著者
岩本 剛
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.225-253, 2017-09-30

ベンヤミンのアナーキズムは,個人にのみ暴力行使の権利をみとめ,個人の暴力を神からの贈与=負託として擁護するものだが,暴力批判論は,そのような特異なアナーキズムを詳述した論考として解釈することができる。法的暴力の作動/機能の批判的究明を基調とする同論は,法と暴力の共依存的結合を発生させる神話的=運命的な「法措定」のうちに,法的暴力(神話的暴力)の根源を発見した。ただし,同論に提示された法的暴力の「解任」の理念を,一般的なアナーキズムにいわれる意味での法(国家)の廃絶として一義的に理解することは,解釈としてはいまだ不十分である。隠微な両義性を孕んだ暴力批判論の考察は,法的暴力の「解任」がもたらすやもしれぬアナーキー/未開状態の到来に対するベンヤミンの危倶を明かすとともに,法的暴力の「救出」の理念をはからずも提示している。ベンヤミンは,神の正義が個人に贈与=負託した暴力(神的暴力)を,法における「法措定」の契機を未然に阻止することで,法的暴力の自己目的化した作動/機能を抑止し,法を凋落から救出する暴力として擁護する。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.1-35, 2018-09-30

本論は、明治時代における「活字になった『ロミオとジュリエット』」について整理することで、以下の三点を明らかにする。①『ロミオとジュリエット』といえばバルコニー・シーンが有名であるが、明治の人々の心をとらえたのもこの場面だった。②それを踏まえて際立つ坪内逍遥の特異性。坪内は、自らの翻訳を刊行する前に雑誌で一部を先行公開しているが、あえて第四幕以降を選んでいる。その選択は、初期の『ロミオとジュリエット』受容があたかもバルコニー・シーンだけで事足れりとしていたことに対する、アンチテーゼのように思われる。③明治という新しい時代を迎えておよそ二〇年を境に、受容のモードに変化がみられる。この頃から「英文学研究」が制度化され、本格的な受容が始まる。さらに世紀をまたぐと、日本の観客のための『ロミオとジュリエット』が登場し、新しい教育制度のもとで学んだ人々による『ロミオとジュリエット』が出版されるようになる。
著者
林 邦彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.213-238, 2019

13世紀のノルウェーでフランス語原典からノルウェー語に翻案された後,さらにそれがアイスランド語に翻案されたと考えられている,アーサー王伝説を扱ったサガ作品群のうち,身に着ける女性の不貞に応じて極端に伸び縮みするマントを扱った『マントのサガ』(Möttuls saga)と呼ばれる作品は,フランス語作品『短いマントの短詩』(Le Lai du Cort Mantel)がノルウェー語への翻案を経てアイスランド語に翻案されたものと考えられているが,この『マントのサガ』を基にして,恐らくは15世紀にアイスランドで成立したと考えられている『マントのリームル』(Skikkjurímur)と呼ばれる物語詩は,基本的な物語内容は『マントのサガ』を踏襲しているが,『マントのサガ』と比較すると,作品中,次々と不貞が明らかとなる女性やその相手と思しき男性に対するアーサー王の態度,およびアーサー王と臣下の騎士達との関係の描き方に大きな改変が施されていることがわかる。
著者
林 邦彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.96, pp.207-234, 2020

ノーン語(Norn)とは, 8 世紀から9 世紀にかけて,ブリテン島北部やその近辺の諸島に植民したノルウェー人ヴァイキングが当地にもたらした,その使用言語である古ノルド語(Old Norse)に由来する言語で,特にオークニー,シェットランド両諸島では比較的長く用いられ,19世紀末に消滅したとされる。その消滅前に採録されたノーン語の言語資料の一つに,通例,Hildinaとの作品名で呼ばれるバラッドがあり,その物語内容は,主人公の女性Hildinaと彼女を取り巻く二人の男達をめぐる三角関係を扱ったものであるが,本稿では,Hildinaの物語素材をめぐる先行研究での指摘内容を整理した上で,Hildinaの物語の特徴に焦点を当て,ノーン語と近縁関係にあるフェロー語で伝承されているバラッド作品群のうち,ノーン語のHildinaと比較的類似した物語内容を持つ作品と比較しながら,Hildinaの物語の特徴をより浮き彫りにし,関連作品群の中に位置づけることを目指したい。
著者
小田 格
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.99, pp.135-164, 2021-09-30

