著者
蒲谷 肇
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.67-82, 1988

千葉県南部の常緑広葉樹林(0.18ha)の下層植生を1971年,1976年,1986年の3回調査した。1986年には,それ以前にくらべ,下層植生に変化が見られた。変化はニホンジカが嗜好する種で大きいことから1980年頃から増加したニホンジカによるものと推測された。林床ではテイカカズラ,アオキ,アカガシ,ヤブコウジ,フユイチゴが大幅に減少した。低木層のアオキ,カクレミノ,クロガネモチについては樹高が2m未満の個体は絶滅した。非嗜好性植物として知られているイズセンリョウ,ホソバカナワラビ,ウラジロ,ヤブニッケイ,アセビの増減は少なかった。嗜好性植物とされるサカキ,ヒサカキ,ヤブツバキ,モチノキ,ヤブムラサキの本調査地での食害ははっきりしなかった。これは本地域のシカの生息密度が低いことが関係していると思われる。
著者
春田 泰次 仁王 以智夫
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.117-133, 1997

スギ落葉の分解にともなう無機成分の溶出パターンについて検討をおこなった。新鮮落葉を入れたポットを林床におき,5年間にわたって落葉から流出する無機成分の分析を行った。いずれの成分にも溶出パターンには季節変化があり分解が活発に進行する夏期に溶出量が多い傾向があった。Caは最初の1年間に溶出が特に多く5年間の全溶出量のおよそ55%がこの期間に失われた。その後はほぼ一定の割合で溶出が続いた。MgはCaと同様のパターンを示し,最初の1年間で73%が流出したが,それ以降の流出量はごく僅かであった。CaとMgのこのような違いはスギ落葉に含まれる両成分量の差によるものと考えられた。Kはごく初期に大部分が溶出し,それ以降の溶出は僅かであった。Kの溶出パターンは分解にともなうものではなく,むしろ溶脱によるものと考えられた。Pも分解初期の夏期に増大する傾向を示した。Pの溶出はほとんどが落葉の分解の中期(F層に相当する)段階に限られ,それ以降は流入量が流出量を上回ることが多かった。Na,Feについてははっきりした傾向を示さなかった。Cl-,SO2-4は分解の初期は流入量が流出量を上回ったがそれ以降は明確な傾向を示さなかった。
著者
津脇 晋嗣 中島 徹 龍原 哲 白石 則彦
巻号頁・発行日
no.133-134, pp.41-74, 2016 (Released:2016-09-14)

我が国の森林・林業政策において,森林の多面的機能がどのように重視され推移してきたかを調べるため,林野庁における森林・林業に関する事業に着目して,森林の多面的機能に関する用語・記述が使われている事業の内容や予算額の推移などからその変遷などを調べた。その結果,森林の多面的機能の発揮を期待した事業量は60%~80%で推移し,事業に用いられる森林の多面的機能の種類は時期が進むほど多様化する変化がみられた。その変化は平成4年の「地球サミット」などを契機に大きくなり,保健・レクリエーション機能,生物多様性保全機能や地球環境保全機能などに関する用語・記述が増え,時期を追うごとに,ほぼ全ての多面的機能がほぼ全ての事業区分にみられ,異なる事業区分が一体となって推進する可能性も考えられた。また,森林の多面的機能を重視する傾向は,森林整備などの公共事業から,計画の策定や制度の充実などのソフト対策を行う非公共事業に移行していると考えられた。森林の多面的機能の持続的な発揮を図るため,今後とも持続可能な森林経営を行うことが重要であり,木材を利活用していくことへの国民の理解や森林所有者が伐採後の再植林や保育活動などに利点を見出せる状況をつくることが重要と考えられた。
著者
竹本 太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.116, pp.23-99, 2006

1. 研究の目的 学校林をめぐる共同関係は「財産」を基底にした「財産共同関係」として明治後期から大正初期にかけて誕生し,その後,昭和戦前期における「愛郷」の普及によって種々の「愛郷共同関係」に拡張したので,すでに入会集団とは異なるものに変容していると考えられる。これを前提として,昭和戦後期・現代における研究の目的を次のように設定し,かつ,森林利用形態論における学校林の位置づけを,目的2)に関連させて論じた。目的1) 天皇制支配の手段として戦前に全国的な展開を見せた愛林日や学校林造成が,戦後に植樹祭や学校植林となって継続した経緯および理由を明らかにする。目的2) そうして戦後に引き継がれた学校林およびそれをめぐる共同関係の地域社会における存在価値を,昭和の町村合併に伴う林野所有の移動から説明する。