著者
若井 勲夫
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.172-147, 2008-03

唱歌・童謡・わらべ歌など、広く童歌、子ども歌と称せられる歌謡は、長年にわたって歌い継がれ、親しまれてきているのに、それらの歌詞の内容や言葉の意味についてはそれほど注意されずに過ぎてきた。その要因の一つはこれらは幼少の子が歌うものであって、本格的な研究対象にし難く、一部の音楽に関心のある者が総括的に取上げて一般書として公刊される程度であった。最近は、興味本位の、根拠のない思いつきの論も世に出ている。そこで、本稿では今までいろいろな解釈が提示され、なお決着がつかず、諸説のある童謡・わらべ歌について、国文学だけでなく、国語学の研究に基づいて、歌詞の言葉や表現を精しく分析し、考証し、言語主体の言語意識や表現意識を考究し、作品全体の構想や主題を明らかにして、その歌の意味づけを定めようとした。 本稿では四編を取上げ、まず「赤蜻蛉」は「負はれて見た」「小籠に摘んだ」と「お里のたより」の照応に着眼して、表面的には姐やを歌うが根底に母への思いがあることを一部の説を評価した上で論じ、その上に、最後の連を故郷の原風景として捉え直した。「七つの子」の「七つ」は七羽という数を示すのではなく、七歳という年齢を表すことを、国語学、国文学、民俗学などの面から究明し、ここに日本人の根本的な意識・感情があることを論じた。「雪」はわらべ歌の「雪やこんこん」を取り入れたもので、この「こんこん」は「来む来む」であるという説を多くの用例を挙げて補強し、併せて、命令表現の意味をも考えた。「背くらべ」は「羽織の紐のたけ」は長さではなく、高さであることを語源、原義から明らかにし、「何のこと」「やっと」に込めた言語主体の表現意識を探った上で、第二連との対応も考え合せ、新しい説を提起した。なお、次号(下)では「かごめかごめ」と「通りゃんせ」について論究する。
著者
池田 昌広
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.47, pp.73-86, 2014-03

大宝令の注釈書である「古記」の佚文都合3条に『漢書』顔師古注の引用を見出せる。「古記」が引用している種々の漢籍は,ほとんど原本系『玉篇』や類書など第2次編纂物からの孫引きだが,くだんの師古注文はそうではなく,『漢書』顔師古本から直接引用されたものと考えられる。また,その引用にあたって吉備真備の教導のあった蓋然性がたかい。この考察結果は,つぎの2つの問題の究明に資する。1つは「古記」の撰者問題。「古記」の撰者については,大和長岡説と秦大麻呂説とが並立しているけれど,真備の教導をうけうる人物であることから長岡説が有利になった。長岡と真備とは,769年に長岡が死去するまで,半世紀にわたり親しい友人関係にあった。最新の『漢書』学を学習し帰朝した真備から知的供与をうけやすい立場に,長岡はいた。もう1つは『日本書紀』の書名問題。「古記」は「日本書紀」の称謂の史料初出である。わたしは,この喚名の由来を真備から「古記」撰者への「正史」観念の伝学にもとめる私案を述べたことがある。真備から「古記」撰者への知的供与が一定の実証性をもっていえることは,私案の蓋然性をたかめる。くだんの知的供与が,ただ師古注にかぎられたとは考えにくく,そのうちに「正史」観念のふくまれていた可能性が十分みとめられるからである。
著者
池田 昌広
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.46, pp.29-47, 2013-03

班固『漢書』は成書以来,複数のテキストが行われてきた。初唐に顔師古による校注本があらわれ,これが普及するにつれ標準本となった。小論は唐代における師古本普及のさまを推測するため,盛唐に成った司馬貞『史記索隠』と張守節『史記正義』とが師古本を利用しているか否かを調査した。その結果,索隠では利用に否定的,正義では肯定的結論を得た。索隠がおもに依拠した『漢書』テキストは師古本以前の標準本たる東晋の蔡謨集解本であったらしい。 正義では蔡謨本利用の痕迹は見つかっていない。 果たして,旧来の蔡謨本によった索隠と,あらたな師古本によった正義と,両者の『漢書』テキストの選択は対照的といえる。これの成因は索隠と正義との成立の時間差と思われる。正義は開元24年(736)の成立,索隠はそれより一世代分ほど早く成ったようだ。この間隔に師古本の普及が一定程度すすみ,正義の師古本利用を可能にしたと推量される。このことから師古本は成立後,急速に普及したのではなく漸次的に普及し,盛唐のころ蔡謨本から師古本へ 『漢書』の標準本の交替がおこったと考えられる。
著者
梶 茂樹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.52, pp.3-27, 2019-03-30

