著者
武笠 俊一 MUKASA Shunichi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.11-24, 2013-03-30

三輪山の神と倭迹迹日百襲姫やまとととひももそひめの神婚譚は、日本書紀崇神天皇紀の崇神一〇年にある良く知られた物語である。このヒメは箸でホトを突いて死に箸墓に葬られた。この墓の主は誰か、女王卑弥呼かそれとも他の人物か、最近の論争は前にも増して激しい。しかし、箸墓はなぜ作られたかと言う議論は、それほど熱心には行われてこなかった。モモソヒメの神婚譚は、言うまでもなく箸墓の名称起源譚である。だから、この物語は箸墓造営の事情を神話的な歴史記述によって語ろうとしたものだと考えることが可能である。説話研究の視点からモモソヒメの神婚譚を見て行くと、この物語は異類婚姻譚の一つであり、婿入り婚の破局に取材した物語であることが明らかになる。すなわち、この婚姻関係が二人だけの私的了解の段階から双方の家の承認を得た正式なものに移行する時点における破局を語る物語だったのである。この前提に立てば、三輪山の神が白蛇となってその正体を示したことは、天皇家にモモソヒメの正式の婿となる承認を求めたことを意味する。しかし、ヒメは驚きの声を上げてしまい、天皇家から拒絶されたと信じた三輪山の神は永訣の言葉を残して三輪山に帰っていった。つまり、神と天皇家との対立に、モモソヒメの悲劇の真の原因があったのである。ヒメの死を自分の責任と感じた三輪山の神は、巨大な箸墓の造営を企てた。つまり「神の深き悔恨」によって箸墓が作られたのである。そしてその造営に崇神天皇が力を貸したことによって、古代国家の基盤が確立され、統一国家への飛躍が可能になった。日本書紀は崇神天皇の功績をこのように説明していたのである
著者
グットマン ティエリー GUTHMANN Thierry
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.30, pp.39-43, 2013

明治維新、フランス革命、いずれにおいてもかなりの血が流され、革命の前後という時期の差こそあれいずれにも恐怖政治が存在し、その後両革命はともに権威主義政治体制へと展開し、また日本もフランスも、新国民国家統一のために類似した様々な措置や政策を講じている。したがって、思われている以上に、明治維新とフランス革命の間には類似点が数多く存在している。ひるがえせば、日本人論思想において主張されているほど、「革命(維新)」という歴史的な分野の場合においても日本の独自性は認められないと思われる。Pendant la restauration de Meiji comme pendant la Révolution française une quantité nonnégligeable de sang a été versée; avant la restauration pour le Japon, aprés la Révolution pour laFrance, dans les deux cas un régime de terreur a sévi; les deux révolutions ont toutes deux aboutià la mise en place d'un régime autoritaire; enfin, la France comme le Japon ont pris un certainnombre de mesures et mis en place des politiques similaires afin d'assurer l'unité du nouvelEtat-nation. Aussi, dans une proportion plus large qu'on ne le pense généralement, existe-t-il ungrand nombre d'analogies entre la restauration de Meiji et la Révolution française. D'un autre pointde vue, et à l'opposé de ce qui est généralement affirmé dans les nihonjin-ron (ou «Discours sur lesJaponais») - dans ce domaine de l'histoire des révolutions également - il est difficile de souscrire àl'idée de l'exception japonaise.
著者
湯浅 陽子 Yuasa Yoko
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.71-86, 2010-03-28