目的3) 合併を経て地方自治体制が整備されるなかで学校林が消滅,衰退する経緯と,里山保全や環境教育の場として展開し始めた現在の状況を明らかにする。2. 考察1) GHQ/SCAP の立場から考えると,急激な民主化と分権化によって引き起こされる社会不安への対応として愛林日や学校林を位置づけていたと思われる。まず1 点目は絶対的な存在としての天皇を失うことにより国民のあいだに生じる不安であり,そして2点目は農地改革に引き続く山林解放を恐れることにより山林地主のあいだに生じる不安であった。それゆえ,愛林日の復活は天皇を国土復興に担ぎ上げることによる1 点目の不安の払拭であり,学校植林運動の開始は一連の「挙国造林に関する決議」などと同様の造林奨励による2 点目の不安の払拭であった。 しかし,その払拭を実際に思いついたのはGHQ/SCAPではなく山林局(1947年4月より林野局,1949年5月より林野庁)官僚や森林愛護連盟であった。戦前の組織やシステムを維持することに対してGHQ/SCAP は少なからず抵抗するはずで,林野官僚や関係団体は愛林日や学校林を提案する際に次の2点を工夫する必要があった。1点目は愛林日や学校林がそもそもは米国の行事に由来することを主張することであり,2点目は天皇制支配の手段として用いられた過去を「緑化」というイメージにより刷新することであった。 一方で,急激な民主化と分権化により財源の確保も不十分なままに森林管理や校舎建築といった公共事業を一手に引き受けることになった地域社会の立場から考えると,心理的な基盤としては天皇参加の愛林日による国土復興に向けた一致団結が必要とされ,物理的な基盤としては学校林造成による校舎建築財源の確保が必要とされた。その結果,敗戦により「愛国」の箍を外された「愛郷共同関係」が紐帯を自生的に強めることになった。 このようにGHQ/SCAP,林野官僚および関係団体,地域社会のそれぞれの思惑が絡み合いつつ,愛林日が復活し,第1次学校植林5ヵ年計画が開始した,といえる。2. 考察2)町村合併に伴う学校林の所有移動は,無条件もしくは条件付で(すなわち学校林として維持することを条件に)新市町村に統一されるか,さもなくば前町村が財産区を設置して財産区有林の一部として学校林を管理経営するものが多かったのであろう。しかし,学校と地域社会との関係は一様ではなく非常に複雑なものがあらわれる。松尾財産区の学校林は,まず財産区有林のすべてが学校林であるという点,次に松尾を含む複数の前村組合を単位にする旧財産区有林のなかに学校林があるという点,において特殊である。学校林は,実際に植林,管理経営し,その収益を享受した体験をもつ住民や児童生徒にとって,旧財産区とは別に新財産区を設置してでも管理経営するべき存在であったと考えられる。高瀬生産森林組合有の森林は,部落有林野を統一し官行造林を実施した経緯をもつ高瀬村の村有林から成り立っている。まだ新財産区制度が導入される前の町村合併において全戸住民を権利者にして設立した任意団体,高瀬植林組合の性格が高瀬生産森林組合にそのまま受け継がれている。学校林は同生産森林組合にとって部落有林野統一と官行造林の契機となった象徴的存在である。相原保善会は,財産区,生産森林組合を設立するものの最終的に財団法人という法人格によって「地区民の公共の福祉」のための財産保全を可能にする。学校林は「地区民の公共の福祉」のため最初に設置された財産であった。町村合併に伴って財産の移動が検討されるとき一般的にみれば部落有に分解するベクトルと新市町村有に統一するベクトルが同時に働く。これに対して,「愛郷共同関係」は学校林が児童生徒や地区全戸によって管理経営されてきたことを訴える。すなわち「地区民の公共の福祉」というベクトルを掲げる。そして財産区,生産森林組合,財団法人などの制度的な外形を与えることによって「財産共同関係」を固定化し,自然村から自由を奪うと同時に新市町村への統一を防御したのである。3. 考察3)日本はGHQ/SCAPからの独立を果たし,朝鮮戦争をきっかけにして高度経済成長を開始する。この時期に第2次学校植林5ヶ年計画がはじまるが,もはや財産としての学校林を国策として奨励する必要はなくなっていた。合併により前町村が学校設置主体としての権限を失っていくだけでなく,義務教育費国庫負担金などの補助金制度によって中央から地方への統制が復活したである。新市町村にとって学校整備に必要なものは補助金であって地域社会の力ではなかった。そのため,残像としての「緑化」が以降の学校植林運動を牽引せざるを得ない。全国各地に出現する「基金条例」にみられるように財産としての学校林は1960年代から1970年代にかけてフェードアウトしていった。 そして,1970年代以降,世界的に自然環境の悪化が危惧されるなか,国内においても里山保全や環境教育の場としての学校林に対する関心が高まり始める。そして1990年代後半より2000年代前半にかけて市町村,都道府県,国レベルで学校林に関する施策が開始されるようになる。