本稿はウガンダ西部のニョロ語のタブー表現を記述し,その形式と内容の分析を試みるものである。ニョロ語のタブー表現を記載した文献はなく,またその他の民族のタブー表現についても本稿で行ったような内容の論理構造分析は皆無である。 ニョロ語のタブー表現は,例えば,「男の子はカマドに腰をかけてはいけない。」のように,行為の禁止を述べるものである。しかし,表現はされないが,「もし男の子がカマドに腰をかけると,父親が死ぬ。」という風に,行為の禁止の違反と結果が含まれる。しかし,行為の禁止の本当の理由である「火傷をするから。」ということは隠される。禁止の本当の理由の代わりに,怖い結果が違反の時間的推移による因果律のように示されるところに特徴がある。それに対してタブー化されていない通常の禁止を表す警句では,「寝る前に水をたくさん飲むと,寝小便をする。」のように,怖い結果はなく,違反に続いて禁止の本当の理由が述べられる。 タブーというのは,人の行動を制御する大きな原動力となっている。自らを律し,また人をいたわることを可能にする。アフリカの伝統的社会においては,これが大きな社会的役割を果す。こういった観点から見ると,なぜニョロ社会で多くの習慣的行為がタブー化されているかが理解できる。 またニョロ語にはタブーに関連して不吉というものがある。これは例えば「旅行に出かけようとした時,ネズミが道を横切るのを見たら,旅行を取りやめる。」と言ったものである。不吉はタブーと似た論理構造を持つが,タブーが命令に従うか従わないかは別にして,自らの判断で行為を行うか行わないかを決めることができるのに対して,不吉は自らコントロールできないことが生じた場合の対処の仕方を教えるものである。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.281-298, 2013-03

日本語の形容詞「近い」は,「X はY に近い」と「X はY から近い」の二つの構文を取る。 これに対して,反意語の「遠い」は,「X はY から遠い」という構文をとり,「X はY に遠い」 とは現代の通常の慣用では言わない。これらの構文を説明するために,以下の仮説を提案す る。【仮説1】「X はY に近い」という場合,X とY の間の距離が小さいという事態を,X が Y に接近するという認知的表示によって概念化している。【仮説2】「X はY から{近い/遠い}」 という場合には,認知的表示においてY からX まで仮想的な移動体が移動している。これら の仮説から例えば以下のようなデータが説明される。(a)海岸は僕の家{?に/から}近い。(b) 私たちはもうゴール{に/?から}近い。(c)ここ{? に/から}ゴールは近い。(d)正午{に / ? から}近い。(e)味はチーズ{に/ ? から}近い。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.367-387, 2015-03

形容詞different はfrom と用いるのが規範的であり,また頻度も高い。しかし,実際には,than とも用いられ,またイギリス英語の場合にはto とも用いられることが知られている。つまり,差異の基準は,起点,比較の基準,着点として標示されうるのである。筆者が調査した範囲では,差異の基準の標示については,起点型(英語のdifferent from)と同伴型(日本語の「... と違う」)の言語が多い。比較型(英語のdifferent than)は通言語的に限定されている。着点型(英語のdifferent to)の言語はまれであり,しかも,形容詞において見られるのであり,動詞の場合には起点型になる傾向にある。 英語:different from/to .... に対して differ from ... スペイン語:diferente/distinto de/a ... に対して diferir de ... ウェールズ語:gwahanol i ... に対して gwahaniaethu oddi wrth ... この偏りを説明するために,以下の仮定をした。差異はメタファーにより距離として理解される。この距離を認識するために二つの操作のいずれかが行われる。(1)基準から遠い対象は,基準から離れていくものとして表示される。(2)対象と基準の間の距離が心的に走査される。走査の方向には,(a)基準から対象へという方向と,(b)その逆がある。(1)は,対象が動くものとして表示されているという意味で,より動態的であり,それゆえ動詞として語彙化されやすい。それに対して,(2)は,より静態的であり,形容詞として語彙化されやすい。起点型は,(1)によっても,(2a)によっても動機付けされるが,着点型は,(2b)によってしか動機付けされない。これにより,着点型が特に形容詞において見られ,動詞においては起点型になる傾向があることが説明される。
著者
中 良子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.215-232, 2013-03