盛唐期の杜甫(七一二~七七〇)の現在伝わっている詩文テクストは、晩唐・五代の時期に一旦かなりの部分が散佚し、北末期に再編集されたものである。杜甫詩はその後、北宋後期の黄庭堅及び江西詩派において詩作の規範となるに至るが、ここでは、杜甫詩の再編集が進められ、評価が確立されていく仁宗期を中心とした時期の受容の様相を検討する。五代後晉期の『舊唐書』文苑傳下所収の杜甫の伝記は、杜甫詩を高く評価した中唐期の元稹「唐故工部員外郎杜君墓係銘」序を引用しており、当時においても杜甫とその詩作への評価は決して低くなかったことを示している。また続く北宋初期には、王兎偁が杜甫詩を高く評価したが、孤立した例にとどまり、未だ大きな流れを形成するには至らない。北宋中期には文人官僚たちの間で杜甫詩が日常的に読まれており、杜甫を古今随一の詩人とする位置づけも、すでにかなり安定している。また、生前の苦労・唐朝への忠誠・人民の福利への関心・天地の機微に迫る詩作と等の、後世にまで継承される杜詩に対する基本的な捉え方もほぼ出揃っていると思われる。杜甫詩を、詩という形式を用いた歴史の記録という意味で「詩史」と呼ぶことがあるが、杜甫詩を唐代の史実を知る資料として用いた例は、仁宗期を中心とした時期の筆記小説などに多く指摘することができ、このような例が増加していくなかで「詩史」という捉え方が次第に固まったと思われ、その背景には、杜甫詩テクストに対する考証の精密化、また読み手の側の歴史への感心の強さが存在している。北宋仁宋期を中心とした時期に王洙らによって杜甫詩のテクストが再編集された際、より精確なテクストを求めて各テクスト間の校勘や表現の典拠等の検討が進められる過程で、その検討の内容や資料の記録が徐々に蓄積され、次第に注釈化していったと考えられる。
著者
塚本 明
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.29, pp.13-29, 2012

近世の伊勢神宮直轄領に存在する被差別民について、その起源や役務、村内での位置、宇治・山田の被差別民との異同、周辺藩領の被差別民との関係等について考察を加えた。門前町の宇治・山田及び周辺農村は、宇治会合・三方会合が山田奉行の下で行政機能を持ち、神宮領としての実質はない。一方、地理的には離れる多気郡に、伊勢神宮が経済的基盤とする神宮直轄領たる五か村があり、住民らは神宮に年貢や諸役を負担し、また神宮特有の触穢観念も共有していた。これらの村々には、斃牛馬処理権を持つ「穢多」身分、村の警備役を担う非人番、竹製の簡素な楽器を用いて説教節を謡う雑種賤民「ささら」が存在した。彼らは身分に応じ、行き倒れ死体や死牛馬の片付け、神宮領特有の葬送儀礼「速懸」において最終的に埋葬する役を負うなど死穢を忌避する役割を持ち、同時に、周辺藩領の同一身分の者たちと領主関係を越えた身分集団を形成し、通婚や情報の共有、役負担などにおいて、密な関係を有した。ただし江戸時代後期には、斃牛馬処理権と役務負担、ささら身分を統括する三井寺近松寺の支配などを巡り、身分集団の頭支配から脱し、本村の意向に従っていく動きが見られる。参宮街道沿いに位置し賃稼ぎが盛んな当地では、農耕作の奉公人需要が高く、「穢多」身分の者が少なからぬ田畑を耕作していた。そしてそのことを、伊勢神宮も認識していた。文政六(一八二三)年に山田奉行が、「穢多」身分の者が納める年貢米の「穢れ」について神宮神官に問い合わせるが、神宮側は敢えてあいまいな形での収束を図る。総じて神宮領における被差別民は、生業や身分存在、役務などについて、周辺他藩領の被差別民と多くを共有し、差別の実態に関しても本質的な違いは認められない。
著者
湯浅 陽子
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.A53-A67, 2003-03-25

北宋・王安石は若年期から唐代詩人の作品を好み、二種の詞華集と杜甫の詩集を編纂しているが、その背景には北宋中期に唐代詩文のテクストが諸人によって再発見され、整理されていった状況が存在している。王安石は特に杜詩の、森羅万象の様態を捉えその生成の機微に踏み込もうする迫力を高く評価していた。また儒教的倫理性を重視する風潮の中にある王安石ら北宋期の士大夫たちの杜詩愛好は、その詩風のみならず、杜甫の儒数的志向に注目したものであったと考えられる。また晩年の王安石の詩には、杜甫ら先行詩人の詩句を剽窃的に使用した例があり、また多くの「集句」詩も制作されているが、これは先行詩句の剽窃的使用を極限にまで進めたものと考えられる。古人の作品を味読することを通じて、詩句そのものの剽窃を超えた新しい表現を模索するこのような詩作態度は、後の江西詩派の掲げる「奪胎換骨」的手法の先駆と考えることができるのではないだろうか。
著者
廣岡 義隆 Hirooka Yoshitaka
出版者
三重大学人文学部
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.35-52, 1985-03-31