飯田市における「学友林整備事業」はその典型例であった 4. 森林利用形態論における学校林の位置づけ 直轄利用形態の変容という観点から町村合併における学校林の移動について若干の考察を加えるならば,これまで川島武宜らによる森林利用形態論において直轄利用形態は,道路,橋梁,消防,学校などの公共事業への支出により,林野を管理経営する自然村が地区内における権力を維持する手段としてみなされていた。しかし学校林は不自由な直轄利用形態,あえて名づけるならば「公共利用形態」とでもいうべきものに姿を変えた。現在も地域社会によって管理経営される学校林とは,直轄利用形態に孕まれる公共利用形態としての性格が,児童生徒や地区全戸の管理経営によって強められ,かつ,合併に伴う制度的な外形の導入によって固定化された,かなり特殊なものといえるだろう
著者
本田 裕子
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.116, pp.113-143, 2006-12
被引用文献数
2

2005年9月25日に行われたコウノトリの放鳥を住民がどのように捉えているのか、放鳥直後の住民による放鳥の意義を探るため、豊岡市全域住民を対象にアンケート調査を行った。回答者の抽出は、無作為抽出により20歳から79歳までの男女1000人とした。アンケートは郵送により2006年1月に行い、回収数は594通であった。アンケート調査の結果、回答者の多くが9月24日の放鳥を好意的に捉えていた。放鳥の賛否も、回答者の75%が賛成であった。放鳥に関する心配も、農業関連の心配(32%)よりも放鳥が成功するかどうか(73%)が上回っていた。また、放鳥によってコウノトリの捉え方が変化した割合は全体の62%を占め、放鳥によってコウノトリを好意的に捉える傾向が強くなった。コウノトリの放鳥に関し、新聞やテレビ報道が情報伝達手段として大きな役割を果たしており、コウノトリの放鳥を豊かな自然環境の象徴として伝えていることが多いことも関係していると考えられる。放鳥コウノトリを目撃した割合は全体の25%と多くはないが、放鳥賛成の理由に「もともと野生の鳥だから」が最も選ばれていた。そして、コウノトリは「地域の象徴やシンボル」、「豊かな自然環境の象徴」という捉え方が多く、「経済効果を生み出すもの」という利益に直結した捉え方は非常に少なかった。これは、コウノトリの放鳥を、「利益があるから」として評価しているわけではないことを示すとも考えられる。今までの野生復帰は、人里から離れたところで行われてきており、今回のコウノトリの放鳥は、人里で行われる初めてのケースである。今回、明らかになった住民によるコウノトリの放鳥の捉え方は、生活に直結するような利益というよりはむしろ環境問題や地域の象徴など金銭的とは必ずしもいえないメリットが関係しており、結果的に、それらのメリットによって、放鳥が住民にとって意義あるものとして受け入れられているといえる。
著者
PALETTO Alessandro SERENO Cristina FURUIDO Hiromichi
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.119, pp.25-44, 2008

The analysis of the evolution of forest management in the historical periods is an important tool in estimating changes of society’s perception of forest resources. This paper describes in brief the historical evolution of forest management in Europe and in Japan and the motivations of these changes. In particular, the paper analyses three periods: pre-industrial (from the Middle-ages until the mid-17th century), industrial (from the mid-17th until the mid-20th century) and the postindustrial period (from the late-20th centure until today). For every period it describes the main management systems adopted and the theoretical aspects that have determined their development.