本稿は,中華人民共和国湖南省の漢語方言を使用したラジオ・テレビ番組(方言番組)をめぐる政策を考察するものである。そこで,同省における関連政策の枠組みを確認し,従前の方言番組の放送状況を振り返り,これらを通じて得られた情報を総合的に検討することとした。その結果,導出した結論は,次の通りである。すなわち,同省では,1990年代中盤に規制通知が発出されたにもかかわらず,その後テレビで方言番組が放送されるようになった。この背景には,テレビ市場における競争環境の形成という事情があり,当局はテレビ局の新たな試みを理解・支持した。さらに,同省では,方言番組の放送が続けられたが,それが急激に増加・拡大することはなく,再び独自規制が課されるような状況にはならなかった。他方において,全国的な規制通知の運用状況を確認する限り,同省の方言番組開設に係る行政許可の審査や事後的な監督・検査は至って緩やかなものと推察される。
著者
深町 英夫
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.98, pp.1-26, 2021-09-30

1970年代初頭のサンフランシスコ湾区において,日系人と華人という両コミュニティの間で相互交流が始まり,太平洋戦争中の敵対関係は徐々に克服されようとしていた。そして,白人が主流を占めるアメリカ社会において,自己主張を強めていた黒人とも異なる,「アジア系アメリカ人」という新たな帰属意識が,次第に形成・共有されつつあり,この傾向は特に3 世の若者の間で顕著だった。その一方で留学生を中心とする新1 世は,まだ居住国よりも出身国への帰属意識が強く,日米両国政府が沖縄返還を決定したのを機に,台湾・香港出身者が中国民族主義に根差した「保釣」運動を展開し,その中で沖縄の帰属にすら疑義が呈された。しかし,彼等の「保釣」運動は日本や中国よりもアメリカに帰属意識を抱く現地出身者,すなわち日系人は言うまでもなく華人からも,あまり支持を得ることはできなかった。
著者
齋藤 道彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.51-80, 2017-09-30

日本は、一七世紀から南シナ海の島・礁と関わりを持っていたが、一九一七年には占有したと主張した。日本は、フランスとの間で一九三三年から領有をめぐって対立したが、南シナ海の島・礁の領有に「新南群島」という名称を付与し、日中戦争期の一九三九年三月三〇日に「新南群島」領有に対する「法的手続を完了」し、台湾総督府が管轄した。しかし、日本は一九四五年八月一四日、連合国に降伏し、一九五一年九月のサンフランシスコ平和条約で南シナ海諸島・礁の放棄に同意し、一九五二年四月二八日、同条約は法的「放棄」が発効した。この領有行為は、その後の中華民国による「一一段線」主張とそれを引き継いだ中華人民共和国による「九段線」主張の原型となったという点で重要な意味を持つことになった。
著者
前 協子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.85, pp.101-124, 2016-09-30

『トレインスポッティング』は『ポスト・ヘリテージ映画』で既に指摘されていたように「スコットランドの貧しく未来の無いように見える“陽気で悲惨な” 若者たち」の姿を描いた映像テクストとして,反ヘリテージ映画として機能して」おり,しかしながら,「イングランド外部のローカルな空間や社会的背景にイングリッシュネスの伝統や共同体への帰属に抵抗や逃走を試みる若者たちの活写」という表象が,英国南部の上流階級のそれとは正反対のもう一つのヘリテージ文化として商品化され,消費流通する可能性がある映像作品でもあった。 本稿では「人生を選ばないということを選んだ」という捨て台詞とともに麻薬に溺れていた主人公が,一転,「オレは変わり続ける,転がり続けるんだ」と言いながら仲間から逃走し,ドメスティックな英国社会にとどまることにも背を向けてグローバルに転回していくことを選択した姿を通して,階級の再編にどのように適応しようとしていったのかを主として考察した。
著者
近藤 まりあ
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.219-230, 2013-10-10