『万葉集』に八首載る但馬皇女と穂純皇子の歌を歌物語として考究したものである。従来から歌物語として見られてゐなかつたわけではないが、それらは歴史的事件を背景として詠まれたものであるとみなされてきた。本稿は、歌句表現・題詞等の考察を手がかりに、恋愛事件ともかかはらない単なる独詠が、歌物語として発展展開していく相をみたもので、それは褻の「言寄せ」の世界における文学的営為に外ならなかつたといふことを論述したものである。
著者
塚本 明
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.A35-A50, 2004-03-25

近世の伊勢神宮門前町の宇治・山田における、死穢への意識とそれを忌避する作法の時期的変化を考察した。死穢は神社世界の触穢体系の中核を占め、これに触れた者は厳しい行動規制を強いられた。中世以来、為政者たちの死に際して、死穢が広く遍満したとして、朝廷から京都近辺と伊勢神宮を含む関係する寺院に「天下触穢令」が発令される場合があった。だがこれとは別に、伊勢神宮が独自に、宇治・山田市中に対して発令する「触穢令」が確認できる。神宮の服忌令によれば、宮地での変死体発見、「速懸」を行わずに死体を一昼夜放置した場合、火災における焼死の発生の際に、市中一体の触穢となった。だが一八世紀初頭を画期として、宇治・山田市中への触穢令は激減する。その要因は、触穢の発生を避ける作法が発達したことにあった。火災や水害で死者が出ても、それが直接の死因ではないとしたり、届け出方に工夫をこらしたりしたのである。また、死の発生地を縄や溝で囲んで、穢れが拡散しないようにする方法も一般化していった。先例を重視する神宮も、この時期には規定通りに触穢を適用することが困難であると認識していた。山田奉行も参宮客の意向を理由に、触穢適用の軽減を命じた。しかし、触穢の軽減は無限定に進められたのではない。文化年間に発生した「古骨一件」において物忌らが神宮長官の触穢の判定に激しく異議を唱えたように、神官達内部で解釈をめぐり争われることもあった。判定をめぐる紛議でしばしば問題にされたのが、世間の評判、風説である。触穢の判定、死穢を避けられるか否かは、神宮に対する外界からの認識が影響した。
著者
早野 香代 HAYANO Kayo
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 = JINBUN RONSO : BULLETIN OF THE FACULTY OF HUMANITIES, LAW AND ECONOMICS (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.35, pp.27-41, 2018-03-31

三重大学の教育目標である「4つの力」のうちの「コミュニケーション力」の育成のため、2017年前期「日本語コミュニケーションA」の授業で、知識構成型ジグソー法を試みた。本稿ではそのジグソー法の実践を紹介し、履修者の振り返りから協働学習の効果と問題点を考察する。このジグソー法は、「日本語コミュニケーション」という大きな課題を6つの専門のテーマから多角的に学ぶ日本人学生と留学生の協働学習である。実施後の学生の振り返りから、「おもしろい・楽しい」という感想とともに、「多様性・異文化理解」、「新しい知識の習得」、「コミュニケーション能力」、「効率性」、「深い学習」などにプラスの評価が得られ、多様な他者との協力的な活動ができた喜びやおもしろさの発見があったとのコメントが得られた。そして、この意識の変容から、自らの学びの質や効率をも見直し、今回のジグソー法の問題点の改善策を提案する学生も現れた。これは、学生主体の「協調」路線の協働学習になったと同時に、E.アロンソンの志向を継承する協力的なものへ変えてゆくジグソー法にもなったと評価できる。このジグソー法は、今後も留学生と日本人学生が共存する大学の様々な分野で生かされるべきであり、それを生かす学習法を異なる分野間で共有し、大学全体における「コミュニケーション能力」の向上、引いては「生きる力」の養成に繋げるべきであろう。留学生と日本人学生との日本語力の差というものは、多様性を受容する観点においては利点となるが、全ての学生が深い理解を得るという到達目標においては課題が残る。言語能力の差がある中での有効な協働学習の方法や方略の研究は今後の課題となる。
著者
相澤 康隆 AIZAWA Yasutaka
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 = JINBUN RONSO : BULLETIN OF THE FACULTY OF HUMANITIES, LAW AND ECONOMICS (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.34, pp.1-10, 2017-03-31