著者
井出 雄二 黄 バーナード永龍 指村 奈穂子
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.128, pp.87-120, 2013-02

江戸時代中期以降伊豆韮山代官であった江川家に伝わる文書の内,「天城山御林改木数字限仕訳帳」を読み解き,1811年における天城山の森林の状態を考察した。仕訳帳の調査範囲は暖温帯から冷温帯までの広い範囲を含んでいた。また,仕訳帳には調査面積に関する記述はなかったが,仕訳帳の地名と現在の地名との対応から,その範囲は少なく見積もった場合でも500ha程度であることを示した。樹種構成は,今日の天城山の天然林とほとんど変わらなかったが,立木密度は100本/ha以下で今日の天然林の平均500本/haと比べると大変疎であり,大径木が優占した林相であったと推定された。これは,目通り直径14.5cm以下の雑木を継続的に炭焼きに供したため,より上の径級へ進界できる雑木が存在しなかったことに起因すると考察した。疎な林床ではモミ稚樹の更新が卓越し,さらに別木としての保護が加わり,モミ林の形成がうながされた。また,同様なことがブナでも起こった可能性がある。このような人為によって誘導された森林状態が,今日残存する天城山の天然林の成立に深くかかわっていたものと考えられた。
著者
梶 幹男 澤田 晴雄 五十嵐 勇治 仁多見 俊夫
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.106, pp.1-16, 2001-12
被引用文献数
4

秩父山地のイヌブナ-ブナ林における17年間の堅果落下状況の推移から,イヌブナ,ブナともに2年に1回程度結実(総堅果落下量≧20個/m2)することが明らかになった。最大総堅果落下量はブナで992.4個/m2(1993年),イヌブナで943.9個/m2(1988年)であった。ブナおよびイヌブナの豊作年(総堅果落下量≧100個/m2)には明瞭な周期性は認められなかった。両種の豊作年が重なるのは2.3~3回に1回程度であると推定された。ブナとイヌブナの豊作年における平均健全堅果率(健全堅果量/総堅果落下量)は,イヌブナの方がブナよりも有意に高かった。同じく豊作年における両種の平均虫害堅果率(虫害堅果量/堅果落下量)はイヌブナよりもブナが有意に高かった。豊作年における総堅果落下量に占める潜在健全堅果量(健全堅果量+虫害堅果量+鳥獣害堅果量)の割合は7割程度で,平均値は両種間で有意な差がなかった。また,潜在健全堅果量に占める虫害堅果量の割合,すなわち虫害堅果率の平均値はブナがイヌブナよりも有意に高かった。これらのことから,ブナの健全堅果率が低い原因は同種の虫害堅果率が高いことによるものといえる。両種の豊作が同調した1993年と2000年の虫害堅果の落下時期はブナの方が早い傾向にあった。その原因として,ブナ堅果がイヌブナ堅果に比べて,早く成熟時の堅果サイズに達することによるものと推察された。ブナの虫害堅果落下時期は6月初旬~8月初旬および10月中旬~10月下旬に二つのピークが認められた。ブナの虫害堅果落下時期が二山型を示す現象は,東北地方と栃木県高原山においても観察されており,少なくとも東北地方から関東地方に広くみられる現象である可能性が示唆された。ブナ,イヌブナ堅果に共通する主要食害者としてブナヒメシンクイが重要であることが示唆された。日本海側に比べて太平洋側のブナの虫害堅果率が高い原因として,後者は冬期寡雪であることおよびイヌブナとブナが混生しており,両種の豊作年が必ずしも重ならないことが重要であると推論された。In order to investigate the long-term fluctuation of the seed production of beech species, the amounts of fallen nuts of Japanese beech (Fagus japonica Maxim.) and Siebold's beech (F. crenata Blume) were surveyed in sample plots of a natural beech forest in the Chichibu Mountains, Central Japan, for 17 years (1984-2000). Both of the beech species bore fruit (nuts≧20/m2) about half of the years. The maximum total fallen nuts were 992.4 nuts/m2 in Siebold'beech (1993) and 943.9 nuts/m2 in Japanese beech (1988), respectively. The mast year (nuts≧100/m2) interval was irregular. The probability when mast year of both beech species synchronize was estimated about once in 2.3-3 times of the mast year. The average ratio of sound nuts (SN) to total fallen nuts (TFN) of Japanese beech in the mast year was significantly higher than that of Siebold's beech. The average ratio of insect-damaged nuts (IDN) to TFN of Japanese beech in the mast year was significantly smaller than that of Siebold's beech. There was no significant difference between the species in the average ratio of