Jonathan Safran Foer の2 作目の長編小説であるExtremely Loud and IncrediblyClose(2005)では,2001年の同時多発テロで父親を亡くした9 歳の少年オスカーが語り手となる。この作品では,形式上のポストモダニスティックな仕掛けが目立つが,大きな主題として描かれていると考えられるのは父と子の関係と,同時多発テロであろう。本論では,ユダヤ系アメリカ人作家であるFoer と他のユダヤ系作家等を比較することにより,これらのテーマが作品でいかに機能しているかを考察する。父と子の関係はユダヤ系アメリカ人作家の伝統に連なるテーマだといえるが,この作品は同じくユダヤ系作家であるPaul Auster が自らの父親を描いたThe Invention of Solitude(1982)に,形式だけでなくテーマの深い部分をも負っているといえるだろう。同時多発テロに関しては,この事件そのものの歴史的特異性を強調するよりもむしろ,事件を相対化する視点が小説に導入されていることを確認する。
著者
斎藤 道彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.75-110, 2014-09-16

「尖閣」論をめぐって「尖閣=中国領」論を主張する二一世紀の「中国」エピゴーネン村田忠禧、大西広、孫崎享、矢吹晋らの著書を取り上げ、批判する。「尖閣=中国領」論の根幹は、尖閣が中国領であったことがあったのかどうかであるが、これらすべての論者は、中国が尖閣は中国領であったことの証拠としている明清史料の検討を満足に行なっていない。村田は、中国の議論を踏襲し、陳侃の『使琉球録』などが「古米山」(久米島)が琉球王国の領土であったとする記述を根拠として、久米島以西は中国領であり、従って尖閣諸島は中国領であると論ずるが、久米島以西は中国領なのかという議論を行なっていない。大西は、日清戦争や沖縄返還協定を取り上げ、国際法の通告義務などを論ずるが、肝心の尖閣は中国領であったことがあったのかという問題を検討していない。孫崎は,明清史料の名をいくつかあげているが、どれひとつ読んでいない。矢吹も、外務省は「棚上げ合意」の記録を削除したと主張するが、明清史料を検討していない。
著者
高橋 薫
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.1-34, 2017-09-30

ルネサンス期を境にして,「国家」という体裁を有する国家はそれぞれに,おのれのアイデンティティーを他国や自国民に発するため,自国史の編纂をすすめた。フランスはその代表だが,都市国家にまで枠を広げると,数点のフィレンツェ史もその例であり,英国もドイツ各邦もその例にもれない。しかしながら,西欧16世紀から近世初期にかけてフランスとならぶ軍事大国であったスペインの反応は鈍かった。これはレコンキスタまでイスラム教支配下に置かれていた影響もあって,記すべき古代史を有さなかったからだと思われる。しかしながら17世紀初頭,イエズス会士のファン・マリアナはスペイン人として初めて,断片的・もしくは局所的でないスペイン通史をラテン語で上梓し,たちまちスペイン語訳され,英訳版も数十年を経ずして翻訳された。しかし実はマリアナのスペイン通史は近世初期にあって初めての「スペイン通史」ではなかったのである。マリアナに先行することわずか,リヨン改革派の牧師,ルイ・チュルケ・ド・マイエルヌがマリアナ以上に大部な「スペイン総史」を発表していた。しかもこの総史は高く評価され,マリアナと同じく英訳本も刊行されている。本稿はチュルケの「スペイン総史」をわが国で(いや,おそらく現代の西欧史家の中でも)初めて紹介するとともに,いくつかの視点からそのオリジナリティーを本場スペインのマリアナの通史と比較対照しながらさぐるものとする。なお緻密な作業で紙幅が嵩むため,数回の分載を予定している。
著者
高橋 薫
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.31-62, 2018-09-30

前回の緒論を受け,スペイン半島が如何にスペイン王国とポルトガル王国,ナバラ王国,カスティリア王国その他の,現代の統一スペイン国家を構成する各州が,それぞれ独自に小「国家」として形成されるにいたる段階・歴史を,チュルケやマリアナがどのように書き込んでいったかを扱う。両スペイン史家の最終目的が,所謂レコンキスタを経て,スペイン王国の誕生を見ることでその膨大な史書を終えていることから判断できるように,その最終地点にいたる重要なポイントとして,この小「国家」形成過程の分析綜合に,このふたりの歴史家たちは,ともにそのスペイン通史の中でかなりのページを割いており,本稿だけで論じ尽くすのは難しい。ために本稿以降に予定している考察でも続けて論ずる予定である。その端緒として,今回はアラビア半島に誕生したイスラム教やイスラム教徒集団が勢力を拡張し,イベリア半島を席捲してゆく初期段階の記述を追うこととする。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.94, pp.25-55, 2019-09-30