マイケル・スロートは、行為の道徳的地位(正しい、義務である、善い、賞賛に値するなど)を、行為者の動機や性格特性といった内面的性質に対する評価だけから導き出す理論を構築している。本稿では、スロートの理論に対するさまざまな批判を検討したうえで、「正しい行為」や「義務的行為」といった種類の道徳的地位を行為者の動機に対する評価から導き出すことは困難である一方で、「善い行為」や「賞賛に値する行為」といった種類の道徳的地位に関してはスロートの理論は基本的に正しいものであることを論ずる。
著者
坂 堅太 SAKA Kenta
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.33, pp.21-30, 2016

戦後日本のプログラム・ピクチャーとして人気を博したジャンルに、サラリーマン映画がある。これを最も得意とした会社が東宝である。1951年に公開された「ホープさん」以降、プロデューサー藤本真澄、原作提供源氏鶏太という体制で東宝は数多くのサラリーマン映画を製作した。1956年公開の「へそくり社長」から始まる「社長シリーズ」が特に有名であるが、このシリーズの原型となったのが東宝サラリーマン映画第三作目の「三等重役」(1952年)である。戦前期に松竹が得意とした小市民映画など、「三等重役」以前のサラリーマンものでは、会社員生活の悲哀を強調するために、絶対的な重役とそれに媚びへつらう一般社員、というタテ関係の会社空間が描かれていた。それに対し「三等重役」は、戦後の民主主義的な価値観を背景として、重役と社員とが融和的で水平的な関係を結ぶ、家族のような会社空間を提示した。そしてこの作品が大ヒットした結果、小市民映画のような会社員生活の描き方は戦前的で時代遅れであり、戦後の現状を把握できていないものとして否定されてしまうことになる。「三等重役」の大ヒットは、サラリーマンの帰属すべき場所として「会社」というものが前景化されることにつながったが、それは夫=会社、妻=家庭というジェンダー規範を強化していくこととなった。
著者
森 正人 モリ マサト MORI Masato
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.A65-A80, 2005-03-31

本稿は一九三七年に大阪で南海電鉄会社が行った「四国八十八ヶ所霊場出開帳」に注目し、それがどのような社会的過程で生産されたのかを詳述する。これまでの四国遍路史上、たった一度だけ成功を収めたのが一九三七年の出開帳である。この出開帳は宗数団体が主催したものでも四国内で行われたわけでもなかったため、従来の研究ではほとんど取り上げられることはなかった。またこれは、鉄道・出版資本、国家政策、仏教寺院がそれぞれの思惑を交差させながら重層的に生産されたのである。したがって、この出開帳を取り上げることにより、四国遍路自体の複雑性を示すことができる。また従来の研究における静的な巡礼空間モデルに対して、巡礼空間が社会的構築物であること、さらに、生産された空間が社会的構成を行う社会-空間弁証法が見られることを示すこともできると考える。
著者
菅 利恵 SUGA Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.32, pp.29-42, 2015

私的な愛の関係性に与えられる文化的な位置づけや意味は、近代化の過程で大きく変わったとされる。この変化と近代的な市民社会の発展との関連性は、一見して思われるほどに自明なわけではない。新しい愛の観念が広められたドイツ語圏の18世紀において、市民社会の発展ということはあくまでも「文化的な現象」であり、政治的、経済的な実力を持った市民層はまだ形成されていなかった。また「市民的」という言葉に込められる意味は様々であり、18世紀における愛の観念の変化には「市民的な」価値意識から明らかに逸脱するようにも見える部分もあった。このように愛をめぐる言説と市民社会との関係には簡単に整理のつかない部分があるため、従来の研究では、この関係自体が否定されたこともある。本稿は、そうした研究の流れをふまえて、近代化の中で生まれた新しい愛の言説における「市民的なもの」をあらためて検証しなおそうとする試みである。啓蒙時代における愛の観念の変化を、近代初期の社会思想との関連性において論じることによって、私的な愛をめぐる言説が、市民社会の形成過程においてどのような意味と役割を持ったのかを明らかにする。
著者
永谷 健 NAGATANI Ken
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.31, pp.87-101, 2014