potential sound nuts (PSN=SN+IDN+Animal-damaged nuts) to TFN. The average ratio of IDN to PSN of Siebold's beech was significantly higher than that of Japanese beech. The low average ratio of SN in Siebold's beech was mainly caused by high average ratio of IDN. The falling time of IDN of Siebold's beech nuts tended to be earlier than that of Japanese beech, as the growth of the Siebold's beech nuts is about two month faster than that of Japanese beech. As to the falling time of IDN in the synchronized mast year of both species in 1993 and 2000, Siebold's beech showed two modes at early June-early Aug. and mid Oct.-late Oct. The bimodal pattern for the falling time of IDN in Siebold's beech was also observed at Kunimi, Obonai (northern Honshu) and Mt. Takahara (central Honshu). This fact suggests that the phenomenon of bimodal insect damage on Siebold's beech nuts might be common in Tohoku and Kanto district. Pseudopammene fagivora Komai is one of the most important nut predators, for both Siebold's and Japanese beech. Larger insect damage in Siebold's beech nuts in the Pacific Ocean side in comparison to the Sea of Japan side, might be caused by the two factors that there are much smaller snow in winter and that mast year of two beech species is not always synchronize each other.
著者
熊谷 明子 塚越 剛史 田中 友理 蔵治 光一郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.103, pp.1-20, 2000-06
被引用文献数
2

千葉県南部に位置する東京大学千葉演習林内の山地小集水域において渓流水の水質を降雨イベント時に観測し,流量の変動に伴う水質の変動を検討した。渓流水の流量と濃度の関係を整理した結果,分析対象とした主要溶存イオンは次のような4つのグループに分けられた。NO-3は,流量と正の相関をもつ。平水時の渓流水濃度,林内雨濃度が低いことから土壌に多く存在していると考えられる。Na+,Mg2+,Ca2+は,流量と負の相関をもつ。主に基岩の風化を起源にするために,土壌水中より渓流水中で濃度が高く,流量の増大に伴い濃度が減少したと考えられる。K+は,やや負の相関をもつが,ばらつきが大きい。林内雨,土壌水,渓流水中の濃度差が少ないために流量に対する渓流水中の濃度変動は現れなかった。Cl-,SO2-4は,降雨イベントによって異なる挙動を示す。Cl-は10月の降雨イベントにおいて,台風によって輸送された海塩の影響が現れていた。SO2-4は流量と負の相関をもつが,7月降雨イベント前のみ低い値であった。このように渓流水質の各イオン変動特性の違いは各イオンの流出経路やその特性を反映していると考えられる。In order to examine the relation between the stream discharge and water quality of small mountainous watershed, we intensively sampled the forest stream water during and after several rain events. This study was conducted in the University Forest in Chiba, the University of Tokyo in the south of Chiba prefecture. The effects of rapid stream discharge increase on the ion concentrations was devided into four groups. NO-3 increases in concentration. Na+, Mg2+ and Ca2+ were diluted. K+ showed no much significant correlation with discharge. Cl- and SO2-4 showed different responses depend on rain events. This results suggest that the differences between groups reflect the different distribution of sources and generation processes of the ions.
