region suggest common causes such as high temperature and partial melting. The velocity contrast found here can be explained in terms of a 500℃ temperature excess coupled with a 4% partial melting.|長周期表面波の群速度をもちいて,弧状列島の縁海である日本海のマントル構造を調べた.日本北部及び千島列島の5つの地震についてソウルにおける長周期地震計の記録から,バンド・パス・フィルターとグループ・ディレイ・タイム法を利用して周期20秒から80秒までの群速度を求めた.日本海を横切る表面波の群速度は標準的な海のものにくらべ長周期のところでレイレー波ラブ波ともに0.1km/secほど遅い.この遅い群速度は以前にフィリッピン海を横切る表面波の遅い群速度を説明するためにもちいたARC-1モデルで同じように良く説明される.このモデルの重要な特徴は標準的な海のモデルにくらべてマントルの横波の速度が深さ30~60kmにわたって0.3~0.4km/secまたは8%ほど遅くなっていることである.この浅い所における低速度層の存在と日本海での高熱流量とを考えあわせると.日本海の下のマントル内では他の地域にくらべて温度が高く,またそれによって部分溶融が生じていると考えられる.この考えにしたがうと8%の横波の速度差は4%程度の部分溶融をともなった500℃の温度差で説明される.
著者
Murai Isamu
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.805-814, 1963-03-10
被引用文献数
2

The eruption occurred suddenly at about 9:55 p.m. on June 17, 1962 at the Yake-dake Volcano. The outbursts did not occurr at the summit crater, but took place at the Kurodani Crater and the Nakaotoge Explosion Crater. New fissures were opened on the wall of the explosion crater. The entirety of ejected debris does not belong to the juvenile materials. They were brought from the pre-existing rocks on the upper part of the volcano. Discharge of ash and debris ceased on the evening of June 18. The total volume of ejected materials is calcu- lated as 2×105m3, and the total mass of them is 3×105 ton for the density of ash-fall deposits in a compact packing state is about 1.6. From the morning of June 18, minor mudflows occurred on the western steep slope of the summit. On the afternoon of June 19, other mudflows occurred from the edge of the fissure at the Nakao-toge, being accom- panied with intense noises and air shocks. These mudflows might have been caused by the flowage of over-saturated ash and debris piled on the steep slopes around the summit, where tremendous amount of water vapour contained in the eruption clouds condensed on the ground and wetted newly piled ash and debris. After the eruptions on June 17 and 18, some minor outbursts took place sporadically, i. e. on July 26 and on August 9, 1962.昭和37年(1962年)6月17日午後9時55分ごろ焼岳火山は突然爆発した.中尾峠の焼岳小屋は噴石で破壊され,管理人2名が負傷した.噴火は山頂北面の中尾爆裂口と西北中腹の黒谷火口で起こつた.中尾峠爆裂火口壁上には延長2kmにわたる割れ目があらたに開口した.火山灰や岩屑の抛出は翌18日午後にやんだが,多量の水蒸気を含んだ噴煙がひきつづいて噴出した.提出された岩屑の中で新たに岩漿から由来したと見られるものは見出されなかつた.18日午前中より19日までの間に,山頂北面の斜面に小規模な泥流が発生した.19日午後に烈しい音響がこの地方一帯に聞えたが,爆発や火山灰の噴出は認められなかつた.この音響の発生とほとんど同時に,中尾峠の割れ目の末端より泥流が流れだし,梓川の川岸まで達した.これらの泥流は,火口より噴出された多量の水蒸気が山頂付近の急斜面に堆積した火山灰上に凝縮したために発生したものと考えられる.21日
著者
鍵山 恒臣 山口 勝 増谷 文雄 歌田 久司
出版者
東京大学
雑誌
東京大學地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.211-239, 1994
被引用文献数
11