貧富の格差が社会問題としてクローズアップされた大正期半ば以降、実業エリート層と他の階層のあいだの感情的な軋蝶が激化している。注目すべきは、実業エリート層自身による言動や彼らに関する言説が蓄積されるなかで、富裕なエリート層の階層としての社会的意義がこの時期に急変した点である。実業エリートたちに関連する記事が多数掲載されている3誌(『実業之日本』『中央公論』『太陽』)の記事内容を検討すると、第1回国際労働会議の議案(労働時間や最低就労年齢など)に対する実業エリートたちの対応が契機となって、彼らへの批判的思潮が急速に活性化したことがわかる。批判の論点は、彼らの前近代的な労働者観、および、温情主義への固執による労働条件の国際標準からの撤退である。先の時代、すなわち第一次大戦中とその後の数年間にあっては、経済的な拡張主義の高揚のなかで、彼らは文明国への先導者、そして事業上の「リスク・テイカー」として捉えられることが多く、また、彼ら自身もしばしばそのように自己定義を行っていた。したがって、国際労働会議をめぐる一連の事態は、国際標準への彼らの党派的な対応に対する"興醒め感"と彼らへの否定的な社会的評価を招いた。また、拡張主義を背景に発足した日本工業倶楽部へと実業エリート層の意思表明機関が一元化したことも、彼らへの批判が激化した一因となった。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.69-95, 2003-03-25

グリム童話に出てくる小人たちは意外と人が善い。でも、小人たちは、神と悪魔・魔女の中間にあって、悪魔・魔女に傾いた存在か悪魔そのもので、神秘的、地下的、地獄的な所があって、不気味な感じがする。その像は、古くからの民間伝承の様々な精や神々とキリスト教が入り混ざってできたものであろうが、どこか一神教の香が漂う。これに対し、『日本の昔ばなし』の小人たちは、悪魔・魔女の要素はまったくなく、神々に近い存在か、神々、天人そのものである。にもかかわらず、小人たちは、自然宗教的、多神教的雰囲気の中で登場し、地上的、人間的で、あけっぴろげで、子供のように笑ったり喜んだりする、可愛らしい存在である。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.81-110, 2005-03-31

難題解決結婚の話を分析すると、幾つかの特徴が現われる。それを一般的に定式化すると、難題解決結婚とは、王様(女王、王女)が、地上の人間には解決することがおよそ不可能な難題を出し、それを解決したら、褒美としてお姫様(王子)をやる(嫁にする)という約束に基づく結婚である。難題解決には、異界の存在や贈物が登場し、難題解決に決定的な役割を演ずる。主人公はほとんど行動しない。褒美としての(主として)お姫様は家父長的な父王からモノ扱いされる。しかし、それにもかかわらず、お姫様には結婚に抗う強い意志や激しい感情を持つ人が多い。不思議なことに、『日本の昔ばなし』にはこの難題解決結婚は一話もない。グリム童話といえども、庶民同士の難題解決結婚はない。
著者
太田 伸広 Ohta Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.41-73, 2009

一方的恋愛結婚は、柏手の意思を確認せず、一方的な恋愛感情で相手をもらう結婚である。一方的恋愛結婚の特徴の一つは、一方的に惚れ、結婚しようとする者は、社会的地位、身分が相手より上で、しかも男性だということである。もう一つは、一方的恋愛結婚は相手の意思、考え、感情などを無視した結婚であるにもかかわらず、実際にはそれが苦難、困窮、いじめ、迫害からの主人公の救済になっていることである。そしていじめたり、迫害した者は悲惨な罰を受けることが多い。次は、グリム童話と『日本の昔ばなし』の相違点である。前者では、家の干渉などまったくなく、惚れて結婚しようとする者が自分の思いをはっきりと打ち明けて結婚するが、後者では、一方的に惚れて結婚しようとするほどに積極的な気持ち、愛情があるのに、自らの思いを相手に打ち明けない話が半数近くもある。親任せ、家任せなのである。グリム童話では主人公はほとんど全員が外見の美しさに惚れるが、『日本の昔ばなし』では主人公の多くが内面の美しさに惚れる。
著者
谷井 俊仁
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-16, 2005

本稿は、清乾隆朝において出版がもった社会的権威について検討する。当時の出版に権威性が付与されたのは、非営利的な自費出版が主流だったからである。すなわち著者は、自らの威信のために出版し、人々も書籍は著者の人的権威の反映として理解した。そのような観点からすれば、当時の一大事業である四庫全書の纂修には、過去の書籍・著者の権威を、乾隆帝自らが格付けするという意味合いがあったことが理解される。論説 / Article