著者
藤田 直子
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.116, pp.193-251, 2006

本論文は,2006 年に東京大学に提出した学位論文の前半部分であり,後半における現状の実態分析及び評価のための概念整理と位置づけることができる。本研究の立脚点は「緑地」という視点を通して時間的な軸と空間的な軸から社叢空間を捉えようとするところにある。本論文は五章で構成されており,各章は以下の通りに位置づけられる。第1章においては,本研究の背景と目的ならびに位置づけを明らかにした。まず,問題の所在,本研究に反映させる問題意識を述べ,関連する研究の流れや位置づけを通覧し,それぞれの研究のアプローチ及び方法論を整理することによって,本研究の位置づけを試み,その目的及び方法を明らかにした。設定した本研究の目的は,社叢を緑地という視点で評価することの意義と妥当性を明らかにすることとし,具体的には①空間に対する認識の変遷を「自然」との位置づけの関係から分析することで,日本人の自然に対する空間概念形成を明らかにすること②“神社の屋外空間”を指して用いられる「社叢」「鎮守の森」「社寺林」といった類義語を比較して各々の言葉の意味や意義を分析することにより,同一の空間に対して複数の言葉が用いられる原因とその背景にある意図を明らかにし,神社のオープンスペースに対する緑地の空間概念の差異と特徴を明らかにすること③法の成立・運用における「社叢」の概念及び位置づけを明らかにすることにより,“神社の屋外空間”と“社叢”の空間概念を明確にすること以上の3点を研究目的とした。第2章においては,文献資料調査によって自然・神道・社寺など社叢に関連する歴史や事象及び語彙を明らかにし,本研究において『社叢』を対象とする意図を明らかにした。まず,自然に対する神道の空間認識と日本人の自然に対する空間概念との関係を明らかにするために,分析対象記事(該当記事4,159)を文献(該当文献555)から選出し,神道の空間認識における「自然」の位置づけの変遷や日本人の自然に対する空間の認識の関連を言葉の解釈の変遷や西欧との比較を踏まえて分析した。その結果,日本における自然の概念と神道の精神や空間認識は通じるものが多く,自然に対する神道の空間認識が日本人の自然に対する空間概念の形成に関与していたことが明らかになった。第3章においては,“神社の屋外空間”を指して用いられる類義語に対し,語彙自体の使用の変遷を明らかにするための書籍・論文出現頻度に関する分析と語彙が想定する対象を広く収集分析する語彙の概念に関する分析を組み合わせることによって,量的側面と質的側面の双方から実態を明らかにし,神社のオープンスペースに対する緑地の空間概念の差異と特徴を明らかにした。その結果,数値分析処理による包括的な傾向として「社叢」「鎮守」「社寺」と「森」や「林」といった語が組み合わされる傾向が強まったのは1970 年代中盤以降であり,この時期を契機として“神社の屋外空間”を「緑」の空間として認識しようとする見方が形成された事が示唆された。また,「鎮守の森」や「社寺林」が,元々“聖なる場”や“神社や寺院”などの意味をもつ「ある空間」に対して自然や緑地といった概念を加えることで成立してきた空間概念であるのに対し,「社叢」は元来からそれ自体に自然や緑地といった概念を含む空間概念であることが分かった。また,各々の言葉が対象とする空間概念の範囲に関しては,「社叢」が指し示す空間概念には神社境内内森林の生物生息空間,特に植物生態学的側面に着目するという空間概念が強いこと,「鎮守の森」が指し示す空間概念には古来から地霊をまつる聖なる空間やその神に対して用いられてきた語が生態学的研究対象として地域の本来の潜在自然植生が顕在化している場所として着目されたことなどにより,神社の空間のみならず精神的・文化的な拠り所という広範囲な解釈として捉えられている空間概念が強いこと,「社寺林」が指し示す空間概念には明治期の土地政策・林野政策の中での位置付けに対して用いられた歴史を経て,機能面や制度に着目した場合や現物の空間を表現する場合の対象となる空間に対して求められた空間概念が強いことが示された。第4章においては,「社叢」という言葉の意味や使用されてきた意義を明らかにするために,雑誌史蹟名勝天然紀念物における全記事中,社叢・神社・社寺・及び関連記事を選出して分析対象とし,史蹟名勝天然紀念物保存法の成立・運用の過程における社叢というものの位置づけや,社叢という言葉の使われ方の変遷を分析した。その結果,「社叢」が史蹟名勝天然紀念物保存法の要目の筆頭に採用されたのは,単に植物学・生態学上優れた森林としてのみならず,社叢を複合された価値を有する場として保存していく必要があるという意識と,当時巻き起こった神社合祀令への反対とが相まった結果であることが明らかになった。更には,その後時代を経るにつれ「社叢」という言葉に含まれる意味は変化してゆき,それに対する複合的な意味合いは消え忘れられ,次第に原始林に準ずる森林かつ神社に所属するものを「社叢」として指すようになったことが明らかになった。第5章では,第2章から第4章の結果をまとめるとともに本研究の結論を述べた。以上の研究から本論文では,神社の屋外空間に対する空間概念を明確化しその空間を表現するに相応しい語彙が示されたことで,意味的側面から神社の空間を緑地という視点で評価することの意義と妥当性を明らかにした。なお次報においては,都市における社叢の実態を明らかにするために,東京都区部を対象にマクロ・メソ・ミクロの異なる3つの空間スケールを設定し,現地調査と数値情報をもとにGIS を用いて定量的に都市の社叢を分析した研究結果を著すると共に,本研究における結論を述べる。
