- 著者
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梶 茂樹
- 出版者
- 京都産業大学
- 雑誌
- 京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
- 巻号頁・発行日
- no.52, pp.3-27, 2019-03-30
本稿はウガンダ西部のニョロ語のタブー表現を記述し,その形式と内容の分析を試みるものである。ニョロ語のタブー表現を記載した文献はなく,またその他の民族のタブー表現についても本稿で行ったような内容の論理構造分析は皆無である。 ニョロ語のタブー表現は,例えば,「男の子はカマドに腰をかけてはいけない。」のように,行為の禁止を述べるものである。しかし,表現はされないが,「もし男の子がカマドに腰をかけると,父親が死ぬ。」という風に,行為の禁止の違反と結果が含まれる。しかし,行為の禁止の本当の理由である「火傷をするから。」ということは隠される。禁止の本当の理由の代わりに,怖い結果が違反の時間的推移による因果律のように示されるところに特徴がある。それに対してタブー化されていない通常の禁止を表す警句では,「寝る前に水をたくさん飲むと,寝小便をする。」のように,怖い結果はなく,違反に続いて禁止の本当の理由が述べられる。 タブーというのは,人の行動を制御する大きな原動力となっている。自らを律し,また人をいたわることを可能にする。アフリカの伝統的社会においては,これが大きな社会的役割を果す。こういった観点から見ると,なぜニョロ社会で多くの習慣的行為がタブー化されているかが理解できる。 またニョロ語にはタブーに関連して不吉というものがある。これは例えば「旅行に出かけようとした時,ネズミが道を横切るのを見たら,旅行を取りやめる。」と言ったものである。不吉はタブーと似た論理構造を持つが,タブーが命令に従うか従わないかは別にして,自らの判断で行為を行うか行わないかを決めることができるのに対して,不吉は自らコントロールできないことが生じた場合の対処の仕方を教えるものである。