Clement Musgrove (The Robber Bridegroom), George Fairchild (Delta Wedding), Jack Renfro (Losing Battles) など,Eudora Welty の作品に登場する主要人物は,いずれも彼らの 「イノセンス」が強調されている。この事実については,従来取り立てて議論されることはほ とんどなかった。しかし,アメリカ南部ミシシッピ州を舞台にした物語を書き続けてきたウェ ルティが作品中に「イノセントなヒーロー」を登場させたことは,彼女の南部に対する歴史意 識を探る上で重要な意味を持つものであるといえる。ウェルティの描く「イノセントなヒー ロー」とはどのような人物形象なのか。この問題を考察する上で重要になってくるのは,いわ ゆる「アメリカのアダム」像との関わりである。アメリカ的進歩から取り残されたフロンティ アとしての南部,罪と恥の歴史をもつ南部においてアダム像はいかなる変容を遂げるのだろう か。本稿はThe Ponder Heart (1954) を取り上げ,Uncle Daniel に体現されるイノセンスの分 析をとおして,ウェルティの描く南部のイノセンスを50 年代の歴史的文脈において考察した。 その結果,イノセンスとは南部の物語を語る視点であることを明らかにした。
著者
島 憲男 島 令子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.40, pp.33-49, 2009-03

This paper presents a contrastive analysis of resultative constructions in German and English. These constructions consist of a subject, verb, object, and either a predicative adjective or a prepositional phrase which has a directional meaning. Semantically speaking, these constructions denote an event in which a subject is involved in an action or process expressed by the verb, and as a result, the object undergoes a change of state resulting in a situation expressed by the adjective or in a location denoted by the prepositional phrase. Resultative constructions have been a center of discussion among linguists, especially in English linguistics, and the recent study by Goldberg & Jackendoff(2004)regards English resultative constructions as a family of subconstructions and proposes that various other types of constructions, which are traditionally not considered as resultative constructions, also belong to the same category. Starting with a critical analysis of previous studies, this paper will(1), by analyzing various bilingual(German and English)texts, show how ubiquitous resultative constructions in both languages are, and(2), by contrasting the resultative constructions in both languages, present fundamental characteristics of resultative constructions which should serve as a basis for further typological study of these constructions.
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.48, pp.255-280, 2015-03

本稿は昭和期に活躍した沖縄研究者である金城朝永を取り上げ,金城が唱えた「琉球学」の構想について考察した。これまで金城に焦点をあてた研究は数が少なく,その数少ない研究は「沖縄学」と金城の研究との関連を明らかにしたものである。しかも研究成果は主に1970 年代に出されているので,沖縄返還(1972 年)という歴史的背景に大きな影響を受けている。つまりこの歴史的背景によって金城の琉球学を見直そうとするものであったが,琉球学は消えてしまう。琉球学がなぜ消えてしまったのかは明らかではない。本稿は金城の研究業績の再評価をして,琉球学がなぜ消えてしまったのかいう問題について考察した。 金城は夭逝したこともあり,琉球学を体系化することはできなかった。体系的な研究成果も残していないので,琉球学は消えゆく運命にあったといえる。しかし言語,民俗,文学,歴史など広い分野にわたって多彩な研究活動をみせ,体系化の方向性はもっていた。これは今日における沖縄学がもっている排他的傾向とは異質のものであったといえる。もし琉球学という言葉に,積極的な意味を付与して考えるとすれば,伊波普猷に代表される沖縄学の系譜において,金城は言語学,歴史学,文学,民俗学など多様な分野にわたる研究を総合することを試みた唯一人の後継者であったといえる。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.48, pp.255-280, 2015-03

本稿は昭和期に活躍した沖縄研究者である金城朝永を取り上げ,金城が唱えた「琉球学」の構想について考察した。これまで金城に焦点をあてた研究は数が少なく,その数少ない研究は「沖縄学」と金城の研究との関連を明らかにしたものである。しかも研究成果は主に1970年代に出されているので,沖縄返還(1972年)という歴史的背景に大きな影響を受けている。つまりこの歴史的背景によって金城の琉球学を見直そうとするものであったが,琉球学は消えてしまう。琉球学がなぜ消えてしまったのかは明らかではない。本稿は金城の研究業績の再評価をして,琉球学がなぜ消えてしまったのかいう問題について考察した。 金城は夭逝したこともあり,琉球学を体系化することはできなかった。体系的な研究成果も残していないので,琉球学は消えゆく運命にあったといえる。しかし言語,民俗,文学,歴史など広い分野にわたって多彩な研究活動をみせ,体系化の方向性はもっていた。これは今日における沖縄学がもっている排他的傾向とは異質のものであったといえる。もし琉球学という言葉に,積極的な意味を付与して考えるとすれば,伊波普猷に代表される沖縄学の系譜において,金城は言語学,歴史学,文学,民俗学など多様な分野にわたる研究を総合することを試みた唯一人の後継者であったといえる。1 はじめに2 伊波普猷の影響3 琉球語と民俗学4 沖縄学と琉球学5 結びにかえて―沖縄学の可能性
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.69-101, 2019-03-30

