- 著者
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岩間 和人
- 出版者
- 養賢堂
- 雑誌
- 農業および園芸 (ISSN:03695247)
- 巻号頁・発行日
- vol.83, no.7, pp.743-753, 2008-07
バレイショの乾燥抵抗性品種「根優」誕生秘話。1975年春、大学卒業後、ヒッピーとしてネパールを訪れた。首都カトマンズでの偶然の出会いから、西部カリガンダキ地域に駐在している農業改良普及員を訪ねて1カ月間を過ごした。地域の入り口であるダナでは折しも田植えの真っ最中であった。縦も横もバラバラで、日本の整然とした植え方とは異なったが、その理由は自分で田んぼに入って田植えをしたらすぐに納得がいった。土の中にはこぶし大の石がゴロゴロしていて、その隙間に苗を差し込んでいくのであった。バレイショは収穫期で、こぶしよりも大きなイモが収穫されていた。一泊2食付きで1ルピー(約23円)の宿の夕食にはイモの入ったカレー汁がご飯とともに供された。ご飯はパサパサのインディカ米で、筆者は当時若くおなかがすいていたので何でもおいしかったが、しばらくすると日本のお米がなつかしくなった。しかし、バレイショは日本のものと同じ味わいで、鶏の卵とともに、世界中で変わらぬ味であると感じた最初の体験であった。ダナ近くのタトパニに1週間ほど滞在する間に日本の氷河調査隊の人と一緒になり、その人たちについて谷の上部を旅した。タトパニは標高800mほどの亜熱帯であったが、3日歩いて到着したツクチェ村は標高3,000m近くの亜寒帯であった。大麦が収穫された直後で、村のあちこちで棒の先に板をつけた農具を用いた脱穀作業が行われていた。バレイショは培土直後で草丈20cmほどであった。タトパニからツクチェまでの道々にバレイショが栽培されていたが、その草丈の変化に興味をそそられた。谷にそって標高が増すに従いバレイショの草丈が小さくなっていった。植え付け時期の差異もあったが、どうもそれだけではないように思えた。地上部は目で見てわかるが、地下部がどうなっているのかと興味を引かれた。今から思うと、バレイショの根系を一生の研究テーマとして選んだきっかけがこのカリガンダキでのバレイショとの出会いにあった。