霧島火山群・硫黄山周辺においてMT法による電気抵抗構造調査を行った.その結果,硫黄山を含む霧島の広い範囲において,水を多く含む層と考えられる低比抵抗層が,地下およそ100m以深に見られる事がわかった.また,硫黄山周辺は,低比抵抗域となっており,特に,硫黄山火口直下では2~3Ω・mであるのに対して,硫黄山を囲むように,1Ω・m程度の著しく低い比抵抗域が存在している事がわかった.熱的調査によれば,硫黄山山体には,高温の噴気が点在し,周辺には水の沸点程度の噴気地や温泉が見られる.こうした分布の特徴は,地下深部から供給される高温の火山ガスが,硫黄山山体部ではそのまま溶岩の隙間から噴出しているためにやや高い抵抗を示しているのに対して,硫黄山の周囲では,この地域に分布する帯水層の水との混合により低比抵抗領域が形成され,水の沸点程度の噴気や温泉の源となっている事を示すと考えられる.The volcanoes of Kirishima, located in southern Kyusyu, are a group of more than 20 volcanoes. At least three volcanoes have historic records of eruptions, and more than 10 volcanoes have been active within the past 22,000 years. This indicates that Kirishima is a multi-active volcanic group. According to seismological investigations, the Kirishima area is subject to NW-SE extensional stress; slight extensional stress is favorable for a fault system that allows magma to ascend at various points.
著者
佃 為成 酒井 要 橋本 信一 羽田 敏夫 小林 勝
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.237-272, 1988-12-23

北部フォッサマグナの中央隆起帯を横断する千曲川構造線の東端に位置する長野県小県郡丸子町付近で1986年8月24日,M4.9の地震が発生した.ここは2つの火山前線がぶつかる点のすぐ背後でもある.通常の地震活動レベルは低いが,過去には1912年の上田市付近の地震(M5.2)がある.丸子町の地震活動は前震・本震・余震系列と本震の10日後から始まった群発地震が重なったものであった.2回の主要な活動ピークをもつ例は,北部フォッサマグナ地域では少なくなく,ピーク間の間隔は1918年大町地震の13時間,1969年焼岳の地震の2日,1912年上田の地震の5日,今回の地震の12日,1963年燕岳の地震の20日,1897年上高井の地震の104日というように様々である.2回目が群発地震であったのは丸子の地震と,燕岳の地震,上田の地震である.現地における臨時観測によって精密な震源分布が得られた.震源域は時間とともに拡大したが群発地震後最終的には東西3km,南北2km,深さは6kmを中心に3kmの幅をもつ拡がりであった.定常観測網で求めた震源との比較を行い,観測網に依存する震源の系統的なずれやその値のバラツキから震源の絶対精度と相対精度を推定した.MO~4.5の間のM別頻度分布はGutenberg-Richterの関係から少しずれる.群発地震の回数の減衰(p~2)は本震直後の余震のそれ(p~1)と比べ大きい.燕岳の地震ではどちらもp~2であった.本震の震源断層は発震機構及び余震分布の特性から西上り東落ちの高角逆断層である.これは中央隆起帯東縁でのテクトニックな変動と調和する.1986年の千曲構造線の地震活動はそのピークが東南東から西北西へ約150km/yearの速度で伝播した.1912年~1918年にもこの構造線の両端付近で地震があった.約70年の間隔を置いて同じような活動を繰り返したことになる.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.543-557, 1980-03-31

Adding tsunami data reported by the U.S.S.R. sources, tsunami magnitude and the source area of the tsunamis generated in the Hokkaido and Kurile regions during the period from 1893 to 1978 are re-examined. The source dimension and magnitude of the tsunamis generated in the Hokkaido region correspords well with the earthquake magnitude. However, the tsunamis in the Kurile region have varied behaviors. The two Kurile tsunamis of Oct. 20, 1963 and June 10, 1975 were especially abnormal in comparison with other tsunamis accompanied by similar earthquake magnitude. In most cases, the initial motion of the tsunamis was observed with upward direction, but the Kurile tsunamis of Aug. 11, 1969 and June 10, 1975 began with a conspicuous downward motion at the Hokkaido and Kurile tide stations. The source areas of the tsunamis that accompanied large earthquakes (M>8) line up along the continental slope near the Kurile trench and the 1973 Nemuro-oki tsunami was generated in the seismic gap between the 1952 Tokachi-oki and the 1969 Shikotan earthquakes. However, the source area of the 1973 tsunami occupies only the eastern half of the 1894 tsunami source. After the 1973 Nemuro-oki tsunami, the tsunami activity moves to the northeastern direction along the Kurile trench. These source areas fall in the southern part of the source areas of the 1958 Iturup and the 1969 Shikotan tsunamis. In the space-time diagram of the earthquakes having a magnitude of M≧7, remarkable gaps can be seen in the west side of the 1973 tsunami source and off Urup Island. It is possible that a future tsunami of magnitude m~2 may be generated, accompanying the release of seismic energy in the two regions.
著者
岸上 冬彦
出版者
東京帝国大学地震研究所
雑誌
東京帝国大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1/4, pp.97-103, 1947-02-28