条野伝平は、今ではほぼ忘れられた作家であるが、幕末には山々亭有人の号で人情本の作者として人気を博していた。明治維新後の条野は、一旦創作活動から手を引き、新興の新聞界に身を転じる。彼が『東京日日新聞』を経て一八八六年に創刊した『やまと新聞』は、連載小説を売りにする典型的な小新聞として大成功をおさめた。同紙では条野自身も採菊散人の号で創作活動を再開し、ふたつのシェイクスピア物を残している。本論は、そのうちのひとつである『三人令嬢』(一八九〇)と題された『リア王』を読み解く試みである。幕末・維新の動乱期を経て新聞界へ転身する条野の生涯を素描したうえで、『三人令嬢』の概要を紹介し、同作が、探偵小説という当時の最先端の流行を取り入れて新しい読者への訴求を図りつつ、戊辰戦争期の諷刺錦絵的手法を援用して旧幕以来の古い読者のノスタルジーにも応える、したたかで豊かなテクストであることを明らかにする。
著者
沖田 瑞穂
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.83, pp.109-129, 2016

ヒンドゥー教の主神の一人シヴァと,日本のスサノヲ神には,八つの点で特徴的な類似が認められる。1.破壊と生殖:シヴァは時が来ると世界を破壊する破壊神であり,スサノヲはその行動によって世界を危機にさらす。他方,シヴァはリンガに表されるように生殖の神であり,スサノヲは豊穣の地下界と一体化して,豊穣神オホクニヌシに試練を課す。2.〈教示する神〉:シヴァはインドラの欲望を戒め,スサノヲはオホクニヌシを試練によって導き祝福を与える。3.悪魔退治と武器:シヴァは悪魔の三都を破壊し,英雄アルジュナに武器を授ける。スサノヲはヤマタノヲロチを退治し,それによって得た剣をアマテラスに献上する。4.荒ぶる神・罰・(宥め):英雄神であると同時に両神は荒ぶる神でもある。5.暴風神:シヴァの前身ルドラは暴風神,スサノヲも自然現象としては暴風雨。6.文化:シヴァは踊り,スサノヲは歌と関わり,世界のエネルギーを表す文化と関連する。7.女性的なものとの一体化:シヴァはシャクティとして妃と一体化し,スサノヲは冥府の主であることによって母神イザナミと一体化している。8.イニシエーションを授ける:シヴァはアルジュナに,スサノヲはオホクニヌシに。 このように多くの類似を有するが,両神の間に何らかの系統的関係は想定できず,自然現象としての暴風に基づく神格として,別個に形成された性質が偶然に一致したものと考えることができる。
著者
安斎 恵子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.90, pp.197-223, 2018

サミュエル・テイラー・コウルリッジ(Samuel Taylor Coleridge)は,主に幻想詩を通して「夢」の創造性の心理学的な実験を試みたが,メタファーとしての「夢」,夢見ること・夢想は,彼のさまざまな詩作品や思考のプロセスにおいて重要な意味をもち,自己と時間の意識に深々と関わり,作品に陰影を与えている。初期の書簡や創作,特に,実人生における経験を契機として書かれた詩作品や,1797年から1798年に書かれた会話詩に,夢・夢想と覚醒(意識の変化)のドラマを辿るとき,特有の「あわい」の感覚表現が注意を引く。本論は,若きコウルリッジの自己と時間の意識のなかに,夢・夢想の光と影を読み取る試みである。
著者
須田 朗
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.77, pp.165-198, 2013-10-10

本稿は哲学的良心概念を手がかりにカントとハイデガーの思想を比較するものである。カントは良心を道徳法則から発せられる「内的裁判官の声」と呼ぶ。良心の声は、現象的存在者としては自然必然性に支配される人間に、自らが理性をもつ自由な叡知的存在者であることを告げるという。本稿は人間のこの両面を時間概念に即して解釈する。良心現象は現象を支配する「自然的時間」とは別の「倫理的時間」のごときものを示している。これが本稿のカント解釈の真骨頂である。他方ハイデガーは『存在と時間』で良心論を展開する。良心は、世間に頽落した現存在に対して本来的自己が発する呼び声である。おのれが負い目ある存在であることを自覚するように促す呼びかけなのである。これに応えることが覚悟性であるが、それは同時に本来的な時間性を自覚的に生きることでもある。それはもはやおのれの手中にない、いやそもそもおのれの手中にない非の根拠を引き受けることを意味する。一方カントが良心に見たものも、過去を現在の瞬間として引き受ける責任であった。このようにカントとハイデガーはまったく違う文脈ではあるが、同じように良心現象に人間存在の本来性を見ていたという共通点をもつ
著者
金子 雄司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.78, pp.1-22, 2014