宮沢賢治(1896–1933)は農村活動と信仰に根ざした創作活動を行ない,多くの詩や童話を残した。賢治を対象とする数多くの研究業績は,主に作品を通して芸術と宗教について語られている。それと同時に,賢治の履歴や活動から,農業実践や農村活動にも焦点があてられている。農業に関心をもった知識人は数多くいるが,高等教育機関で農学を学び,農業を実践した知識人は賢治だけであった。しかし,賢治の作品と農業との関係は十分に解明されていない。 本稿は,賢治の作品を通して,賢治が当時の農業や農村をどのようにとらえたのかを考察した。賢治の作品は,自然科学の用語が多く使用されていた。さらに人間が主役となる小説は全く書かれていなかった。物語は自然を対象としたものが多く,そこで描かれる人間もまた動植物の装いを帯びていた。この点で賢治の作品には,農業が色濃く反映されていた。本稿では,著名な詩「雨ニモマケズ」の一節をめぐる解釈に基づいて,「農学の有効性」,「農村問題とその対策」,「農村社会での疎外感」の順に考察した。 賢治の農村活動はほとんど成果を残さなかった。活動はうまくいかなかったために,賢治の悩みや挫折は大きなものであった。しかし,それこそが賢治を創作や信仰へと駆り立てる原動力となった。言い換えると,科学技術に代表される近代性と,血縁や地縁に代表される伝統との葛藤が,賢治の作品を生み出す大きな要因となったといえる。
著者
高山 秀三
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.57-89, 2022-03-31

トーマス・マンは信仰の人ではなかったが,その作品にはキリスト教的なモチーフが多く取り扱われている。マンにとって,キリスト教はヨーロッパ文化の根底にあるものとして生涯をとおして大きな関心の対象だった。『ブッデンブローク家の人々』はプロテスタンティズムを精神的基盤とするドイツの市民社会を舞台とする小説であり,マンにとってはじめて本格的に宗教を取り扱うことになった作品である。この小説では,市民社会のなかでプロテスタンティズムが息づいている様相が,人々の具体的な生活を通して活写されている。舞台となっている時代は大きな社会変動の時代であり,プロテスタンティズム信仰の衰退期でもあった。『ブッデンブローク家の人々』は資本主義の進展や教養市民層の興隆などの社会変動に対応できないままに,信仰を失っていった伝統的な市民家族の四代にわたる没落の歴史である。本論はこの一族の没落と信仰喪失の過程に焦点をあてている。
著者
島 大吾
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.157-185, 2022-03-31

「ひめゆり学徒隊」は,沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校という2 校から動員された未成年の女学生によって1945 年に編成された。沖縄戦開始と同時に動員されて戦場で看護活動にあたった彼女たちは,その大半が戦場で命を落とした。今日に至るまで「ひめゆり学徒隊」はさまざまな媒体で物語として語られ,沖縄戦の悲劇を象徴する存在として知られている。本稿はその数多くの作品の中でも1945 年から1953 年までに製作および発表されたものに焦点を当て,それぞれの作品の「ひめゆり学徒隊」描写が,1953 年の宝塚版『ひめゆりの塔』に与えた影響について考察する。菊田一夫は戦中に劇作家として戦意高揚劇を量産した自らの責任を自覚し,戦意高揚劇に熱狂した観客と劇作家の自身との関係を,「ひめゆり学徒隊」と引率教員との間に見出して,宝塚版『ひめゆりの塔』の脚本に投影していた。同時代のナラティヴと比較検討することで,本稿は,宝塚版『ひめゆりの塔』が,戦争の「被害者」をどのような多層的なイメージとして描き出したのかを明らかにする。
著者
渋江 陽子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.167-196, 2020-03-31

本稿では,イタリアの詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオが第一次大戦以前の飛行機パイオニア時代に,飛行機とどのような関わりをもったのかを概観し,考察する。 イタリアの飛行機時代の幕開けは1908 年頃である。翌年4 月にウィルバー・ライトがローマを訪れ,パイロット候補者に飛行訓練を行った。9 月にはブレッシャ近郊で,イタリアでは初めての国際飛行競技会が開催された。この大会はイタリアが飛行機の分野で発展を始める契機となった。 ダンヌンツィオは,ブレッシャ大会で飛行機に乗せてもらう機会を得た。詩人の飛行機への関心は熱狂的なものとなり,この新しい乗り物を表す単語をラテン語から導入することを提唱した。飛行家が主人公の小説を書き,この航空機についての講演会も開いている。 飛行機小説には,主人公がグライダーの滑空練習を経て,エンジン付きの飛行機を製作する場面がある。アメリカやフランスにはあっても,自国にはないと感じた狭義の飛行機パイオニア時代を描くことによって,ダンヌンツィオは現実を補完しようとしたのではないかと思われる。