著者
石田 健
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.105, pp.91-100, 2001-06
被引用文献数
2

東京大学秩父演習林の中に開通した国道140号線の施設が、演習林とその周辺のツキノワグマ個体群に与える影響を評価するために、隣り合う滝川流域と入川流域において、ミツバチを誘引餌としたドラムカン製捕獲器でクマを捕獲した。 捕獲個体の体重や体調を記録した。大型個体には首輪式の発信機を装着して、行動圏を調べた。1991年から1999年の主に夏季にツキノワグマの58個体を136回捕獲し、23個体の成獣に34個の電波発信機を首輪で装着して行動圏を調べた。1993年から1995年における行動圏の調査結果から、調査地で繁殖していたと推定される6~8頭の雌の成獣は7~8平方キロに1頭ていどの密度で生息していると推定された。調査地内で秋の堅果がすべて凶作の1992年に、発信機を装着した雄の1頭が直線で約9キロ離れた塩山市一ノ瀬で射殺されたことが確認され、1993年には国道周辺の滝川地域で雄の成獣が1頭も捕獲されず、1994年には同地域で未成熟の雄が捕獲されただけだった。 国道140号線が施設されていたために滝川流域での雄の成獣の生息個体数の回復が遅れた可能性があると考えられた。演習林内にあるトンネルが生息地の分断効果を和らげる重要な機能を持つことを示唆した。
著者
竹本 太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.111, pp.109-177, 2004-06
被引用文献数
1

1.目的 明治期における学校林について詳細に調べられたものはこれまでほとんどない。本稿は,明治地方自治制が生み出した,自然村と行政村の二重構造の中で,1)なぜ学校林設置が導入され,2)どのように普及し,3)どのような役割を果たしたのか,を明らかにする。2.方法(時期区分)市制町村制により合併町村が行政村としてあらわれた時期から,日露戦後の地方改良事業を通じて行政村が定着していったとされる時期までを研究の対象とする。ただ,それ以前から学校林は設置されているため,学制発布から市制町村制までを前史として扱うことにした。第1~5期については,明治政府の学校林設置施策の変化を追う形で区分した。まず,学校基本財産制度が始まった地方学事通則制定以降を第1期とし,次に,文部省からの「学校樹栽日」通達以降を第2期とした。さらに,国有林野法による小学校基本財産への不要存置国有林野売り払いをはじめとする一連の動きを第3期とし,その中でも特に日露戦争を機に普及した学校林設置を第4期とした。最後に,地方改良事業に伴う部落有林野統一を通じて学校林が設置されていく時期を第5期とした。この期間における学校林設置を,収集した資料をもとに,1)設置政策の変遷,2)設置の実態,から明らかにする。This paper intends to clarify 1) why school forests were introduced, 2) how they have spread and 3) what kind of role they played, in the dual structure of natural villages and administrative villages, which the Meiji local autonomous system produced. In the very early period (from 1872 to 1889), school paddies and school forests were introduced as a way of making generating school funds. Though most of them were set up on lands owned by natural villages, some of them were set up on lands sold by the Meiji government. In this period the number of school paddies was larger than that of school forests. In Aomori Prefecture especially, school paddies developed rapidly.