20世紀はじめに擡頭した書誌学の新たな潮流は,後に新書誌学と命名されることになる。この学派に連なる研究者たちは輝かしい成果を生み出した。なかでも,シェイクスピアを頂点とする,16世紀から17世紀にかけて活躍した劇作家たちの作品本文研究は際だった活動であった。伝統的な書誌学(聖書学,古典文学などを対象とする)と一線を画したのは,劇作家の原稿(その形態への探求も含めて)がいかなる経路をたどって印刷用稿本となったかを解明し,その結果に基づいて校訂本を編纂することが目標とされた。別の言い方をすれば,残された歴史的遺物(つまり,印刷本)の分析により過去(劇作家の意図)を再生できるという信念であった。だが,ポストモダン理論はその信念が希望の別名に過ぎないとして,これを退けることになるのが1970年代末から80年代のことであった。パラダイムシフト。その渦中にあって,われわれは現在この先の確たる見通しを持つに至っていない。
著者
前 協子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.85, pp.101-124, 2016

『トレインスポッティング』は『ポスト・ヘリテージ映画』で既に指摘されていたように「スコットランドの貧しく未来の無いように見える"陽気で悲惨な" 若者たち」の姿を描いた映像テクストとして,反ヘリテージ映画として機能して」おり,しかしながら,「イングランド外部のローカルな空間や社会的背景にイングリッシュネスの伝統や共同体への帰属に抵抗や逃走を試みる若者たちの活写」という表象が,英国南部の上流階級のそれとは正反対のもう一つのヘリテージ文化として商品化され,消費流通する可能性がある映像作品でもあった。 本稿では「人生を選ばないということを選んだ」という捨て台詞とともに麻薬に溺れていた主人公が,一転,「オレは変わり続ける,転がり続けるんだ」と言いながら仲間から逃走し,ドメスティックな英国社会にとどまることにも背を向けてグローバルに転回していくことを選択した姿を通して,階級の再編にどのように適応しようとしていったのかを主として考察した。
著者
尾留川 方孝
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.88, pp.111-145, 2017-09-30

年中行事という範疇がいかにして成立したか、その過程を明らかにする。 律令国家のはじめには、神祇祭祀は政治に先立ち独立性があるとされ固有の範疇をなす。律令的儀礼はそのあとに導入されたもので複数の種類があった。それらの儀礼は互いの関係を確立してはいない。その後、喪葬儀礼が他の儀礼を停止により実現されるものへ変質したのを契機に、諒闇で停止される儀礼という範疇が明確に形成された。さらに平安時代のはじめに神祇祭祀が律令的儀礼化し、その範疇に加わった。また平安時代のはじめには、神祇祭祀での排除対象として穢れが規定され、ほどなく神社でのゴミやヨゴレもそこに取り込む。すると朝廷で掃除されていたゴミやヨゴレは神祇祭祀を損なう穢れと重ねられ、さらに掃除が常に求められる事実は、朝廷を実施場所とする諸儀礼も穢れの排除を求めるからと再解釈される。そしてこの認識こそが諸儀礼を一つの範疇としてまとめたのである。こうした諸儀礼の関係や範疇の変遷は、平安時代に編纂された儀式書の構成の変遷と対応している。
著者
前 協子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.87, pp.199-224, 2017

この小論ではルーマー・ゴッデン(Rumer Godden)とミッシェル・マゴリアン(Michelle Magorian)の中篇小説を「置き去りにされた子どもたち」という視点から考察する。ゴッデンは,近年いわゆる「ミドルブラウ作家」のひとりとしても再評価されつつある。一方,マゴリアンは,戦後生まれで現在も活躍中である。彼女をゴッデンの系譜に連なる現代の児童文学作家として取り上げたい。 本稿では読解の補助線として『ジェーン・エア』における, "元祖" 置き去りにされた子どもであるジェーンと彼女の分身とみなされているバーサとの関係を参照しながら,成長していく子どもたちを取り巻く時代背景, 2 つの大戦,思春期の性への目覚めがもたらすジェンダー意識にも留意して,作品を検討していく。