A serious earthquake eccurred in the north-eastern part of Tottori prefecture. The loss of life ammounted to 1117, severely wounded 669, totally destroyed houses 7485 and burned houses 251(statistics for Sept. 17, 1943) The damages were related to the river basin; about 80% of these damages were done in the basin of Hukuro-gawa(river) in the city of Tottori.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.97-104, 1985-09-05

小笠原父島における津波記録を収集し,その挙動を考察した.二見港の奥村では,1854年安政東海津波で集落の大部分が流失し,津波の高さは3~4mに達したとみなされる.また,1918年ウルップ(南千島)津波で全振幅2.7mを記録し,19戸が浸水被害を受けた.津波マグニチュード判定図によれば,父島ではフィリピン・ハワイなど南西・南東方向から入射する津波に対して,標準的な振幅で観測されている.しかし,日本近海でおきた津波では,いずれも顕著な波高になり,平均津波マグニチュードより1~1.5階級の偏差(エネルギーで5倍,波高にして2.3倍以上)がある.その要因のひとつとして,小笠原諸島は屈折効果で,津波エルギーが集まることが津波伝播図から認められた.東海地域の津波に対しては,さらに津波の指向性を強く受ける方向にあり,将来の東海地震においては津波に十分な警戒が必要である.
著者
宇佐美 龍夫
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3/4, pp.209-230, 1977-05-25
著者
福富 孝治
出版者
東京帝国大学地震研究所
雑誌
東京帝国大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.13, no.4, pp.1010-1018, 1935-12-20

After the destructive Siduoka earthquake of July 11th, 1935. in strongly shaken area a precise levelling along a route of old Tokaido extending from Tegosi, Siduoka, to Sodesi near Okitu, and that along a route extending from Kunosan-sita to the eastern bank of the river Abe along Suruga Bay were carried out in four times. The relative vertical displacements of the bench marks along these level lines obtained by comparing the results of the recent measurements with those of earlier ones are shown in Table I-IV and in Fig5. 2~6. The writer made some discussions for the results.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.345-359, 1968-06

Making use of data of tsunamis which occurred in the region of South America, frequencies of tsunami generation and of tsunami which propagated to Japan are investigated. Refraction diagrams and the distributions of tsunami height for seven tsunamis which propagated across the Pacific Ocean are shown. Especially, these phenomena along the coast of Japan are shown in detail with the aid of mareograms. The spectral analysis of records obtained in Japan is made for five tsunamis. The generating area of the Chilean tsunami of 1960 is estimated by means of an inverse refraction diagram. This source includes the area of aftershock activity extending about 800 km in an elongated shape.|南米太平洋沿岸で発生した歴史津波の資料によると,波源付近の波高が10m程度の津波によつて日本,ハワイは数回相当な被害を受けている.1900年以後は我が国においても検潮儀によつて7個の津波が観測された.このうち1960年11月20日のペル沖で起きた地震(M=6.75)によつて,微小な津波を観測した例もある.マグニチュードが8.3以上の地震に伴なう津波は,例外なく全太平洋沿岸地域で観観されているが,8.0以下の地震による過去の津波は,日本沿岸で波高50cm以下の微弱なものである.
著者
茂木 清夫
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.395-417, 1969-06
被引用文献数
3

一つの地震の発生は,多かれ少なかれ,地殻応力の解放と地殻の構造状態の変化(破壊)をもたらし,その後の地震活動に何らかの影響を与えるものであり,とくに大きい地震ではその影響が著しいはずである.従って,地震活動の本質は,単に定常的なものとしてではなく,時間的.空間的に変化しつづけるものとして,動的な取扱いによって明らかにされると思われる.このような観点から,前回の報告にひきつづいて,最近の日本及びその周辺の地震活動にみられる時間的・空間的規則性を論じた.その結果を次に要約する.
著者
茂木 清夫
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.395-417, 1969-06
被引用文献数
3

一つの地震の発生は,多かれ少なかれ,地殻応力の解放と地殻の構造状態の変化(破壊)をもたらし,その後の地震活動に何らかの影響を与えるものであり,とくに大きい地震ではその影響が著しいはずである.従って,地震活動の本質は,単に定常的なものとしてではなく,時間的.空間的に変化しつづけるものとして,動的な取扱いによって明らかにされると思われる.このような観点から,前回の報告にひきつづいて,最近の日本及びその周辺の地震活動にみられる時間的・空間的規則性を論じた.その結果を次に要約する.