著者
齊藤 陽子 瀬戸 康弘 井出 雄二
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 = Bulletin of the University of Tokyo Forests (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.137, pp.65-75, 2018-03

クヌギは,1960年代以降シイタケ原木として需要が高まり,急激に造林が進んだ。この時代の前後でクヌギ人工林が遺伝的に異なるかを明らかにするため,静岡,山口,大分で,クヌギ高齢人工林6林分,壮齢人工林13林分および対照として大陸の韓国1集団,中国2集団,計990個体を核SSRマーカー7座および葉緑体SSR6座で解析した。その結果,核DNAの多様性は中国集団が高く,日本の人工林では林齢区分や地域による明確な違いはなく,韓国集団と同程度であった。またSTRUCTURE解析では,K=3の時,中国集団が異なるクラスターを形成した。葉緑体ハプロタイプは16個検出され,静岡5林分中4林分,山口全3林分,大分11林分中4林分で同じ特定のハプロタイプの頻度が90%以上であった。一方,大陸ではそのハプロタイプの頻度は低かった。葉緑体の(δμ)2に基づき近隣結合法により作成した系統樹では,大陸と日本の2つのクレードが形成されたが,その中間に位置する人工林もあった。ハプロタイプの多様度は,高齢林より壮齢林で高い傾向があった。これらのことから,地域によっては1960年代前後でクヌギ人工林の遺伝的特性が異なり,韓国産種苗がそれにかかわっていた可能性があることが示唆された。
著者
吉本 昌郎 信田 聡
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.91-139, 2001

トドマツ水食いについて,製材途中,製材後の供試木について観察をおこなった。水食い材は節,樹脂条,入り皮など,なんらかの欠点とともに現れることが多かった。これから,石井ら17)の指摘しているように,水食い材では節,樹脂条,入り皮など,なんらかの欠点がもとで無機塩類や有機酸が集積し浸透圧が上昇することで含水率が高くなっているということが考えられた。特に,樹脂条が節に近い年輪界に多く生じ,そのような個所で水食い材の発生が顕著であった。このことから,風や雪,択伐の際に枝にかかる応力により年輪の夏材部と春材部の間に沿って破壊によるずれが生じ,そのような個所に樹脂条が形成される際に無機塩類や有機酸の集積がおこり,浸透圧が上昇するのではないかと推測した。トドマツの気乾試験体,生材試験体についてJIS Z 2101-1994に準拠した,曲げ試験を行い,曲げ強さ,曲げ比例限度,曲げヤング係数が水食いの存非により影響を受けるか否かについて調べた。結果は気乾試験体では曲げ強さ,曲げ比例限度,曲げヤング係数といった値は非水食い試験体の方が大きい傾向があったが,統計的な差は存在しなかった。生材試験体では曲げ強さ,曲げ比例限度,曲げヤング係数といった値は全体的に著しく減少しており,水食い試験体と非水食い試験体の比較では気乾試験体とは逆に,水食い試験体の方が大きい傾向があった。しかし,これにも統計的な差は存在しなかった。トドマツの気乾試験体,生材試験体についてJIS Z 2101-1994に従った,縦圧縮試験を行い縦圧縮強さが水食いの存非により影響を受けるか否かについて調べた。結果は,統計的に有意な差は存在しなかった。トドマツの気乾試験体,生材試験体についてJIS Z 2101-1994に従った,せん断試験を行いせん断強さが水食いの存非により影響を受けるか否かについて調べた。結果は,統計的に有意な差は存在しなかった。水食い材,非水食い試験体の間に強度の有意差が存在しなかったということは,水食い材であっても,乾燥に十分気をつければ,非水食い材と同様の使用が可能であることを示唆している。現在の状況では水食い材は製材用とはならず,パルプ用としてチップとなるのが普通である。一部の製材工場では水食い材からでも構造用材ではないが,建築用材として土留め板などを採材しているところもあるが,あくまで一部の工場でしかない。今回,水食い材は,非水食い材に比べ,強度の低下が存在しないか,存在したとしても小さいものであることがわかった。したがって水食い材は構造用材などとして有効な利用を目指すことができる。